ゆうれいの道案内
2021/9/25 一部の表現を修正しました。
2022/6/20 一部の表現を修正しました。
俺は高林 正義。くれぐれも正義とは呼ばないようにお願いしたい。
え、そんなことどうでもいい?仕方ないじゃないか、小学校の時から初対面の奴は、必ず正義って呼ぶんだからさ。
けれど、名前そのものが嫌いって訳じゃない。名前を間違える奴がいても、ちゃんと指摘すればいいだけのことだし、覚えられやすい名前ってメリットもある。そして何より、父さんが俺の事を本気で愛してつけてくれた名前だって、俺は知ってるから。ジャスティスって呼ぶ奴は叩くがな。
「すみません、市役所ってここからどう行けばいいんでしょうか?」
そんなことを考えていると、今日もいつもの仕事がやって来た。ただし、俺は案内所の職員でもなければ、案内してお金をもらう訳でもない。俺は街の平和を守る、警察官なのだ!
「はい、市役所ですか?入口が少しわかりにくくなっていますので、地図を見ながらご案内しますね、こちらへどうぞ」
俺は交番に入ると、地図を開く。
「まずこの道をまっすぐ行って、二つ目の信号を右に曲がってください。そうして少し進むと、左手に市役所の建物が見えてきます。ただ、入り口はこの道に面していないので、少し進んでこの細い道を左に曲がってください。そうすれば、入り口の案内板が見えますよ」
とはいえ、この矢ケ崎交番は、毎週のように事件が舞い込んできたり、危険な組織に狙われたりする特別な交番……ではない。
そして普段の街も平和そのもので、俺はハリウッド映画みたいな犯人とのアクションシーンはおろか、強盗の現場を見たことすらない。近くにはコンビニもあるのだが。
「ありがとうございます、助かりました」
「いえいえ、それではお気をつけて」
俺の普段の仕事の一つは、こうして少し歩いたところにある市役所に行く人から、道を聞かれることだ。道案内は他にもしたことがあるが、今のところ市役所が一番多い。道案内だって、人の役に立つ立派な仕事である。
他には、地域を巡回することもある。自転車で街中を走っている警察官を見たことがある人も多いだろう、まさにあれだ。そしてただ走るだけでなく、会社や時には個人の家なんかも訪問したりして、犯罪や事故、災害を未然に防ぐのである。
なお、高速道路を走るパトカーを思い浮かべた人もいるかもしれないが、あれは一般道のものとは全く別で、交番勤務の俺が乗ることは無い。
そう考えると、実に地味な仕事だ。地味過ぎてつまらないと言う人もいる。
けれど、俺はそれでいいと思う。派手な現場程、命の危険も高まるのが、警察官の仕事だ。無傷で犯人を捕まえられればいいが、怪我をしたり、最悪は死んだりすることもあるのがこの仕事なのである。
そんなことになれば、本人はもちろんの事、家族も悲しむことになる。そうならないよう、平和で平凡なのが一番。あんな思いをするのは、もうご免だ。
ただ、そんな平凡な俺にも、最近奇妙なことが起きるようになった。それは、この交番に配属になってから二週間ほど経った、ある日の事だった。
* * * * * * * * * *
「ああすみません、矢ケ崎ホテルの場所を教えて頂きたいのですが、ご存知でしょうか?」
初老の男性からそんな質問を受けた俺は、首をひねる。分からないのだ。
実は俺は、今年採用されたばかりの新人警察官。しかも研修を終えて配属になったばかり。
おかげでこの地域の建物は、まだまだ知らないものも多い。そして生憎、今は先輩もいない。
俺は困って地図を出したが……当然ながら見つからない。どこにあるかも分からないのだから、そう簡単に見つけられるわけがないのだ。
仕事で、しかも人前で使うのは気が進まないが、自分のスマホで調べてみようか。スマホいじってると思われないかな。
『目の前の道を右に、そして三つ目の信号を左よ……』
すると突然、女性のものと思しき声がした。
俺ははっとして周囲を見回すが、そこには俺と男性しかいない。ま、まさか幽霊?こんな昼間に?
「あの、どうかされたのですか?」
「……いえ、何でもありません。失礼しました」
しかし男性は、俺を見て不思議そうに首を傾げるだけ。恐らく、あの声は聞こえなかったのだろう。それとも空耳だったのだろうか……。
俺は努めて笑顔を作り、物は試しと言葉の通りに地図を辿ってみる。すると、男性の言っていたホテルが見つかった。
「えっ?あ、ええとすみません、ここですね。まずはこの道を……」
俺はそのことに驚きつつも、必死に平静を装いながら、聞こえた声の通りに道案内した。そう、これが最近起きるようになった、奇妙な出来事だ。
たまにある、道案内。その際、俺が場所が分からないでいると、ふとどこからか声が聞こえてきて、その場所を教えてくれるのだ。
「ああ、助かりました、ありがとうございます。パンフレットでは、どうも分かりにくくて困っていたんですよ」
「パンフレットとかの地図は、簡略化して書いてありますからね。お役に立てて、何よりです!」
初老の男性は、丁寧に礼をすると去っていった。無事、ミッションコンプリートである。パンフがあるなら先に見せて欲しかったところだが、今更言うことでもない。
この声、初めは先輩か誰かが隠れていて、頼りない後輩に陰からアドバイスしてくれているのかと思った。
だが、この声はなんと俺以外には聞こえないようなのだ。そして、懸命に周囲を探しても、何の痕跡も見つからなかったことから、このことは今や、俺の中で不思議な事案No.1である。どんな未解決事件だって目じゃない。ま、俺は刑事じゃないから、事件なんて滅多に関わりゃしないだろうが。
そして不思議ではあるが、もはや出来ることは無い。交番に変な噂が立つと困るから、勝手にお祓いとか頼むことも出来ない。だいいち幽霊がいる、なんて誰かに相談しようものなら、病院を紹介されるのがオチだろう。冗談じゃない。
だから俺は、不思議とは思いつつも、この出来事を放置すると決めているのだった。
* * * * * * * * * *
「すみませんねぇ、実はうちのおじいさんが見つからなくて」
「えっ、まさか突然いなくなられたんですか!?では、お名前と、ええと……それから特徴やいなくなった日時などを教えて頂けますか?」
また別の日、今度は行方不明に関する相談が来た。
こういった相談も、警察においてはままある事だ。
最近でこそネットが普及し、人々が交番を訪れる機会は減っているが、一昔前なら人々は事あるごとに交番を訪れた……と、父さんは言っていた。そして今でも、特にご年配の方ほど、交番を頼ってこうして訪れるのだ。ネットが普及したとて、全ての人が上手くネットを使えるわけではないのである。
「私はねぇ、ミチって言うんですよ、磐座 ミチ。おじいさんは巳代治って言ってねぇ、矢ケ崎書店で待ち合わせって言ってたんだけど、どこへ行っていいか分からなくてねぇ」
訂正、これはまた道案内の仕事だ。待ち合わせなら、待ち合わせ場所まで行ければ大丈夫だろう。
けど、見たことある気がするんだが、場所がすぐに思い出せない。多分、巡回中にちらっと見たりしたんだろうな。まだまだこんな、もどかしいことも多い。
だが、分からないからと投げだすのは、もちろん無しだ。
「えっ、待ち合わせですか?なら、そこまで行ければいいんじゃ……おばあちゃん、よければ場所調べますよ?」
「まあまあ、すみませんねぇ。それじゃあ、おじいさんの所まで案内してもらえますかねぇ?」
「ええ、ちょっと待っていてくださいね」
こんなパターンもよくあること。他にも、帰りが遅いから行方不明かと通報したら、実は友達の家にいたとか。蓋を開けてみたらたいしたことじゃなかったなんて事例は、腐るほど聞く。
けれど、どんなに他愛ない案件だと思っても、警察を頼ってくる本人からしてみれば、重大事件なのだ。だからこそ一件一件、真摯に対応するのが重要なのである。
そんな事を考えていたら、また例の声が聞こえてきた。
『目の前の道を左に行くと、商店街が見えるわ……そこに入って五軒目、牛丼屋さんの隣よ……』
開いた地図に目を落とすと、確かにその商店街には書店があった。相変わらず便利な声だ。
初めの内こそぎょっとしたが、人間慣れるもので、今では声が聞こえても不審な動きをせずに済むようになった。
ひと呼吸入れた俺は、そのまま何事も無かったかのように、にこやかに道案内をした。
「ありがとうねぇ、ええと、こっちかしら?」
「ええ。そのまま少し歩くと、商店街が見えますから」
「あの商店街だったのねぇ、まあまあ、気づかなかったわ」
おばあちゃんは、そのまま満足そうに去って行った。ミッションコンプリートだ。
と、まあ、こんなのが警察官である俺の日常。そしてそうこうしながら書類と格闘する内に、先輩が帰ってくる。
「おぅセイギ、今日もしっかり仕事してるなぁ。コーヒー買って来てやったぞ、それ!」
「うわっとと!?お帰りなさい先輩、けどいきなり投げないでくださいよ」
俺は、放り投げられた缶コーヒーを慌ててキャッチすると、先輩にあいさつした。
この先輩は、白鳥 法紀。
悪い人ではない、むしろ面倒見はいい方だと思うのだが、けっこう強引で困らせられることも多い。しかもプロレスラーみたいな体格をしている上に、肌も日焼けしていて、名字がまるで似合わない人だ。背も高いから、中肉中背の俺と並ぶと、俺が一回り小さく見えてしまう。
ただ、中学時代のあだ名が"ホウキ"だったらしく、名前ネタでいじられていた身としては、ちょっと共感してしまった。なんでもその頃は細身で身長が高く、名前の読みの他に体格でもつけられたあだ名だったそうだ。
それが悔しくて体を鍛えまくった結果、今のゴリゴリの姿になったと聞いたときは、正直驚いた。
「てか先輩、セイギって呼ばないでくださいって、言ったじゃないですか」
「ん?ハッハッハ、そうだったかぁ?なら、お前が一人前になったらやめてやるから、そうなるようにしっかり頑張れ」
ああそうだ、ついでにこの人、人の話を聞かないんだっけ。
俺は先輩の言葉に抗議するも、そう言った先輩は、悪びれもせず俺の背中をバンバン叩くだけだ。
俺は心の中でため息をついた。なぜ心の中だけかというと、現実でため息をつこうとすると、むせるからだ。叩かれる勢いが強くて、とてもじゃないがため息をつく余裕なんて無い。
「いや、これ俺相手だからいいですけど、他の女の子とかにやったら、ハラスメント案件ですよ?」
「なら、お前は大丈夫なんだろぅ?なぁに、これも先輩からの愛のムチって奴だ」
「何が愛のムチですか……そのムチのおかげで俺の名前だけは、俺の知らない人までみーんなに広がってるんですけど?ちょっと先輩、聞いてますか?」
こんな先輩だから、署内ではキワモn……ゲフンゲフン、名物警察官として有名だ。そんな先輩にイジられているせいで、自然と俺の名前も知れ渡ってしまったのである。まあ、他にもちょっと理由はあったりするが。
そんな先輩は、聞こえていないフリをして、大仰な仕草で鳴ってもいない電話を取る。
「はいぃ、こちら矢ケ崎交差点前派出所。はい、先輩の愛のムチを理解しない後輩には、さらなる愛のムチが必要なのですね、了解いたしましたぁ!」
「先輩、誰もそんな事言いませんよ!いやそもそも電話鳴ってないし、だいたい派出所って、何年も前に交番に統一されてて……ああもうどこから突っ込めば!?」
「ふっ、セイギよ、このボケにノリツッコミ出来ないようじゃ、まだまだ現場力が足らんぞ!」
「なんですかそれ!?」
そうして始まる白鳥節、あるいは白鳥劇場とでも言うべきか。こんなことばっかりしてるから悪目立ちするんじゃないか。
それはともかく、"ああ、君があの噂の……"なんて台詞を、初対面の人から何度聞いた事か。
幸い俺は、人に知られていることには慣れていたから良かったものの、俺じゃなかったらいろいろ気にしてしまうことだろう。いやそれ以前に、先輩が気にしてしまうこと筆頭かもしれない。そう考えるとこの職場、無事にやっていける人少ないんじゃないだろうか。
「さーてと、セイギ、そろそろ仕事に戻ったらどうだ。でないと帰れなくなっちまうぞ」
「誰のせいだと思ってるんですか!ああもう、この書類何件目までやったんだっけ」
「6、6、6」
「ええと、六件目だっけ……ああっ、全然違う!?先輩、邪魔しないでくださいよ!」
「おいおい、俺はただ数字を言っただけだろぅ?ブフッ」
「笑ってるじゃないですか!?」
先輩のせいで、思い切り間違えてしまった。とぼけているが、絶対わざとだ。間違いない。
「しかしなぁ、こんなの簡単な誘導だぞ?あっさりひっかかり過ぎだ。人間、しっかり考えてない時は、つい耳に入ってきた言葉に誘導されがちなんでな、こんなのに引っ掛からないよう、落ち着いて考えられるようにならんとなぁ」
グサッ。
「これは会話なんかでも重要でな。誘導されやすいと、相手のペースに乗せられやすくなる。すると、論点のすり替えなんかで騙されやすくなるわけだな。警察官としてそれじゃいかんぞぉ?」
グサグサッ。
要はチョロイと言われ、ショックを受ける俺。先輩の言葉の槍が突き刺さる。イタズラされてたかと思えば、教育タイムに入ってしまった。
そんな騒がしくも無駄の多い時間を過ごし、俺たちは仕事に戻った。
俺たちの仕事は、巡回や応対も大事だが、実は書類仕事の方が大変だったりする。
巡回連絡カード(訪問した先の電話番号などの個人情報を、任意で書いてもらったもの)や要望書の整理、他にも駐車禁止などの取り締まりに関するものなどもある上、さらには誤字脱字に関するチェックが非常に厳しい。法律に関わるものなのだから厳しくて当然かもしれないが、おかげで作成する方はとても気を遣うのだ。
「すみませーん、落とし物を拾ったんですけど」
そしてもちろん、落とし物を受け取った際にも、書類作成が必要になる。場所や拾った時の状況はもちろんの事、拾った人の情報記載も必要だ。仕事の数だけ書類があると言っても過言ではないくらい、書類仕事は多い。
こうして、謎の声の事なんか考える暇もないまま、忙しい時間は過ぎてゆく。先輩くらい仕事に慣れれば、ちょっとは余裕ができるんだろうか。
* * * * * * * * * *
さて、そんな日々を過ごしていると、徐々に仕事にも慣れてきた。まだ先輩ほどテキパキとはこなせないが、少なくともミスしてどやされる回数は減った自信がある。
『目の前の信号を左に曲がってまっすぐ行けば、道沿いにあるわ……銀行の隣よ……』
そして、この謎の声にも慣れてきた。案内はどれもこれも間違いがなく、今じゃ便利な音声案内装置みたいなものだ。おかげで今日も、スムーズな道案内ができた。
もちろん、謎の声の案内を鵜呑みにする訳にもいかないので、地図でのチェックは欠かしていない。これにより完璧な道案内が……
「ん?お前地図使ってるのかぁ?そういえば……あったあった、最新版の地図が来てるから、どうせならこっち使え」
「ちょ、先輩!?新しい地図が来たなら、交換しておいてくださいよ!」
完璧な道案内が、先輩のせいで崩れ去った。
「悪い悪い、地図なんかめったに使わないからなぁ。コホン、お前も俺のように、地図が無くても道案内できるくらい街に詳しくならないといかんぞ?」
「言ってることは分かりますけど、地図の交換忘れてたことは誤魔化されませんからね!?」
「む、この手にも段々慣れてきたようだな。ならもう少ーし巧妙な手を使うか」
「巧妙って、思いっきり本人聞いてるんですけど!」
そして、こんなやりとりにも慣れてきた。
面倒な先輩ではあるが、悪意は見られない。何をするにしてもこうやって予告(?)はしてくれるし、仕事に悪影響が出るような意地悪はしない。きっと、そもそも騙す気なんか無いのだ。
そして、悔しいことだが仕事は確かに出来るし、街の事にも詳しい。おかげでどうにも憎めない先輩なのである。
それと、あの謎の声、というか幽霊?についても、だんだんわかってきたことがある。例えばあの幽霊、外国語も理解できるようなのだ。
「Excuse me, but I’m lost. Could you tell me how to get to the Yatsugasaki station?」
「えっ?ええと……パードゥン?」
この間、外人と思しき男性から声をかけられた時のことだ。
男性はガイドブック片手に話しかけてくるのだが、生憎と普段英語なんて使わない俺は、とっさのことにまるで聞き取れなかった。学校で習ったワンフレーズが思い出せたのは、せめてもの救いだっただろう。
『目の前の道を左に向かい、大通りに出たら右よ……少し歩いた先の、高架下にあるわ……』
しかし、戸惑う俺を尻目に、幽霊は道案内をしてきたのだ。
「ええと、そっちで高架下……駅か!」
その後、再度繰り返してくれた男性の英語は、予想がついていたおかげで、かなり聞き取れた。道に迷ったから、駅への道を教えてくれませんか、とか多分そんな感じ。
駅への道を聞かれたと確信できた俺は、その後地図を一緒に見ながら、指で経路をなぞったりしつつ、なんとかカタコト英語で案内できたのである。ただ、この謎の幽霊は英訳して伝えたりしてくれないのは、難点かな。
それと、無くなってしまった場所や、そもそも存在しない場所へは、案内してくれないようだった。
「お巡りさんすいませーん、矢ケ崎国際体育館って、この辺に無いっスかね?」
そんな風に聞いて来たのは、自転車を引いた、ジャージ姿の若い男性だった。自分で調べてしまう人が多いからだろうか、若い人が道を聞きに来るのは比較的珍しい。
「国際体育館、ですか?」
だが、俺はそんな場所に心当たりがなかった。そして、地図を見ていても、案内音声は聞こえてこない、ちょうど幽霊が出かけているのだろうか。おかげで俺は困ってしまった。
「セイギ、もしかすると、矢ケ崎総合運動場のことかもしれん」
すると先輩が、そんなことを耳打ちしてくれた。そして俺も、それなら聞き覚えがあったのだ。ただし、場所は覚えていなかったが。
「あの、もしや矢ケ崎総合運動場の事ではありませんか?あそこなら体育館もありますが」
「えっ?あ、そうそう多分それっスよ!どうりで自転車道路ナビで調べても出てこないわけだわ。せっかくだし場所、教えてもらえるっスか?」
結果は、ビンゴ。しかも施設名を間違えて覚えていたせいで、アプリで行先指定できなかったらしい。
『目の前の道を右に行って、最初の交差点を右よ……そのまましばらく行けば、見えてくるわ……』
すると、待ってましたとばかりに、案内が始まる。そのあまりの反応の良さに、俺は笑いそうになってしまった。本来なら、異常な状況のはずなんだけどなぁ。
この幽霊さん、もしかしたら道案内したいだけなのか?
そうして、道案内の幽霊さんにも親近感がわき始めてきた、ある日の事である。
「ん~……」
今日も今日とて、いつも通りの勤務。巡回もいつも通りに済み、困るような案件を抱えている訳でもない。
けれど俺は、ペン回しをしながら唸っていた。
「どうしたセイギ、唸ってばかりいても、報告書は進まんぞぉ?それとも報告書で分からない事でもあったか」
そんな俺を見た先輩は、声をかけてくる。しかし、報告書は順調だ。
なおセイギとか言ってるけど、いくら指摘しても直してくれる気配が無いし、そこは諦めてスルーする。
「いや、今日は誰も、交番に来なかったなーと思って」
「何だ、そんなことかぁ。仕事が増えなくて結構な事だろうが」
「でも、困ってる人たちを直接助けるって、こう、仕事したなって感じしませんか?それが無いから、どうも今日は張り合いがなくて」
そう、俺が気にしていたのは、交番へ来た人がいなかったことだった。
交番へ来る人は、程度の差こそあれ、もれなく困っている人なのだから、それがいないことは悪い事じゃない。むしろ、みんな困っていない上に俺たちの仕事も少なくて、まさに万々歳のはず。
だが、毎日のようにあった仕事をしないのは、なんとなく不完全燃焼な気がしてならない。
「なんだセイギ、まさかお前、人助けにでも目覚めたかぁ?」
そんな俺の雰囲気を察したのか、先輩がからかうように言ってくる。
「別にそんなんじゃありませんよ、ただ……」
「どうせならもっと別の、面倒な仕事に目覚めて欲しいもんだ。書類仕事に目覚めてみるとかどうだぁ?ほれほれ、ついでに人助けにもなるぞ」
「違うって言ってるじゃないですか!?あと、書類押し付けないでください!」
「全く、先輩に書類を押し返すとは……自分の成長した姿を、先輩に見て欲しいとは思わないのかぁ?」
「ええ、見て欲しいですね。先輩のタチの悪いジョークにも、焦らずどっしり構えられるようになった、成長した後輩の姿を」
そう、俺も少しは成長したのだ。どうせなら後輩の成長した姿を見て、みんなの前で変なジョークを言うのは控えるとか、そんな風に先輩も成長して欲しいものだ。
「おっ、なかなか言うようになったな。フフフ、なら、これはどうだ?」
だが、俺のそんな対応は、むしろ先輩の心に火をつけてしまったらしい。先輩は、おもむろに鳴ってもいない電話を取った。
「はいぃ、こちら矢ケ崎交差点前派出所。えっ、困っている?何を困ってらっしゃるんでしょうか……はい、はいぃ、あぁ、困っている人を助けられなくて困ってらっしゃると」
そして先輩は、そのまま突っ込みどころ満載の白鳥劇場を始める。
こんなのに乗るのは何だが、しかし対応力が無いと言われるのも癪だ。ここはひとつ、先輩の鼻を明かすためにも、やってやろうじゃないか。
「ええそうなんですよ。近くで困っている人はいませんかね。もしいたら、その方の所まで案内してもらえませんか?」
俺は手で受話器の形を作り、即興劇に参加した。
すると、ニヤリと笑った先輩は、芝居がかった声で返してきた。
「えぇ、でしたら心当たりがありますので、ご案内致しまぁす。まずはそのまま、近くの洗面台の前へ移動して下さい。はいぃ、移動しましたか?」
俺は先輩の声に従い、せっかくなのでトイレの洗面台の前に移動する。
「そうしたら、目の前を見てください。そこに映っている電話を持っている人が、おぉ探しの困っている人です。どうです、見るからに困ってそうな顔をしてるでしょう?」
「おお、確かに困っていそうだ!一体何をお困りで、って、なんでやねん!!!」
俺はその瞬間、先輩の所へ走り込んで力一杯ツッコミを入れる。
そんなオチだろうと思ってた、けどこの時を待ってたんだ。日ごろの恨みを全て、このチョップに込めてやるぜ。
「い、いってえぇぇ!?」
しかし、俺の渾身のツッコミチョップを受けた先輩は、むせるどころか身じろぎ一つせず、逆に俺の方が痛みにうめくことになった。
先輩の胸板どうなってるんだよ、鉄板でも入ってるのか。
「おぉ、腕を上げたな、セイギ」
先輩は満足そうにうなずいているが、俺は負けた気分だ。せっかく合法的に先輩を叩けると思ったのに、俺の手の方が痛いじゃないか……。
『目の前の道路を左に、ふたつめの交差点の近くよ……』
そんな時、突然幽霊さんが話し始めた。しかし、交番にいるのは俺と先輩だけで、他には誰も来ていない。
誰かに今の漫才を見られたかと思って、焦ったじゃないか。何だ?
「すみません先輩、ちょっとコーヒーでも買ってきます」
何となく気になった俺は、その交差点を見に行くことにした。あそこなら自販機もあるし、何もなければコーヒーを買って来ればいいだけだ。先輩と下手な漫才をしたせいで喉が渇いたし、ちょうどいい。
「うえぇーん、おかあさんどこぉ~?」
すると、案内された先には、泣いている子がいた。
年の頃は、幼稚園か、小学校低学年といった所だろう。小柄で短い髪の女の子だ。
「キミ、大丈夫かい?」
その子の向いている先の信号は、赤。交差点に出てしまったら危険だ、そう思った俺は、すぐさまその子の安全を確保すべく、行動に移った。
「う゛ぇぇぇーん、おがあざーん!!」
しかし、しゃがみながらなるべく優しく話しかけようと努力するも、その子は泣いてばかりで会話にならなかった。まあ、無理もない。
「何するザマス!ど、泥棒ザマス!!」
どうするべきか思案していると、突然絹を裂くような叫び声が聞こえた。泥棒だって!?
俺は急いで立ち上がると、周囲を確認する。すると路地の方に、バイクに乗った人物が女性からバッグを奪い取っている姿が見えた。ひったくりだ。
そのバイクは、女性を振り払うとこちらの交差点に向かってくる。これは、警察官のメンツにかけて、なんとしても止めなくては。
「キミは危ないから、そっちに……あれ?」
しかし、泣いている子を避難させようとした俺は、ふとその子がいないことに気付いた。そしてどこへ行ったのかと見回すと、なんとその子は、交差点に入っていたのだ。そうしている間にも、バイクはどんどんこちらに迫ってくる。
「危ない!」
俺は急いでその子に飛びつくと、道路から引き戻すべく、その子を抱えて地面を転がった。危機一髪だ。
「うわっ!な、なんだあぁ!?」
すると、不意を突かれたからか、あるいは前方不注意か、バイクの人物が声を上げる。そしてその瞬間、俺の足に何かが引っ掛かった。同時に、俺の体が引きずられていく。
俺はガリガリと地面に擦り付けられながら、必死に体を丸めた。
「ぐああ!何だよこれ、ひ、引っ張られる!?」
「くそっ、このポリ公が!なんでこんな所に出てきてやがるんだよ!ああっ!?」
だが、俺がもがいていると、ふと足を引っ張る力が消えた。
驚いた俺が足元を見ると、俺の足にはバッグが引っ掛かっていた。ひったくられたバッグが、引っ掛かってしまったのか。
ひったくり犯は諦めたのか、もう姿が無い。そして、俺が恐る恐る腕の中を見ると……そこには、呆然としているさっきの子どもがいた。どうやら無事なようだ。
「よかった……そうだ、ひったくり犯を捕まえないと!」
ほっと一息ついた俺は、立ち上がろうとしたのだが。
「なんザマスこれは!?ワタクシのバッグちゃんに、何てことしてくれたザマスか!」
突然、その場にヒステリックな叫び声が響き渡った。
驚いて振り向くと、そこにいたのはさっきバッグをひったくられていた女性だった。
「こんなに傷だらけになってしまって、ああ、しかもベルトまで切れてしまうなんて可哀相ザマス……聞いているザマスか!?このバッグちゃんは、アナタの給料何か月分すると思ってるザマス!?」
見れば、長い肩掛けベルトが千切れている。多分、そのせいでひったくり犯は、バッグを諦めざるを得なかったんだろう。
そのお陰でバッグが戻ってきたと思えば、それは僥倖のはず。なのに女性の怒りは、とどまるところを知らなかった。
「しかもアナタ、警察なのに犯人逃がしてどうするザマス、何やってるザマスか!?そもそも、アナタがちゃんと犯人を捕まえていれば、ワタクシのバッグちゃんもこんな目に遭うことは無かったんザマス!責任は取ってもらうザマスよ!!」
意味が分からない。俺は身の危険を感じながら頑張ったのに、なんでこんなに罵倒されているんだ。
ともかく、彼女をなんとかしなくちゃいけない。先輩のせいで、最近だいぶ口が回るようになってきたんだ。俺をただの気弱な警察官だと思うなよ。
「子どもが轢かれそうになっていたんですよ。あの状況では、人命を優先するのは仕方ない事でしょう」
「う・る・さ・い・ザマスよ!どう責任を取るつもりザマスか!?」
しかし、俺が説明しようとしても、女性はまるで聞く耳を持たなかった。
思えば先輩は、変なことは言うものの、俺の話は聞いてくれた。けれど、この人はまるで話を聞いてくれない。どうやって話を聞かせればいいんだ。
俺は気圧されつつも、なんとか打開策をひねり出そうとする。しかし、その努力が実ることはなかった。
「びえぇぇぇぇえん!!!」
抱いていた子どもが、突然大声で泣きだしたのだ。あまりのことに俺はパニックになって、何も言えなくなってしまった。
「ああもう、何ザマス?……ん?まさかアナタ、その子に変なことをしようとしたんじゃないザマスか!?警察官どころか、人間の風上にも置けない下衆ザマス!!」
「ち、違う、俺は、ええと……」
「びえぇぇぇぇえん!おがあざあぁぁぁん!!!」
「なら、なんでこの子は母親を呼んで泣いてるザマスか!信じられないザマス!」
時間が経つにつれ、何も知らないやじ馬たちが、どんどんと周りに集まってくる。これだけ大騒ぎしているのだから当然だ。
「えっ、何?あの警官がバッグ壊したって?」
「何あれ、やっべ、ツイ○ターに上げようぜ」
スマホのカメラが俺に向けられ、無遠慮にパシャパシャとシャッター音が響く。そして、目の前の女性の大声を聞いた人たちが、何の確認もせずに情報をネットに拡散する。それはもう、俺一人で止められるものではなかった。
「警察です。通してくださぁーい!!」
そんな俺を救ってくれたのは、騒ぎを聞きつけてやって来た先輩だ。
その一際大きい体格と、そこから発せられる大声でもないのによく通る声で、人々をかき分けて俺の所まで来てくれた。
「よく頑張ったな、あとは任せろ」
「せ、先輩……」
俺は、その頼もしさに、涙が出そうだった。その姿は、普段からは考えられない程凛々しく、そして普段より一回りも二回りも大きく見えた。
「アナタ、この人の上司ザマスか!?一体どんな教育をしてるザマスか!」
「コホン、ひったくりの被害者の方ですね、お怪我が無いようで何よりです。事件を未然に防げなかったことは、大変申し訳なく思っております」
「今更あやまっ……ヒッ!?」
頭を下げて謝罪する先輩にまで食って掛かろうとしていた女性が、しかし再び頭を上げた先輩を見て怯んだ。
先輩は口調こそ丁寧だったが、その目から感じる圧力は半端じゃない。俺は先輩の後ろに、金剛力士像を幻視した。
「このような状況で申し訳ありませんが、逃走した犯人の逮捕のため、ご協力願えますか?」
「え、ええ……構わないザマス」
有無を言わせぬ先輩に、女性がうなずいた。
それとほぼ同時に、パトカーのサイレン音も聞こえてきた。きっと先輩が応援を呼んでくれたんだろう。
複数の警官により、速やかに現場から野次馬が退散させられ、女の子も保護された。そして女性と俺は別々のパトカーに案内される。先輩は先程の女性と一緒に行ったようで、頼もしかった分、少し心細さを感じた。
「君が噂の高林君か、白鳥から話は聞いているよ。私は日暮里、警部補だ」
パトカーに乗ると、知らない人が声をかけてきた。てか警部補?なんでそんな人が?
しかも、俺の事はやはり噂で知っていたらしい、またなのか。だが、そのおかげで少しだけ、緊張が解けた。
「全く、白鳥の奴が関わると、いつもこうだ。本来ひったくり程度、しかも未遂の事件に、こんな大げさなことをする必要はないというのに、気づけばいつも大事になっている。君も巻き込まれて大変だっただろう」
「あ、その……」
「現場検証や聴取等は、全てこちらでやっておくから安心するといい。いくら交番の目と鼻の先とはいえ、当事者にやらせる訳にはいかないからね」
「そ、その、日暮里警部補殿!私は、白鳥巡査長に助けて頂いたのです!」
俺を気遣うように話してくれる警部補に対し、俺は気付けばそんなことを口走っていた。
先輩がどんな報告をしたのか、俺は知らない。俺は巻き込まれたことになっているようだし、もしかしたら、下手なことを言うと俺の立場が悪くなるかもしれない。けれど、それでも言わずにはいられなかったのだ。
だがその瞬間、警部補の顔が険しいものになった。
「あの白鳥の下で、よくこんなまっすぐな部下が育ったものだな……。だが高林君、君は口を噤みたまえ。君に今回の事件の後処理は無理だ」
「えっ?それはどういうことで……」
「今回の件は、すでにネット上である事無い事様々に拡散され始めている。もしここで君がおかしな発言をしたりしたら、火に油を注ぐようなものだ、それこそ手が付けられなくなるだろう」
「は、はい」
「だが、君にはまだ、適切な判断をするだけの能力が備わっているとは思えない。よって君に、この件に関する一切の情報発信を控えるよう命じる。これから形式上の聴取を受ければ、それで終わりだ。後は全て、我々に任せたまえ」
* * * * * * * * * *
俺が反論する間もなく、話は終わった。そして聴取も終えた俺は、そのまま自室での待機を言い渡され、帰宅した。
命令は絶対だし、しかもこんな状況を作った俺が、異を唱えるなんて出来るはずもない。けれど、本当にこれで良かったのだろうか。
その時ふと、父さんのことが思い浮かんだ。
俺の父さんは、警察官だった。先輩と同じ巡査長にはなっていたけど、実質はただの巡査と変わらない、企業で言えば平社員の存在。けれど、志は誰より高かったと思っている。
「いいか、みんなの暮らしを守ってるのは警視長でも警視総監でもない、現場の俺たちなんだ。俺たちが毎日必死に頑張ることで、この日本の平和は保たれてるんだぞ」
そう言って誇らしく笑う父さんの姿は、輝いて見えた。かっこよかった。
そんな父さんは、かっこよく事件に立ち向かい、かっこよく人を助け、そしてかっこよく、死んだ。
父さんは死んで英雄になった。世間じゃだいぶ忘れられているけど、警察という組織の中でなら、まだ覚えている人はいる。
けど、死んでしまったらもう、みんなを守れない。だから俺は、警察官になって、父さんのできなかった分まで頑張ってやろうと、そう思ったのだ。けど……
「別に英雄になりたいと思ってたわけじゃない……けど、これはあんまりじゃないかよ……」
ネットを開けば、そこにあるのは俺を批判する様々な書き込み。名前も知らないどころか、匿名の奴らが好き放題に暴言を吐いている。中には、"説明責任を果たせ!"とか、ひどいものだと"釈明しないってことは、悪いことをやったからに違いない"とか、勝手に決めつけているものもある。
俺は反論したい衝動に駆られたものの、警部補の言葉を思い出し、歯を食いしばりながらスマホの電源を切った。
「頑張ったのに、どうしてこうなるんだよ……それとも、父さんみたいに殉職しなきゃ、評価してくれないとでも言うのかよ……」
毎日少しだけ誰かを助けて、そうして少しだけ感謝される日々。
たまに違反切符を切った人から文句を言われたりするけど、それだって相手の顔は見えているし、法律に則って対処したのだから割り切れる。だが、この姿の見えない悪意は、辛かった。
それなりにみんなの役に立っている気がして、それなりに充足感のある日々だった。それで十分だったのに。
「俺はどうすればいいんだよ、教えてくれよ、父さん……」
俺は、缶ビールを開けて思い切り呷った。ヤケ酒だ。
「そういえば父さんが死んだ時、母さん言ってたっけ……父さんは遠い所から、俺たちを見守ってるって……」
酔いが回り、過去の記憶が蘇る。それは、父さんがいなくなったことを受け入れられなかった俺に、母さんが言ってくれた言葉。
「そんなこと、あるはずないだろ……そんな所があるなら、どこにあるのか教えてくれよ……」
けれど、それは俺のために母さんがついた優しい嘘だったのだと、今ならわかる。事実、自分がそれによって救われたところはあるが、今になってみれば、滑稽な話としか思えない。
俺はまたビールを呷ろうとするが、もう飲み干してしまったようで、ひっくり返して飲もうとしても、雫が顔についただけだった。
その時俺の頬を伝ったのは、果たして缶からこぼれたビールか、それとも……。俺はその雫を乱暴に拭うと、次の缶ビールに手を伸ばした。
* * * * * * * * * *
「うう、あいててて……」
翌日の朝、と言うには遅すぎる時間、俺は頭を押さえながら起き上がった。完全に二日酔いである。
今日の俺は非番で、何なら一日中寝ていてもいい。が、それはそれで落ち込んでしまいそうで、何かしていたい。
しかし、何も思いつかなかった俺は水を飲むと、とりあえずスマホを手に取る。すると電源が切れていた。昨日切ってそのままにしていたんだっけ。
「しまったなあ……」
俺は急いで電源をつけた。
なにせ昨日の今日だ、何か連絡が来ていないとも限らない。まあ電源が入っていたとしても、あれだけ飲んでいて、電話に出れたかは怪しいのだが……。
"ピロピロン"
すると案の定、不在着信があった。先輩からだ。あの警部補とかじゃなくて良かった。
俺はすぐに電話をかけた。
「先輩すみません、昨日はその、電話に出れませんで」
「なぁに、あんなことになったら、疲れてても仕方ないだろうさ。それと、電話はついさっきしたんだぞ?携帯の電源が入ってないようだったが、ちゃんと確認したのか?」
「えっ?」
そう言われて確認すると、確かに時間は三十分ほど前になっていた。どうやら焦り過ぎたようだ。
「そ、それで何の用ですか?」
「今更誤魔化そうとすんなよ。まぁいい、昨日の件とは関係ないんだが、本庁から連絡があってな。行方不明になった人が、その前にウチの交番に寄ってたんだそうだ。それで何か知らないか、聞こうと思ったんだがなぁ?」
「行方不明?」
昨日の件についてだろうと身構えていた俺は、しかしそれとは関係が無いという先輩の言葉に、体の力が抜けた。
「さては、昨日の件だと思ったな?悪いが、あっちについては進展なしだ、すまねぇな」
「いえ……けど、どうしてこんなことに……先輩、俺はどうすればよかったんですか?」
「……」
「俺は、あの女の子を助けようと必死に頑張ったんです。でも今考えてみると、あの子が交差点に出て行っても、バイクのほうが避けただろうし……それにひったくりは、ほぼ現行犯でしか逮捕できないんですよね。俺のせいで、犯人に逃げられてしまったんですか?」
「昨日も言ったが、お前はよく頑張った、それは間違いない。しかし悪いが、俺にそれを答えてやることは出来ねぇ。俺は、同じようなことで失敗しちまった人間だからな」
「先輩……?」
「気にするなと言った所で、お前には無理ってもんだろう。ひとつアドバイスしてやれるとすれば、それはお前が出さなきゃいけない答えだ。そしてそれが出来たなら、お前はもう、一人前の警察官だよ。用件はメールで送っておく、仕事が終わり次第お前の部屋に行くから、それまでに見ておいてくれ」
「せ、先輩?ちょっ」
"――プツッ"
ちょっと待って下さい、と言おうとしたものの、先輩は電話を切ってしまった。勤務時間中だし、長話が出来ないのは分かるのだが……。
「相変わらず一方的な……けど連絡があるなら、初めからメールするだけでいいのに。まさか、俺のことを気遣って……いや、あの先輩だし気分の問題かもな」
けれど、自分の気持ちを吐き出したことで、少し気分が上向いた。事態には何の進展も無かったものの、意外なことに先輩に話を聞いてもらっただけで、意味はあったようだ。
まだモヤモヤはあるが、この二日酔いのせいでそれどころじゃないのも、逆に幸いしたかもしれない。
"ピロリン"
すると、スマホにメールが届いた。例の用件だろう。先輩は未だにLI○Eよりメール派なのだ。
「はぁ……ええと、なになに。行方不明になったのは、磐座 ミチさん、九十二歳。市内で一人暮らしをしており、行方不明になったと思われる日、矢ケ崎交番の防犯カメラに映っていたことが確認されている。誰だ?」
俺は、添付されていた写真を開いた。するとそこで、俺はようやくそれが誰かを思い出した。
「あっ!そうだ、確かこの人、旦那さんを探しに来た人だ!……あれ?」
しかし、記憶とのズレに、俺は戸惑った。そのメールには、一人暮らしと書かれていたからだ。旦那さんとは、別居していたのだろうか。
そういえば、待ち合わせと言っていた気がする。なるほど、それで外で待ち合わせしてたんだろうな。
「参ったな、俺が対応した人じゃないか。確か商店街に案内したはずだし、聞き込みしてみるか……?」
そう口に出してみたものの、俺は非番とはいえ自宅待機の身、勝手に動くのもまずい。
"グウウウウ"
するとそこで、腹の虫が不満の声を上げた。そうだ、どちらにせよ飯は食わなきゃいけないのだし、そのついでに、少しだけ聞き込みをすればいいじゃないか。
そうと決まれば行動あるのみだ。少し距離はあるが、昼飯は商店街で牛丼でも食おう、そのついでに、近くの人とちょっとだけ話をさせてもらうとしよう。
そうして俺は、商店街に足を運んだ。確か、入り口から少し行くと、牛丼屋があったはずだ。
「あれ……?」
しかし、そこを見た俺は、怪訝な顔をしてしまった。
ただし、牛丼屋はある。別の場所でも利用した事のある、有名な牛丼チェーン店だ。俺が気になったのは、その隣なのだ。
今思い出したが、俺が案内したおばあさんの目的地は、牛丼屋の隣の書店だったはずだ。しかし、その牛丼屋の両隣にあるのは、よく見るチェーン店の薬局と、それから岩の散乱する空き地だけ。おかしい、それとも場所が違うのだろうか。
「あ、あの!すみません!」
言いようのない不安を覚えた俺は、昼飯を食うという建前も忘れ、近くの人に聞き込みを始める。
スルーされること数人、話を聞いてくれたが知らなかった人が三人、そして四人目のおばあさんと話をして、ようやく有力な情報に辿り着いた。
「ああ、磐座さんの所のミチちゃんでしょう?可哀相だったわよねぇ、あの地震のせいで旦那さんを亡くしてしまって」
「えっ!?旦那さんをって、どういうことですか?」
「あら、知らなかったの?ちょうどほら、そこの空き地。あそこには昔から書店があったんだけど、耐震性の問題?とかで閉店することになった矢先に、地震で潰れちゃってねぇ」
「あっ、もしかして去年の地震ですか」
「そうそう、その地震よ」
それは去年の事、この辺りを震度6強の地震が襲ったのだ。俺はまだ学生だったが、先輩からはいくつかの家屋が崩れたりして、対応のために非番だった人まで総動員されたと教えてもらった。
「その時、お店の常連だった旦那さんが、ちょうどお店の中にいたのよ」
「……そうだ、思い出した」
矢ケ崎書店、どこかで見た気がしていたんだ。今思い出した、去年ニュースで見たんだ。
地震で建物が崩れて、中にいた人が犠牲になった、悲しい事件。その犠牲者が、あのおばあちゃんの旦那さんだったんだ。
「しかもその日はミチちゃんも一緒に来てて、ミチちゃんの買い物が終わったらそこで待ち合わせて、一緒に帰るつもりだったそうよ。そのことを話すミチちゃんを見てると、どうにも不憫でねぇ」
「そうか、それで待ち合わせって……」
きっとミチさんも、昔の俺と同じで、事実を受け入れられなかったのだろう。そして今になっても受け入れられず、亡くなってしまった旦那さんとの待ち合わせ場所を探し続けていたんだ。
その後も色々と聞いてみたが、分かったことはそれだけだった。ミチさんの当日の足取りは、つかめないままだ。
昼飯を食う気分でもなくなった俺は、近くのコンビニでパンを買って帰ることにした。
「けど、どこへ行っちゃったんだろう。俺は確かに商店街に案内したし……あれ?」
そこで俺は、おかしなことに気付いた。そういえばあの時も、幽霊さんの案内を聞いて、ミチさんを案内したはずだ。
けれど、あそこに書店はもう無かったし、幽霊さんはなんであそこに案内したんだろう。
「待てよ?そういえば昨日もおかしなことが……そうだ、あの時はなんで幽霊さんが、まさか!?」
その時、俺の中で何かが繋がった。
"近くで困っている人はいませんかね。もしいたら、その方の所まで案内してもらえませんか?"
そうだ、俺は昨日、案内をお願いしていたじゃないか。それでもし、幽霊さんが"近くで困っている人"の所に案内してくれていたとしたら?幽霊さんの案内先は、建物だけとは限らないじゃないか。
思い出せ俺、あの時ミチさんは何て言ってた?ミチさんはどこに案内されたんだ?確か、俺が調べましょうかって言って、それで……。
「あ……」
そうだ、ミチさんは、そもそも書店に案内して欲しいなんて、言ってなかったんだ。
"それじゃあ、おじいさんの所まで案内してもらえますかねぇ?"
それは、異様なまでに鮮明に、俺の耳に蘇ってきた。もしあの声が、ミチさんの願い通りに案内していたとしたら。
「ま、まさか、けど、そんな事って……だって、もう亡くなってる人なんだぞ……?」
自分の恐ろしい想像に、膝が笑い、喉がカラカラになっていく。そんなことがあり得るのか?
「あ、あり得ないよな。けどたとえば俺が、父さんの所に案内してくれ……って頼んだら、ど、どうなっちゃうんだ?」
『大丈夫、どこへだって案内してあげるわ……』
「ひっ!?」
俺が思わず独り言を口にした瞬間、またあの声が響いた。それは背筋が凍り付くような、冷たい声だった。
『まずはそこを右よ……それから……』
「う、うわああぁぁぁぁぁっ!?」
その声を聞くのが恐ろしくなった俺は、大声を上げて走り出した。
聞いちゃダメだ!気にしちゃダメだ!!そう自分に言い聞かせながら、何も考えずにとにかく走る。目的地なんかない、けれど、恐ろしくてその場に止まる事なんて出来なかった。
背後から何かが追いかけてくるような、そんな気配に追い立てられるようにして、俺は必死に走り続けた。
「は……はぁっ、はぁっ、はぁっ」
力の限り走り続けた俺は、ついに限界が来て地面に崩れ落ちた。
いつのまにか、知らない道に入り込んでしまったようだ。しかも疲れからか、視界がぼやけてはっきりしない。
「う、おえっ。はあ、はあ……」
急に走り過ぎたせいで、吐き気がこみ上げてくる。それを何とか押さえ込み、胸に手を当ててなんとか落ち着こうとする。
『そうよ……そこで右を見て……』
「はぁ……え?」
その時、あの声が聞こえた。あれだけ走ったのに、俺は逃げきれていなかったのだ。俺は硬直した。
どうする、どうすればいい。
そこでふと、俺は気付いてしまった。あの声が案内をしていない。
あの声が言ったのは、右を見ろという一言だけ。まるで、目的地に着いたと言わんばかりに。
"こんなの簡単な誘導だぞ?あっさりひっかかり過ぎだ"
突然、先輩の言葉を思い出した。もしかして俺は、いつの間にかあの声の誘導にひっかかっていたんじゃないのか。
首筋を、嫌な汗が伝う。心臓の鼓動が、走っていた時よりうるさく感じる。俺の横には、何があるって言うんだ。
視線を向けるだけで、俺の横にあるものは確認できるだろう。けれど、見てしまったら取り返しのつかないことになるかもしれない。そして、俺は…………
* * * * * * * * * *
「おーい、マサヨシ、いないのか?ったく、後で行くと言っといたってのに、どこほっつき歩いてるんだか。せっかく助けた女の子がお礼を言いに来てくれたってのになぁ」
「悪いねぇお嬢ちゃん、いまちょっと留守にしてるみたいで……え?マサヨシの奴がどこにいるのかって?俺も分からねえんだよ、もし誰か知ってる奴がいたら、案内して欲しいもんだ」
THE END