#Sideサオリ―2(完)
高見さんの言ったこと、最初は信じられなかった。
――男女混合のアイドルグループ?
そのメンバーに、私を?
「ずっと目をつけてた」って、どういうこと?
「し、失礼ですけど、私、あなたのことライブで見かけたことありません」
ライブ中、観客席にいるお客さんのことはしっかり見るようにしている。こんなギャルっぽい女の人が何度もライブに来ていたら、私はステージの上からぜったい見つける自信がある。でもこんな人、現場で見たことない。
だからやっぱり、これって怪しい話なんじゃ……。
「直接あなたを見に来たのは今日が初めてなの。ここのところ仕事がずっと立て込んでて、なかなか外回りできてなくてね。……ただ、SNSにあがってるあなたのパフォーマンスの動画は、ずっとチェックさせてもらってる」
「動画って、うちの公式があげてるやつですか?」
「そうそう。それと、ファンの人が撮った動画とかね」
「ファンの人が撮った動画」。その言葉を聞いて、私ははっとした。
クロラビ界隈において、私のパフォーマンスを動画に撮って、SNSに載せてくれるファンは1人しかいない。
「動画ではじめてあなたの歌声を聴いたときの衝撃、忘れられない」
高見さんは優しく微笑むと、私の目をじっと見つめた。
「ああ、この子は音楽が大好きで、歌うために生まれてきた子だ――って思ったの」
私の歌声が高見さんを射抜いたように。私もまた、高見さんの言葉に射抜かれてしまったのだ。
高見さんに連れられ「高見プロダクション」に足を運び、社長の理念を聞かせてもらった私はもう、「ここで歌いたい!」という気持ちを抑えきれなくなっていた。
私のありのままを肯定してもらえる。私のありのままを、才能だと言ってもらえる。
ここに来れば、私のやりたい音楽を仕事にできる。
やっと掴んだ夢のかけら。絶対に手離したくない。
――でも。
私、クロラビを辞めてしまっていいのかな。
入ったからには長く続けないと。
せっかく礼子先生に紹介してもらった居場所なんだから。
悩む心は迷宮入りして、答えが出せない。
もやもやする私は、ライブのない休日の日曜日、とあるメンバーを食事に誘った。
◇ ◇ ◇
クロラビのライブ中のMCで、ゆずちゃむはどのメンバーとも平等に絡むのを徹底していた。だから、オタクの人たちの中で「サオリとゆずちゃむは特別仲が良い」という認識は広まっていなかったと思う。
でも実は、ステージから降りたプライベートの私たちはとても気が合って、ライブ終わりによくご飯に行っていた。
はじめてゆずちゃむとご飯に行ったのは、私がクロラビに加入してすぐ、彼女からの誘いを受けてだった。
そのとき、私は率直に「なんで?」って思った。どう見たって、私と彼女はカラーの違う人間なのに。
そんな私に、ゆずちゃむはこう言ったのだ。「クロラビのメンバーとは、最低1回はふたりきりでご飯に行くようにしてるの」と。
女子の社交が上手くできなくて、孤立していた過去があったから。どうせこの人とも合わないんだろうな、ご飯はこれきりなんだろうな……って思ったけど。
予想に反して、ゆずちゃむと過ごす時間は私にとって心地いいものだった。
彼女は聞き上手で、話し上手だ。私が求めれば、私が悩んでいることにアドバイスをくれるけれど、決して上から目線じゃない。
「森本 紗織」と「西脇 柚香」として。いくつも年下の私と、彼女は対等に接してくれる。
「紗織にとって、後悔しないのはどっち?」
行きつけの東南アジア料理店で、クロラビを辞めて高見プロダクションに移籍するかどうか相談した私の話を、柚香は真剣に聞いてくれた。
「私は死ぬほど後悔してる。あのときボロクソに言われて心が折れて、諦めちゃったこと。あのとき諦めずに努力し続ければ、違う道もあったのかも……って。後悔しても仕方ないのにね」
柚香は19歳のとき、日韓合同アイドルグループのオーディションを受けた過去がある。でも、歌もダンスも審査員にボロクソにダメ出しされ、オーディションの早い段階で落とされてしまったそうなのだ。
「紗織には後悔してほしくない」
柚香の真摯な眼差しに、思わず泣きそうになる。
昔の私は、他人に悩みを相談するなんて絶対にしなかった。
「悩みを相談する」って、イコール「他人を頼る」「自分の本心を開示する」ってことで。そのどちらも、私にとってすごくハードルが高かったのだ。
これまでの私は、周囲に敵意を剥き出しにして、自分の殻に閉じこもっていた。私は同年代の女の子とわかり合えるはずがないって、ハナからコミュニケーションを諦めていたんだ。
そんな私だけれど、柚香と出会って、「心を開く」ことができるようになった。彼女が私という個を尊重し、受け入れてくれる優しさを持っていたから。
「地下の文化もいいものだし、ありがたいことに人気も貰えてるから、楽しいし誇ってるんだけどね。高校卒業して上京したての私が描いてた未来とは、ちょっとズレちゃってるな……って思うんだよね」
柚香は私より4歳年上の23歳で、クロラビ以外にもいくつかバイトを掛け持ちしているフリーターだ。
彼女いわく、「23歳」は地下アイドルとして決して若くない年齢らしく……。
「……それでも、柚香はすごいよ。私は柚香みたいにはできないから」
組織に自身を合わせるのも、その人の才能のうちの一つだと、こだわりが強くて浮きがちな私は心底思う。
アイドルとしての柚香はプロだ。いつも笑顔で、ファンの人たちが望む夢を見せてあげて。
私には決して真似できない、彼女のスタイル。私はそれをリスペクトしている。
「もしクロラビを辞めるとして、いつ頃を考えてるの?」
柚香の言葉に、私ははっと我に返る。
店員さんが、注文していたココナッツミルクのゼリーを運んできてくれて、軽く会釈をしながら口を開いた。
「2月15日にクロラビとの契約更新があるから、辞めるとしたらそのタイミングかなと思うの。……ただ、一つだけ気がかりなことがあって」
「のんたんのこと?」
「なんでわかったの」と目で問いかける私に、柚香はマンゴーラッシーをストローでかき混ぜながら、ふふっと笑った。
「紗織は優しいもんね。のんたんの受験が終わるまで待とうかどうか、迷ってるんでしょ」
「……私のこと、お見通しだね」
なんだかちょっと恥ずかしくなって、私は口を尖らせる。
柚香と月イチくらいのペースでご飯に行くようになって、まだ1年も経ってないけど。ずっと昔から一緒にいる幼なじみみたいだ。
「のんたんは、はじめて私を見つけてくれた人だから」
それに、高見さんに私の存在を知らせてくれた人だから。
だから彼が戻ってくるまで待って、きちんとお別れする。それが、私に差し出せる誠意だと思うのだ。
ただ、彼が戻ってくるまでクロラビで待つということは、クロラビとの契約を1年延長するということでもある。
1年という歳月は長い。高見さんには、「1年待つとなると、今回のグループへの参加は見送ることになるかもしれない。いずれはソロか別のグループでデビューさせてあげたいけど」と言われた。
「アイドルとオタクって他人だからね。他人を軸に生きてしまったら、いずれダメになる……と私は思う」
「どういうこと?」
「はたから見てても、紗織とのんたんって信頼強そうでいいなと思うけど。のんたんが必ず戻ってくるとは限らないから。いろんな事情で、現場に来れなくなる可能性だってある」
……そっか。
その可能性、考えてなかったな。
のんたんがいつも会いに来てくれることに甘えて、そうじゃない未来を考えたことがなかったけど……それってすごく傲慢だ。
「オタクにもそれぞれ事情があって、1人の人間だから。そこを理解せず彼らに依存して、病んで辞めちゃったメンバーも居たよ」
「ファンに感謝する気持ちは忘れず、でも私達は自分の軸で生きなきゃならない……ってことだね」
「そうそう」
私はのんたんを信頼しているし、彼に深い感謝を抱いている。でも、彼の存在と私の人生1年分を天秤にかけちゃいけないんだ。
私は私の人生を優先しなくちゃいけないし、のんたんにはのんたんの人生を優先してほしい。
柚香に相談したことで、ようやく覚悟が決まった。
――2月15日に、私はクロラビを辞める。そして、高見プロダクションに所属する。
私のスタイルを好きだと言ってくれたのんたんに、恥じないように。私は私のやりたいことを貫く。
そうして歩く道のどこかで、もう一度のんたんに会えたら嬉しい。
料理店を出ると、街はすっかり夜になっていて、イルミネーションに飾られた街路樹がきらきら輝いていた。
集合したときはまだ暗くなりかけの夕方だったのに、いったいどれだけ話し込んでいたのだろうか。
「もうすぐクリスマスだねえ」
冷たい夜風に身を縮めながら、柚香の言葉に「うん」と頷く。
クリスマスライブの頃には、のんたんは受験勉強一色なんだろうな。
駅への道のりを足早に歩く。もう夜も遅い時刻なのに、行き交う人の波は途切れる気配がない。
でも、ここから数駅離れたライブハウスCOSMOSのある繁華街は、もっと人でごった返しているんだろうな。
「紗織はぜったい、ビッグなアーティストになるよ。テレビに出まくって、『あの子友達なの』って私に自慢させてね」
白い息を吐き出しながら、隣を歩く柚香がそう言う。それがなんだか一生のお別れの言葉のように聞こえて、私は柚香が着ているピンクのコートの裾を掴んだ。
「ねぇ、柚香」
立ち止まり、私は彼女を見上げる。
「柚香もまだ、いろいろ諦めるには早いよ」
私の言葉に、柚香は小さく笑っただけだった。
◇ ◇ ◇
クロラビを辞めると決心し、まずはクロラビの運営スタッフに、2月15日でグループを卒業したい旨を伝えた。
入ったばっかりの新メンバーが、1年もたずに辞めてしまうこと。スタッフの中には難色を示す人もいたけど、プロデューサーは普通に受け入れてくれた。
彼から卒業ライブを提案してもらえたのはちょっと意外で嬉しかったけど、辞退させてもらった。
そして、久々にフリースクールに足を運び、礼子先生に頭を下げた。
「せっかく先生に紹介してもらったのに、裏切る形になってごめんなさい」
「そんな、謝る必要なんてないのよ。頭を上げて」
おそるおそる顔を上げると、ピアノのそばの椅子に腰掛けた礼子先生と目が合う。先生はとても優しい目をしていた。
「もうすっかり大人の顔。この1年で、いい経験ができたんだね」
「はい!」
クロラビに入ってよかった――と、そのとき心から思った。
そうして月日は経ち、ついに2月15日になった。
私は今日で、#Clover Rabbitsのサオリじゃなくなる。そしてこれから、高見プロダクションに所属し、正真正銘の「森本 紗織」になるのだ。
のんたんが推してくれた、ありのままの私に。
完