第8話
この前のゆうちゃんとの水族館デートの後、ゆうちゃんと一緒の大学・学部に行くことを決めたとおじいちゃんに報告したら、法律事務所でバイトをすることを勧められて、おじいちゃんの知り合いである川島先生の事務所で週2日バイトをすることに。そのことをゆうちゃんに伝えると「ちょっとだけ寂しい」と悲しそうな顔で言われてしまい、キュンとしてしまった。
そんなわけで、今日もそのバイトの日なので、学校から一旦帰宅してバイト先へ向かおうと玄関を開けたところで、ゆうちゃん一家とばったり会った。
「こんにちは。今日は何かあったのですか?」
「のんちゃん、こんにちは。今日は祐希と拓の授業参観に行ってきたんだよ」
と答えたのはゆうちゃんのお父さん。ゆうちゃんのお母さんは挨拶だけして、さっさと拓くんと家の中へ入って行く。
「授業参観か、懐かしいなぁ。もう遠い昔のことに感じるかも」
「ははは。小学生のうちだけだからね。普段見られない息子達の姿を見られて楽しいイベントだよ」
と言いながら、おじさんはゆうちゃんの頭を撫でている。ゆうちゃんも嬉しそう。
「のんちゃんは今からバイト?」
「うん。帰ったら連絡するね」
「うん。いってらっしゃい」
「いってきます!」
わたしは二人に手を振ってエレベーターに乗って下へ降り、自転車でバイト先へ向かった。
◇◇◇◇
わたしがバイトをしている法律事務所は一応シフト制になっていて、夜は20時まで営業をしているんだけど、20時で帰るのはわたしだけで、弁護士の先生やパラリーガルさん、事務員さんがその時間に業務を終了させるところをほとんど見たことがない。かなり忙しい職業だと思う。
事務所に所属されている弁護士の先生は3人で、基本は企業の顧問弁護士なんだけど、知り合いの一般相談等も受けたりして、勉強するにはもってこいの環境だ。まだ入ったばかりだから、ほぼお茶汲みと電話番しかしていないけれど。
先程わたしがお茶出しをした老夫婦の相談内容は、小学生のお孫さんに対してお嫁さんが虐待をしているため、養女として引き取りたいとのことで事態はかなり深刻そうだった。わたしはただのお茶出し担当なので詳しい内容を聞くことはできないけれど、ふとゆうちゃんのことが頭に浮かんだ。
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わたしがゆうちゃんとゆうちゃんのお母さんとの関係がいびつだとはっきり感じたのは、ゆうちゃんの2歳下の拓くんが小学校に入学した時からで、ゆうちゃんの入学式には来なかったのに拓くんの入学式には行っていたことや、朝の登校と出勤時におばさんと拓くんが一緒に玄関から出てくるのを度々見かけていたから。おじさんはゆうちゃんとも拓くんとも一緒に出かけるところを何度も見ているけれど、おばさんがゆうちゃんと二人で一緒に歩いているところを一度も見たことがない。
だからある時思い切ってゆうちゃんに聞いてみると、「ぼくも変だと思ってお父さんに聞いてみたら、『お母さんは祐希のことを嫌っているわけではないけれど、お母さんの心の傷が原因でおまえとうまくコミュニケーションが取れないんだ。いつかその理由を話すから、お母さんを嫌わないでくれ』って言われたの」とのこと。
それで、『お父さんがお母さんの分までぼくの面倒を見てくれたり学校行事に参加してくれていて、愛情もたっぷりもらっているから気にしないことにした』って、複雑な顔をしたゆうちゃんが言っていたもんだから、なにそれ、小学生が持つ感情じゃないよって当時は怒り狂ったことを覚えている。怒りにまかせてそのままおじさんに突撃しちゃったけど。
わたしがおじさんに、「ゆうちゃんとゆうちゃんのお母さんとの関係がおかしく見える。ゆうちゃんに何か我慢させてませんか?」って聞いたら、「確かに、祐希がうまく立ち回ってくれているから、俺はそれに甘えている状況かもしれない」だって。だから、「もし、ゆうちゃんがその理由を知らないのであれば、ゆうちゃんにちゃんと説明してあげてください。ゆうちゃんは賢いからちゃんと理解できると思います!」と言ってやった。うん、言ってしまったじゃなくて、言ってやったで合ってる。
だって、どんなに『お母さんは祐希のことを嫌っているわけではない』って父親から言われたって、実際に母親から避けられ続けていたら、時間の経過と共に父親の言うことを信じたくても信じ切れない気持ちが生まれて、家の中で孤立していると思いかねないじゃない。
それに、ゆうちゃんが母親の愛情を受けられないことより、おばさんの心の傷の方がプライオリティが高いのならそれなりの理由があるはずで、ゆうちゃんは理由さえわかれば変な道に逸れたりしない自分の頭で考えられる子なんだから。
……本当は、わたしが小学3年生までお母さんの愛情をめいっぱい受けて幸せだったから、母親の愛を受けられないゆうちゃんのこと、見ていられないって思っただけ……
わたしが突撃したおかげでおじさんはゆうちゃんに事情を説明してくれることになって、当時のゆうちゃんは小学3年生なりに自分の頭で考えてちゃんと理解して、おばさんとの距離を保つようになったんだけどね。
後日、おじさんの許可を得て、ゆうちゃんからおばさんの心の傷についての話を聞いた時は壮絶すぎて頭を抱えたくなった。おばさんがゆうちゃんに愛情を注げられないなら、わたしがその分ゆうちゃんを愛でるし可愛がる!と思ったぐらいだもの。
ゆうちゃんとゆうちゃんのお母さんの関係は今も変わらないけれど、いつかゆうちゃんのお母さんの方から歩み寄ってくれるようになったらいいなって思う。
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わたしが目指すのは企業内弁護士だから子へのネグレクトとか虐待を扱うことはないかもしれないけれど、ゆうちゃんと重ねてしまったせいか、どうしてそんな状況が発生してしまったのかなど、気になってしまう案件だった。