出会い2
(主、側、怨嗟……)
それはこちらをじっ、と見つめたまま動かない。
(人、捨てる、悪性)
遥かなる海、身の内にて生まれたそれは語りかける。
(近く、小さく、弱く)
自らの危機を知らせるために。
(我、主、どうか)
それは彼方からの呼び掛け、その声を聞き入れる。
「我が身の内より生じた物、その警告、しかと」
突如、目の前に五芒星が浮かぶ。
(いつの日、行き会う、非人)
星が見える、宙が見える。
(人、悪性、宿す)
瞬きの間に星を巡って宙が広がっていく。
(我、願う、主)
そして形成される、光の渦。
(輝かず、命造る、惑星)
その外れで、それに俺は手を伸ばす。
(不壊、天動、だから……)
「大丈夫、心配するな。俺の魔力はすぐ回復する」
(……主、死なず、願う)
風景が引き込まれる、星が飲み込まれる。
その光景はそれの食事、星を飲み込み宇宙を食らう。
東雲冬樹という男の身の内、魂の中に生まれた物による怪物の侵食。
全てが無になる、虚無を落下する。内蔵全てが引っくり返って吐き出しそうになる感覚と共に意識が現実に引き戻される。
「ウッワァァァア!!」
暗闇を落ち続ける悪夢の末、冬樹の目が覚める。
「うるさい」
「うるさいです」
「静かにしてください」
途端に十輪、アイン、シャルロットから罵声を受けた。
周りを見渡すとそこは和室、畳に木の壁にどこか懐かしさを感じる。
不快そうに額に拳を当て、まだ真っ青な顔色のまま深呼吸をする。
「何時間、意識が無かった?」
「四時間ほど、気絶していました」
シャルロットが側に寄って不安そうな表情を浮かべ、十輪が手首を握って脈を診る。
「魔力の回復速度が遅い。まるで、何かに奪われているような」
未だ不調が続く体を無理矢理起こす。
「大丈夫だ、もう少し休めば」
「休んだ程度でそれは治らないと思うけど」
部屋の入り口に咲哉は姿を表した。
少し肩を竦めて柱に寄りかかりながら。
「魔力が枯渇して魂まで消耗したから。普通なら一生目を覚まさないよ」
白髪を揺らし、前髪の隙間から赤い瞳がその場に居た全員を捉える。
「まぁ、覚ましたなら御の字。よかったよかった」
一番近いアインが強く警戒する。
「改めて自己紹介を、天条咲哉と言う。気軽に咲哉と呼んでな」
誰一人として口を開かず、その沈黙に嫌気が差したのか咲哉は背を向けた。
「ご飯食べる?あまり用意は良くないけど」
その言葉に誰一人返答はしなかった。冬樹の腹の音が鳴り響くまでは。
「あぁ、俺貰おうかな」
「隊長!?」
「正気です!?」
笑う冬樹に十輪とアインが焦った剣幕で説得する。唯一、シャルロットは冬樹の体の状態を省みて何も言わなかった。
「悪いやつじゃない、と思うから」
咲哉は彼らを背に、少しだけ嬉しい気持ちになった。
お出しされたものは決して豪勢ではなかった。けれど、その場に居た全員がご馳走に見えるぐらいには良いものばかりだった。
「それぐらいしか出せないから、すまん」
お盆の上に皿ごと焼き魚に、干し肉に、お吸い物に、おひたしに、漬け物に、ほかほかの白米に至っては少し多めに盛られ乗せられていた。
「肉」
「アイン……」
「ご飯」
「おい十輪」
左右からよだれを飲む二人が手を伸ばす。
「さっき食っただろ!」
「いや、米の量少なくて出さないっていったのはどこの誰だ?」
「肉も人工肉で小さいです」
不満を溢す二人に同情して冬樹が咲哉を見てしまった。
「二人の分も出せるよ」
二人は一瞬戸惑うも頷き、咲哉は肩を竦めて土間に足を運んだ。
「隊長、内蔵の方は大丈夫なのですか?」
「大事は無いと思う。純粋に魔力不足なだけだからな」
シャルロットが背中を背もたれにして体重を預け、冬樹は手を合わせ、いただきます、と言って食事を始めた。
「シャルこそ、体の方は無事か?」
「ズタボロですが。そろそろ全身義体も視野に入れようかと」
シャルロット、五割を機械に置換しているその肉体は、あろうことか最初に改造を施された八歳の頃から成長していなかった。
幼い見た目とは裏腹にその精神性は誰よりも逸脱していた。
だからこそ、誰よりも弱く、隠そうとした。
天使とは名ばかりの泥臭い努力家の強がりだとしても。
「そこまでしなくても十分役立ってるぞ。今回のが完全なイレギュラーなだけだからな」
「そう、ですか。なら、保留にしておきます」
細く笑み、シャルロットは顔が見えないようにうつむいた。
「天使ちゃんはほんとこいつ……隊長の事が好きだね」
「おい今こいつって言ったか?」
「聞き間違いでは?ホホホ」
素が出た十輪を睨み、溜め息を吐く。すると、ふと、冬樹は気を失う前のことを思い出した。
「アイン彼女は?」
「慌てなくても無事です」
箸を置き、手に持った茶碗も置いてアインへ振り向いた。
「現在この家の二階にて紫色の髪の、レーヴァテイン?さんが現在治療していたはずです」
「そうか、良かった……のか?」
「私より魔術による治療が上手いので生きてはいます。どうなっても私達は知らぬ存ぜぬですが」
「「ふざけるな」」
瞬間、十輪の言葉にシャルロットと冬樹が口を合わせて静かに声を荒げる。二人とも眉間にシワを寄せるほどの表情で。
「軽口を叩くのは構わないがほどとほどにしろよ」
「時と場合によっては命に関わりますからね」
明らかに声音が威嚇するように、二人の睨みは身をすくめてしまうほど険しいものだった。
気まずい沈黙、それを破るように彼女が現れた。
「お風呂ありがとーございまーす!あっ!私もご飯くださーい」
謎にテンションが高く、謎にフレンドリーで、謎に笑顔の楓が風呂から上がった。
風呂から上がってきた。
「いや、もうない……。明日まで我慢できる?」
「うぅー……我慢します」
恐らくは素の楓が咲哉に対して馴れ馴れしく側に寄っていく。
加え、着替えに和服を貰って。
「藍で良かった?」
「うん、いつも来てるやつより少し大きいけど……」
「楓さぁーん!?何で馴染んでんだよぉ!?」
冬樹の声が響き、楓が驚いて背筋が伸びる。
「飯食ってる俺が言える立場じゃないけど風呂は無いだろ!」
「あー、いや、違うんですこれは」
焦った楓が目がグルグルしながら居間の四人へ行く。
「寒くてお風呂に入りたかったとか、自宅の雰囲気に似てて緩んでるとか、スープが美味しくなかったとか、決して!そのような理由では!」
「そういう理由なんだな!」
冬樹の両端で二人が苦笑い、背中合わせのシャルロットが溜め息を吐く。
「隊長、そこまでです」
「彼女かなり体冷えてて言い出せずに我慢してたみたいだから多目に見てください」
「俺から言い出したからね」
咲哉が楓の後ろから現れ、食事を運ぶ。盆の上には冬樹に出したものと同じものが、少し大きさに差違はあるものの文句を言うほど余裕があるわけでもなく。
「「い、いただきます」」
少し躊躇い、そして口に運ぶ。薄味だが確かに美味しい料理に思わず笑みがこぼれてしまう。
「美味しい……」
その隙に咲哉が再び土間に戻り、釜の残りのご飯をかき集めて何かしている。
「食べ終わったら言ってね」
盛大に楓のお腹が鳴りながら、その目の前で気まずく食事をする三人。それを不憫に思い楓に差し出した。
「こんなものしかないけど」
それは、ただの塩握り飯。それを目を輝かして楓は貰う。
「ありがとう!」
「どういたしまして」
黒髪が揺れる。黒い瞳が見つめる。その人物が浮かべる満面の笑みに、天条咲哉という人間は何も返せなかった。
あまり使っていない奥の部屋からせっせと布団まで用意し始める。
「いや、それは……」
「こう言ったらあれだけど、今日はもう外にはでない方がいいよ。これは脅しではなくて、警告とか忠告とかそういうものだから」
咲哉の言葉を真剣に受け取りその上で冬樹は問う。
「……俺達は記録でしかこの事態を知らない。現地に居たお前が視たものを、何が起きているか、教えてくれれば助かるんだが」
布団を用意しながら少し沈黙、そして口を開く。
「少しの間、あの空の穴の向こうから光が落ちてくる。落ちる度に異変があって、一回目は世界そのものが上書きされて」
「知ってる」
シャルロットが冷たく言い放つ。
「私達が知りたいのはこれから何が起きるか。記録上だと光が落ちると怪物が沢山現れる。それから先は」
「世界の侵食」
人数分の布団をひき、襖で男女を分ける。
「異界侵食、最初が環境等の上書きなら、最後のは在り方の上書き」
「在り方……」
「それは、言わば国の召喚とか、土地の召喚に限りなく近い」
咲哉の瞳が冷たく彼と彼女を捉える。無表情でも、無感情ではない彼の心が、冷たく、けれど慈愛に満ちて言い放つ。
「二回見た」
その言葉の意味に気付くのに少し遅れ、理解した冬樹から口を開く。
「それは、東京上空に二回開いたと?この十年で?」
「うん」
固唾を飲んだ。
「どう、だった?」
絞り出した言葉は曖昧で、けれどそう聞く他無かった。
「同じだったよ。寒くなって、凍って、あの時は大量の怪物が雪崩れ込んできて、そして……」
少し間を置いて、思い出しながら口にする。
「国だったものが現れた。完全に荒廃しきっていて、人一人いなくて、何より浮いていた」
「浮いていた……?」
「文字通り、空中に浮いて泥を落としながら何処かに行ったよ」
冬樹が間髪いれず質問する。
「もう一回の方は?」
「あれは……、寒くはなかった。ただ急に大雨が降りだして街の至るところが水没して、挙げ句、ドラゴンが出てきたんだ」
「どうしたんですか。そのドラゴンは」
「笑いながら死んでいったよ」
冬樹とシャルロットはお互いアイコンタクトで合図を出し、質問した。
「その後は?」
「城の残骸が落ちてきた。白亜の石壁、色の付いたガラス、宝石とかね。けどこっちも荒廃していた」
「そう、ですか」
「異界人を、見たことは?」
「無いよ」
そして、二人は胸を撫で下ろした。
「ハワイの時みたいにドラゴンと戦って住み着いた異界人を説得するとかいう苦行はせずに済みそうだな」
「地獄かな?」
布団を敷き終えると居間へ出る。
「一期一会、一宿一飯、これぐらいの事しかしてあげられないけど、ゆっくり休んでよ」
その日初めて見せたぎこちない笑みはその場に居た皆をひきつらせるぐらいには不器用だった。