SS.二週目の母
プロットも何もなく、2時間前に思いついたことを殴り書きしました。
人は、大人になるにつれて、夢を諦め、夢を抱いていく。
現実を知り、己の無力に絶望し、何も考えず惰眠を貪り続けた過去を悔む。
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サブカルチャーにおいて、『異世界転生モノ』、というジャンルを聞いたことがあるだろうか。非情な現実に絶望した主人公が、今とは何もかも違う異世界に生まれ変わってメキメキと頭角を現し、苦難を乗り越えて最後にはハッピーエンドに至る……
数十年前に大いに流行ったこのジャンルは世の少年少女たちを魅了し、当時は異世界モノのアニメやらライトノベルやらアニメやらが毎日のように生み出されていた。今思えばそれは、現実逃避を投影したものだったのだろう。誰だって、ダメな自分を変えたいという思いは少なからずある。だけどもはや今になってはどうしょうもないから現実とは全てが違う世界に恋い焦がれ、生まれ変りたいと思うのだ。
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ピピピッと炊飯器から米が炊けた音がした。
「ふぁぁあぁ、もうそんな時間か」
炊飯器の電源を入れて炊けるのを待っているうちに眠り込んでしまったらしい。出勤時間になる前に用意を終わらせるべく、私は人数分のお椀に味噌汁を注ぎ始めた。すると、ちょうど2階からドタドタと子供たちが騒がしく降りてくる音がした。
「おとうさん、おはよお」
「とうさん、とうさん、おはよう!!」
「おはよう。お婆ちゃんは起きてるかい?」
「うん、きがえてからくるって」
子どもたちに各々の茶碗を持たせ炊きたてのご飯をよそらせていると、ようやく母が降りてくる。
「ばーちゃんおそいー!」
「あんたたちが早いんだろう。あんまり急ぐと、すっ転んで大怪我してしまうよ?」
「「はーい、きをつけまーす!」」
「おはよう。母さん」
「あぁ、おはようさん。今日も私は国家試験の勉強をするから、午後のこの子たちの世話は任せておいて」
そう言うと、子供たちと同じくらいな背丈の幼い母は子供たちに続いて小さい茶碗にご飯をよそり始めた。
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「では母さん、行ってきます」
「「いってきまーす!」」
「はいはい。車に気をつけてね」
私の母は現在8歳。私の子供たちと同じ小学二年生だ。とは言っても、学校へは行かず毎日のように勉強をして過ごしている。母は半年前に記憶転写プログラムを受けて若返り、現在二週目の人生を歩んでいるのだ。
『記憶転写プログラム』。それは人類の現実逃避が生み出した革新的な発明だった。脳科学が発展し、脳の電気信号を入出力することができるようになった現代、かつての創作物のようにフルダイブ型VRゲームが流行ったかと言えばそうはならなかった。もちろん、若年層にはそれなりに需要があったようだが、多くの人類は、無限に広がる架空の世界よりもたった1つのやり直せる現実を求めた。
生成されたばかりの受精卵を2つに分割し、その片方を培養することで肉体の予備を作って保存する。そして本来の肉体が人生を終え朽ちた頃に記憶を複製し予備の肉体に上書きする。それが記憶転写プログラムの大まかな方法だ。特殊な精密機器を使うため莫大な費用がかかるが、私たちは金さえあれば二度目の人生を歩めるようになった。
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「おとうさん、おしごとがんばってねー」
「くるまにきをつけてねー!!」
「お前たちもなー」
登校する子どもたちを見送り、私も職場へ向けて移動を始める。歳のせいかスタミナがすぐ切れる身体に鞭を打ちながら、早足で駅に向かう。そんな毎日を過ごしていると、若い頃にもっと身体を鍛えておけばなとよく思う。
世の大人たちの多くは、若い頃にもっと勉強をしておけば良かったという後悔をする。しかし、人生経験を積み現実を知っている今と違って、何も知らない子供の頃にそんなことを考えられる筈もない。だからこそ、つまらない勉強よりも楽しい遊びを求めてしまうのだ。あのときもっと頑張っていれば、そんな後悔を抱える人々をの望みを記憶転写プログラムは叶えることができた。
このプログラムの利点は、記憶データを若い脳に上書きするため、施術前に比べて脳機能が大幅に向上するところにあった。記憶の引き出しやすさも、物覚えの良さも、子供の頃に戻るのだ。私の母もそうであるように、プログラムを受けた人々は総じて子供の頃に足りなかったものを取り戻すかのごとく勉学に励むようになった。
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「6時に間に合うかな……」
溜まった仕事をあらかた片付けた私は職場を飛び出し、最寄り駅の近くにある銀行へ急いでいた。6時を過ぎてしまうと引き下ろす際に手数料を取られてしまうからだ。たかが数百円の損失だが、されど数百円だ。塵も積もれば山となる。日頃からケチケチしていなければ、お金なんてものはすぐになくなってしまう。
早くに妻を亡くした私は母を含めた子供3人を養って生活している。家賃や子供たちの食費、養育費は馬鹿にならず、父の遺産と預金を少しずつ食い潰しながらの生活は正直言って苦しい。しかし、私は子供たちの養育環境や勉強資材には金に糸目をつけないようにしている。
二人のわが子に対して金を惜しまないのは当たり前だが、余命幾ばくもない母にもやりたいことをやらせてあげたいと思ったからだ。
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「ただいま」
「「おとうさんおかえりなさい」なさーい!」
「おかえり」
「今日は勉強が捗っちゃったわ。明日は塾があるから、子供たちの面倒は見れないけど許してね」
「大丈夫だよ。明日は僕も半日休みを取るつもりだから」
母は現在、司法試験に合格するために勉強を頑張っている。なんでも弁護士は若い頃の夢だったが、勉強をする時間と金が足りず泣く泣く諦めてOLの道を進んだらしい。
私は一日中机にかじりついて勉学に勤しむ母を応援している。この幼い姿の母が例え本物の母でなかったとしても、この思いは変わらないだろう。精一杯のサポートをして、タイムリミットまでには夢を叶えさせてあげたいと切に思う。
記憶転写プログラムが公表されてしばらくは、当然のごとく世間は大騒ぎになった。中でも特に議論の対象となったのは、転写後の記憶を持った人間は果たして元の人間と同一人物なのか、という場合によっては魂という概念そのものを否定する考えだった。
個人的には同一の遺伝子を持つ肉体に同一の記憶が宿っているならば、それは同一人物と考えても差し支えないのではないかと思っている。実際に、この幼い母には私を幼少の頃から育てた記憶があるし、今も本人のかつての夢を叶えるために努力を重ねている。無駄に正論を重ねて否定するよりも、本物だと信じて愛する方がよっぽど有意義だ。
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「本日でちょうど半年ですが、お母様の具合はどうですか?」
「はい。今のところ特に異常は無いようです。子供たちと同じように元気に生活しています」
「そうですか。それはよかった。過去のデータでは、遅くても生成から2年ほどの経過で体細胞分裂に異常が起きるケースが多いです。このまま、経過観察を続けてください」
「はい。もしものときはよろしくお願いします」
私は母の施術をしてもらった大学病院を後にした。
「母さんも勉強で疲れてるだろうし、お土産でも買って帰ろうかな」
一度は体験したことだとしても、肉親の死について考えなければならないのは苦痛だ。甘い物でも食べて気持ちを切り替えていこうと私は近場のケーキ屋へと向かった。
記憶転写プログラムが公表されたのは約3年前のことだ。私の母が二度目の人生を始めたのが今からちょうど半年前。当時83歳だった母には当然、受精卵から作られた予備の肉体などは無かった。ところが、去年の春にさらなる技術の発展のため記憶転写先の肉体にクローン体を用いる実験が行われることとなり、当時余命宣告を受けていた母は被験者に応募した。
本人の細胞を用いて作られるクローンには未だ解明されていない欠陥があった。それは、クローンは例外なく病弱で短命であるというものだった。
今、母が使っている肉体は母の細胞から作られたクローン体であり、これも例外ではない。母の二週目の人生は長くても3年しかもたないのだ。
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「あった! あったわ!! 私の番号! あった!! やった! やったあ!! やっ…げほっ」
「おばあちゃんおめでとう!!」
「おめでとう!!! おばあちゃんすごいや!!!」
「おめでとう、母さん。司法試験に受かるなんて、父さんが聞いたらびっくりして腰を抜かすだろうね」
「そうね。あの人が生きているうちに見せられなかったのが残念だわ!」
母はその努力の結果、翌年の秋の司法試験で見事合格した。子供のように大はしゃぎする母はとても微笑ましい。姿も子供だからなおさらだ。
母がついに夢を叶えたことは心の底から喜ばしい。だが、私の心の奥には、大き夢に向かって全力で進んてきた母が夢を叶えてしまったそのとき、生きる気力が無くなってしまうのではないかという大きな不安が確かにあった。願わくば、母がこの結果に満足せず、どこまでも前に突き進んでほしい。
しかし、私の願いも虚しく、母の身体は少しずつ弱ってきていた。
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「母さん、気分はどうだい?」
「そうねぇ、なんだか眠くて、ふわふわした感じね」
「今日は温かいからね。でも、今寝ちゃうと夜寝れなくなっちゃうから寝ちゃだめだよ?」
「ふふ、わかってるわよ。夜中に寝てないと、看護婦さんにこっぴどく怒られちゃうからね。私の担当の人、すっごく怖いのよ?」
「ははは、そうだね。僕が前に面会に来たときも、色々と怒られちゃったよ。患者さんに対する思いやりが足りてない!ってね」
「ふふふふ」
「ははは」
「………」
「………」
「懐かしいわね」
「え?」
「私が脳卒中で倒れて入院したときも、こんな会話をしてた気がするわ」
「……そうだったっけ?」
「そう。あのとき終わるはずだった私の人生もまさかこんな形で延長できるとは思わなかったわ……」
「昔の夢も叶えたし、孫たちと思う存分遊ぶこともできたし、もう、思い残すことはないわ〜 ふぁぁ」
「………」
「………」
「………あっ そうそう」
「………」
「私の遺影、若い方の写真を使ってね」
「うん………………え?」
「え? じゃないわよ。私の遺影を見た親戚に若いわねって言われたくてこの姿になったんだから」
「え?」
「……じゃあ…お願いね………」
「う、うん、わかった………」
最後の最後に衝撃のカミングアウトがあったが、母は満足そうに二週目の人生に幕を閉じた。
母は意識を失うその時まで、微笑んでいた。
拙作を読んでいただきありがとうございます。
前書きでも書いた通り計画性ゼロの殴り書きなので、クレームや指摘は受け付けませぬ笑