3 帰還、そして脱出
アイルたちは、暗渠の暗がりから脱っし外に出た。太陽の眩しさが目を刺し、アイルは思わず目を細めた。
暗渠の出口は深い葦で囲まれていた。そこは、どこかの深い葦の中に造られた水路だった。ローゼンハイムがあるこの巨大な三角地帯は、大河ラインベルクから別れた百を越える流によって入り組んだ水路が張り巡らされていた。この水たまりも、おそらくそう言った水路の一つに繋がっているのだろう。
土手の上の、葦の向こうのどこかから、人々の叫び声が聞こえてきた。次いで、大砲の砲撃の轟きが遠くから響いてきた。
王たちは、今まさに、城で悪魔と交戦しているに違いない。
【ヤゴー】「さて、これからどうする」
【ゲイル】「そうだな。まず双子城に向かおう」
【ヤゴー】「わかった」
双子城とは、ここから上流に位置する大きな分流に造られた防鎖砦だった。分流を挟んで造られた瓜二つの二つの砦の間には、太い鎖が渡されており、敵の襲撃があった際には鎖を引き上げてラインベルクの上流へ敵船が侵入することを防ぐのだ。
【ゲイル】「まずここがどこなのか確認しないとな」
【アイウ】「でしたら僕が確かめてきます」
アイルはそういうと、土手に飛び移り、葦から少しだけ顔を出して周囲を見回した。
アイルの眼の前、およそ200ヤードほど先に、ローゼンハイムの城壁があった。
城は、炎に包まれていた。
城下町を彩る、橙色に統一されたの屋根瓦の間から、たくさんの黒い煙が立ち上っていた。
その毒々しい黒煙は、城の状況が芳しくないことを示していた。
アイルは町並みを観察して、だいたいここが城の東南東だと当たりをつけた。
彼はそこからおよそ南東の方角を振り返り、双子城を探した。すると、地平線の向こうに、わずかに頭を出した二つの灰色の建物が見えた。
双子城だ。
アイルは急いで小舟に戻った。
【アイル】「ここは城の東南東のようです。多分川を登れば、すぐに分流の一つに合流するかと」
【ゲイル】「分かった」
ゲイルはそう言い、水の底に竿を立てて船を進めだした。
水路は、かなり浅かった。おそらく干潮時にはほとんど水が引けるだろう水路を、アイルたちは平底の小舟で滑るように進んだ。ゲイルがオールを泥のなにかに突き入れると、泥の中から何匹ものタニシが舞い上がった。
【ヤゴー】「お、タニシじゃねえか」
ヤゴーがそれを見て呑気なことを言った。
【ゲイル】「そんなものに気を取られる暇があったら、周りに注意しろ」
【ヤゴー】「へーい」
ゲイルがたしなめると、ヤゴーはふざけて答えた。
【アマンダ】「ヤゴー様、お怪我は大丈夫ですか」
【ヤゴー】「おおうよ!おかげさまでばっちしだぜ」
ヤゴーはアマンダにそう言い、白い歯を見せて笑った。
水路はすぐに、ラインベルクから枝分かれしたいくつもの分流の一つと繋がった。
彼らは分流に漕ぎ出でた。これを遡っていけば、より大きな分流と合流し、双子城にたどり着けるはずだ。
ーーーーー
彼らは川の流れに逆らって船を漕いだ。分流は水路よりも水量が増えていたが、なおも浅かった。立てばくるぶしほどの深さしかないだろう。ヤゴーが漕手を交代すると、力を込めて船を漕いだ。彼はあえてゲイルより速度を出し、彼の方をチラチラと見た。ゲイルはあえて彼を無視した。ヤゴーは小声でちぇと言い、今度は操舵に集中した。彼らは蛇行する分流をいくつも曲がった。
そうして進んでいると、船のマストの先端が葦の土手の向こう側に現れた。土手の向こうには、もう一つの水路が流れているのだろう。帆つきの船が走っているのだから、それは恐らく分流の一つだ。
マストの高さはかなり低かった。彼は、それが漁船だろうなと当たりをつけた。アイルは、マストの先に折りたたまれた白い帆が、風になびいて揺れているのを見た。
彼が周囲を見回すと、漁船の後ろ側から、もう一つの船が川を遡ってくるのが見えた。その高いマストからは、焼け焦げた竜の羽がが風に吹かれてたなびいているのが見えた。そして真っ白く輝くスパンカーも。
あれは、港に侵入してきた快速線と同種のものだろう。
アイルは土手に飛び移り、葦を突っ切って分流に顔を出した。
アイルの眼の前を漁船が通過した。その甲板には、子供たちが乗せられていた。おそらくは漁師が、誰かに託されて子供たちを乗せているのだろう。
その背後からは、例の快速船が追いすがっていた。メインセイルが焼け焦げてなお、それは漁船よりも速い速度で川を遡った。
快速船の甲板には、5体のオークが乗っていた。彼らは銃を構え、前方の漁船に狙いを定めた。
そのうちの一体が発砲した。
銃の発砲音が響いた。弾丸は船ベリに辺り、弾かれた。音に驚き、子どもたちは、甲板に臥せって泣き出した。船の唯一の大人である漁師は、敵の銃火に半身を晒しながら、なおマストのそばに立ち船を操縦していた。
オークたちは、さらにもう一発の弾丸を撃った。それはマストに直撃し、漁師の頬に砕けた木片がパラパラと舞い散った。
【アマンダ】「助けましょう」
アイルの真横で声がした。振り返ると、そこにアマンダがいた。いつの間にか、ゲイル、ヤゴー、としてペトラまでそばにいた。
アイルは、アマンダの言葉を聞いて、ゲイルに目線を送った。
意外なことに、ゲイルは首を縦に振り、アマンダの考えを首肯した。
【ゲイル】「俺は賛成だ。ヤゴーはどうだ?」
【ヤゴー】「もちろん助けるに決まってるぜ」
【ゲイル】「決まりだな。考えがある。アマンダ、火薬をくれないか」
ゲイルは火薬壺を受け取ると、蓋布を開き、火薬を取り出した。ゲイルは、アマンダに対して最初から対等な口調で話していた。アイルは今更ながらそれが気になった。
アイルたちは、葦の間に隠れ、快速船が通過するのを待ち構えた
やがて、それは近づいてきた。
ゲイルは矢筒から矢をを取り出すと、袖を破ってそれを矢じりに巻きつけた。そして、布で覆われた矢じりの先端に火薬を擦り込んだ。
【ゲイル】「まずはアマンダが先に銃を撃て。そしてそれを合図にして、お前たち2人は矢を放つんだ。最後に俺がこいつで敵の船に火をつける」
アマンダたちは頷いた。
快速船は、もう目の前まで来ていた。
アマンダは銃を構えた。
彼女は片目をつぶり、銃眼を覗き込み、息を止めた。
彼女は弾丸を打ち放った。
その黒い礫は、舳先に立つオークのむき出しの喉仏を、真横から突き破った。
オークは血を吹き出し、床に倒れた。
彼女の銃声を合図として、アイルたちも矢を放った。
ヤゴーの力強い膂力で打ち放たれた矢は、オークの鎖帷子を打ち抜いた。オークは腹から血を吹き出し、、甲板に膝をついた。
アイルは船尾のオークに屋を放ったが、それは分厚い兜に当たり弾かれた。
オークたちは岸辺を振り向き、アイルたちを目に捉えた。
その時、ゲイルが火矢に炎をつけた。そしてそれを、真っ白に輝くスパンカーに向けて撃ち放った。純白に輝く船尾の帆は、瞬く間に炎に包まれた。
【ゲイル】「よし、逃げるぞ」
ゲイルは言った。アイルたちは、葦の奥に逃げ込んだ。
ーーーーーー
アイル達が葦の中に逃げ込むと、彼らの背後に何本もの矢が放たれた。風切り音が川面を横切り、矢の雨が葦の草原に降り注いだ。しかし、すべての矢は空を切った。
アイルたちは、は葦の中を走った。
そしてしばらく進んだとき、ペトラが何かの音に気づき、耳をひくつかせた。彼女はヤゴーに向かって言った。
【ペトラ】「追われているかもしれません。後方を確認するので、私のことを肩車してください。」
ヤゴーはテトラの股の間に頭を突っ込むと、彼女を軽く持ち上げた。ペトラは葦の上に頭を出し、背後を見た。
船は、アイルたちのいる岸辺に横付けしていた。船は炎に包まれていた。その甲板は、すでにオークの姿はなかった。
船が着けている手前の地点で、葦が何かに押されて揺れ動いていた。
オークたちは、地面に降りアイル達を追跡しているのだ
【ペトラ】「オークたちは陸に上がっています!すぐにこっちに追いつきますよ」
【ゲイル】「わかった、奴らを撒くぞ。アマンダ、もう一度、火薬を貸してくれ。」
ゲイルは火薬壺とフリントを受け取ると、壺の中身を草原に撒き散らした。そしてフリントを打ち付け、火薬に火をつけた
火薬は爆発を起こし、火は葦原に瞬く間に燃え広がった
オークたちは、炎に進路を遮られ立ち往生した。火薬により勢いよく燃え上がる炎は、オークたちに炎の熱さを誤認させ、彼らに咲きを進むことを躊躇させた。
そこへ、ペトラが脇の葦の間から飛び出した。
ペトラ水平に寝かせたナイフをオークの脇腹に突き刺した。そして素早く葦原の中に逃げ込んだ。
オークは叫び声を上げ、血が吹き出す脇腹を押さえながら、がむしゃらに曲刀を振り回した。しかし、その剣先は葦を断ち切るばかりで、ペトラはとうにそこにはいなかった。
炎の最前線に立つオークが、最後尾で上がった叫びを聞き、背後を振り返った。
その隙を見て、ヤゴーが炎から飛び出した。
彼は後頭部を向けるオークの頭に、 上段に降りかぶった剣を振り下ろした。
剣は兜に直撃したオークは脳震盪を起こし、倒れた。ペトラが再び葦の間から姿を現し、仰向けに倒れたオークの顔面の跨り、その口の間に短剣を突き入れた。
オークは自らの血の海に溺れた。すぐ真後ろのオークが、テトラに向かって曲刀を振った。しかしペトラは、あっというまに葦の中に逃げ込み、その姿を消した。
オークは敵を見失い、怒りの叫び声をあげた。
ーーーーー
アイルたちは、再び分厚い葦原をかき分けながら進んだ。何本か、当てずっぽうに放たれた矢が彼らの頭上を飛んでいったが、アイルたちは 足を止めることなく突き進んだ。
そしてようやく双子城の城壁が葦の隙間に見えてきた。
彼らは、ようやく葦原を抜けた。
双子城の城壁には、兵士たちが立ち並び、アイルたちに手を降っていた。
アイルは、一瞬、城へ駆けることを躊躇した。彼らがもしクラウザーたちの味方だった場合、アイル達は矢の雨に撃たれ、ハリネズミのようになって死ぬだろう。
思わず歩幅を緩めたアイルの背後に、ゲイルが叫んだ。
【ゲイル】「アイルそのまま走りきるんだ」
アイルはそれを聞き、再び足に活力を入れた。
彼らは走った。しかし、すぐに彼らの背後で物音がした。
オーク達が、葦を抜け出たのだ。彼らは、アイルの想像以上にすぐそばまで迫っていたのだ。
アイルはそこから全力で走った。オークたちもまた全力で追いすがった。
そして彼らは、アイルからわずか3歩の距離にまで迫ってきた
もう、追いつかれる。アイルの脳裏に一瞬の恐怖が走った。
しかしオークたちの行く手は阻まれた。
城壁に並んだ弓兵たちから、オークたちに矢が降り注いだ。
矢の雨に撃たれ、奴らは一人また一人と倒れていった。
アイルたちは、降り注ぐ矢の雨の下をくぐった。そしてようやく砦にたどり着いた。
ーー
彼らは、砦の門をくぐった。 砦の中庭は、怪我人で溢れかえっていた。
双子城には、沢山の人が逃げ込んでいた。そこにはたくさんの子供が降り、老人がいた。そして何人もの死体があった。
沢山の人が担架に寝かされ、血まみれの包帯を巻かれていた。
中には神官がいたが、彼らの多くは目を閉じ壁を背にもたれかかっていた。
彼らは瞑想により魔法の力を回復させる必要があるのだ。おそらくけが人に対して神官の人数が足りなすぎるだろう。そのうちに、ここは傷病者であふれかえるに違いない。
アマンダは中にはの様子に茫然となっていたが、直ぐに頭を振り、銃を抱えたまま城壁の階段を登った。アイルは気になり、彼女に付いて階段を上がった。彼女は兵士たちの端に並び、銃に火薬を込め直した。
一人のオークが、また葦原を突き切り、無防備に体を晒した。
アマンダは銃を放った。その銃弾は、オークの顔面の正中線に直撃した。オークはその場に倒れた死んだ。
【老人の声】「お見事です」
アマンダは、声の主を振り返った。
【アマンダ】「ザハード様!」
アマンダは言った。その名前を聞き、アイルもまた顔を上げた。そこには、村長が立っていた。
村長は、村でいつも身につけていたみすぼらしい格好とは違い、大きな青い三角帽と、薄い灰色のローブを着込んでいた。杖だけは、村で持っていたのと同じ、古木で出来たねじれた杖を握っていた。
【アイル】「村長、なぜここにおられるのですか」
【村長】「なに、昔の血がたぎってな。私も戦いに馳せ参じたまでよ」
【アイル】「そうでしたか。村とは随分格好が違うものですから、見違えました」
【村長】「ははは。そうかそうか」
村長はそう笑うと、真剣な表情をしてアマンダの方へ向き直った。
【村長】「アマンダ様、此度は大変な思いをなされましたな。銃の腕も、随分と上達したようだ」
【アマンダ】「ありがとうございます」
【村長】「ですがな、あなたの役割はこの砦の防衛ではない。一通り食事を済ましたら、すぐにここを発ちなさい。よいですな」
【アマンダ】「承知しました」
アマンダはそう答えると、銃口に油布を被せ、紐で縛った。アイルは聞きたいことがあったので、村長に話しかけた。
【アイル】「村長、女たちはどうしましたか」
【村長】「女たちはもう船でブリスコーへ避難している。この砦が落ちるまでには、ブリスコーへたどり着けるじゃろう」
【アイル】「この双子城が落ちるとお思いですか?我々は戦争に負けていると?」
村長は答えなかった。
階段を登る足音が響き、老齢の兵が胸壁に上がってきた。
【老齢の兵】「アマンダ様、よくぞご無事で」
【アマンダ】「リヒター」
二人は知人のようだった。アイルは場違いを感じたので、その場から離れた。
中庭に下りると、ゲイルが休息している兵士に話しかけていた。
【ゲイル】「盾と剣をよこしてくれ」
ゲイルは言った。彼は長剣を受け取ると、感触を確かめるように、空に向かって何度か振り回した。そして盾を背負い、アイルを見ると言った。
【ゲイル】「俺は防衛に参加する。おまえはアマンダと飯を食ったら、なるべく早くここを発て」
ゲイルはそう言うと、城郭の中に入っていった。アイルはヤゴーを探したが、彼の姿はどこにも見当たらなかった。
彼は飯を食うことにした。
中庭の中央に大きな鍋が火にかけられ、粥が作られていた。恐らく避難民であろう女たちが、丼に取り分けた粥を配っていた。
アイルは丼を受け取り、ぼんやりと空を眺めながら飯をかき込んだ。
いつの間にか、ペトラとアマンダがアイルのそばに立っていた。アイルが彼の隣の地面をポンポンと叩くと、アマンダはアイルの隣りに座った。二人は、手に持っていた粥を食べ始めた。
【アマンダ】「おいしいね」
アマンダが言った。
【アイル】「そうか?あんまり具が入ってないけどな」
【アマンダ】「そんなことないよ。塩気がしておいしい」
【アイル】「お前喉乾いてないか?お茶持ってくるよ」
アイルはそう言い、立ち上がった。彼は壁の隅にあったテーブルまで行き、土瓶と湯呑ふたつを持ってくると、土瓶を焚火の火にかけた。
そのうちにお茶が煮立ったので、彼は湯呑にお茶を注いで、アマンダとペトラに渡した。
【アイル】「お前、それで食い足りてるのか?」
アイルはアマンダに聞いた。彼女は粥を半分ほどしか食べてなかった。
【アイル】「腹いっぱいになるまで詰め込んどけよ。そうすれば、動ける時間が全然違うからな」
アマンダはうなずき、残りの半分を掻き込んだ。ペトラも同じようにしていた。
アイルは彼女達より先に粥を食べ終わると、その場の地面に寝そべって空を見ていた。快晴の空に浮かぶ雲は、地上で起こってることなどつゆ知らず、ただ鷹揚に西から東へ流されていた。
アイルは疲労が溜まっていたので、その場で目を閉じた。そして彼は眠りへ落ちていった。
ーー
アイルは、体を揺すられて目を覚ました。彼は頭をかきながら、体を起こした。
村長がアイルの体を揺すっていた。彼の隣には、リヒターと呼ばれた老齢の兵士と、もう一人若い兵士を連れて立っていた。
【リヒター】「君がアイル君かね」
【アイル】「はい」
アイルはそう答えた。
【リヒター】「こいつを王女のお供に連れて行ってくれ」
老兵はそういい、若い兵の方に手をかけた。
【アイル】「……しかし、王からは自分たちだけでブリスコーまで連れて行くよう申し付かっていますが……」
【リヒター】「だが、君たちの中に戦闘訓練を受けたものはいないだろう。彼は適任だ」
【アイル】「ゲイルでは駄目なのですか?」
アイルが村長の方を向いて言った。
【村長】「あいつはここの砦の防衛に参加する。それにやつが除隊してからもう10年経っている」
【アイル】「分かりました。君の名前は?」
【ルーク】「ルークです。以後お見知りおきを」
【アイル】「俺はアイルだ、よろしく」
アイルは差し出された手を握った。
アマンダとペトラが、荷物を背負ってやってきた。
アイルは周囲を見回し、ゲイルの姿を探した。彼は城壁の上に背中を向けて立っていた。ヤゴーの姿はなかった。
彼は挨拶しようと思ったが、やめた。そしてすぐに城を出発した。
【ペトラ】「ルーク様、お久しぶりです」
ペトラが歩きながら言った。
【ルーク】「久しぶりだな」
【アイル】「知り合いなのか?」
【ペトラ】「私達はもともと国王親衛隊の候補だったのです。私は受かり、彼は落ちました」
【アイル】「へえ」
【ルーク】「それは五年も前の話だよ。今はあの時より腕を上げたつもりさ」
彼らは川辺の土手を下り、小さな桟橋に向かった。彼は船に乗り込む前に、アマンダを振り返って言った。
【アイル】「アマンダ、ひとつ聞いておきたいことがあるんだけど、お前泳げるか?」
【アマンダ】「いいえ。泳げません」
【アイル】「そうか。これから船で川を下るけど、もし船から落ちた場合、声が響くかとか心配せずに、すぐに大声で助けを呼べ。わかったか?」
【アマンダ】「わかりました」
アマンダはそう答えた。
アマンダたちは、船をだし、双子城を出発した。
ーー
彼らは上流に向かい船を漕いだ。彼らの他にも、いくつもの漁船や小舟が、ラインベルクの鷹揚な川を遡っていた。
アイルは、途中で彼らと分かれると森の中に直接舳先を向けた。
【ルーク】「どうするつもりだ」
【アイル】「この先はバイユーになってるから、ここを突っ切れば時間の短縮になるんだ」
【アマンダ】「あの、アイル様、バイユーってなんですか」
【アイル】「バイユーっっていうのは、すごいゆっくり流れる川のことだ。あんまりにも川がゆっくりだから、木も流されずにそのまま森になってるんだ。」
彼はそう言うと、オールで薮をかき分けて、バイユーへと進んだ。川の流れの中に林立するヒノキは、どれも膝下の高さまで水の中に浸かっていた。
バイユーの中は湿度が高く、ヒノキはどれもアイルたちの背の高さまで緑に苔むしていた。
ルークの耳元に蚊が飛んできた。ルークは耳を叩いたが、蚊は鉄の兜の内部に入り込み、彼は兜ごとかつんかつんと叩くしかなかった。
【ルーク】「蚊がすごいな」
【アイル】「ああそうだな。兜、脱いだらどうだ?」
【ルーク】「いや、常在戦場は兵の構えだ」
【アイル】「そうか」
船は木々の間を縫い、ゆっくりと進んだ。船尾の縁に座っているルークは、貧乏ゆすりを始めて段々とイライラし始めた。
【ルーク】「アイル、あとどのくらいでここを抜けるんだ?」
【アイル】「焦りすぎじゃないか。まだこの森に入って30分ぐらいしかたってないよ」
【ルーク】「本当にこれは近道になっているんだろうな」
【アイル】「なってるよ。俺は漁師だから心配するな」
【ルーク】「漁師って沖合で仕事してるんじゃないのか?船でこんなところまで入るのか」
【アイル】「それはまあ季節によるけどね。ここは汽水域だから、スズキも川の中を泳いでたりもするよ。そろそろ疲れたからオールを交代してくれないか」
ルークはオールを受け取り、舵を交代した。アイルは船尾に座リ直した。するとどこからか、この鬱蒼としたヒノキの森すらも貫通して、砲撃の轟が響いてきた。
やがて、夜になった。辺りは暗がりに包まれた。
【アマンダ】「明かりをつけましょうか?」
アマンダが聞いた
【アイル】「ああ、頼む」
アイルはそう言った。そして、彼女がカンテラか何かを持っていただろうかと考えた。
すると、アマンダは堂々とフードを脱いだ。
彼女の頭上に天使の後輪が現れた。それは白い光で周囲の木々を照らし出した。
【アイル】「それ、晒しても大丈夫なのか」
【アマンダ】「はい、問題有りません」
【アイル】「ふうん、そうなのか」
アイルはそう言った。二人の会話を聞いて、ルークが口を挟んだ。
【ルーク】「さっきから気になってたんだが、君は王女に対して口の聞き方がなっていないんじゃないか」
【アイル】「はは、まあそうかもな。確か最初は敬語で喋ってた気がするが……」
【アマンダ】「私は別に構いませんよ」
【アイル】「ほらね。構わないってよ」
【ルーク】「構わなくはない。これもいい機会だ。今のうちに矯正しておいた方がいいぞ」
【アイル】「どうせこの任務が終わったらもう会う機会ないだろ」
アイルはそう言った。アマンダはなにか言いかけたが、口を開くことはなかった。
彼らは夜明け前にバイユーを抜けた。