#Sideサオリ―1
私は昔から、女子の集団に所属するのが苦手だった。
女の子同士の、「わかる」って思ってないのに「わかる」って言わなきゃいけない空気感とか、尾ひれのついた噂話とか、たいして興味のない恋バナとか。いったい何が楽しいんだろうって思う。
それに加えて、勉強も大っ嫌いで。
朝から夕方まで決められた席に座って、つまんない授業を耐えるのが本当に苦痛だった。
クラスの輪にも馴染めないし、勉強もできない。そんな私が学校に行かなくなるのは、当然の成り行きだったと言えるだろう。
小学校はなんとか通えていたけど、中学校はほとんど行かなくて。高校は名前を書けば受かるようなところを受験して進学したけど、1年生のときに退学した。
そんな私だけど、居場所はあった。
16歳のとき、母親に連れられて通うことになったフリースクール。そこで出会った礼子先生は、私の人生の恩人だ。
礼子先生はもともと学校の音楽の先生で、音楽療法士の資格も持っているらしい。そのせいか、先生のフリースクールにはいつも音楽が溢れていた。物心ついた時から音楽が好きな私にとって、そこはとても居心地の良い場所だった。
先生のピアノにあわせて歌をうたって、「上手だね」って褒めてもらえる。それが何より嬉しかった。私にも得意なことがあるんだって、前を向けるようになったんだ。
そうしてフリースクールに通い始めて、2年が経過したある日のこと。
「紗織ちゃん、アイドルやってみない?」
礼子先生が突然そんなことを言ったので、私は先生がおかしくなったのだと本気で心配した。
「えっ、アイドル!?」
「うん。先生の知り合いに、アイドルグループの運営をしてる人がいてね。追加メンバーを募集してるんだってさ」
そう言いながら先生は、アップライトピアノの上に置いていたチラシを手に取って渡してくれる。チラシには「#Clover Rabbits」というグループ名と、6人の女の子たちの写真が載っていた。どの子もすごく可愛くてキラキラしている。
「いわゆる『地下アイドル』なんだけどね。ライブに出たり、グッズの売り上げが良かったりすれば、お給料も出してもらえるから。アルバイトみたいなものだと考えるといいよ」
「アイドル……アルバイト……」
礼子先生の言いたいことは、ちゃんと理解できた。
私は今年で19歳になる。春になれば、世間でいう「高卒1年目」だ。社会に出て働き始める同い年の子もたくさんいるだろう。
いつまでもフリースクールに居続けるわけにはいかない。だから礼子先生は、私にスクール以外の居場所を提示してくれているのだ。まさかそれが地下アイドルだなんて、ちょっと予想外だけれど。
「ただやっぱり、女の子が多い場所ではあるから。紗織ちゃん的にやりづらい部分はあると思う」
礼子先生の言葉に、私は首を振った。「やりづらい」とか、そんなこと言ってられない。私はもう子供じゃないのだ。
それにきっと、歌って踊るのをお仕事にするなんて、学校で勉強するより百倍楽しい!
そう思って、私はクロラビに加入した。実際、舞台の上で音楽を表現するのは、病みつきになるくらい楽しかった。
――だけど私は、早い段階で悟ってしまったのだ。
クロラビがやりたいことと私のやりたいことは、全然違うって。
私はステージに上がったとき、お客さんに「自分を魅せる」んじゃなくて、「音楽を届ける」ことを大切にしていた。
それが、表現者としての私のスタイル。私のありのままだ。
でも、クロラビはそうじゃない。
クロラビにとって、音楽はアイドルのおまけだった。礼子先生の知り合いであるプロデューサーは、「お客さんには、接触のついでにライブに来てもらえるように」ってよく口にしていた。
そういう売り方のグループだから当然、接触を目的としたファンが集う。
クロラビに入って2ヶ月。私には、まだ固定ファンがついていない。
そんなある日のライブ終わり。握手会で、新規さんが私のところに来てくれた。
「来てくれてありがとう!」
笑顔を作って、仕事終わりっぽいスーツ姿のおじさんと握手する。どんな言葉をかけてもらえるのか、ドキドキして待っていると。
「サオリちゃんさー。歌は上手いけど、クロラビっぽくないよね」
おじさんが放ったその言葉は、私の胸をグサリと貫いた。
「そ……うだよね」
何も言えなくなって、作り笑いする余裕すら無くしてしまう私。
「塩だなー。そんなんじゃオタク増えないよ」
それだけ告げると、おじさんは踵を返してどこかへ消えていく。
「はぁ……」
わざわざそれを言うために、お金を払って私のところに来たのかな。
隣に立つゆずちゃむの前には大行列。対する私の前には誰も並んでない。
比べちゃダメってわかってるけど……こうも差があると辛いよ。
誰も私のことなんて見てないのかな。
私が届ける音楽に価値なんてないのかな。
でも私は、ゆずちゃむみたいにできない。あんな風に振る舞えない。だってそれは私のスタイルじゃないから。私は私のスタイルを曲げたくないから。
泣くのを堪えてうなだれていた視界に、男物のスニーカーが映った。
「握手、いいですか」
「あっ、はい!」
いけない。お仕事中なんだから、ちゃんとやらないと。
慌てて顔を上げた先に立っていたのは、背の高い男の人だった。
――あ、このお兄さん。今日の公演前に私がビラを渡した人だ。
「お兄さん! 観に来てくれたんだ、ありがとう! ライブ、どうだった?」
「よかったです」
目の前に立つ大学生くらいのお兄さんの目は、心なしか潤んでいるように見えた。
「圧倒……されました」
「えっ!?」
あ、圧倒? クロラビのライブを褒める言葉にしては、ちょっとズレてる気が……。
「あなたの歌が、すごくて。あなたが曲に込める気持ちが、めちゃくちゃ伝わってきました。あなたが届けてくれる音楽も、あなたの歌声も好きです。かっこよかった。ファンになりました」
……う、うそ。待ってこれ、夢?
私の、ファン……!?
「そんな、私なんか……」
はっとして言葉を止める。私が私のことを「私なんか」って言ったら、この人の気持ちを踏みにじることになる。
「ありがとう!」
嬉し泣きしそうになるのをなんとか堪えて。めいいっぱいの感謝をこめて、私はお兄さんの手をぎゅっと握りしめた。
「名前、なんていうの?」
「あ、広瀬 望です」
「望くんかぁ……じゃあ、のんたんって呼ぶね!」
「のんたん!?」
私がつけたあだ名に若干面食らったみたいだけど、のんたんは「また来ます」と言ってくれて。その言葉通り、彼は次のライブにもその次のライブにも来て、私の握手列に並んでくれた。
そしていつしか……「唯一のサオリ推し」として、クロラビの現場で知られるようになっていったのだ。
「のんたんは大学生なの?」
ある日のライブ終わり。すっかり顔なじみになったのんたんに、私はずっと気になっていたことを問いかけた。
「あ、いや、浪人してる」
「ろうにん?」
ろうにん……って、なに?
「3月まで高校生だったんだけど、大学受験に落ちちゃって。すぐそこの予備校で、次の大学受験に備えて勉強してるんだ」
ってことは、私と同い年なんだ。
……すごいなぁ。1年間勉強だけを頑張るなんて、私にはぜったい真似できないや。
「毎日しんどいけど、サオリちゃんの歌を聴くのが励みになってる。同じ歌詞でも、サオリちゃんが歌うとすごく心に染みるんだ」
「……ありがと」
嬉しいな。私の歌でファンの人に元気になってもらえたら、これ以上素敵なことなんてない。
「サオリちゃんは音楽が大好きで、音楽をそのまま届けようとしてくれてるんだなって感じるよ」
のんたんに言ってもらったこの言葉。たぶん一生忘れないだろう。「背が小さくて可愛い」とか、そういう褒め方をされるより100倍嬉しかった。
だって、私のステージ上での信念を褒めて、まるごと肯定してもらえたんだから。
のんたんが私のステージを好きだと言ってくれたおかげで、私は自分のスタイルを貫く自信が持てた。ただ、それは同時に、クロラビと私の目指す方向性のズレが大きくなることも意味していた。
「やっぱり私、辞めるべきなのかな……」
私はクロラビの方向性に合わせられない。「楽しそう」なんて軽い気持ちでクロラビに入って、自分も、グループのことも苦しめてしまっている。だから私はクロラビを離れたほうがいい。
でも、礼子先生に紹介してもらった手前、こんなに早くグループを辞めるなんてこと……できない。
悶々とした気持ちで、ライブハウスの裏口から出る。……その瞬間、誰かから「サオリちゃん」と声をかけられた。
すっかり暗くなった繁華街の裏通り。
そこに立っていたのは、黒いパンツスーツをかっこよく着こなした、茶髪のギャルだった。
……誰? この人。いつも現場に来るオタクの中に、こんな女の人いったけ……?
「はじめまして。芸能事務所でスカウトをやっている、高見 夏希といいます」
女性は人懐っこい笑みを浮かべながら私に近づき、名刺を差し出してくる。
「高見プロダクション」――名刺に書かれた会社名にさっと目を走らせるけど、いまいちぴんと来ない。
「わ、私に何か用ですか。怪しいビデオに出るのとか、ぜったい嫌ですよ」
「そういうのじゃないよ! ……実はいま弊社で、男女混合のアイドルグループを作るプロジェクトが進行してて」
高見 夏希と名乗る女性はそこで言葉を切り、長いマツエクをつけたシャープな瞳で、私をじっと見つめた。
「そのメンバーにサオリちゃんを選びたいなって……ずっと目をつけてたの」