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男村  作者: 五郎八まなみ
1/6

ことの始まり

「よく思い立ったな」

 学生時代の仲間たちは口を揃えて言う。そして、決まり文句みたいに、「今度、遊びに行くよ」と、会話の最後につけ加えるが、今のところ訪ねて来た者は誰もいない。

 世界的に猛威を振るった疫病が流行った年の前年、(せい)はとある県の奥地に移住し、田舎暮らしを始めていた。

 農業に携わりたいとか自然豊かな場所で人生を過ごしたい……。そんな立派な目標があったわけではない。都会の慌ただしさに疲れ、人間関係の煩わしさにくたびれ果てた末、逃げてきたようなものだ。

(せい)、いるよね?」

 母の妹の子、従弟の智大(ともひろ)は月に何度かこうやって遊びにくる。聖をこの土地に誘ったのは彼だ。

「いるよ。上がってこいよ」

 智大は仕事を終えてから家に帰ると、必ず洗い立てのシャツとデニムに着替えて訪ねてくる。綺麗好きの彼はそうしないと気持ちが悪いらしい。

 智大が彼の父方の実家へ養子に入って三年が経つ。智大の伯父は、智大の父より十歳も年上で七十歳を超えているが、子どもがおらず、先祖から引き継いできた畑と山を弟の三人の息子のうちの誰かを養子に迎えて家を継いでもらいたいと常々、言っていた。

 智大は昔から机にかじりついて勉強をするよりも、外で遊びまわる方が好きだったし、理数系の大学を卒業して就いたメーカーでは営業職に配属され、成績も意欲も今ひとつだったこともあって自ら跡取りになりたいと手を挙げたのだった。

 長男である彼を養子に出すことを叔母はよく思っていなかったようだが、叔父は兄の願いを叶えてやりたいと妻を説得した。

 だから、智大は今では広大な畑でキャベツを育てる若手の農業家だ。

「あれっ、聖、まだ仕事中?」

 智大はリビングの隅に置かれた机に向かっている聖のノートパソコンを覗き込む。

「いや、もう今日のところは店じまいしようと思っていたところさ」

 聖はそう言って笑った。

 彼は小さなシステム会社を営んでいた。会社と言っても従業員がいるわけではないから個人事業主と言ってもいい。だが、会社としておいた方がなにかと便利な気がして、法人登録をしてあるだけだ。

 仕事上、インターネットにアクセスできればどこでも働くことができるし、彼が抱えている案件は急になくなる心配もなければ、積極的に新規クライアントを探し回って営業する必要もない。

 どうしても外せない用事があるときだけ東京に出かけていけばいいのだが、今回の流行病の影響でテレワークが進んだこともあり、当分上京しなくてもオンライン会議と電話を駆使すれば何の問題もなさそうだ。

「あのさ、駅前にメロディってスナックがあるんだけど行ってみない?」

「スナック? 駅前にそんなのあった?」

 一日に数本しか電車が停まらない無人駅周辺の光景を思い返したが、まだ数えるほどしか駅を利用していない聖は、その店の佇まいを想像することもできない。

「あるんだよ。駅前の通りの端っこにさ」

「ふうん。コンビニもないこの村にそんな店があったとはね」

 智大をソファに座るように促すと、聖は立ち上がって冷蔵庫から麦茶を取り出し、水切りかごの中に置きっ放しだったグラスに注いで彼に手渡す。

 必要最低限の家財道具しか持たない聖は、グラスもひとつしか持っていない。机の上に置いていた飲みかけのコーヒーを流しに捨てると、すすぎもせずにそのマグカップに麦茶を入れて一口飲んだ。

「昔は、五郎さんって名前のおじいちゃんがやっていてね。といっても俺がここに引っ越してきたときは、身体を壊して店を閉めていたんだけど。最近、東京に住んでいた孫娘が帰ってきて、そこを引き継ぐことになったらしいんだ」

「ふうん。なるほどね」

「まだ二十代くらいの子らしいんだよね」

 智大はニヤついた。

「なるほど智大好みの女の子がいるわけだ」

「いや、まだ俺好みがどうかはわかんないよ。顔を拝むまではね。で、行くよね?」

 そう言って麦茶を飲み干した。

 田舎暮らしを始めて、すっかり酒を飲まなくなった。

 気軽に飲みに行ける店もないし、思い立ったときに買いにいくことができる酒屋もない。必要性を強く感じることもないから、定期的に利用しているネットスーパーで購入することもほとんどなかった。

 こっちへ来て、聖は自分があまりアルコールを好きではないことに気がついた。智大が、「家飲みしよう」と、缶ビールを数本持ってくるときに飲むくらいだ。

 都会で暮らしていたときに、あんなにしょっちゅう酒を飲んでいたのは、やはり飲んでいなければやっていられないと思うほどのストレスが溜まっていたのだろうと今は想う。

 渦中にいた頃は、その事実を冷静に受け入れる余裕がなかった。そのことに気づくことができたのも、こっちへ来たおかげかもしれない。

 メロディは智大の言葉通り駅前の通りの端っこにあったが、いつも聖が利用している道の反対側で、店の看板を見たこともなかった。

 日焼けした分厚いドアを開けて薄暗い店内に入っていくと、五人しか座ることができないカウンターがあるだけの小さな店だった。

「いらっしゃいませ」

 背の高いショートカットの女性が入り口に顔を向けた。金髪に近い明るい髪色に白い肌。昔、女子高生のカリスマと騒がれた女性アーティストに雰囲気が似ている。

 ギャルが好きな智大はもう頬が緩んでいた。

「とりあえずビールで」

 一番奥の席に二人組の先客がいたから、二人は、入口近くに並んで座った。

「はい、ビールね。食事はどうします? って言っても焼きそばかチャーハンくらいしかできないけど。ほら、キッチン狭いから大きな冷蔵庫を置けなくてね。大したものはつくれないんだ」

 彼女はそう言って笑った。

「ああ、じゃあ、焼きそばでいいかな。あとは軽くつまめるものはあるの?」

「乾き物とソーセージに冷奴と枝豆。あとは漬物かな」

 美人ではないが、愛想が良くてまあまあ可愛い。

 それにかなりスレンダーで身長もある。百七十センチの聖とほとんど変わらない。身体にフィットするシャツを着ていることもあって、ツンとした形の良いバストは目を引いた。

「お二人とも初めてかな?」

 ビールを智大と聖のグラスに注ぎながら彼女は話しかける。

「そうなの。ここ、来てみたかったんだよ」

 智大はニヤついたまま答える。

「本当? 気に入ってもらえるといいんだけど」

 食事の準備の手を止めることなく、彼女は応対する。ハキハキと受け答えをするし、手際も良さそうだ。

「あの、東京から来たって聞いたんだけど」

 聖はグラスに口をつけ、喉を潤してから質問をした。

「そうなの。今、東京は変な病気が流行っているでしょう? 仕事がなくなっちゃって、それで仕方なく帰ってきたの。じいちゃんがこの店を開ければいいって言ってくれたしね」

「五郎さん?」

「そう。じいちゃんのことを知っているの?」

「いや、俺も去年、こっちに越してきたばかりでね。こいつから聞いたんだ」

 聖はそう言って智大に顔を向けた。

「俺も昔、ここで五郎さんっていう人がこの店をやっていたって近所の仲間から聞いただけで、来たことはなかったんだよ。だから、ここに来るのは初めて」 

 話しながら空になったグラスに智大は手酌でビールを注ぐと、続けて口を開く。

「この村に飲み屋なんてないから、結構、儲かるんじゃないの?」

「儲かると言っても席がこれしかないからね。まあ、実家暮らしで家賃とかかからないから、そんなにガツガツ働かなくてもいいのは助かるけど」

 そう言って、出来立ての焼きそばを二人の前に置いた。

「ねえ、君の名前は? 俺は智大でこっちは聖」

 熱々の焼きそばに早速手を伸ばしながら、智大は質問を止めない。

「わたしは、カオル。智大さんと聖さんね。二人ともいいお名前ね」

 そう言われた聖は少し複雑だった。昔から、もっと男らしい名前がいいと思っていたからだ。

「もしも気に入ったらご贔屓にしてほしいな」

「もちろん、ご贔屓にするよ」

 口をもぐもぐさせながら智大は答えた。カオルは笑顔で彼に向かって頷くと、聖に顔を向ける。お前はどうなんだと無言のプレッシャーをかけてくる。

「こんなおじさんで良ければ」

「おじさん? 全然、おじさんなんかに見えないんだけど」

 おどけた様子でそう話す彼女の言葉はきっと社交辞令だと思ったが、そう言われて悪い気はしなかった。

「僕は、三十八でこいつは三十五」

「聖さんが三十八歳で、智大さんが三十五歳ね。覚えとく。ソーセージでも焼く?」

「ああ、あと漬物もお願い」

「了解」

 会話のテンポもいいし、接客には向いている。そんな印象を抱いた。

「じゃあ、カオルちゃんの歳はいくつなの?」

 焼きそばを一人でほとんど平らげた智大は、まだ質問を止めない。

「私は、二十五」

「二十五? 若いなぁ。ピチピチじゃん」

「智大さんから見たら確かに若いけど、ピチピチなんかじゃないわよ。ほら」

 そう言って半袖のカットソーから伸びる細くて長い腕を差し出す。

 彼女の言う通り、ピチピチとしているわけではないが、太陽の光を浴びていないんじゃないかと思うほどまっ白なその腕は、しっとりと滑らかに見えて、思わず触れたい衝動に駆られた。

 腹が空いていた聖は、チャーハンも追加すると、その後は、漬物をつまみに二人で飲み続けた。

 カオルは、二人や奥に座っている客から話しかけられない限り、彼らの会話に余計な首を突っ込むことはなく、だが、絶妙な間合いで相手をして居心地の良い雰囲気を保っていく。

 おかげでゆっくりと腰を据えて飲むことができ、すっかりと長居をしてしまった。

 すでに十一時になろうとしている。

 二人が頼んだウィスキーも空になりそうだ。奥の客が帰った後、一人で飲みに来た中年男性がいたが、軽く一杯引っ掛けただけで、すでに帰っていた。

 店に残っているのは智大と聖だけだ。

「今日は初めてなのにこんなに遅くまで飲んでくれてありがとう。これ、お礼の気持ち」

 カオルは透明な液体が入ったショットグラスをひとつずつ二人の前に置いた。

「あっ、これ、飲んだらヤバい奴じゃないの」

 グラスを持ち上げながら話す智大は、呂律が回っていなかったが、「クーッ、しみる!」と、一気に飲み干した。

 そんな彼を笑みを浮かべながら見ていた聖もグラスを手に取り、口の中に流し込む。ヒリッとした感触が喉から食道に伝わっていくのを楽しみ、身体がカーッと熱くなる感覚に浸ろうとしたその瞬間、目の前が真っ暗になった。パソコンが強制終了されるみたいに。


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