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#4(終)

 茶髪のギャルっぽい女性が発した言葉に、僕は「は?」と反応することしかできなかった。


「さっきの新入生ライブ、見させてもらったよ。キミ、アイドルに向いてるよ」

「ぼ、僕がアイドル、ですか……?」

「うん。私、芸能事務所のスカウトでさ」


 キラキラしたネイルのついた指で、20代後半くらいのその女性が名刺を手渡してくる。白い台紙におしゃれなフォントで、「高見プロダクション (たか)() (なつ)()」と書いてあった。

 高見プロダクション――聞いたことのない会社だ。


「設立して2年目の会社で、父が社長をやってるの。今うちで、男女混合のアイドルグループを作るプロジェクトが立ち上がっててね。まあアイドルといっても、かなりアーティスト寄りのグループにしたいと思ってるんだけど」

「そのグループのメンバーに、僕をスカウトしてる……ってことですか?」


 高見 夏希と名乗るその女性は、迷いなく頷いた。

 ――正気か、この人!?


「さっきの新入生ライブ。他のバンドのボーカルはみんな、緊張でピッチを外したりテンポが走ったりしてたけど、キミはそうじゃなかった。しかもキミ、ライブ中のMCで自己紹介してたよね。『中学高校と野球部で、音楽経験はゼロ』って。私はそこに、磨けば光るキミの才能を感じたんだ」


 「才能」――高見さんの言葉は予想外で、僕は驚いて固まることしかできなかった。たった1回ライブを観ただけで、僕のことを買いかぶりすぎじゃないだろうか。

 というかそもそも、なんで芸能事務所のスカウトが、こんな内輪の小さなライブを観に来てるんだ?


「それにキミ、見た目もいいし背もあるし。テレビに出たら映えると思うなー」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 鼻息荒く迫ってくる高見さんに、僕は仰け反って抵抗する。

 なんなんだ、この状況。誰かドッキリだと言ってくれ!


「僕がアイドルなんて、ありえないでしょ!」

「うーん、言い方が悪かったかな。さっきも言ったけど、かなりアーティスト寄りのグループにするつもりなんだけど」

「そういう問題じゃなく!」


 言いながら僕は、芸能界で活躍するシンガーたちを思い浮かべる。みんな、歌に感情を乗せるのが上手い人ばかりだ。……そう、サオリみたいに。

 歌でご飯を食べられるのは、サオリみたいな人間だけだ。


「たしかに安定性(それ)は僕の長所かもしれないけど、同時に短所でもあると思ってるんです。僕は表現力に欠ける。お手本を再現するのは得意だけど、そこに僕自身の感情を乗っけるのは苦手だ」

「そうだね、キミの課題は表現力だ。だけどキミの『口から音源』は、グループにとって強力な武器になる!」


 小さな口元から八重歯を覗かせ、高見さんは僕の目をしかと見つめた。


「キミみたいなタイプは、歌い出しとか、曲の転調を任せるのにうってつけなんだ。グループで歌うとき、出だしを歌う人が音程外しちゃって、他のメンバーもそれにつられてどんどん外す……みたいなの、見たことあるでしょ?」

「は、はい。あります」


 彼女はそのまま、興奮気味にまくし立てる。


「キミは、グループの『縁の下の力持ち』になれる器があるよ。野球でいうと1番バッター。キミが出塁して土台を作って、クリーンナップがサビでかち上げる。私はそういうチームを作りたいの」


 ここまで褒められて、しかも1番バッターに例えられると悪い気はしなかった。だって僕は野球部時代、スタメン入りすらしたことがなかったのだから。


「……でもやっぱり、おかしな話ですよ」

「そんなことないって。キミ、ぜったい才能あるよ。ここじゃなんだから、よかったらうちの会社でゆっくり話そうよ」


 なにがなんでも「うん」と言わせようとする彼女に、僕ははっと思い当たる。

 ネットで読んだことのある記事だ。かわいいねってスカウトされた女の子がのこのこ相手についていって、怪しいビデオに出演させられた……みたいな話。

 性別は違うけど、これってそういう(たぐい)じゃないのか?


「僕、エッチなビデオに出るのとかまっぴらごめんなんですけど」

「そういうのじゃないって! さっき名刺渡したでしょ。事務所の名前、ネットで調べてみなよ。ちゃんと出てくるからさ」

「……ああ、ほんとだ」

「ね。ちゃんとした芸能事務所だから安心して。ゆっくり話させてよ」

「でも……」

「ご飯奢るからさ」

「行きます!」


 結局、タダ飯につられて根負けしてしまった。

 だって仕方ない、この世の全ての大学生は金欠なのである。


◇ ◇ ◇


 高見さんに連れられてやって来たのは、大学から数駅離れた都市部にある雑居ビルだった。


「このビルの1階と2階が、高見プロダクションでーす」


 タダ飯で僕が釣れて上機嫌なのか、高見さんの声はトーンが高い。

 対する僕のテンションは低かった。僕の目的は「ご飯を奢ってもらうこと」ただそれだけで、アイドルにはみじんも興味無いからだ。


 そんな彼女とエレベーターに乗り込み、2階で降りる。応接間に通された僕は落ち着きなく辺りを見回していたが、ふと、壁に貼られているポスターを見て驚きの声を上げた。


「マイクネーム!?」


 そこに貼られていたのは、MC・マイクネームのアーティスト写真だったのだ。


「おっ、知ってくれてるのー? 嬉しいね。彼、私がスカウトしたんだ。彼がネットにあげてたラップを聴いて……。ひと目惚れならぬ、『ひと聴き惚れ』ってやつ?」 


 2人分のお茶をお盆に乗せてやってきた高見さんが、僕の隣でにやにや笑う。「座ってね」と促され、慌てて革張りのソファに腰掛けた。


「まさか、マイクネームがここの所属だったなんて……」

「そうだよ。彼、うちに所属する唯一のアーティストなの。まだ2年目の小さな会社だから、もっともっと所属するアーティストを増やして、会社を大きくしたい。それが私の父――社長の意志」


 そう言うと、高見さんは僕に「会社案内」と書かれたパンフレットを差し出した。


「ただ、やみくもに会社を大きくしたいわけじゃない。うちの理念を体現してくれるアーティストと、うちは契約したい。MC・マイクネームはその第1号だった」


 パンフレットの表紙に大きく書かれた会社理念を、僕はゆっくり読み上げる。


「『音楽を、音楽のまま届ける』?」

「そう! 最近の音楽……とくにアイドルの音楽って、音楽以外の要素で売りすぎだと思わない!?」


 身を乗り出して訴えてくる高見さんに、僕は一気に興味を持っていかれた。

 だって、僕もそう思っていたから。クロラビの現場に通っていたときから……いや、その前からずっと。


「私は――うちの会社は、この現状に一石を投じたいの。『いい音楽を作って売る』、たったそれだけ。アイドルでありアーティストであるグループを、私は作りたい」


 それを聞いた瞬間、自分の頬あたりがかぁっと熱くなって、タダ飯のことなんてきれいさっぱり頭から吹っ飛んだ。

 なんとか落ち着こうと、高見さんに出してもらったお茶に口をつけるけど、少しずつ鼓動が速まるのを抑えられない。


 ――アイドルであり、アーティスト。それってまさに、サオリのことじゃないか!


「父は元ボイストレーナーで、いろんなアイドルの指導を担当していたの。だからいろんなアイドルを見てきた。……そしていろんなアイドルが、音楽以外の仕事で心をすり減らすのも見てきた」


 僕と向かい合ってソファに腰掛けた高見さんは、そう言って悲しげに目を伏せる。

 彼女の言っていること、すごく共感できた。だって僕はつい3ヶ月前まで、まさにそういうアイドルを推していたから。

 

「父は今の音楽界に心を痛め、ボイストレーナーを辞めて、会社の社長になった。『音楽を、音楽のまま届ける』ために」

「そうだったんですね……」


 手渡されたパンフレットを机上に置く。「高見プロダクション」――今日初めて知った事務所だし、まだまだ駆け出しの会社なんだろうけど、好感が持てた。

 この会社は、今の音楽界に問題意識を持って、真っ向から立ち向かおうとしているのだ。


 親がどう言うかとか、大学との両立はどうするのかとか、考えるべきことは山ほどあるけど。「ここの一員になりたい」って、ワクワクする心が芽生えているのを自覚する。


「音楽を、音楽のまま届ける……か」


 それはまさに、サオリという人間がステージ上で体現し続けた理念だ。

 もし僕が、この事務所でアイドルになれば。僕は、サオリが掲げた理念を受け継いで表現することになるだろう。そしてゆくゆくは、この国の音楽業界をまるごと変えちゃったりして。


「できるのかな……僕に」

「できるよ。キミにその意志さえあれば、キミはぜったいに輝ける。私が保証する」


 高見さんの真摯な瞳にあてられて、僕は決意を固める。


 ここで一歩踏み出さなきゃ、たぶん一生後悔する。


 この運命に飛び乗るしかない。「失敗したって構わない」。

 いま目の前に横たわる「夢のかけら」に賭けて、やってみることに価値がある。

 何者にもなれなかった僕が何かになれる、最後のチャンスだ。


 「望くんの人生を、応援してる」――そう言ってくれたサオリに、恥じないように。


「僕はまだ、自分の才能に半信半疑だけど。高見さんの『目』は信頼できると思いました」


 ネットの海からMC・マイクネームを見つけ出したのだ。この人の、人を見る力は本物だと思う。

 眼前に座る高見さんを見つめ、僕は言葉を続けた。


「僕を信じてくれた高見さんを、信じてみようと思います」


 姿勢を正して頭を下げると、高見さんの「ありがとう」という声が降ってきた。


「まだできたばかりで小さな会社だけど、命懸けてるから。一緒に頑張ってもらえると嬉しいです」


 僕が頭を上げると、今度は高見さんが頭を下げた。


 ああ、いいな――この誠実さ。

 まるでサオリみたいだな、と思った。


◇ ◇ ◇


 「契約とか、細かいことはまた今度でいいから。うちの社長のボイトレ受けてってよ」――という高見さんのご厚意に甘え、僕は生まれて初めて、プロの歌唱トレーニングを受けさせてもらえることになった。


「1階がアーティストのトレーニングスペースになっててね。ボイトレの用の防音室とか、ダンスレッスン用のスタジオを兼ね備えてるんだ」 

「へぇ……」


 音が響かないよう、雑居ビルに入る他の会社に配慮しているのだろうか。


 エレベーターを降りて廊下を少し歩いたところで、奥の部屋からにゅっと人が出てきた。腰まである黒いロングヘアが最初に目について、ずいぶん背の高い女性だな……と思ったけれど、女性との距離が近づくにつれ、僕は「ん?」と首を傾げる。


「夏希、帰ったのか」


 目の前で発されたダンディボイスに、僕は疑念を確信に変えた。

 この人、男性だ。


「紹介します。弊社の社長であり私の父、高見 (とら)()(すけ)です」


 この人が社長なのか!

 慌てた僕は勢いよく頭を下げる。


「広瀬 望です。よろしくお願いします」


 虎之丞社長は「よろしく」と言って僕をじっと見つめると、高見さん(娘)に向き直った。


「新しくスカウトしてきた子か?」

「うん。(くだん)の新グループのメンバーにね。素晴らしい才能の原石よ」

「夏希がそう言うなら、そうなんだろうな。前に連れてきたあの子も、とんでもない歌声だよ。ほら、あの子。えっと、さっきまでそこでボイトレしてたんだが……」


 奥の部屋を指差しううむと唸る虎之丞社長を見て、高見さんが呆れたように腰に手を当てる。


「お父さん、相変わらず人の名前を覚えるのが苦手なのね」

「あの、もしかして。僕が入る予定のグループのメンバーが、いま来てるんですか?」


 ふたりの会話をそばで聞いていた僕がおずおずと尋ねると、高見さんは「よくぞ聞いてくれた」というしたり顔になった。


「そう! とんでもないスラッガーをスカウト済みなの」


 高見さんのニヤニヤ顔には、相当な自信があると窺える。


 「とんでもないスラッガー」か。どんな人なんだろう。負けたくないな。

 ぜひ挨拶しようと廊下を少し進んだところで、僕ははっと足を止めた。


 ボイトレ室から聞こえる、歌声。

 女の子の声。


『まずは一歩踏み出して 失敗したって構わない』


 天井を破って、空まで届きそうなハイトーンボイス。


 伸びやかなその歌声を聞いた瞬間、僕は突き動かされるように走っていた。


『きっと見つかるよ夢のかけら だから探し続けてねDreamer』


 僕が彼女の声を聞き間違えるはずがない。だってその声は、ライブハウスCOSMOSで何度も聞いた――推しの歌声、だから。


「サオリ!」


 彼女はいた。開け放ったドアの向こう、グランドピアノのそばに腰かけて。

 サオリは驚いた様子で僕を見ていたけれど、すぐにくしゃりとした笑顔になった。大きな瞳の下の涙袋がぷっくり膨らむ。


「紹介するね。私がスカウトして、新グループに入る予定の(もり)(もと) ()(おり)ちゃん。前まで地下アイドルをやってたんだけど、辞めてうちに来てくれることになったの」


 高見さんの紹介を受けて、サオリはゆっくり立ち上がると、僕に向かって手を差し出した。


「久しぶり、望くん」


 隣から、「知り合いだったの!?」という高見さんの驚いた声が飛んでくる。


 僕は泣きそうになりながら、サオリと――いや、森本 紗織と、握手を交わした。

 僕らが今までに何度も交わした握手とは、全く違った意味をこめて。


「……久しぶり、紗織ちゃん」


 ――ここから始まるのは、推しと同じアイドルグループを結成することになった男の、夢のかけらの物語である。



浪人生は地下アイドルの不人気メンバーを推す 完

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