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#1

 金曜日の夜。予備校近くのライブハウスで、浪人生の僕は今日も推しと握手している。


「聞いて、サオリちゃん。今日、模試の結果が返ってきたんだけど。第1志望がE判定だったんだ……」

「『良い』判定!? すごいじゃん!」

「あ、いや、違くて……」

 

 推しの誤解を解こうとするが、僕を見上げるきらきらした瞳に、もういいやって感情になる。


 彼女の名前はサオリ。地下アイドルグループ「#Clover Rabbits」の中で、最も人気のないメンバーだ。


◇ ◇ ◇


 3月に大学受験に落ちてから、はや数ヶ月。僕は世間一般でいう「浪人生」になり、勉強に励む毎日を過ごしているが……これがなかなか辛い。

 朝9時に予備校に来て、夜18時までずっと勉強。これで頭がおかしくならないほうがおかしいってもんだ。


 でもいちばん辛いのは、先に大学生になった同級生たちの姿を見ることだ。

 駅でばったり会ったり、SNSの投稿を見たり。自由で楽しそうな大学生たちの姿を目にすると、なんで僕だけこんな苦行を……って思う。


 5月の下旬、そろそろ初夏にさしかかろうかという頃。今日もそんな孤独を抱えながら、予備校終わり、僕はぼうっと繁華街を歩いていた。

 大手の予備校は都市部にあることが多い。そして都市部には、もれなく繁華街があるものだ。


「おにーさん!」


 行きつけのCDショップを出てぶらついていた僕は、ふと誰かに肩を叩かれた。


 振り向くとそこにいたのは、僕より頭一つ分背の低い女の子。その子の服装はちょっと変わっていた。

 オレンジ色を基調とした、メイド服っぽいような、そうじゃないような服。フリフリのミニスカートから覗く脚には、これまたオレンジ色のブーツを履いている。よく見るとこのブーツ、けっこう踵が高い。ってことはこの子、かなり背が低いんじゃ。


 なんなんだろう、この女の子。コンカフェの店員とかだろうか。

 

「19時から、そこでライブやります! よかったら観に来てください!」


 女の子が指差した、隣の黒い建物を見る。入り口に置いてあるメニュー黒板みたいな看板に、「ライブハウスCOSMOS」と書かれていた。……こんなところに、ライブハウスがあったんだ。よく横を通るけど知らなかった。


 手渡されたチラシに書かれていたのは、「#Clover Rabbits」という大きな文字と、今後のライブ日程。どうやら隔週金曜日にライブをやっているみたいだ。


「くろーばー、らびっつ?」 

「うん! 略してクロラビ!」


 ……なるほど、彼女は地下アイドルってやつだ。「#Clover Rabbits」というグループに所属しているのだろう。


「ぜひ来てね。待ってるから!」


 女の子はにっこり笑顔になる。笑うと大きな目がくしゃっとなって、涙袋がぷっくり目立った。

 髪の毛は茶色いロングヘア。半分くらいの量を頭の上で束ねて、大きなオレンジ色のリボンで飾っている。彼女のその髪型にはちゃんとした名前があるんだろうけど、僕には分からないので、心の中で「噴水ヘアー」と名付けた。


「アイドルか……」


 僕に渡したチラシが最後の1枚だったのか、ライブハウスに戻っていく女の子の背中を見送りながら、僕はうーんと首を傾げる。


 音楽を聴くのは好きだ。好きだからこそ、僕はわりと、アイドルというものを軽視している節があった。


 だって、テレビで見かける日本のアイドルって、どれもこれもクオリティに欠けるっていうか。

 素人っぽい女の子たちが、ステージの上で一生懸命頑張るのを「可愛いね」って見守るのが醍醐味なのかもしれないけど、僕にはあまり良さがわからない。どうせなら、プロのアーティストがバキバキに歌って踊るのを観たい。

 

 そんな僕だから、19時になる前にライブハウスCOSMOSに立ち寄ったのは、ほんの気まぐれのつもりだった。勉強ばかりの毎日に「非日常」を持ち込んで、ちょっとでも気分転換になればと思ったのだ。


 ライブハウスに入ると、中はたくさんの男の人でごった返していた。地下とはいえ、それなりに知名度のあるグループなのかもしれない。


 ライブチケットを買って、会場が開くのを待っているあいだ、さっきの女の子から貰ったチラシをしげしげと眺める。安っぽいレイアウトがいかにも「地下アイドル」っぽい。メンバーひとりひとりの写真も載せられていた。どうやら7人組グループらしい。


「お兄さん、初めて見る顔ですね」


 チラシをじっと見つめていた僕は、隣から突然話しかけられて、ぎょっとしてそちらを向いた。

 僕に話しかけてきたのは、メガネ、小太り、チェック柄のシャツをズボンにインという、「オタク」に対するステレオタイプを体現したような中年男性だった。

 

「あ、はい。さっき外で、メンバーの子からチラシを貰ったんで、来てみました」

「おや、誰に?」

「この子です」


 チラシの中でくしゃっと笑う、オレンジ色の衣装を身にまとった、噴水ヘアー女子を指差す。


「ほほう、サオリですね。サオリは数ヶ月前に加入した新メンバーなんですよ。メンカラーはオレンジです」

「メンカラー?」

「メンバーごとに担当する色ですよ。ほら、みんなそれぞれ、衣装にテーマカラーがあるでしょう」

「へぇ……」


 言われてみれば、チラシに写る7人の女の子たちは、それぞれ違う色の衣装を着ていた。ピンク、白、黄、緑、水色、紫、オレンジ。どの色も淡めのパステルカラーで揃えられている。


「ちなみに、おいらの推しはこの子、『ゆずちゃむ』。クロラビの一番人気です」


 オタクおじさんはそう言って、ピンク色の衣装を身に纏った、ツインテールの女の子を指差す。この子がピンク色担当ということになるのか。いわゆる「地雷系」のヘアメイクだ。

 ……にしても、一人称が「おいら」って。オタクの人って変わってるな。いや、この人が変なだけか。


「ライブの後には握手会もありますよ。おいらたちの界隈では『接触』って言うんですけど。握手券1枚500円で、30秒お話できます」

「いや、僕は別に……。暇つぶしで来たんで」


 おじさんの早口に()()されながら、僕は愛想なくそう言う。


 たかがアイドルにお金と時間をかけるなんて、僕には理解できない。僕のその考えは、会場が開いてメンバーたちの自己紹介が始まっても、変わらなかった。


「みんなの妹、桃色だけどゆずちゃむだよ♪ 今日も、ゆずちゃむから目を離しちゃダメだぞ!」

 

 あー……なんだ、これ。


 目の前で繰り広げられる光景を死んだ目で見つめる僕とは裏腹に、会場に集った男衆は野太い歓声をあげる。

 他人の趣味を否定するのはよくない。こういうのが好きなのがこの人たちなんだろうけど……僕には無理だ。


 まだ、7人いるメンバーの3人しか自己紹介が終わっていないのに。早くもげっそりしながら、僕はあたりを見回す。さっきのオタクおじさんが「ゆずちゃむが一番人気」と言っていただけあって、ピンク色のペンライトを持っている人が多い。


「オレンジ色のサオリです。今日は楽しんでいってください!」


 他のメンバーたちの自己紹介がぶっ飛んでいた中、僕にチラシをくれたあの子の挨拶は、やたらと簡素だった。オタクの人たちの盛り上がりはいまいちだったけど、僕は逆に好感を持った。


 それから1曲目が始まって、メンバーたちが順番に歌っていくのだけれど、僕の想像通りのクオリティだった。


 ……うん。やっぱり、アイドルってこういうもんだよな。地下なら、なおさら。


 言っちゃ悪いけど、ちやほやされたい女の子たちが部活の延長気分でやっているというか。いいよな、こういうのでお金貰えて。


 もう帰ろう。そう思って踵を返した――その時。


『目を逸らさないで』


 背後からぶつけられたその歌詞と声に、僕は心臓を鷲掴みにされた。


 ライブハウスの天井を突き破って、空まで届きそうな声量と、ハイトーンボイス。

 ――なんだ、この歌声!?


 振り向くと、ステージの中心にサオリが立っていた。彼女のパートが始まったのだ。


『わたしを見て』


 透明感とワイルドさが同居した、ふしぎな声。その声で彼女が「わたしを見て」と歌うと、僕はサオリに釘付けになった。


 何これ。怪しいおまじない? もしくは催眠術?

 いや、違う。彼女の歌はそういう闇属性じゃない。


 もっと、光属性の――そう、心が弾む「魔法」みたいな……


『わたしはここにいるから!』


 力強く歌いあげたサオリは僕の目を見据えて、僕を指差した。

 勘違いでも、希望的観測でもない。彼女は間違いなく僕を見た。会場の最後列からでもわかる大きな瞳が、たくさんいる観客の中で僕だけをめがけて、「わたしはここにいる」と叫んでいた。


 ――その時。僕は生まれて初めて、「推す」という感情を理解したのだ。

 

 それからのことはよく覚えていない。サオリが短いソロパートを歌うたび、僕は、自分が(うだつ)の上がらない浪人生だということを忘れた。

 ただ彼女の歌に、声に、魅せられて。他のメンバーなんて目に入らなかった。サオリというとんでもない才能を見つけられたことに、高揚した。


 サオリのパフォーマンスは、僕が思い描いていたアイドルのそれとは一線を画していたのだ。


 他のメンバーが意図的に作ったアイドルの歌声で、ファンサに必死になっているのに対して。

 舞台上のサオリはひたすら音楽に真摯で、獣のような瞳で、ファンに媚びない。嘘をつかない。音楽が好きな人の歌声――まるで、アーティストの歌声をしていた。


 端的に言うなら、他のメンバーはエンタメ的で、サオリは芸術的だったのだ。

 

◇ ◇ ◇


 それ以来僕は、2週に一度、金曜日の予備校終わり、ライブハウスCOSMOSに通ってはサオリに会う生活を続けていた。

 娯楽のない毎日。クロラビの現場に参戦してサオリを推すことだけが、唯一の楽しみだ。


 キンブレ(僕が以前ペンライトと呼んでいたもの)を買って、ライブ中はオレンジ色を振って、クロラビ用SNSアカウントも作って。1ヶ月のお小遣いはすべてチケット代とグッズ代、そして握手券代に。立派なオタクの仲間入りである。


 そんな、7月中旬のとある金曜日。今日の僕は、俄然テンションが高まっていた。


 「クロラビ夏祭り」と銘打たれた本日、ライブ終わりにチェキ撮影が行われるのだ!

 僕がサオリのオタクになって、はじめてのチェキ会である。


「今日のライブも最高だったよ!」 

「ありがと、のんたん!」


 ライブ終わりに握手しながら、サオリと話すこの時間は、予備校という名の監獄で2週間頑張ったご褒美だ。

 推しに認知もしてもらえている。「のんたん」というのは、サオリが僕につけたあだ名だ。


「新曲、めちゃくちゃ音程難しいところあるのに、バチバチにピッチ合っててすごいよ。しかも踊りながら、振りも削らずに」

「嬉しいな。あそこ、1オクターブ以上動くからいっぱい練習したんだ」


 えへへと笑うサオリの目元に、涙袋がぷっくり浮かぶ。


 僕はいつも、ライブの感想を伝えるとき、サオリのパフォーマンスのどこが良かったかを言うようにしていた。

 そりゃもちろん、サオリの「顔がいい」とも思っているけど。たぶんそれは、サオリにとって言われ慣れている言葉だろうし、なにより、パフォーマンスを褒めたときのサオリは露骨に喜んでくれるのだ。


「今までアイドルの曲ってあんまり聴かなかったけど、クロラビ……というか、サオリちゃんがきっかけで聴くようになったんだ」

「そうなんだ、ありがとう! 普段は何聴いてるの?」

「なんでも聴く。MC・マイクネームとか、流行る前から聴いてる」

「え待って、私もマイクネーム大好き!」

「マジ!?」


 推しとの意外な共通点が見つかって、僕は前のめりになった。


「3rdシングルがバズったとき、私めっちゃ嬉しかったんだよね。『マイクネームがやっと世間に見つかった!』って」


 好きなアーティストの話ができて嬉しいのか、サオリは握手している手をぶんぶん振ってくる。


「わかる。古参ぶっちゃうよなあ」


 MC・マイクネームは最近デビューしたラッパーで、3rdシングルが若者向けのショート動画アプリで大流行した。

 でも僕は、彼の曲を3rdシングル以前から聴いているし、なんならデビュー前のネット活動時代から聴いている。


 昔から応援してきた存在がとつぜん脚光を浴びることに、寂しさを感じる人もいるらしい。

 でも、僕はそうじゃない。MC・マイクネームが売れたとき、すごく嬉しかった。素晴らしい才能を持っているのだからもっと皆に知ってほしいって、日の目を見るべきだって思っている。


 そしてその気持ちは、いま目の前にいる「推し」に対しても変わらない。


「僕は、サオリちゃんも世間に見つかってほしい」


 残念ながら、サオリは7人いるクロラビのメンバーの中で、最も人気がない。サオリによると、僕は彼女についた「はじめての固定ファン」なのだとか。


 サオリに人気がない理由。それは、クロラビの現場に来るオタクの層に、サオリのアーティスト然としたステージが刺さらないからだろう。要は需要と供給が一致していないのだ。

 もちろん、彼女が入ったばかりのメンバーだからということもあるのだろうけど。


 それでも僕は、作られた表情、作られた感情で奏でられるアイドルの歌より、ありのままの感情が乗ったサオリの歌のほうが好きだ。


「ありがとう。のんたんが推してくれる私と、私がなりたい私が一致してるのって、すごく幸せなことだよ」


 そう言ってくれたサオリの手が、ぎゅっと強さを増す。


 握手会の後は一緒にチェキを撮って、撮ったものをサオリに手渡してもらった。


 "のんたんの応援に恥じないよう、頑張るね!"


 油性ペンのかわいらしい字でチェキに書かれていたのは、実にサオリらしい、誠実な言葉だ。


 ――推しとはじめて撮ったチェキ。一生の宝物にしよう。

 そう思って、最近買ったオレンジ色のパスケースの中に、チェキをしまった。

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