プロローグ3
澄み渡った空は青く、見上げるには十分な天候だった。
「良い天気だな」
「はい。帰って洗濯物を干しましょう」
「でも、雪って言ってなかったっけ?」
「今晩かと思われます。東京に雪など数年ぶりですが」
冷え込んだ朝に下に洋服を着込みその上から和服を着込む謎のファッションで佇む白髪に赤目の少年が一人、傍らに紫色の長髪と瞳の少女を引き連れ町を徘徊していた。
「魚釣れると思う?」
「潜ったほうが早いかと」
「潜るほうかぁ」
少し海に近い建物の屋上に着くとそこから大きな船が見えた。
そして開けた場所に誰か達が忙しなく動いている。
「…咲哉様」
紫髪の少女は白髪の少年の名前を焦ったように呼ぶ。
「わかってる」
僅かな敵意を含み声が出た。
「まともな奴だったら良いんだけどな」
「もう帰りたい」
十輪が疲れきった声で弱音をあげる。
それも仕方ないと言えば仕方ない。全身に重い装備を着込み、手には総重量十キロの特殊な銃を持って一日中歩き回ったのだから。
既に日は陰り、辺りは暗くなり始めていた。
「ゴブリンだけじゃない、様々な怪物が活発になる時間です」
アインの言葉がタイムアップであることを告げる。
「それもそうだな。腹も減ったしな」
そう言った瞬間、十輪の顔にキラキラした笑みが浮かぶ。
少しだけ、肩の荷が下りた気がする。謎の発光体の正体は判明しなかったがなんとか一日を乗り切った。
溜め息と同時に気が緩んでしまう。
「帰るか」
頬が吊り上がって笑いが込み上げてきた。
「食いたいものある?在庫にあれば出させるぞ」
「肉が食いたいです」
「米!」
十輪が真っ先に拠点に帰る最短距離を歩む。
その後ろを俺とアインが追従する。
「案外杞憂ですかね、隊長」
「かな。警戒はしないといけないけねーけど」
「周辺地域は調査しましたが特にありませんです。やはり十年前の救出作戦で」
アインの言葉に首を横に振る。
「全員はあり得ない。かなりの人数が取り残された筈なんだ。ほとんどは東京に集まってたらしいし」
だからこそ、人の居た痕跡がない旧東京都は不気味で仕方なかった。ほとんどの建物が怪物の巣窟になり完全な異界となってしまったその街に人類の踏み入る余地はない。
「隊長のご両親は取り残されたと」
「ロクデナシだから特に気にしてないけどな」
けれど、それでも、誰か生きていてほしいと願ったのだ。
「日本の木造家屋が立ち並ぶ街並み、俺も見てみたかったです」
「それは京都だよ。てか、それなら俺の師匠が住んでる辺りが綺麗に再現されてるだろ」
「本物が見たいのです」
これほど昔の日本に関心を持ってくれる外国人も居ない。嬉しさと同時に落胆が襲いかかった。
「本当に、写真だけではなくて、この目で」
アインが空を見上げて睨み付ける。
「俺達は見たくもないが」
空に開いた大きな穴、スカイホール。もしくはゲートと呼ばれる魔法。
二十年前、それは世界中で突如として現れ、穴から溢れだした巨大な岩とおとぎ話の怪物は瞬く間に空を覆い、地上を蹂躙した。
曰く、天が落ちた災害。
曰く、地を割った災害。
その穴を調査に出て、生き残って帰ってきた人はこの様に言った。
神話の世界が広がっていたと。
今はスカイホールが開いた記録こそ無いものの人類が住んでいる大陸はもうほぼ無い。故に、異世界がどこまで世界を侵食しているかわからない。
「目の前で開いたりしてな」
そんな軽口を叩きながら帰路を歩む。
「止めてください」
先を歩む十輪が振り返り言葉を投げ掛けた。
「忘れた頃に来るぞ」
「すいません」
アインが苦笑いをしながら頭を掻いている。
「言霊だな。言葉として発言した瞬間に力をもって、現実になる。だから、ネガティブな事じゃなく、ポジティブな事を口にして、そっちを現実にしようぜ」
「むしろフラグと言った方が」
「なんて?」
「何でもなーい」
十輪は再び前を向き歩く。その姿を見てアインが足を早めて側に着くと話題を振って、めんどくさそうに返されたいた。
もうじき雪が降る。ただでさえ冷たい空気がより一層冷たくなり始める。
「はぁ、しっかし、東京ってこんなに寒いのかねぇ。あんまし雪降らないって聞いてたんだけど」
吐く息は白く、吸い込む空気は冷たく、まるで寒冷地にいるような寒さだった。
夜、日は沈み辺りは暗く、そしてあまりにも冷たすぎる雪が降り始めていた。
「…天変地異だなこりゃ」
それはもはや豪雪と呼ぶにふさわしい。ものの数時間で数センチ積もり、明日の朝には足が埋まりそうだ。これはもはや異常気象、アラクネに戻りすぐに本部へと連絡する。
しかし…。
『でも、雪降ってるだけなんだろう。寒いだけなんだろう。なら大丈夫だろう』
部下を殺すつもりかと、思わず怒鳴りそうになる返答がやってきた。
加え、偵察隊であるこの部隊五名以外はアラクネに戻っていってしまった。
取り敢えず石材の上でも設営できる大型テント複数にに防寒設備をしっかり施し、積雪対策、加えテントの補強などなど、緊急事態に急ピッチで対応する。
それらが一段落しようやく晩飯を食っていた。
「あー、暖かい」
食事という幸福、この遠征において数少ない娯楽。ただの暖かいスープがここまで癒しを与えるとは思いもよらず、思わず頬が緩む。
他のメンバーと離れたところで見張りをしながらだが。
「隊長、おかわりいるです?」
「いる」
アインがスープの残りを持ってくるも、もう一杯文しか残ってなかった。
「おいふざけんなもう残ってねぇじゃねぇか!」
「ハハハ」
「あーもう、律儀に容器にいれやがって」
残りが入った容器に蓋をして傍らに置いてちびちびと飲みながら体を暖めている。
食事を終え、そろそろ見張りの交代の時間。ふと後ろを振り返った。
「あれ?足音はさせずに近づいたのですが」
「してたぞ。意外と分かりやすくな」
シャルロットが忍び寄っていた。
「機体は?」
「メンテナンスを終えて野外に置いています。みんな屋根代わりに」
「あれほど貴重な魔術兵器を屋根にって、まぁ、こんだけ雪降ってりゃ当たり前か」
二つのテントを覆うように置かれたアラクネの下、アイン、十輪、雪村の三人がまだ騒いでいた。
「…戻らないのですか」
「あぁ。もう少しだけ」
「考え事ですか?」
「あぁ」
「じゃあ、このシャルロットに相談役を買わせてください」
彼女が隣に座る。この極寒の中暖かそうな格好をして。
少しだけ黙考して口を開いく。
「…東京都奪還作戦、これどう見る?」
「厄介払いです」
「ですよねー。いや、分かってた」
「特に、東雲隊長、貴方の」
その時、シャルロットの眉間にシワが寄る。
「ハワイ諸島奪還作戦での貴方の働きが上の連中は気に食わないのでしょう」
その言葉に、声が詰まる。
「そんな、いい働きじゃないだろう」
「ドラゴンを一時的とはいえ完封したのをですか?」
「……肩身が狭くなった?」
「はい。魔術兵器及びそのパイロットはその存在理由が危ぶまれています」
溜め息が出た。白い息が雲のように空へ向かって飛んでいく。
「じゃあ、同時進行の作戦から追い出すのが目的かぁ」
「アメリカ大陸奪還作戦には二十を超える魔術兵器が投入されていますので、そうでしょうね」
胸につっかえていたものが取れた。と、いうよりも理解していたものを言葉として消化できた気分。
気持ちは楽になった。
「シャル、いつもありがとうな」
ここぞとばかりに彼女のが自分に教えてくれた愛称を言う。天使ちゃんとは言われ慣れている彼女からすれば不意打ちだったのか顔を真っ赤にして小突いてきた。
「人誑し」
「ははは」
頬を膨らませ恥ずかしがる彼女を前にニヤけてしまう。
「噂がたってますよ。女好きとか、人妻好きとか」
「誰だよそんな根も葉もない噂言った奴」
「アイン」
「おいてめぇ!アインこの…てめぇ!」
すかさずアインへ跳んでいってヘッドロックを決める。笑い合って、ふざけて。年相応の行動を行ってしまう。
「何するんです隊長」
「シャルロットに変なこと教え込んだな」
「悪意ある噂を教えただけです」
世界がこんな状態でなければ、あるいは遥かなる過去であればこの時間はもっと続いたかもしれない。
そう、この平穏は、幸福は、なんの前触れも無く、砂城の様に崩れ去る。
それは突如起きた。
真っ先に気付いたのは輪に加われず少し離れて相づちを打っている楓だった。
何かを察知して空を見上げた。
「何か……変?」
「ん?どうかしたか?」
刹那、微かな光が周囲を照らす。
その光で辺りを警戒するなか、その音を聞いてシャルロットが悲鳴をあげるように叫んだ。
「みんな、伏せて!」
普段の彼女からは聞かない喉の潰れそうな声だった。
僅かな思考、言葉の真意、意味を知った時、全身の血液が逆流したかのような感覚に襲われた。
咄嗟に、俺は魔術を使った。
「我が元に集え『守護の七星』」
瞬時に青白く光る七つの星が集い周囲に円を描きながら浮かぶ。
星空が隠された状況下ではこれしか使えない。それでも……。
「『我ら』を守りたまえ!」
星が北斗七星の形を取ると全員を囲めるほどの結界のようなものが出来上がる。
瞬間、それは起きた。
大きな爆風と轟音。轟音は鼓膜に直撃し痛みが走る。爆風は周囲の朽ちた建物を粉砕しながら迫り来た。
全員が伏せる中、俺だけはそれをみた。空の亀裂、雲を掻き分けて、雪を吹き飛ばし、それは東京都上空に現れる。
空に開いた巨大な穴。スカイホール、異界への門。人類が太刀打ちできなかった未曾有の脅威。
それが目の前で発生した。空間そのものを突き破り空間震と呼ばれる大災害を引き起こしながら。
俺にはそれが晩鐘に聞こえた。
俺達人類の終わりを告げるように。