#2
10月半ば、とある日のライブ終わり。
いつも通り握手会が行われているが、今日の雰囲気はいつもと違っていた。
「のんたん! ごめんね、最下位だったよー」
僕と握手するやいなや、サオリが明るくそう言ってくる。が、その表情は晴れない。泣くのを堪えて無理やり笑おうとしているような、そんな表情だ。
対する僕は、何も言えずにサオリの手を握る。
ここ1ヶ月間、公式企画としてクロラビメンバーの人気投票が行われていた。その結果が、先ほどのライブ内で発表されたのだ。
ゆずちゃむが1位で、サオリが最下位。人気投票の結果は、オタクたちの想像したとおりだった。
「サオリちゃんを、ひとつでも上の順位にしたいって思ってたんだけど……」
人気投票の投票券は、CD1枚購入につき1枚。できる限りの応援をしたつもりだけれど、浪人生の経済力じゃ、悔しいことにぜんぜん太刀打ちできなかった。
「いいんだよ、その気持ちが嬉しい。それに私、順位なんて気にならないから」
サオリはそう言うけれど、本当に気にならないのだろうか。
他者から順位をつけられて、それを不特定多数に発表されて。しかもその順位は、純粋な歌の上手さとかダンスの上手さの指標じゃない。
「いかに積んでくれるファンを獲得したか」。それを表す数字なのだ。
「1位おめでとう、ゆずちゃむ!」
どんよりした空気の僕たちとは裏腹に、隣では、ゆずちゃむとそのオタが楽しげに投票結果を祝っている。
「みのさん、ありがとう! ぜんぶ、みのさんのおかげだよ。これからも、ゆずちゃむしか見ちゃだめだよ!」
「もちろんだよ! おいら、ゆずちゃむのこと絶対に幸せにするから」
さすがゆずちゃむ。「ガチ恋釣り師」と言われるだけある。
地上でも地下でも、日本のアイドルっていうのはこういう子がトップを獲るのだ。歌が下手でも、踊りが下手でも。
……じゃあ、純粋に歌が上手い子、踊りが上手い子は、どこに行けば評価されるのだろうか?
「……ごめんね、ああいうのできなくて」
ゆずちゃむの接触を眺めながら、サオリがぽつりと呟く。伏せられたその瞳から、いつもの自信が失われつつあった。
……らしくないな。もしかしてサオリ、そうとう弱気になってる?
「謝らなくていい!」
僕の口から思ったより大きな声が出て、サオリだけじゃなく、僕自身もびっくりした。
「サオリちゃんがサオリちゃんらしくなくなったら、僕はたぶん、ここには来なくなる」
たしかに、今回の人気投票はサオリにとって辛いものだったかもしれない。
けれど、僕はこう思うのだ。「サオリのスタイルとクロラビのスタイルが違うだけ」だって。
悲しいことに、日本の歌って踊る女の子に、音楽性は求められていない。でも、サオリには音楽性がある。僕はそれがとてもすごいことだと思うし、どうかみんなにも評価されてほしいのだ。
僕の言葉を聞いたサオリの目が、はっとしたように大きくなる。
「……そっか、そうだよね。……やばいな。自分のこと、ちょっと見失いかけてたかも」
僕を見上げる丸くて大きな瞳に、じわりと涙が滲む。それを零すまいと数回まばたきしてから、サオリは安堵したように笑った。
今度は、無理をした笑みじゃない。彼女の心からの表情だった。
「私ね、自分にもファンの人にも、嘘をつけないの。思ってもないことは言えないし、思ってもないことを言って好きになってもらえても、私は嬉しくない」
サオリの言葉に、僕はこくりと頷く。
僕の推しは、ファンに媚びない。ファンに恋させるような言動をしない。その代わり、ステージ上のパフォーマンスでぶん殴ってくる。身長150センチの小さな体で、全力で音楽を表現して。
僕はそんな、サオリの「表現者としての在り方」に魅了され、彼女を推しているのだ。
「うん。色々と迷うこともあるかもしれないけど、サオリちゃんは、サオリちゃんのやりたいことを貫いてほしい」
「ありがとう……頑張るね」
大きな目をくしゃっとさせ涙袋を膨らませ、とびきりの笑顔を見せてくれる僕の推し。
「私、のんたんの応援に恥じないようにしなきゃね」
チェキにも書いてくれた言葉だ。
「これから先何があっても、私は私を貫くから。のんたんを失望させるようなことは、絶対にしない。だから私を信じていて」
それ以降、サオリは決して、彼女自身を卑下するような言動はしなかった。
きっとサオリは、わかってくれたのだと思う。サオリがサオリ自身を否定するのは、僕が彼女を応援する気持ちを否定することになると。
サオリは、僕が彼女を推すことを尊重してくれているし、僕はサオリのそういうところを推している。
◇ ◇ ◇
それから2ヶ月が過ぎ、季節は冬本番。共通テストまで残り1ヶ月を切った。
そろそろ現場通いをストップして、勉強に追い込みをかけなきゃいけない。
「次にここに来れるのは、大学の合格発表が終わってからだから……3月になると思う」
「そっかぁ。寂しくなるよ」
12月の、とある金曜日。今日はライブ終わりに、新曲CDのお渡し会がある。いつも通りサオリと握手しながら、僕はこみ上げる寂しさを必死に抑えていた。
今日から3月上旬まで、僕は現場に来ることができない。サオリに会えない。彼女の生歌を聴けない。……こんな苦行、果たして耐えられるのだろうか?
「すごいね、のんたんは。高校卒業して、1年間勉強だけを頑張る道を選ぶなんて。私にはぜったい無理」
サオリはそう言ってくれるけれど、僕は首を振ることしかできない。
「いや。1年前、普通に大学落ちただけだから……ぜんぜん、すごくないよ」
「そんなことないよ。勉強頑張れるのも、才能のうちのひとつだよ。私は……ほんとに勉強が嫌いで、高校中退しちゃったから」
「そうだったんだ」
サオリがプライベートなことを話すのって、めちゃくちゃ珍しい。というか、はじめてかもしれない。だって僕、彼女の年齢すら知らないのだ。
正直、もっと詳しく聞きたかったけど。ただのオタクはそこまで踏み込んじゃいけない。それになにより、サオリの顔に「これ以上聞かないで」って書いてあった。
「のんたんは、何がしたいの?」
握手をしたまま、とつぜんサオリにそう問われ、僕は弾かれたように「えっ?」と顔を上げる。
「何かやりたいことがあるから、大学に入るために、勉強頑張ってるんでしょ?」
サオリの問いかけに、僕は凍りついたように動きを止めた。
「僕の、やりたいこと……?」
推しの問いかけが、頭をぐるぐる巡る。
僕は、何がしたいんだろう。何のために、今年の3月からずっと、毎日予備校に通っているんだろう。
……いや、「大学に合格したいから」に決まってるだろ。
じゃあ、なんで合格したいんだ?
……大学は、行かなくちゃならないものだから。周りのみんなが行ってるから。
じゃあ、合格してから、何がしたい?
「……わからない」
絞り出すようにして、なんとかそう答えた。恥ずかしかったのだ。
周りに流されて、そんな当たり前のことすら考えたことがなかったなんて。
サオリに対して、「やりたいことを貫け」と言ったのは僕なのに。当の僕が、自分の「やりたいこと」すら認識できていなかった。
「そっか。じゃあなおさら、のんたんに聴いてほしいな」
そんな僕を責めることなく、サオリは優しく微笑む。そして手渡してくれたのは、新曲のCDだった。
「『Dreamer』って曲だよ。私、はじめてサビにソロパートを入れてもらえたんだ。本当は今日、ライブでもやる予定だったんだけどね。音源トラブルで、できなくなっちゃって」
「えっ、マジで!?」
突如告げられた衝撃の事実に、頭を抱えたくなる。
サオリが、サビをソロで歌うんだ。運営に嫌われてるのかってくらい歌割りの少ないサオリが、サビを、ソロで。
明日聴きたい。なんなら今すぐ聴きたいのに!
次回のライブで、受験前最後の現場参戦にしようか……。そんな気持ちに後ろ髪を引かれつつも、なんとか感情を収めた僕は、きっぱりとサオリに言い切った。
「3月になったら、ぜったい聴きに来るよ。大学生になれたら、もっと。今より暇になるし、いっぱいバイトして、いっぱいここに来る。遠征だってする」
そう言った瞬間、サオリの表情がわずかに動いた。
「……うん」
大きな瞳に、少しの陰りが見えた……のも束の間、サオリは元通りの笑顔になる。
「私、望くんの人生を応援してるからね」
あだ名じゃなくて本名を呼ばれ、僕は心臓を鷲掴みにされた。
……サオリ、僕の本名を覚えてたんだな。はじめて会ったときに一度名乗っただけなのに。
「じゃあ、またね。サオリちゃん」
3月に、笑顔で会えることを信じて。推しに手渡してもらったCDを大切に抱えて、名残惜しいけれどその場を後にする。
「……うん、またね」
こちらに向けて手を振るサオリは、なぜか泣きそうな顔をしていた。
◇ ◇ ◇
『まずは一歩踏み出して 失敗したって構わない。きっと見つかるよ夢のかけら だから探し続けてねDreamer』
家に帰ってすぐ、新曲を再生して聴いた。
正直、詩は僕でも考えられそうなくらいシンプルなものだったけれど。サオリの歌に乗せると、こんなにもストンと自分の中に入ってくるんだな。
ずっと聴いていると、サオリが僕にこの曲を勧めてくれた理由を理解できた。
夢追い人を応援するJ-POPは巷に溢れているけれど、この曲はそうじゃない。この曲が応援しているのは、「まだ夢を見つけられていない人」……つまり、僕なんだ。
絶対に合格しよう。大学に入って何がしたいかは見つけられていないけど、入ったら見つけられるかもしれない。探すのを諦めなければ。
それに、もし大学生になれたら、今よりもっと推し活に捧げられる時間が増える。
SNSを絶って、勉強に励んだ。CDから『Dreamer』をスマホに取り込んで、試験当日まで、電車の中で何度も聴いた。
そして――3月某日。僕は晴れて、大学に合格したのだ。
すぐにSNSにログインする。今日はライブのある金曜日だから、さっそく現場に行って、サオリに合格を伝えよう。
サオリ、元気にしてるかな。サオリのオタク、増えてるといいな。
全人類にサオリが見つかってほしい。
そう思いながら、全く追えていなかったタイムラインを辿る。
けれど、クロラビ公式アカウントが2週間前に投稿していたライブ終わりの写真に、サオリの姿がなかった。
……サオリ、どうしたんだろう。体調不良で欠席だったのだろうか?
戸惑いながらスマホの画面をスクロールする僕の手は、2月15日の投稿を見て、止まった。
「サオリ 卒業のお知らせ
いつも#Clover Rabbitsを応援していただき、ありがとうございます。
本日2月15日をもちまして、サオリはグループを卒業いたします。
これまでサオリに温かいご声援をいただき、誠にありがとうございました。」