第十話 実行
家を飛び出して向かった先は、学校だ。俺たちが初めて会話したあの場所で、この思いを伝えたい。
あの日からもう一年が経ったのか。俺はふとそう思った。隼人に出会ってから、一日があっという間に感じている。今までよりも充実している気がする。久しぶりに自分の感情を見れたかもしれない。謎に感動を抱いた。
そんなことを感じていると、すぐに学校の校門が見えてきた。よく見ると、その前には隼人が立っていた。
「なんで入らないんだ?」
「学校が空いてないんだ」
それもそのはず、今はもう夜だ。普通なら校内に入ることは出来ない。でも、俺は違う。
「実は、抜け道知ってるんだ」
「え?」
そう言うと、俺は最近見つけたある場所に行く。この学校には何故か鍵が壊れたままの窓がある。学校は気付いているのか分からないが、未だに直される予定はないようだ。窓はすんなりと開いた。
「こんなことよく知ってたね」
「まぁね。すごいでしょ?」
「うん!」
隼人は心做しかウキウキしている様子だ。確かに夜の学校は不気味でもあるが、それ以上に好奇心が注がれる気がする。浮き足取りで屋上に向かう。屋上の扉は、いつも通り簡単に開いて、俺達は中へと入る。
さぁ、とうとうこの時がきた。思えば、隼人に出会った時、いや、もっと前からやっておけばよかったのだ。でも、意気地無しの俺は今まですることが出来なかった。それが隼人に会えたから変わったんだ。やっと実行する時がきた。
「で、どうしたの?」
「ちょっと直接言いたいことがあって」
「何?」
ずっと言えなかった。でも、今言わないと、もう一生変われないかもしれない。今、勇気を出さないと。長い沈黙の後にこう宣言した。
「この町を出ようと思う」
やっと言えた。俺はそれだけで充分満足したが、隼人は何故か微妙な顔をしている。まるで、予想が外れたような、そんな顔だ。隼人は他に反応を示さないので、俺は勝手に話し出す。
「隼人に出会ったから、自分の本心に気づいてしまったんだ。それに、」
「それに…何?」
頑張れ俺。それに……。
「ずっとこんな小さな町に、世界にいたら絶対後悔すると思って。」
その言葉を聞いた隼人は、まるで電撃が走ったかのように、
「僕もこの町から、両親の呪縛から逃れたい!」
と、強く言った。
「じゃあ、一緒にいこう」
「いいの?」
「もちろん」
「隼人と一緒にいると、退屈しないし」
「ふふっ。なにそれ」
隼人は初めて俺に笑顔を見せてくれた。
まだ本当の気持ちを伝えるには準備が必要だ。
「本当に行くの?」
「当たり前じゃん」
母の顔を見ずにそう答えた。
あの日からの展開は早く、俺は今まで連絡をとっていなかった父に久しぶりに連絡をした。父は、俺のことを理解してくれ、謝ってくれた。そして、俺も謝った。互いに過ちを認め、俺は無事に父の元で暮らすことになった。これで母から、この町から離れることができる。そう思ったところでふと違和感を覚える。長年の希望が実現したはずなのに、どこかモヤモヤしてしまう。
「じゃあね」
そう言おうとして振り返ると、母の目が潤んでいるのがわかった。今更泣くようなことがあるのだろう。理解に苦しんでいると、
「ごめんね…」
と、母の弱々しく小さな声が聞こえた。
こんな声を聞くのは初めてかもしれない。いつも聞こえてきたのは、怒声ばかりだったから。
「私だってわかってたんだよ。あなたを苦しめていたことを。でも…」
でも、なんだよ。そんなに男の子がほしかったのなら、さっさと作っちゃえば良かったじゃないか。俺は嫌味っぽくそう思った。
「でも、どうあなたに接すればいいのか、どうすればあなたを守れるのか、わからなかったの」
……あぁ、そうだったのか。お互い不器用だったのか。
俺に対して、どう接すれば良いかわからず、そして、俺の容姿によって問題が起きないように、俺を心配して無茶な要求をし続けた母親。
そんな母親のことを毛嫌いしつつも、母親からの愛情欲しさに、母親を一人にしないために長年無茶な要求を飲み続けてきた俺。
お互いのことを思った行動がすれ違いをうんだのか。
やっと理解は出来たが、そう簡単に許せるわけが無い。
「またね」
俺はそう言い直して、家を出た。そして、駅へと向かった。隼人が待っている。