5 川が満ちる
アイルたちは夜の間中、バイユーの中を進んだ。そして夜が明ける頃、ようやく森を抜けた。
アイルはルークとオールを交代したあと、疲労困憊で小舟の底にへたり込んだ。彼はそのままぼうっと川の豊饒な流れを眺めていた。
大河であるラインベルクの川面は、下流で起こっていることは露知らずに、洋々と流れていた。
ローラント南部を東から西へ走るラインベルクは、ウルゴーン山脈から注ぐ幾万もの支流に支えられ、巨大な水量を保っていた。川幅は、下流域のここでは六百ヤードを越えていた。
アイル達がいる左岸と違い、右岸すなわちラインベルクの北側には、草原地帯が広がっていた。
草原はのどかだった。放し飼いにされている牛が、余裕の表情で草をはんでいた。
アイルは皆に指示し、ラインベルクをしばらく進んだあと、船の進路を変え支流の一つに入った。そして藪のなかに船を隠し、一旦陸地に上がった。
【アイル】「今から食料をとりに行ってくる」
アイルはそう言い、森の中に入った。半日ぶりの硬い地面の感触を確かめつつ、彼は山の斜面を駆けていった。彼は狩猟小屋に向かったのだ。狩猟小屋はスホルト村の狩り場の西端に位置し、猟師たちは今いる支流より西側に出ることはなかった。狩猟小屋には食料や酒の備蓄が残っているはずだった。
アイルは、シダが生い茂る山の斜面をかき分けて進んだ。森には何万本という太いアカマツが自生しており、その幹は湿気に濡れてアイルの背の高さまで緑に苔むしていた。やがて木が開けた場所にたどり着き、そこにぽつんと立つ狩猟小屋が見えた。しかし、アイルは一目見て、小屋の異変に気づいた。
小屋の錠が壊されて、地面に散らばっていたのだ。アイルはそのまま歩を緩めずに方向転換し、森を迂回して小屋の側面に回り込んだ。ついで足を忍ばせて小屋の壁に張り付き、中の様子に耳を立てた。
小屋の中から、か細い女の声が聞こえてきた。
【低い女の声】「ここの食料は全て持っていきましょう」
【甲高い娘の声】「え、全部を持っていくの?少しは残しておかないと、あとから来た人が困るんじゃない?」
【低い女の声】「戦線はすでにここを通り過ぎています。残しておいても、腐ってゆくだけですよ」
【甲高い娘の声】「だけど、まだ逃げ遅れた人達がいて、必要とするかもしれないわ」
【低い女の声】「いたとしても、スホルトの人間しかこの小屋を知らないはずですよ。敵は西から攻めてきているのだから、スホルトは既に占領された可能性が高いでしょう」
【甲高い娘の声】「……ごめんなさい、スホルトってどこにあるんでしたっけ?」
【低い女の声】「父君の話を聞いてなかったのですか。ローゼンハイムの南にある小さな村ですよ。あなたは下界に降りたことがないから知らないでしょうけど、スホルトの村長はかつてかなり高名な魔術師だったのです。あなたの父君も弟弟子としていくつか魔術を授かったそうですよ」
【甲高い娘の声】「そんなに高名な人が守ってるんだから、村人はまだ生き残ってるかも」
【低い女の声】「それはありえません。希望的観測は捨てましょう。スホルトは全滅したと考えるべきです。さあ、この干し肉を全部詰めて」
【甲高い娘の声】「うん……あれ、これってポルチーニかしら?初めて実物をみたわ」
【低い女の声】「そうみたいですね。それも全部持っていきましょう」
【甲高い娘の声】「かなりの量があるけど……あれ、この魚は何?」
【低い女の声】「さあなんでしょうね。あなた分かる?」
【男の声】「これはタラですね」
【甲高い娘の声】「タラ?」
【男の声】「タラは海の魚ですよ」
【甲高い娘の声】「海の魚が、なんでここにあるの?」
【男の声】「干物ですし、普通に船で運ばれてくるのでは?ネーヴェにもたくさん海産物は売っていますよ」
【低い女の声】「アベル、その子はそもそも干物は何なのか分かってないのよ」
【男の声】「その子って……」
小屋の中で、三人が立ち上がる音がした。アイルは静かに短剣を抜き、扉の真横に背中を貼り付けて待った。
アイルは高い声のする娘を人質に取りたかった。おそらく彼女が三人のなかで最も地位が高く、最も知能が低い。
扉が開け放たれ、先に女が出てきた。女の長いマリーゴールドの髪が木漏れ日の朝日を浴びて一瞬まぶしく輝いた。
アイルはその白い細首に腕を伸ばすと、一気に扉から引き放し、喉元にナイフを突き立てた。
【娘】「きゃ!!!」
女は短く甲高い悲鳴を上げた。
【アリア】「そこから動くな!」
アイルは小屋から距離を取りながら言った。
中の男はすでに腰の細剣を抜き放ち、小屋から出て大股でアイルとの距離を詰めてきた。
【アイル】「おまえ達は何者だ!」
アイルは後ろ足で下がりながら言った。アイルは男の顔を見て驚いた。側頭部から長く尖った耳が突き出ていたのだ。こいつらはエルフだ。見れば、アイルが今つかんでいる女の頭からも橙色の髪の毛から長い耳が突き出ていた。
【アイル】「小屋から出るな。もう一人の女もだ!返事をしろ!」
アイルはそう叫んだ。
しかし、男はアイルを無視してさらに距離を詰めてきた。アイルが首を曲げ小屋の中の様子を覗くと、家の中はすでに空になっていた。いつ脱出したのだろうか。脱出したのだとしたら、森を回り込んで襲ってくるか?
アイルは方向を曲げ、小屋からも周りの木々からもさらに距離を取った。
【アイル】「お前たちはどこから来た!」
男はなおも無言で距離を詰めた。
アイルは女の細首にナイフの先を突き立てた。一滴の赤い血が細かい金の産毛に覆われた女の細い首を滴り落ち、赤い玉を作った。
男はようやく歩を止めた。
【男】「俺たちはリッテンベルクから来た!ここから南の砦だ!」
【アイル】「なんだと?……そんな砦があるなんて聞いたことはないな。お前の名前は」
【男】「アベルだ」
【アイル】「ここで何をしている?」
【アベル】「……我々はブリスコーへ向かう途中だ。君はこの狩猟小屋の持ち主か?だったら、勝手に使って悪かったな」
【アイル】「なぜブリスコーへ向かう」
【アベル】「砦が魔物に襲撃されたので逃げている。ブリスコーが避難場所だと言われてる」
【アイル】「お前たちはスホルトを知っているようだな。村と何か関係があるのか」
【アベル】「僕たちはスホルトの人間と情報交換をしている」
【アイル】「なんの情報交換だ?」
【アベル】「魔物の活動場所とか、その年の赤竜の飛翔範囲とかだ」
【アイル】「そんな話は聞いたことがないな」
【アベル】「西部連隊の一部とあんたの村の上役しか知らないんじゃないか」
【アイル】「なぜ隠す」
【アベル】「僕たちは隠れて住んでる」
【アイル】「なぜ」
【アベル】「存在を知られていなければ、厄介者に襲撃されることなどない」
【アイル】「今の話の証拠は?」
【アベル】「あんたのダマスカスナイフが証拠だ」
【アイル】「ほう?」
【アベル】「エルフがダマスカスの作刀技術を南部連隊に渡したんだ。この地域全体の治安維持のためにね。持ち手の装飾を見ろ」
アイルは男の細剣の柄をと自分のナイフの柄とを見比べた。たしかに2つの金細工は同じ美術様式のようだった。
アイルは娘を離した。娘は振り向き、アイルに顔を向けた。そこに一風変わった表情があった。そこにあったのは怒りなどではなく、むしろ好奇心とでも呼ぶような表情だった。
なぜか、彼女はアイルに一歩近づいた。
娘は美しかった。ターコイズブルーの大きな瞳がアイルを見つめていた。
無防備な女だ。
アベルが背後から少女の胸に手をかけ、引き寄せた。そして抜身の刀身をゆらゆらとまたたかせ、アイルを再び睨みつけた。
アイルはため息を付き、両手を掲げて言った。
【アイル】「悪かった。今の話は全部信るよ。俺はスホルトの人間だが、俺たちの村も魔物に襲撃されて逃げてきた。今はブリスコーへ向かっている最中だ。俺たちは船を持ってるし、道もわかる。一緒に来るか?」
【娘】「行く!私の名前はアリア。もうひとりいた女の子はテオよ。よろしくね」
【アイル】「ああ。俺はアイルだ」
アイルはそう言い、二人とすれ違って再び小屋に入った。すれ違いざま、アベルの持つ細剣が少し揺らいだが、アイルは無視した。彼が小屋の扉をくぐると、後ろで彼が剣を鞘に納める音がした。
彼は小屋に入ると、床板の境目に指を引っ掛けて引っ剥がした。床の下にはまだ四つの荷袋があり、アイルはそれを全て取り出してエルフ達に持たせた。そして自分は棚から薬壺と竹の釣り竿、そして酒の瓶を取り出した。
【アベル】「酒なんか持っていくのか?」
【アイル】「ああ。酒はいろいろ役に立つからな。まあ、使わなかったなら捨てるよ」
三人は連れ立って森の斜面を降りていった。川岸の藪に入りしばらく進むと、葦の隙間から小舟が見えた。
小舟の縁に、長剣を抜いた女が立っていた。女は遠くからアイルを睨んでいた。
女の長剣はアマンダの首元に寝かされていた。アマンダは泣きそうな目で、やってくるアイルを見つめていた。ルークとペトラは、後ろ手に紐で縛られ、小舟の底に寝かされていた。
【アリア】「この人たちは、仲間だよ!」
アリアが森に響く大声で叫んだ。
その女は遠くからみてもわかるほど肩で大きなため息を付き、剣を鞘に収めた。
ーーーーー
三人目のエルフはテオと名乗った。彼女は細い金髪をサイドテールに結った、つり目の凛とした女性だった。
アイル達は船に乗り込んだが、それは七人が乗るには手狭だった。テオとルークは船尾に座り、船べりに腰かけた。積載量としてはほとんどギリギリだろうか、船は水面にどっぷりと沈んでいた。
アイルはバランスを崩さないよう慎重に船を押し出した。
船は岸を離れ、引き波を川面に立てながら進みだした。
【テオ】「傷を見せて」
テオはルークに言った。彼は、右の手首から血を流していた。アイルが離れている間に、テオに切られたのだろう。
テオは荷袋からガラス管のような物を取り出した。その透明な管の底には緑色の液体が入っていた。
彼女は栓を抜き、ルークの傷口に液体を注いだ。
【ルーク】「いっ!」
ルークはそういってピクリと全身を震わせた。
【テオ】「しみるかしら?」
【ルーク】「ああ」
【テオ】「じゃあ我慢して。痛いっていうことは薬が効いてるってことよ」
【ルーク】「……ああ、ありがとう。君は見かけによらずサディストだな……うわっ!」
テオはガラス管をさらに傾けて、中のとろりとした液体をルークの傷口にかけ直した。
ルークは歯を食いしばり、しばらく苦悶の表情を浮かべていた。アイルは言った。
【アイル】「お前たち、この人に負けちまったのか?」
【ルーク】「ああ、見事に油断した」
【アイル】「油断ねえ。まあ、そんなに弱いんだったら親衛隊にも選ばれないかな」
【ルーク】「うるさいな。エルフだったんだからしょうがないだろ」
【アイル】「へえ。エルフってそんなに珍しいのかね」
【ルーク】「もちろんさ。エルフは本来、高貴で美しく、常に人間の味方だからさ。このひとのようにね」
ルークはテオを指さした。テオは、無表情に目を細めた。
【アイル】「お前、常在戦場とか言ってなかったっけ?それにしても、ペトラまでやられたのか」
【ペトラ】「……まさかエルフなんていう伝説上の存在が、いきなり刃を向けてくるなんて思いも寄りませんでしたから」
【アイル】「言い訳がましいこったな……」
アイルは船が支流の流れに入ると、船首を上流へと向けた。
【テオ】「ちょっと、どこへ向かう気?」
【アイル】「もう川の本流にはオーク達が侵入している。昼間のうちは動けないだろう。夜に船を進めたい」
【テオ】「そういうことなら、わかったわ」
彼らは支流を少し遡り、川に張り出した木の中に小舟を隠して、陸地に上がった。少し岸の斜面を登ると、そこからはラインベルクの本流が直接視認できた。
斜面は緑の草むらからあちこちで白い石灰岩が突き出しているカルスト地形だった。アイルたちはそのうちの岩陰の一つに隠れ、車座になって腰を下ろした。
【アリア】「ねえ……ここって安全なの?」
【テオ】「スノウマンのことなら心配する必要はないわ。やつらは生身じゃ川を渡れないもの。溶けちゃうから」
【アイル】「雪男に追われているのか?」
【テオ】「ええ。でも多分もう撒いたわ……」
【アイル】「まあ、この暑さだし、ここまでは降りてこないんじゃないか。ところであらためて言うが、俺たちはスホルトから逃げてきた。今はブリスコーに向かって川を下っている途中だ。ここらの地理にはそれなりに詳しいつもりだ。そっちは?」
【テオ】「私達は山脈の奥にある砦から来たわ。二日前に魔物に砦が襲撃されたの。私たちは本体と分かれて川を上ってる。目的地は同じくブリスコーよ」
【アイル】「山奥って、この川の上流か?リッテンベルクとか言ってたが」アイルが訊いた。
【アリア】「リッテンベルクってなに?」
アリアが口をはさんだ。テオとアベルは、ふたり揃ってアリアを見つめ、そしてふたり揃って大きくため息を吐いた。
【テオ】「リッテンベルクっていう名前はね、煙幕よ。ほんとは砦に名前なんてついてないわ」
【アイル】「なるほどね。課税逃れか」
【テオ】「あ・の・ね、あたしたちはエルフよ。そんな低俗な理由で隠れて住んでるんじゃない」
【アイル】「へえ~。じゃあなんでさ?」
【テオ】「私たちはここからもっと東の土地から、訳あって移住してきたのよ。あたしたちの血族は3千年の歴史がある。たとえゼクターの血を継ぐ王権が相手でも、へりくだるわけにはいかないわ」
【アイル】「でも、これからブリスコーに逃げ込むんだろ?」
【テオ】「それはそれよ」
【アイル】「随分都合のいいことで」
【ルーク】「なあ。君たちはそんな山奥に住んでいて、竜に襲われたりしないのか?」
【テオ】「それなら、王が千年前に描いた魔法陣が、私達を守ってくれているのよ。」
【ルーク】「へえ。俺らんところにも魔除けの魔方陣はあるけど、龍が降りてくる度にバリスタ打ち込んだり銃を射ったりで村中てんやわんやだけどなあ」
【アイル】「そうだな。まあ、なにはともあれ、とりあえず飯にしようぜ」
アイルは荷袋を漁り干し肉を取り出すと皆に配った。肉はかなり湿気っていたが、贅沢は言えなかった。アイルは革袋をルークに放り投げて言った。
「それに水汲んできて」
【テオ】「待って。火を起こすつもり?」
【アイル】「ああ。少しの間だけな」
【テオ】「ちょっと待って」
テオはそう言い、ルークから皮袋を受け取った。そして袋の口を開けて地面に置き、その穂口の上で両手の指を組んだ。
テオは口中で静かに呪文を唱えはじめた。みなテオの方を向き、注視していた。
【テオ】「|氷の精よ 剣を作れ《öum el jackt el dhas》…… 」
アイルの耳には聞き取れない異国の言葉が響いた。
やがて彼女の両手の中に小さな氷の塊が現れた。それは段々と大きくなり、一本の長いつららが形成された。彼女はつららをボキボキと折って皮袋の中に入れた。
【テオ】「魔力が雲散すればすぐ溶けるわ。生水と違って安全よ」
【ルーク】「へえ、すごいもんだな」
しばらく待った後、彼らは皆で革袋をまわして水を飲んだ。アイルは徹夜の船漕ぎの疲れがたまり眠気を感じたので、草むらに横たわり眠った。
ーーーーー
アイルは体を揺すられて、ぼんやりと眠りから覚めた。
エルザの顔が彼の目の前にあった。彼女の橙色の髪が青空を背に透けて美しく光り輝いていた。彼女はなにか切迫した表情で叫んでいた。
【アリア】「……きて……起きて!」アイルは体を起こし目をこすった。まだ頭に霞がかかり、言葉が頭に入ってこなかった。「起きて!!!敵の船が……」
アイルは飛び起きた。そしてアリアの指差す方向を見た。
川には帆船が浮かんでいた。その帆船は、その先を行く小舟を追いかけていた。
小舟の中には少年たちがうずくまっていた。船に大人はおらず、オールの漕ぎ手も少年だった。その少年は、川の流れに逆らって、がむしゃらにオールを漕いでいた。
帆船は、ゆっくりと小舟との距離を詰めた。
アイルたちは、川に向かって走った。
ーーーーー
アイルたちは、岸の葦原の中に身を隠した。そして身を低くして船を観察した。
小舟には、8人の子供たちが乗っていた。
そのうちのひとりは、銃で打たれたのだろうか、腹から血を流して、死んでいた。一人の少女が彼の亡骸を抱きかかえて泣いていた。
オールを漕いでいた少年が、「ああ」と叫び声を上げてオールを離し、腕を抱えてうずくまった……恐らく、腕が痙攣を起こしたのだろう。
ゴブリンが舳先の船べりに片足を乗せ、少年たちに狙いを定めていた。子どもたちはとうに銃の射程に収まっていたが、ゴブリンはあえて背後の操舵手に合図を送った。
船は加速した。そして小舟にぶつかった。子どもたちは叫び声を上げた。
ゴブリンは、至近距離から子供たちに狙いを定めた。あえて子どもたちの死に際の表情を味わえる距離まで、船を寄せたのだ。
ゴブリンは、黄色い乱杭歯をむき出しにしてニヤリと笑った。
その時、アイルは彼の隣で、葦がガサガサと揺れ動く音を聞いた。彼は振り返った。
アマンダが、葦原から上半身を出し、その手に銃を構えていた。
【アイル】「やめろ!」
アイルは鋭く叫んだ。しかし、その声はが届く前に、アマンダは銃の引き金を引いた。
川面に銃声が響いた。その弾丸は銃を構えたゴブリンの頸動脈を撃ち抜いた。
ゴブリンは血を吹き出して倒れ、水中に落下した。
甲板のゴブリン達は、一斉にアマンダを見た。
【アイル】「ちい!」
アイルは舌打ちをすると、土手を走った。そして川べりから大きく跳躍すると、帆船の中に飛び込んだ。
アイルはそのまま体をゴブリンの一匹に当てて着地すると、ナイフを振りかぶえいその背中に突き刺した。ゴブリンはぎゃっと叫び声を上げた。アイルの手を生暖かい血の感触が包んだ。
アイルが左脇のゴブリンを振り返ると、そいつは鞘から剣を抜き正中に構えたところだった。しかし、次の瞬間、そいつの頭がなにかに吹き飛ばされ、爆発離散した。血霧が舞い、その体は倒れる彫像のように、四肢を硬直させたまま甲板に転がった。
アイルは岸に視線を向けた。アリアが葦原から上半身を出し、次の矢を番えていた。
アリアは二の矢を放った。それは船尾のゴブリンの腹部突き刺さると、一瞬腹が風船のように膨らんだ後、グロテスクに爆発し砕け散った。
汚い血の雨が甲板に降り注いだ。
【テオ】「アリア!銀の矢は撃たないで!」
テオの叫び声が聞こえた。
彼女は水面を駆けた。彼女は魔法でその足元を凍らせながら、川を走った。彼女は海面を蹴り跳躍すると、船の中に飛び込んだ。
彼女はマストの前に立つゴブリンに向かって剣を振るった。ゴブリンはすでに操舵から手を離し、その手に盾を握っていた。
ゴブリンはテオの剣を盾で受けた。ゴブリンの盾は一瞬のうちに氷に包まれた。ゴブリンは、急に加わった重みに、思わず盾の防御を下げた。
がら空きになった右手の手首に向かって、テオは剣を振るった。その体から断ち切られた手は、ポトリと甲板の上に落ちた。
ゴブリンは血を吹き出しながら叫び声をあげた。テオは横投げに剣を払い、ゴブリンの生首をつき飛ばした。
彼女に続いて、アベルが川に飛び込んだ 彼は川を瞬く間に泳ぎ切ると、船に乗り込み、剣を抜いた。彼はその細剣から鋭い剣を繰り出し、次々とゴブリンを刺し殺した。
ものの30秒で 帆船のゴブリンは全滅した。
アイルは肩で息をしていた。後先考えずに船に飛び込んでしまったが、まさか敵を殲滅し船を奪えるなどと想像だにしていなかった。
彼は帆船を調べた。おそらくザクセンのものであろうこの船は、ローランドの船と特に構造上変わったところはなかった。彼は言った。
【アイル】「俺ならこの船を操縦できる。子供達を乗せて、これで川を登る」
テオその考えをに賛成した。
彼らは子供たちを船の上に引き上げ、船の帆を張った。
その帆には青いインクで魔法陣が書かれてあった。普通、帆船の中でも最も価格の高い部位が、この帆だった。
アイルは漁師であるから その魔法陣のことは詳しくはなかったが、ローランドのものとは文様がだいぶ違っていた。しかし、船の構造が同じである以上、もたらす効果も同じであろう。
船を岸辺に寄せると、ようやくルークとペトラが船に乗り込んだ。
【アイル】「お前たち、何も役に立たなかったな」
アイルは二人に言った。
【ルーク】「おれは甲冑着てるから川を泳げないんだよ」
【アイル】「そうかい。そんならもう脱いじゃえばいい」
【ペトラ】「わたしは アマンダ様のおそばを離れるわけには行きませんから」
【アイル】「なんかふたりとも言い訳がましいんだよな……」
【ペトラ】「いま何かおっしゃいましたか」
【アイル】「別に」
彼らはそんな会話をしつつ、ブリスコーに向かって再び船を走らせた。