【コミカライズ】騎士団長の一途な愛は十年目もすれ違う
「お疲れ様です! クレイグ団長!」
「お疲れ様ですっ!」
「ああ、今からよろしく頼む」
新人の騎士たちと入れ替わりにクレイグは出て行った。その背中を新人騎士たちは羨望の眼差しで見送る。
廊下の天井すれすれの高い背に筋肉質な体付き、短く切り揃えられたダークブルーの髪、意志の強い瞳や整った鼻梁は男から見ても憧れの対象だ。
二十五歳という若さで第三騎士団の団長を任されている。
「そういえば団長っていつも休みの日は何しているんだろう、宿舎にはいなんだよな」
「女性に会いに行っているという噂がある」
「ええっ、まさか娼館へ?」
新人二人が噂していると、後ろにいた副団長がくつくつと笑いをこぼした。
「し、失礼しました」
「いいよ。クレイグが休暇のたびに女に会いに行ってるのは事実だから。王都までね」
「王都……ですか?」
騎士は目を丸くする。クレイグが団長を務める第三騎士団の宿舎は王都まで往復するだけでほぼ一日潰れる。
「恋人が王都に住んでいるからね」
「しかし団長の休暇はいつもたった一日ですよね。王都まで行って帰ってくるとなると身体を休める暇もないじゃないですか」
「こちらに屋敷を建てて、恋人を呼び寄せたらいいのでは……。僕たちと同じ宿舎に住まなくとも」
「でもそれほど大事にしている恋人がいるのも素敵ですね」
尊敬する上司の新たな情報に新人騎士たちはますます感心したようにうなずき、
「真面目過ぎるのもどうかと思うけどね」副団長はため息をついた。
*
王都の外れにある士官学校の医務室にて。
保健医のチェルシーは騎士志望の男子生徒の包帯を巻いていた。
チェルシーはきっちりとまとめた金髪の髪から真面目さが伺えるすっきりした顔立ちの女性だ。白衣の下には白いシャツ。どれも皺ひとつなく、背筋の良い彼女に会う。
「先生、今日こそデートしようよ」
腕に包帯を巻いてもらいながら、男子生徒は自信ありげに微笑んだ。成績もよく容姿が整った彼は、同世代の女生徒を攻略し終えて、大人の女性にもちょっかいをかけてみたくなったらしい。
「十年経っても私のことを好きでい続けてくれたらね」
「もちろん好きだよ。十年後と言わず、すぐにでも」
「はい、出来たよ」
チェルシーは包帯をカットすると、さっさと席から立ち上がる。ちょうど包帯が切れたから補充しようと棚に向かうのだが、男子生徒は後をついてきてチェルシーににじり寄る。
薬品棚と男子生徒に囲まれた格好になったチェルシーは眉を寄せた。
「俺、本気だよ」
「君、彼女百人チャレンジしてるんでしょ?」
「たくさんの子を可愛いって思うだけ。別に股がけしてるわけじゃないんだよ」
「私のことをずっと一途に好きでいてくれる人がいいなあ。十年後にやり直しで」
彼はチェルシーの言葉など聞き入れずさらに一歩踏み寄る。完全に逃げ場を失ったチェルシーの顎を男子生徒が掴む。
(青いな~)
自信満々で余裕たっぷりな表情な彼を見て、チェルシーは逆に可愛く思えてしまう。
しかしどう逃げようか……。チェルシーは彼の手を払いのけようとして……先に男子生徒の手を掴んだ者がいた。太くて傷だらけのその手は――。
「おい」
低い声の主はクレイグだった。彼が背後に立つだけで二人は影に覆われ、生徒は顔を青ざめた。
「ひ……クレイグ様!」
「同意なく女性に触れるのはよくないな」
「す、すみません……!」
彼は弾かれたように慌てて医務室を出て行った。騎士志望で彼のことを知らない者はいない。
「あら、クレイグ。見ていたのならもっと早く助けてくれてもよかったのに」
「今きたところだ。全く、教師につめよるとは……」
「同意があったかもよ?」
「まさか」
口だけ笑むとクレイグは「チェルシー、いつものを頼む」と言った。
「こういうのが男の余裕というのですよ、アオハルくん」
「何だ?」
「ううん、なんでも。はい、いつもの」
チェルシーは戸棚からガラス瓶を取り出して、クレイグに手渡す。彼はそれを受け取るとすぐに飲み干した。
「騎士団は専属のヒーラーがいるんだから。私の調合した回復薬よりずっと性能はいいんじゃない」
「これが一番効くんだ」
「惚れ薬が入ってるからかしら?」
「……本当か」
「冗談よ」
軽く笑ってチェルシーは、空いた瓶を片付けた。
週に一度ほど。回復薬をもらいにクレイグは学園の医務室を訪れる。学生時代からクレイグが気に入ってる回復薬だ。
時々遠征などで来られないときもあるが、それ以外は必ず休みのたびに訪れる。
「最近忙しかったの? 二週間ぶりね。休暇がなかったの?」
「まあ、そうだ」
「身体大丈夫なの? ……まあ、可愛い恋人のためだものね?」
「そうだ」
ゆっくりと頷いたクレイグは「それじゃあ、また来る」と言うと、医務室から出て行く。
ガラスが胸に刺さったような気分でチェルシーは彼が出て行くのを見守った。
クレイグは毎週恋人のために王都へやってくるのだ。
それほど思われている恋人が羨ましい。顔も知らない恋人に嫉妬心が出てくることが恥ずかしくなり、チェルシーは考えを振り切るために瓶を洗うことにした。
ここに立ち寄るのは恋人に会うついで。虚しさがこみあげるけれど、それでも数分会えることが嬉しくて彼のための薬を用意して待ってしまう。
扉がノックされて、女性が入ってくる。
「あら、その瓶。またクレイグが来ていたの?」
「そう」
「ふうん、それでそんな切ない顔してるわけね」
彼女はクレイグとチェルシーと学生時代からの友人で、同僚だ。チェルシーの長年の片思いを知っている彼女は眉を下げる。
「諦めたくとも毎週ここに立ち寄られたらねえ」
「そうなのよ。すっかり行き遅れだわ。……親にもいい加減にしなさいと言われているし」
平民とはいえ、王都では二十五歳になるとほとんどの人が結婚している。そろそろ結婚しなさいと親には散々言われている。
恋愛結婚が流行っているが、今さら恋など出来ると思わない。親に定められた相手でもいいとチェルシーは思っていた。
「私はあんたたちが結婚すると思ってたけどね。でも、まさかクレイグに恋人ができるなんてね」
「……クレイグは貴族の出よ。元々私とは身分も違うから」
友人が口を開こうとしたがチャイムが鳴り、話は途切れる。彼女が出て行けばチェルシーは瓶の洗浄を再開しはじめた。
学校を卒業してもずっと顔を合わせるから諦めたくとも、諦められない。
長年続く恋心も早く洗い流してしまいたい、そう思いながら。
*
二人が出会ったのは、チェルシーの勤務先でもあるこの士官学校だ。
平民から下位貴族までが通う学校で、チェルシーはヒーラーを志望していた。女性でも騎士団の看護隊として所属することが可能で、食い扶持には困らないからという単純な理由だ。
実戦の授業が増えていくなか、騎士とヒーラー志望はペアやグループを組むことが増えた。
成績順に自動的に選ばれれば、それぞれトップの成績を残していた二人は自然と一緒になる。いつしか授業以外でも共に行動するようになっていた。
チェルシーがクレイグへの恋心に気づいたのは今日と同じく、助けてもらったときだ。
派手な男子に目をつけられた十六歳のチェルシーは言い寄られていた。といってもそれが本気のものではなく、真面目な女生徒をからかったものだということをチェルシーは良く知っていた。
「チェルシー、たまには本を捨てて遊びに行こうよ。ずっとこんなところにいたら腐るって」
「遠慮します」
「なんで?」
図書館に通っているチェルシーの後を軽薄そうな笑顔の男がまとわりつく。
「あなたが本気だと思えませんから」
「どうやったら信じてくれるの?」
「十年後も好きでいてくれたら」
「何それ。そのときにプロポーズしろってこと?」
「そうですね。あなたは貴族ですし、私と結婚することなどありえないとは思いますが」
軽口でごまかしても、彼はじりじりとチェルシーに近づいてくる。ついに本棚まで追い詰められた。
この男は下位とはいえ貴族で婚約者もいたはずだ。それなのに、こうして顔を近づけてくるのだから男というのは最悪だ。
チェルシーがそう思ったところで、彼の顔がグイッと離れていった。
「嫌がっているのではないか?」
男子生徒の頭を掴んだクレイグがそこにいて、男子生徒はバツが悪そうに肩を縮めすぐにその場を去って行った。
「ありがとう……。見ていたならもっと早く助けてくれてもいいのに」
「すまない。同意があるのかわからなかった。話の流れから嫌がっているとわかったが……」
「まさか、あるわけないわよ」
「そうか」
クレイグはチェルシーが怖い思いをしたと思ったのかもしれない。珍しく柔らかく微笑んでくれた。
その時にチェルシーは気づいたのだ。あの男が嫌だったのではなく、近くにいるのはクレイグしか嫌なのだと。
「少し震えているな」
「本当だ」
チェルシーは気づいていなかったが指先が少し震えていた。時々からかわれることもあるが、ここまで詰め寄られたのは初めてだった。
「すまない。俺が約束に遅れたせいだ」
「大丈夫よ」
「このようなことがないように……俺がずっと隣で守る」
「あはは、大げさね」
真面目な顔で謝るクレイグにチェルシーは笑った。この男のやたら真面目で責任感が強いところが好きなのだ。
「ありがとう、じゃあこれからよろしくね」
*
クレイグは校舎を出ると、学校の外れに繋いでいた馬の綱を取る。
「待たせたな、帰るか」
律儀に馬に一言かけて飛び乗ると、まっすぐ王都を出て行く。
数時間かけて詰所に戻ると、勤務を終えた副団長も帰ってきたところで、馬から降りたクレイグに訊ねる。
「今帰ったのか?」
「ああ」
「もう少し休暇を取ったらどうだ。向こうでもろくに滞在できないだろうし、身体も休まらない」
「今は時間が惜しい。明日は書類仕事だ、問題ない」
「恋人も待ちわびてるんじゃないか、お前からの求婚を。こっちで屋敷を建てて暮らせばいいじゃないか。宿舎で生活せずとも」
クレイグは軽く首を振り、
「いや、大丈夫だ。どちらにせよあと一年は求婚も出来ない」
「ふうん? まあ、体調には気をつけろよ。じゃあ俺は帰るから」
副団長はひらひらと手を振って、自分の屋敷に帰って行った。
「……約束の十年まであと一年なんだ」
彼の後ろ姿を見送りながら、クレイグはそう呟いた。
*
「それでこんなにたくさん届いたのね」
「ここまでとは思っていなくて……。困っているのよ」
放課後の医務室で、友人とチェルシーは大量の書類の前で困惑の表情を浮かべていた。
両親に「結婚をしてもいいが、相手はいない」と言えば、たくさんの男性の情報が綴られた書類がたんまりと送られてきた。こういうことに張り切る親戚がいるらしい。
それに両親だけでなく、なぜだか学校長まで話を聞きつけて書類の量に加勢した。
「誰か気になる人はいた?」
「文字ばかり眺めていてもよくわからないわ……実際にお会いしてみないとなんとも」
「どうするの? クレイグみたいな人もいるんじゃない?」
チェルシーは一枚ぺらりとめくってみる。文字の羅列ではどんな人か何もわからない。
「似ている人よりも、どうせならまったく違う雰囲気の人がいいかもしれないわ」
「そうかもね」
「これを眺めていてもよくわからないし、学校長が一番お薦めしてくださっている方と会ってみようと思うの」
チェルシーは紙をかき集めてひとまとめにして、紐でまとめていく。
「いいの、本当に?」
「私だけが好きでもね。いっそのこと早く結婚でもしてくれたら諦めがつくのに」
「たしかにね。ずっと付き合ってるみたいなのに、どうしてまだ結婚しないのかなあ」
友人が首をひねったところで、医務室の扉がノックされてクレイグが入ってきた。
チェルシーは慌てて紙を自分の背に隠した。なんとなく見られたくはなかったのだ。
「噂をすればクレイグ。久しぶり」
「ああ。久しぶり。噂とは……」
「なんでもないの! 今日も回復薬でしょ、待っててね」
チェルシーは言葉を遮るように席を立ち、薬品棚に向かう。
友人が椅子を引いて「まあここに座りなさいよ」とクレイグを誘導している。
「ありがとう」
「今ね、私たち結婚の話をしてたのよ」
友人がまた余計なことを言い始めてチェルシーはこっそり睨んだが、友人は気にせずに続ける。
「チェルシーが親にせっつかれてるみたいでね、早く結婚しなさいって」
「そうなのか」
クレイグは目を見開き驚いた顔をすると、チェルシーの方をくるりと向き
「チェルシーは結婚、したいのか?」と真剣な表情で訊ねた。
「まあ……そりゃあ、もう二十五だからね」
チェルシーは曖昧に笑いながらクレイグに瓶を手渡す。彼に直接問われると胸が痛い。
「そんな素振りを見せなかったが」
「そりゃあクレイグはいつもさっさと帰るからよ。それに周りが皆結婚して、親に言われたらチェルシーだって結婚を考えるわよ」
「そうだったのか……」
クレイグはぽつりと呟いてから、瓶に口をつける。
チェルシーは慌てて友人を引っ張り、彼から離れると
「ちょっとやめてよ!」と小さく叱る。
「ふふ、なくなって初めて気づくものってあるでしょ。チェルシーが結婚って聞いたら、本当の愛に気づくかもしれないでしょ!」
友人はニヤニヤと笑うからどうしようもない。チェルシーはもう面倒になってきて彼女を解放した。
無言で薬を飲んでいるクレイグの元に戻った友人は、
「クレイグはどう思う? チェルシーの結婚」
「……そうだな。本人がそう決めたのなら、早くてもいいな」
クレイグが真面目に頷くのを見て、友人のにやけた唇が固まる。
チェルシーの心も冷めていく。そりゃそうだ、クレイグは恋人がいる。休みのたびに会いに行く大切な恋人なのだ。
(私のことは友人として好いていてくれてるとは思う。恋人に会う前に立ち寄ってくれる旧知の仲だ。
でも友人が結婚するからといって、今さら想いに気づくなんて、恋愛小説くらいしかありえない)
「クレイグは、どうなの……結婚とか」
もうすっぱり諦めたい。そう思ったチェルシーは、クレイグの瓶を受け取りながら訊ねてみる。
クレイグは一瞬困惑しつつも、表情を固めると
「そう、だな……。チェルシーが急いでいるなら……俺も急ごう」
「急ごうって……張り合わなくても」
「そういうわけではない」
(学生時代ペアだったからといって、張り合わなくてもいいのに)
チェルシーは唇をきつく噛み締める。
自分で聞いたくせに、いざクレイグが結婚すると思うと胸が痛くて仕方なかった。
「ご馳走様、ありがとう、また来る」
そう言うとクレイグは急いたように立ち上がり、すぐに部屋を出て行ってしまった。
「あー……えっと、チェルシーごめんね……」
友人が眉を下げて、心底申し訳ない表情をしている。
「ううん、いいの。むしろこれでよかった。紹介してもらっても結局なかなか踏み切れなかったし。クレイグが結婚してくれるならこれでさっぱり諦められるわ」
「うん……」
「その代わり、やけ酒には付き合ってね」
「わかった。何杯でもおごらせてもらうわ」
「よろしく。じゃあ、ここもう閉めるから……」
一人になりたかったチェルシーの意図に気づいた友人はすぐに部屋を出て行ってくれた。
チェルシーは瓶を洗い始める。
何度ここでこうして、瓶を洗ったのだろう。この恋心を早く洗い流してほしいと思って。
「あっ、」
つるりと滑った瓶がぱりんと割れた。
*
詰所に帰ったクレイグは急いで執務スペースに向かった。一秒でも惜しいというように大きく足を動かしている。
がらりと扉をあけると、副団長が驚いた顔でクレイグを見た。新人団員も書類仕事から顔をあげる。
「まだ出勤時間じゃないぞ」
「わかってる」
「どうした。王都に行ってたんじゃないのか」
「行っていた」
自身のデスクに座ると、急いた動作で引き出しから紙をとりだしペンを走らせていく。
そんなクレイグの姿を副団長は訝し気に見ながら
「こんなに早くは戻って来れないだろう」
「滞在時間あっちに十分とかじゃないと無理っすよね」
団員が時間を確認する。
「十分。……まあそれくらいだな」
「はあ……?」
「滞在時間」
「今日はやけに急いで帰ってきたんですね? 十分なんて」
「いつもそれくらいだが」
クレイグ以外の人間はきょとんとした顔になるが、下を向いているクレイグはそれに気づかない。
「いつも? 恋人と食事だとかをしているんじゃないのか?」
「いや、しない」
「えっ、なんでですか」
「時間がないからだ」
「えっ」
「今日はいつもより馬を飛ばして帰ってきた」
当たり前のように言うクレイグに団員たちは黙って顔を見合わせる。
今まで深く考えていなかったが、確かに向こうで数時間過ごして帰ってきているのであればもっと帰りは遅いはずだ。
よく思い出してみると、クレイグの帰宅時間が日付を超えることはなかったように思えた。
「じゃあいつも恋人のもとに行って何しているんですか?」
団員がそう訊ねるのも無理はない。
「会いに行っている」
「会う……だけですか?」
「いや、彼女が作ってくれた薬を飲んでいる」
「それで?」
「それだけだ」
「はあ……」
顔を上げないクレイグを見ながら、団員たちはもう一度顔を見合わせた。
「なぜ回復薬を」
「彼女が作る薬を飲むと疲れが取れる」
「食事などはしないんですか?」
「日中は彼女も忙しい。休暇が連続であった日は、食事をした」
「もう何年もないですよね、連続の休みは」
ついに団員は大きな声を出すから、クレイグも顔を上げる。
「数分のために行ってたんですか、王都に。一日かけて!?」
「……そうだが?」
副団長が「無理やりにでも数日休みを取らせるべきだった」と手を額に当てた。
「それでいいんですか?」
「ああ。一目会えるだけでもいい」
クレイグが柔らかく微笑むのを初めて見た団員たちは驚いた。
「なるほど、クレイグが恋人にベタ惚れなのはわかった。だけど、それで恋人はいいのか?」
「いいとは……?」
「もっと一緒にいたいとか、恋人は思っているんじゃないか?」
副団長が訊ねると、クレイグは納得したように頷いた。
「……そうか。それでか」
「なにが」
「恋人が結婚したいと言っていた」
「ほらー、やっぱり寂しがらせてるじゃないですか!」
「しかも付き合いも長いんだろう」
「長いんですか、付き合い」
団員が唇をとがらせて、副団長も呆れた目を向ける。
「十六の時からだな」
「もう九年経つじゃないですか、九年の間数分しか会ってないんですか?」
「いや、ここに配属されてからだから、四年だな」
「同じようなもんですよ!」
皆が非難の声を上げるから、クレイグもようやく顔をあげた。
「……では急いだほうがいいんだろうな」
「急ぐと言わず、次の休みにでも言ったらどうだ。次は休暇数日取るといい」
「いや……やらなくてはいけないことがある」
「何をやるか知らないが、女性心というものも学んだほうがいいのではないか」
「そうですよ。俺、全然団長には適いませんけど、女性との付き合いは団長よりうまい自信ありますね」
「子どものほうがよっぽど恋愛してますよ」
「それでは学ばせてもらおう」
クレイグは素直にメモを持ち、学ぶ体勢になった。
*
あれから、ひと月がたった頃。
チェルシーは今日も医務室にいた。いつもと違うのは彼女の休日だということと、白衣ではなくワンピース姿だということ。
今日は学校長に男性を紹介してもらうために、学校まで訪れていたのだ。学校内の応接室で初顔合わせというのも夢がないが。
それでもいいとチェルシーは思っていた、もうこのひと月で諦めもだいぶついてきたからだ。
というのも、あれからひと月。一度もクレイグは医務室に顔を出さなかった。遠征などでなかなか来れないときはあったが、これほど間隔があくのは初めてだ。
(きっと、恋人との結婚話が進んでいるからだわ)
もしかしたら恋人を自身のもとに呼び寄せたのかもしれない。そうすれば休暇のたびに王都に出てくる必要もなくなり、ここに立ち寄ることもなくなる。
ちょうどよかったのだ。自分の結婚話が湧いてきたタイミングで。諦めもつく。
彼のためにストックしてあった回復薬をすべてシンクに流していく。こうして今日も恋心を流す。
学校長との待ち合わせまであと数十分ある。落ち着かないし散歩でも行こうかと、チェルシーは部屋を出ようとした。
「……わっ」
だけれど扉の向こうにいた何かに視界を遮られて、見上げればクレイグの姿があった。
「大丈夫か」
彼の胸に思い切りダイブしてしまったチェルシーは飛び上がりそうになったが、しっかりとクレイグの厚い手がチェルシーの肩に回っている。
(ああ、もう嫌だな)
意図せずクレイグに抱き留められる形になって、全く諦めがついていないことにチェルシーは気づいてしまった。
うるさいくらいに心臓が響き、閉じ込めていた思いがすべて溢れてしまう。
「う、うん。ありがとう」
身体を離してみて、チェルシーは気持ちが真っ暗になった。
チェルシーを抱き留めた手と反対側の手には大きな花束が握られていたから。
……これから恋人に会いに行くのだと、いやでも思い知らされる。
「久しぶり。でもごめんね。あなたの回復薬、今ストックがないの」
「わかった。今日は学校に用事があるから立ち寄っただけだ」
(ついに回復薬も彼にとっては必要なくなってしまったのか)
自分で回復薬を流したくせに、そんなことを思う自分をチェルシーはますますみじめに思った。
「そうだったの。私も予定があるから、そろそろここを閉めるけど」
「チェルシーの予定が終わったあと、食事に行かないか」
予想外の言葉にチェルシーは戸惑う。
数年ぶりにクレイグと時間をゆっくり過ごせる。
……だけど、今から結婚相手候補を紹介してもらうのだ。その後にクレイグと食事をしてしまえば、気持ちなんて簡単に戻ってしまうのはわかっていた。
相手にも失礼だし、自分も報われない。そう思ったチェルシーは首を振る。
「ごめんなさい。今からの予定はどれくらいかかるかわからないのよ」
「明日まで宿を取っている。夜中でもいいし、明日でもいい。どこかで話せる時間が欲しい」
「…………」
ふつふつと小さな怒りさえ湧いてしまう。ようやく諦めがついたと思ったら、一緒に食事をしよう、話がしたいだなんて。
もしかすると婚約者を紹介されるのかもしれない。律儀なクレイグなら十年来の友人にやりそうなことだった。
「話なら今ではダメかしら?」
とどめを刺すなら先に刺してほしいとチェルシーは思った。
明日にまで重い気持ちを引きずるのはもう嫌だった。
「わかった。忙しいところすまない」
ほんの少し悩んだ表情を見せたクレイグは左手に持っていた花束をチェルシーに差し出す。ピンクと水色が美しい花束だ。
「……?」
「チェルシー、愛している。俺と結婚してほしい」
「………………えっ?」
目の前に咲き誇る大量の花の前でチェルシーは固まった。
「……なんで」
「団員に注意されたんだ。恋人に催促されて応えるだけではだめだと。きちんと男からプロポーズをやり直すべきだと」
「恋人……? 催促……? やり直し……?」
チェルシーは壊れた機械のようにただ呟くことしかできずにいる。クレイグを見上げれば大変真面目な顔でチェルシーを見つめている。
「指輪は女性が自身で選びたいとも聞いた。今日は時間がないなら、次の休みはどうだろうか」
「あの……ごめんなさい、話が見えなくて」
「休みのことはもう心配しなくていい。第三騎士団から、第一騎士団へ異動することになった。これでチェルシーとも暮らせる」
「ええと、そうではなくて。どうして今プロポーズを……」
困惑しきったチェルシーを見て、クレイグははっと息を飲んだ。
「やはりまだ九年だからダメだろうか……。一年後も君を愛すと誓う」
「まだ九年……?」
「そうだ」
その時、医務室の扉が開いて学校長が入ってきた。
「ああ、チェルシーここにいたのか」
学校長と目があって、チェルシーは狼狽えた。
そうだ、今から男性を紹介してもらうのだ……。混乱しきった頭では今は何も話せそうになかったが。
(そもそも今どうしてクレイグにプロポーズされていて……?????)
考えることが次々降ってきて、チェルシーの頭は真っ白になる。
「クレイグもここにいたのか」
「学校長、お久しぶりです。すみません、後ほど伺います。今彼女と話をしていまして……」
人当たりの良い笑顔浮かべた学園長は、クレイグが差し出す花束に気づいた。
「話……」
「はい、プロポーズ中です」
「話がえらく早く進んでいるな?」
「学校長、すみません! 待ち合わせ時間を少し遅らせていただいてもよいでしょうか?」
チェルシーが言うと、学園長はひらひらと手を振って部屋から出ていった。
「もう顔合わせは終わったよ。紹介するつもりだったのはクレイグだったんだから。お幸せに」
「ええ……?」
学園長が消えた方を見ながら、チェルシーはますます混乱していた。
「学校長に俺のことを婚約者だと紹介してくれようとしていたのか?」
何も理解していないクレイグが訊ねてくるから、チェルシーは頭を抱えた。
「とりあえず私の用事はなくなったみたいだから、食事でもしましょうか……? たくさん話さないといけないことがあるみたい」
*
「本当にこれで良かったのか」
二人はクレイグの宿に移動して、宿のテーブルにパンを広げていた。学校の近くにあるパン屋で学生時代によく食べていたパンだ。
クレイグは王都の中心にある有名なレストランに行こうと誘ってきたが、今はとてもそんな高級料理を食べている場合ではない。
ひとまず状況を整理したくて、チェルシーはできるだけいつもと同じ行動をしようと思ったのだった。
「どれにする? どれも懐かしいな」
チェルシーの気など全く知らずにクレイグはパンを嬉しそうに眺めている。彼はここのベリータルトが大好きだったのだ。
テーブルの前にいるクレイグから離れて、ベッドに腰かける。
「あの、食事の前に一度整理してもいいかしら。まずクレイグは学校長とどんな約束をしていたの?」
「話があると言われただけだ。詳しいことは聞いていなかった」
「それで王都にきたの?」
「いや、違う。元々チェルシーに会いに来るつもりだった」
「私に……それは、ええと、プロポーズをするために?」
心臓を落ち着かせながら聞いてみる。信じられないことだが、彼は先ほどからそう言っているのだ。
「そうだ」
チェルシーの真剣な表情に気づいたクレイグはベリータルトを置くと、彼女の隣に腰かけた。
「やはり早かったか……?」
「その〝早い〟というのはどういうこと?」
そうだ。先ほども〝まだ九年〟などと言っていたのだ。クレイグの言葉を思い出して「九年というのは?」とさらに訊ねた。
するとクレイグは顔を赤くしながら
「俺たちが恋人になってから、まだ九年だろう」と答える。
「私たちが、恋人…………」
一度も彼を恋人だと思っていなかったチェルシーはますます困惑する。まだ、とか言っているが九年だ。
「それで十年というのは?」
「チェルシーの口癖だっただろう。十年たたないと信じられないと。十年後たったら本気だと信じると。貴族との結婚は特にありえないと言っていたし」
「……ああ……」
チェルシーは過去の自分を呪っていた。
どれもクレイグに言ったことじゃないのに! ナンパ男を撃退するための言葉を律儀に自分ごととして受け止めていたらしい。
図書館で迫ってきた男以外にも、学年一位の成績のチェルシーをからかうために迫ってきたりしていて、たしかに「十年後ね」とやり過ごすのは口癖のようになっていた。
「それは彼らが本気じゃないから、かわすために言っていたのよ……貴族というか、彼らには婚約者がいたから」
「チェルシーは自分の魅力がわかっていないからだ」
大真面目にクレイグは言うが、それはいわゆる惚れた欲目というやつではないだろうか。
なるほど。彼は私のことが好きすぎて、彼らの告白が大の本気で、私も本気で返したと思ったらしい……。チェルシーはそう推測した。
(私のことが、大好き……?)
自分で推測したことに、心臓が飛び出そうなほどバクバクしている。これは夢なのだろうか。
「あの、大変申し訳ないんだけど……だけど、話が見えない部分もあるから正直に言うわね。私、クレイグと恋人だと思ったことなかったの、今まで一度も」
チェルシーの言葉に、先ほどまで口元を緩めていたクレイグは言葉を失った。
「実は今日の学校長との約束も結婚相手を紹介してもらうつもりだったの。相手がまさかあなただとは思っていなかったけど」
「な……に……」
いつもあまり表情の変わらないクレイグだが、明らかに青ざめた。
「でもクレイグは……私と九年恋人だった、と思っているの、よね?」
「す……すまない」
「責めてるわけじゃなくて……。私たちなんだかすれ違っているみたいで」
ぎゅっと硬く握られたクレイグの手にチェルシーはそっと自分の手を重ねた。
「ずっとチェルシーを隣で守ると誓った」
「…………それはまさか、いつかの図書館での話?」
チェルシーが恋に気づいたあの瞬間、クレイグは愛の告白をしていたというのか。
「ええと……私は友人としてだと思ったわ」
「そうか……騎士にとってはプロポーズだった」
「そうなの……」
宿にきまずい沈黙がただようから、チェルシーは次の質問にうつることにした。
「それで、恋人になった後は心から信じてもらえるように、プロポーズまで律儀に十年待っていたということ?」
「そうだ……」
散々クレイグの独りよがり行動に振り回されたわけだが、うなだれた姿を見るとすべて許せてしまうのだから、チェルシーも相当こじらせている。
「私が結婚を考えていたから、早くしようと思ってくれていたの?」
「そうだ……チェルシーは結婚相手を探していただけだったが」
「ふふふ」
すれ違いの意味に気づいて笑えてきたチェルシーはひとつ疑問がわいた。
「それじゃあ、休暇のたびに会いに行っていた恋人は?」
「もちろん、チェルシーだ」
なるほど。「可愛い恋人のためだものね?」を恋人からの甘えの言葉と受け取っていたらしい。
クレイグはうなだれたままで、頬を緩めるチェルシーには気づいていない。
「でも、待って。どうしてすぐに学校を出ていったの? それなら一緒に食事でもデートでもしていてくれたら……」
もうすこし恋人らしいことをしてくれれば、チェルシーだって片思いに悩まなくてもよかったのだ。
「時間がなかったんだ」
「まさか、学校にきてそのあと、そのまま帰っていたの?」
「ああ。休暇は一日しかない」
チェルシーもさすがにそれは笑えなかった。学校に立ち寄った後に、恋人と会って宿泊でもして帰っているのだと思っていたからだ。彼の住む場所の遠さを思い出し、もっと身体を大切にしてほしいと怒りさえ出るほどだ。
「一目会えるだけでよかった。回復薬を飲むと身体が回復した……いや、違うな、チェルシーと会うと疲れが飛ぶ」
「…………」
休暇のたびに会いにきてもらえる恋人がうらやましかった。その恋人が自分のことで……忙しくても、一目会うだけで……?
先ほどから答え合わせを続けていて、何も実感すら湧いていなかったのに。チェルシーは途端に恥ずかしさと嬉しさがこみあげる。
「チェルシーすまない」
チェルシーの真っ赤な顔に気づいていないクレイグはチェルシーに向き直ると頭を下げた。
「先ほど君の縁談話を壊してしまった」
「でもあれはどちらにせよ相手があなただったのだし……」
「しかし、すまなかった。勝手にチェルシーの恋人だと舞い上がっていて、君が早く一緒になりたいと思っていたことも嬉しくて」
「……クレイグ」
顔を上げるとクレイグは真っすぐチェルシーを見つめた。
「だけど俺の結婚相手はチェルシーしか考えられない。まだ九年だが、一年後も……いや、十年後も確実にチェルシーのことを愛している自信がある。結婚相手を探しているのなら、候補として考えてくれないだろうか」
「クレイグ、私……」
「チェルシーが保健医として頑張っていることも知っている。第一部隊への異動も決まった、だから――」
「待って、クレイグ。言葉が足りなかったのは私も同じだから」
いつも堂々としているクレイグの瞳が不安に揺れているのを見ると、愛しさがこみ上げて、チェルシーは口を開いた。
「私もずっとクレイグが好きだったの。恋人がいると思っていても諦められないくらい、九年間ずっと」
「ほ、本当か」
そう言うと同時にチェルシーはぎゅっと抱きしめられる。厚い胸板に顔を押し付けられて苦しくて胸をたたけば、初めて見る表情でチェルシーを見つめるクレイグがいた。
「すまない。こういうときは抱きしめるべき、だと教わったんだが、力の加減を間違ってしまった」
その言葉に、せき込んでいたチェルシーも思わず吹き出す。
「何それ……でも、そうだね。クレイグは恋人への愛情表現を何も知らなかったんだね」
「それは、すまない……」
「それで第一部隊への異動っていうのは、どういうこと?」
「第一部隊の砦は王都の外壁近くにある。一緒に住んでも、チェルシーは保健医をやめなくてもいい」
卒業間近、クレイグはチェルシーに言った。同じ部隊を目指さないか、チェルシーは看護隊として。だけどチェルシーは保健医でいることに決めた。彼女は未来の騎士を送り出すことを夢としていた。
「クレイグの休暇が少ないのって、そのためだった? 第一部隊って……大変だったでしょう」
「まあ……そうだな。十年以内に間に合わせようと思った。チェルシーは結婚を急いでいるから正直焦ったが……。数日前にようやく希望も通った」
これですべての疑問はとけた。
それと同時にチェルシーの胸に満ちあふれるものがある。
不器用すぎるけれど、そういう人だから好きになったのだと。
十年後の二人の未来に向けて、ただ必死に彼は進んでいてくれたのだ。
「これで本当に私たち、もう恋人でいいんだよね?」
「……できれば婚約者だと思ってほしいが」
「へへ、そうだった。ありがとう」
チェルシーの瞳から涙がこぼれはじめて、クレイグはもう一度しっかり抱きしめた。
彼女の涙をすくってやり、大きな手でチェルシーの頭を撫でる。
「こうすると、女性は嬉しいと聞いたんだが大丈夫だろうか」
不安そうにのぞき込むクレイグに笑ってしまう。外では恐れられる団長なのに、子どものような恋愛だ。
なんといっても、数分言葉を交わすだけで数年がんばれてしまう人なのだから。
「そういうことは確認しない方が女性はときめくんだよ」
クレイグの腕の中でチェルシーがくすくす笑うと、クレイグの太い指がチェルシーの顎を捕らえる。
簡単に彼女の顔は上向かされ、キスが落ちてくる。
「ちょ、ちょっと待って……不意打ちは」
子どものような恋から始めると思っていたチェルシーは目を見開いた。
「待たない。チェルシーも何も言わない方がいいと言った」
チェルシーの抗議の声は唇でふさがれた。赤い耳は長い指にくすぐられていく。団員たちは一体どこまで彼に教えたのだろう。
九年分の愛はもう我慢する必要もなければ、確認もいらないと言ったのだ。クレイグは止める気はなかった。
幸い休暇は二日あり、今夜もずっと一緒にいられるのだから。
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