出会い3
皆が寝静まり、偶然にも早めに目が覚めた咲哉は外に居た。
空に雲は一つも無く、澄み渡った快晴、星一つ一つがはっきりと見え、視界が開けていた。
外に一人、咲哉は切り株に座り焚き火をしながら何かを焼いていた。
「……ここまではあの寒気は届いてないよ。冬樹」
揺れる、白い髪を掻き分けて赤い瞳が彼を捉える。
「何で分かったんだよ」
白い息が流れて行く、凍えるような寒さが身に染みる。
そんな寒空の下で冬樹は呆れた様子で溜め息を吐いた。
「人には気配があるから」
「気配ねぇ」
特に忍び寄ろうとはしていなかったが真後ろに居る人物の名前すら当てるのを冬樹は薄気味が悪く感じる。
「あぁ、その個人が持つ世界に対する存在証明のようなね」
「あー、師匠がそんなこと言ってたな。自然とはまた違う雰囲気が魔力にも影響してるみたいな」
冬樹の脳裏には保護者代わりで魔術師の師匠が浮かぶ。
しかめっ面で常に眉間にシワを寄せ、魔術以外が基本出来ない人の事を。
「魔力探知を越えた何か……。お前のはすこし違うかもしれないが」
「第六感辺りかな」
咲哉の右側にもう一つ切り株があり、冬樹はそれに座ると焚き火で暖まる。
「で、何で外に?体調の方は大丈夫?」
「まだ少し怠いけど動けるようにはなった」
「そう。なら良かった」
しばらくの沈黙。木々が揺れる音や、梟の鳴き声、薪が焼ける音は心地良かったが、冬樹には堪えづらかった。
「何で……、助けてくれたんだ?」
その問答に咲哉は悩む様子を見せ、少し経ってから口を開いた。
「悪い奴ではなさそうだったし、共通の敵が居たし、困ってたし……けど」
咲哉の顔を横から見て、炎と共に深紅の宝石のような瞳が揺れていた。
「寂しかったから。寂しかったからだな。うん。多分そう」
その言葉に冬樹は声がでなかった。
襲い来るは困惑と驚愕。けれどその後に妙な納得と理解があった。
咲哉の恐らくははじめて見せる素の表情。何処か薄幸そうな笑みを。
「お前、寂しかったって……。もしかして十年間二人で?」
「うん。レーヴァテインと二人、今日まで過ごしてきたんだ」
それ以上は踏み込めない。もし踏み込むのなら、それ相応の覚悟と理解がなければ傷付けるだけと知っていたから。
「まぁ、そりゃ寂しくもなるわな」
冬樹にそんな覚悟も、理解も、抱くことはできなかった。
「俺も聞くけど、何で信用してくれたの?」
「ん?そりゃあ、師匠に何処か似てたからな」
咲哉が首を傾げる。誰それ?な感じで。
「俺の師匠は魔術師なんだ。百は越えてるんだが、まぁ、自分の事が何も出来ない、人でなし」
「俺、そんな人でなしに似てるの?」
「そこじゃない。……目が似てる」
目と言って、咲哉は自分の目元に触れる。
「何もかも失ったような、それでも強く生きてる人の、な」
そう言われて咲哉は黙り混んでしまった。見通されてたんだと言わんばかりにうつむいて。
そして再び訪れる沈黙。さすがに耐えきれず冬樹が話題を変える。
「あー、そろそろこれ焼けるんじゃないか」
それは火に炙り続けられていた肉塊。表面から肉汁が音をたてて溢れ、表面を伝って滴る位には火が通っていた。
「……食べる?」
「出来れば」
冬樹の食い意地が張る。と、いうのも肉体を持って生きている生物にとって食事と睡眠がもっとも効率の良い魔力回復方法である。であれば腹が空くのは必然だった。
塩とハーブで香り付けされただけの鹿肉、けれど五臓六腑に染み渡るぐらいには久しぶりの美味しい肉だった。
「もしかして俺らに出してくれたあの飯、お前らが食うやつだった?」
「今更」
「わぁー、一言くれぇー」
夜が更ける。そして片割れの月が沈み星が廻る。そしてようやく、冬樹の日課の時間になった。
星を見上げた。それだけ、けれど彼の魔法にとっては何より大事なものだった。
「何をしてるの?」
「星を見てる。俺の魔術、魔法には何よりも必要でな」
「ほー」
咲哉も真似して空を見上げる。星を見た。流れるような星の配置は川のようで美しく感じる。
そう感じる咲哉の傍らで冬樹の右目が開く、瞳孔が開く、魔眼が起動する。
それに気づいた咲哉は瞬時にそれがどの様な機能を持ってどの様に作用するのかを理解する。
「観測の魔眼……」
「星見の観測眼だ。正確には。正規の魔眼使いからは紛い物らしい」
右目から白眼部分が消え真っ黒に変色している。それはまるで宇宙がその瞳の奥に存在するかのような錯覚をするほどに。
「これぐらいで良いか」
魔眼を閉じ火の方へ向く。
「思ったよりきれいだね」
「まだ見てんのか」
咲哉は何処か遠くを見る。思い馳せるように、思い出すように。
「あー、そうだ」
冬樹が懐から何かを取り出す。それは板状の表面に『チョコレート』と書かれていた。
「これやるよ」
「ん?」
それを手に取ると裏を見たりする。
「チョコレートだ。シャルロットから盗んできた」
「盗んできた!?」
「アイツのスパイダーの腹部格納部に隠してあったやつ」
「えぇ」
冬樹は満面の笑みを浮かべて言う。
「飯くれた礼。シャルロットからは俺が言うから気にするな」
「気にするよ」
とは言いつつも少し気になって紙を裂く。
「あぁあ、銀紙はこうやって剥がして、そうそうそれを食べる」
パキッと、綺麗に割って口に運ぶ。
少しして咲哉の瞳が輝いて笑みが溢れる。
「んー!?これ美味しい!」
「なら良かった」
「でも、昔食べたことがあるような無いような……。似たようなもの食べたかな?」
「いや知らんし」
けれど、彼の笑みは消えるとこはなく、瞳の輝きは増すばかり。
今日一番の笑み、何処か子供のような笑みを絶やすことなくチョコレートを頬張って食べている。
その様子は、それこそ人間のようで。
それから一時間ほど経って空が明るくなってきた。
澄み渡った空から星を掻き消し、それより眩く輝く太陽が顔を見せ始めていた。
「だーかーらー、あんこはこし餡だって!」
「つぶ餡だろ!分かってねぇなぁ」
朝っぱらから大声であんこ餅の中身の餡はつぶかこしかで言い争いながら消えそうな焚き火を囲っていた。
「こし餡は舌触りが良くってしっかり甘いって感じられるんだ!」
「つぶ餡はあんこって感じがするだろぉ!こし餡は子供向きだ!」
二人の言い争いの声は家の中まで響き渡り、外からの大きな声に一人目が覚める。
急な階段を降りて、肌寒い土間を通り、玄関の扉に手をかける。
「こし餡!」
「つぶ!」
咲哉と冬樹の言い争いに割って入るように、玄関の扉が開かれた。
紫の長髪、紫の瞳。そこに居たのは咲哉の同居人、寝間着姿のレーヴァテインだった。
「朝からなんです。まだ寝ている方が居るのですよ。咲哉様」
「あっ、ごめん」
「そちらの、えーと、冬月様?」
「冬樹です」
「冬樹様も、つぶもこしも同じ小豆です。生で食わせますよ」
「あっ、はい」
そう言ってピシャリと扉を閉じられた。
「……怖いな」
「まぁ、うん。怒らせると怖いよ」
「けど、結構はだけてたな」
「朝はいつもあんなだよ」
いまだ小声で話し合う。何気無いことや笑い合える事を。
この日、二人は見知らぬ二人から、顔を知っている仲の良い誰かへと変わった。それはまるで友人ように。
玄関を挟んでレーヴァテインは振り返る。
あの光景がいまだに信じられず、けれど、確かに彼がこれからを受け入れているその確かな証明にほそく笑む。
思い返すはかつての過去、思い馳せるは叶わぬ願い。
悲鳴に似た泣き声を出し、恨むべきものを憎まず、失われたものに手を伸ばし続ける心の壊れた咲哉。
『何も要らない。僕はただ、三人と一緒に居たい』
自らを道具と称し、人真似をするだけの彼女ですら幸福を感じたあの日々。
決して戻ることはなくとも再び作ることはできる。ひとえにそれだけが望みだった。
故に、レーヴァテインは切に願う。
我が最愛の人達、その最後の一人が幸福でいられる世界を。
さっきのような、気兼ね無くつまらないことで言い争い、喧嘩したり、仲直りしたり、バカしたり、笑い合ったりできる世界。
「どうか、貴方は貴方でいてください」
当たり前の幸福を特別と感じられる彼のまま。