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【第二部完結】新たなセカイの神話  作者: 御誑団子
黒い影
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追想 別れも言えずに

 私を、選んで欲しかった。

 妹の幸せよりも私を。

 人類の危機よりも私を。

 選んで欲しかった。家族よりも世界よりも、私を愛してほしかった。

 ……分かってる。どうして私が選ばれなかったのか……。

 私は……私、アリスは……。


 何も選んでこなかった。


 見届けるだけだった。磔にされた彼を。

 立ち竦むだけだった。世界を救うと決めた彼を前に。

 救う事をしなかった。引き留める事をしなかった。何もしなかった。

 助けてと言って欲しかった。死にたくないと言って欲しかった。何も言われなかった。

 投げ出した。逃げ出した。死ぬ瞬間を見たくなかったから。別れがつらかったから。

 分かってる。だって彼が妹を救わず一人のうのうと生きていく選択を取る筈がない。

 分かってる。だって彼が救われなかった人々を横目に幸福を享受できるはずがない。

 一緒に居ればよかった。手を取ればよかった。我儘を言えばよかった。

 後悔なんて何度したかわからない。過去を振り返った回数なんて数えきれないほど。あの時こうすればよかったって微かな幸せを享受する度思い出す。

 ……死ねば、この後悔と別れを告げられるだろうか……。

 不死身の化け物が自死なんて出来るはずもないのだけれど。




「難儀な性格をされておりますね」

 咲哉が世界を救うと言って三日が経ったある日、私は日本にある隠居用の別荘に帰郷した。

 そこには三十年以上も留守にしていたのにフォルテが「いつ帰ってくるかわからないから」という理由だけで手入れをして住み込んでいた。

 吸血鬼としてはかなり弱くなっている。必要最低限の血液だけで生きてきたらしい。そのせいかかなり老け込んでしまっていたが。

 そんな彼が、帰ってくるなりソファーからほとんど動かない私の顔を見てそう言った。

「主人の機嫌を取る事もできんのかお前は」

「えぇ。私は天条咲哉の様に貴女様を笑顔にするのは難しいと存じておりますので」

 イラっとした。今一番聞きたくない名前を出されて。

 それに言い方もむかつく。彼の様に笑顔にするのは出来ない?するのが下僕の仕事でしょうに。

 腹が立つ腹が立つ腹が立つ。心底、(はらわた)が煮えくり返るような気分だ。

 ……殺してしまおうか。

「死にたいようだな貴様」

 無害と言われる私だが実際はそう見せかけているだけで若返りを極めれば受精卵まで巻き戻せる。力だって私の方が上だ。

 フォルテを押し倒し上に馬乗りになってその喉に手を回した。絞め殺すように。だが、フォルテは一切の抵抗を見せなかった。

 その態度に一層腹が立った。

「抵抗の一つでもしたらどうだ。最後の余興だぞ。一方的に嬲り殺すのでは興が削がれるというもの、少しは主人を楽しませようという気概は無いのか?」

「そんなもの、持ち合わせておりません」

 フォルテの瞳は死を前にした恐怖の色ではなく、嫉妬と悲哀に満ちた瞳をしていた。

 燃えるようで濡れていた。零れる物を留めながら誰かを憎んでいた。

「私は、殺されても文句は言いません。他でもない、貴方様に、アリス様に殺されるなら本望でございます」

「その名前を、お前が口にするな!」

 力一杯、首を絞めた。声が出ないように、その名前を二度と口にできないように。

「その名を呼んでよいのは、その名を……呼んで……良いのは、咲哉だけだ!」

 消してやる消してやる消してやる。その存在ごと、灰に遺る事すら許さぬ。主人の神経を逆撫でする事ばかりするこの無能を。

 なのに、フォルテは抵抗してきた。私の手を掴み、どこから湧いて来たのか、もしくは命を懸けた精一杯の力で喉元から剥がした。

 ガリガリと爪痕が付いているのに顔色一つ変えずにフォルテは私を睨みつける。

「ならば何故!奴の元に駆け付けないのですか!」

 涙を呑んで、怒りを吐き出した。

「私は弱い!貴女様を守れるほど強くなく、納得されるような仕事は出来ず、終いには捨てられ振り返られる事も無いただの、過去に居ただけの誰かっ!貴女様を恨みもしました!憎みもしました!これだけ尽くしてきたのに労いの言葉一つ無いっ……、それでもッ!それでも……、貴女様の幸せ一つを願って生きてきました……ッ、生きて……参りました」

 なのに怒りよりも嗚咽が勝る。呑んだ涙が零れ落ちる。

 その姿に、私は、私の怒りは、掻き消えた。

「天条咲哉と話される時の貴女様はいつも幸せそうでした。幸せそうに笑っておられたのです。わたくしにはできない、された事の無い笑みで」

 ……うるさい。

「嫉妬したことが無いと言えば嘘になる。羨望の眼差しを向けた事もある。けれど、天条咲哉と私は違う!違うのです……。奴の方が遥かに強く、面倒見も良い。なのになぜ!彼の終わりを見届けないのですか!何故ッ……わたくしと同じ捨て方をしようとするのですか!」

 ……うるさいうるさい。

「奴は貴女様にとって特別である筈!幸せをもたらし、愛し合い、人々の営みと世界の中にありながら真祖と共に歩み、『処女』である貴女様を一介の女にした奴を……どうして選ばないのですか!」

 ……うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい……

「関係ないでしょう……お前には」

「えぇ、関係などありません。奴の事は憎いので」

「なら……」

「でも、それでも、わたくしは諦めたのです。貴女様の傍に居る事を。貴女様に尽くす事を。胸を焦がす苦しみよりも、笑う貴女様が幸せそうにしている安堵と嬉しさの方が、勝ったのです。だから、わたくしの抱くこの感情は、貴女様を不幸にする。そう思い、捨てられても良いと、消えた方が良いと、そう思ってここで一人思い出に縋って生きてきたのです」

 なんで。

「なんで」

 どうして。

「そこまでするの?」

 私を優先するの?

「私はお前を捨てたのに……」

 涙で腫れたフォルテの目元が笑った。それに釣られるように、まるで恥ずかしがる乙女の様に頬を染めて。

「わたくしは、貴女様が好きですから」

 告白した。

 特に胸躍るとか、嬉しいという感情は無かった。薄々勘付いていたから。けれど、真正面から面と向かって言うその勇気は私には無いものだ。

 勇気……、あぁそっか。私は怖かったんだ。選ぶこと、選択した未来が間違いである事が。

 フォルテにはある。勇気が、恐怖と戦って、自分を信じて、間違っていたとしても突き進む事が。愚かだけれど、前に進む力を持ってる。

 私にはない。妹の罪を庇った彼を無理矢理にでも連れ出して一緒に生きようっていう愚かさも、世界なんて見捨てて一緒に居てほしいって言える幼稚さも。

 咲哉は言っていた。愚かさも幼さも失敗を経て学び成長して賢さと聡明へと変わる。最初から賢くて聡明な人間はいない、勇気をもって挑戦できる人間こそ成長の機会を得られるって。

 フォルテは腐っても人間なんだ。人間だから、人間時代に勇気を得られたんだ。対して私は、勇気を得られる機会なんて……ううん、違う。勇気を得られる機会すら無いものにした。挑むことをしなかった。それがどんなに小さな事でも無視した。小さな勇気を得る事すらしなかった。

 永遠の『処女』、成長しない『少女』、それが私なのだから。




 彼の告白を聞いて十二時間が経過した。

 私は、何も言えなくなった。

 フォルテの怪我は吸血鬼だからすぐ治ったけど、返事をしない私に対して落胆、もしくは失望しているようだった。

 するよね、こんな不誠実な女。

 でも、こんな女でも愛してくれる人は居た。

「咲哉……」

 こんな時に咲哉の顔を思い出す。

 白い髪、赤い瞳、童女の様に笑い、鬼の様に怒る。岩のように不愛想かと思えば花の様に笑顔を見せる。

 咲哉なら私よりもっと良い女と付き合えたろうに。あの女狐とか。化かすけど良い女だった。

 ……でも、咲哉は私を選んだ。選んでくれたんだ。こんな不誠実な女を。

「咲哉……」

 ソファーの上で丸くなる。寒いからじゃない。寒いけど。

 咲哉の温もりを思い出すために。彼と床を共にした時を思い出すために。女になった日を思い出すために。

 恋人を失ったばかりで心にぽっかりと穴が開いた咲哉がまるで自分と重なって見えた。あの日、彼を見殺した自分を見ているようだった。

 でも、違った。咲哉は知らない内に恋人を失った。帰ってくる恋人の為に好物を用意して。こしあんの和菓子が好きで手作りを用意してたらしい。けれど怪異退治に出かけた恋人は帰り道に情報にない吸血鬼に出くわし食い殺された。

 その日は恋人の誕生日だったという。

 私と違う。選ぶ余地は無い。向かいに行けとか一緒に行けってのは結果論だ。その時の咲哉には知る由もない。

 偶然に偶然が重なって不幸が大きくなってしまっただけだ。

 対して私はどうだ?

 選ぶ余地は無いか?

 偶然に偶然が重なるか?

 ……全部違う。

 選ぶ余地はある。偶然は必然だ。不幸を幸運に変える事はまだ可能だ。

 私はまだ、咲哉を救える。手を差し伸べれる。なのに勇気が無いってだけで、その選択肢を無かった事にするの?

 したくないに決まってるでしょうが!

「アアアアアアアアアアア!」

 無いものを生み出そうってのはこんなにも大変なんだ。確かに最初の一歩が一番大事な訳だ。

 なら、私は最初の一歩をもう踏み出した。何をするにも、後はどうにかなれ、なるようになれ!

「フォルテェ!」

「ッ!?は、はい!」

「ちょっと出かけてくる!留守番よろしく!」

 大声でフォルテを呼んで適当な事を言った気がする。止めて、ニヤニヤしないで。

「えぇ、行ってらっしゃいませ」

「キモッ」

「ご武運、お祈りします」

 あぁ、こいつは本当に嬉しいんだ。私が自分の幸せを掴みに行くことが。

「フォルテ」

「はい」

「……ごめんね。それと、ありがとう」

「………………………………ハハ、いえ、わたくしにはもったいないお言葉、ありがとうございます」

 もう背を向けているから私に表情は見えない。けど声音から本当に喜んでいる事はわかった。本当に勿体ない。私には勿体ない。

 そんな彼が振り絞ってくれた勇気の為、彼が見せてくれた成長の可能性の為、私は前に進む。いつまでも咲哉に不釣り合いな『少女』ままではいられない。ふさわしい女にならないと、一緒に居てよかったって言ってもらえる心を持たないと。

 彼にも、咲哉にも、フォルテにも申し訳ない。

「いってきます」

 正面玄関の大扉を開く。

 空にはスカイゲートが既に見える。世界を包むまで数日とない。咲哉の準備は四日かかるって言っていた。

 どういうことか大体予想は付く。日本で最も空に近い山、名を同じくする神が祭られた祭壇。

 すなわち、富士の山に咲哉は居る。




 彼女が旅立った。奴の元に旅立った。

 身を焦がす嫉妬が嘲笑いながら首を絞るような焦燥感を煽るその一方で、幸福を祈る自分が居た。

 不肖フォルテ、心より貴女様の幸せを。どうかご自愛ください。

 ただただ、それだけ。それだけだ。

 屋敷の奥へ行って掃除道具を持ってこようと踵を返す。

 その時、聞いたことの無い声を聴いた。

「欲のねぇ奴だなぁ。こんなにもでかい劣等感があるっつぅのによう」

「誰だ」

 振り返る。だが誰も居ない。自分しかいない。

「……疲れているのだろうか……。休むか」

 この時は知る由もない。これが、この声が自らの身の内に生まれた悪心で、大好きな人を食い殺す事になるなんて。わたくしの大きな過ちになるなんて。

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