電脳パラレルワールド その二
スカーレットの説明では僕が影の国を滅ぼしたことになっている。
もちろん僕がそんなことをできるはずもなく、何かの間違いなのは確かだ。
しかし、スカーレットは僕の名前を知っていた。一度も会ったことがないのに。彼女の時間軸で過去に僕の名前を聞いていたのも確かなようだった。
それにしても、だ。
僕が影の国を滅ぼすのにどれほどの力が必要なのか。恐らくはとてつもない力だろう。この僕にそんな力があるように見えるか?
僕はドアをノックした。
「合い言葉は?」
ドアの向こうからキッドの声が聞こえた。
「いわないといけない?」
「もちろんだ。お前がスパイかも知れないからな」
「この合い言葉、いいたくないんだけど」
「さてはスパイか?」
「……わかったよ。いうよ」
「よし。合い言葉は?」
「キッド様とスカーレット様はお似合いですね」
程なくドアが開いた。
「ジン、よく来てくれた」
キッドが笑顔が眩しかった。
ドアの先はスイートルームに繋がっている。普通に借りたらいくらするんだろう。仮想空間ではどんなに豪華な部屋でも用意ができる。ここはキッドがスカーレットを一時的にかくまうために用意した空間だ。
仮想空間へのダイブは肉体ごと潜るので現実世界から身を隠すことが可能だ。もちろんゲートが存在していることはばれてはいるんだけど。
スカーレットは元々こちら側の人間ではないので、姿が消えてもそれに気づく人もいない。キッドはうまいことやったと思う。
またドアがノックされた。ミカが来たようだ。
「合い言葉は?」
「今すぐドアを開けないと密告するわよ」
密告を明言したら密告にならないのでは。
「魂を悪魔に売った女か!」
「悪魔かもね。どうする?」
ミカはキッドに凄いプレッシャーをかけてきた。ミカが合い言葉をいいたくないのがよくわかった。
「ゲートの存在は記録されてるんだ。悪意ある人物が近づかないように……」
「セキュリティーをかけてるの知ってるんだから。早く開けなさいよ!」
僕はキッドに首を振って見せた。キッドは渋々ドアを開けた。
「わかったよ、ミカ。これからはミカには他の合い言葉を用意する。ミカ襲来!……」
光速の拳が仮想空間でも有効なことをその時初めて知った。
スカーレットは部屋の奥にいた。
キッドはすでにこの世界について簡単に説明をしていた。
西暦2070年。超高速型の光量子コンピューターによる次元転移効果を利用したゲートシステムが開発され、人類は理想的な異世界での生活を可能にした。電脳パラレルワールドといったところか。
このようなパラレルワールドは実は現実世界にも存在する。理由は簡単。選択肢があれば平行世界はその都度生まれる。しかし物質的質量は保存される傾向があるので、選択肢分の平行世界はあくまで仮定として分岐する。つまり確率はゼロにならない。
次元転移効果というのは斥力が働いた世界といった感じで、ゼロじゃないなら存在してもいいのでは、といったところだろうか。
そういった理屈でこの部屋も存在しているわけだけど、肉体ごとは入れる空間はどこにあるのだろう、って悩むはずだ。僕も難しいことはわからないけど、この辺が時間がずれているってことらしい。時間の発生が空間を発生させる仕組みになっている。本来の時間とは異なる時間がここでは流れている。その境界線がゲートだ。
「スカーレット様。ここは安全です。どうぞご安心を!」
キッドの言葉にスカーレットはうなずいて、
「ありがとう。感謝する。これがコンピューターが作った世界か……」
スカーレットはすっかり感心していた。
「コンピューターが作ったというより、効果を適用するために適切な演算処理をしているといった方が……」
「ジン! そういうのをコンピューターが作ったっていうんだ!」
キッドが怖い顔で睨んできた。
「スカーレット様はまだこの世界に慣れていないんだ。気をつかえ!」
そしてくるりとスカーレットの方に向き直り、
「失礼しました、スカーレット様。今後このようなことがないよう、後でキツく罰しておきます!」
罰する? 僕を?
「うむ」
スカーレットは部屋に備え付けの大きめの椅子にドカッと座り足を組んだ。ボディーラインを強調するかのような光沢感のあるスーツがよく似合うほど、スカーレットのスタイルは抜群で、キットはその組まれた長い美しい足に見とれていた。
「喉が渇いたな……」
スカーレットは甘えた声で催促した。
「はっ! ただいまお持ちします!」
キッドは奥にあるこれまた豪勢な大型キッチンのこれまた大型冷蔵庫の扉を開けて天然果汁の飲み物を取り出した。
この冷蔵庫に保存されている食料は本物で、実際に飲み食いできる。このあたりがコンピューターが作ったとはいえない理由だ。
ゲートシステムが完成してから仮想空間ビジネスは多岐に渡って展開された。今や仮想空間は現実世界より居心地のいい場所でもあった。
スカーレットはドリンクを飲み干すと立ち上がって僕を見た。
「では本題に入りましょう。あなたが犯した罪を償わなければならない」
「ちょっと待って。ジンはずっと私たちといたのよ。何も悪いことはしてないわ」
ミカが抗議した。
「何も知らないのね、ミカ。ジンは『少年』という悪魔なのよ」
僕は魔女の言葉を思い出した。悪魔のような少年……。
スカーレットは僕を指さし、さらに続けた。
「彼はこの世界も滅ぼすわ。必ずね。私が知る預言書には確かにそう記してあったわ」
「ジンなんてことを! 素晴らしい友人だと信じていたのに!」
キッドの言葉が嘘にしか聞こえない。
「ねえ、キッドにミカ。この素敵な世界を彼に台無しにされたくないでしょ? 私なら彼の力が遠く及ばないところへ連れて行けるわ」
スカーレットの瞳が怪しく輝くのを僕は見た。
「ジンのことは私に任せてちょうだい。悪いようにはしないわ」
キッドとミカは言葉をなくして僕を見ていた。
部屋を満たす重い空気、緊張感。いや、違う。何だろう、この感じ。
預言書。偽典。僕の頭に浮かぶ言葉。
もしかして……。
「その通りだ。ジン」
不意に部屋に男の声が響いた。
「しくじったな、スカーレット。邪悪な心の中が垂れ流しだぞ」
僕は声がする方へ視線を向けた。そこに一人の精悍な若者が立っていた。
「エリオット……?」
何故か僕はそう呟いていた。その理由も知らずに。