影の国と少年
王室相談役ガゼルは憂鬱な顔で二人の若い影を見つめていた。
スカーレットとエリオットの二人だ。
彼らは影の中でも抜きん出た存在で、数ヶ月前滅んだ世界をその目で見てきたという。
かつて神に愛されたその世界の住人たちは栄華を極め、誰一人としてわずか数日にして世界が終焉を迎えるとは思いもしなかっただろう。
王室の占い師が告げたにわかには信じがたい内容にガゼルは当初戸惑いを隠せなかった。
しかし、『あの男』が動いているとなれば話は別で、ことは一刻を争う事態に違いなかった。ガゼルが知る限り、あの男は最も危険な人物の一人に数えることができた。その力はスカーレットやエリオットのような超人的な能力者でさえ遠く及ばなかった。
二人の若い影の優秀さを知るからこそ不安は増すばかりだった。
この国に危険が及ぶのは一度や二度ではなかった。
力が力を呼び寄せるのか、魔の物たちの襲撃が幾度も繰り返しあった。
今この国が平和なのもすべて影たちの活躍なくしてあり得なかった。
この国の歴史は神話そのものだった。神から授かった不可思議な能力によって、長きにわたりこの世界は守られてきた。そして、これから先も。
「例の少年……だと?」
スカーレットの提案にガゼルはしばらく動きを止めた。息ができない息苦しさを苦痛として味わいながら。
「例の少年とは例の少年のことか?」
「他に誰がいますか?」
首をかしげるスカーレットには不安を感じている様子はなかった。むしろ好奇心に動かされている節さえあった。
若い。これが若さなのか。ガゼルはスカーレットの若いエネルギーに老いという言葉の意味を知る思いだった。
「私、あちこちの平行世界を行き来して例の少年の噂を耳にしました。知ってますか? 例の少年って本当に少年の姿なんですよ」
「知っておる。私を誰だと思ってる?」
「あ、すみません。失礼しました」
スカーレットはエリオットの方を向いて舌を出した。エリオットは「見られてるぞ」と目でサインを送った。スカーレットは慌てて振り向き直してから、「さすがはガゼル様」とあざとく持ち上げてごまかそうとした。ガゼルはそこを流して、「それで?」と問うた。
「それでといいますと?」
スカーレットはまた首をかしげて見せた。
「会ったのか?」
ガゼルはさらに流して話を進めた。
「いいえ、まだ。あ、まだです」
ガゼルはしばらく渋い顔で黙っていたが、やがて重い口を開けて、
「例の少年に会ってはならん。いいな?」
「どうしてです? 何か問題でも?」
重い空気を漂わせた効果はスカーレットに通じなかった。スカーレットはすでにやる気だった。
ガゼルはスカーレットの意志の強さを感じ取って、ことの重大さを理解させようとより重く低い声で続けた。
「災いの元だからだ。『少年』というものすべてが」
「すべてというのは言い過ぎだと思います。例の少年はきっと味方になってくれます」
ガゼルはスカーレットの強い反発に面を食らった。王室相談役に対するスカーレットの態度はどこか礼儀を欠いてはいたが、若く美しくそして才能あふれるスカーレットはどこか憎めない性格の持ち主で、その明るい性格が国王ハミルのお気に入りでもあった。
「だって……」
スカーレットはわざとらしく言葉を句切り、得意げな顔で続けた。
「私が会いに行くんですよ。私が。絶対に落としてきます!」
ガゼルは口を開けたまま言葉もなくスカーレットを見つめていた。
男を口説き落としに行く感覚で交渉しに行く気満々のスカーレットにどんな言葉が必要だっただろうか。
「わからないのか? 『あの男』も『少年』なのだぞ?」
「危険なのは承知してます。でもこの国を救うために私はできることをしたいのです」
恐怖を口にし、なおそれに打ち勝つ強い意志をスカーレットは見せた。
もはや止めても無駄だとガゼルは納得するしかなかった。
「では好きにするがいい。しかし、これだけは言っておく。すべてお前の責任で行うこと。お前にもしものことがあっても我々は一切関知しない。いいな?」
「了解しました。お任せを!」
スカーレットは重い責任を背負わされたというのに、明るい表情で軽口をたたくように挨拶を済ませ、任務に就いた。
「スカーレット。一つ聞いてもいいかな?」
「そのことなら心配ないわ」
「今心を読んだ? 警戒を解いていたから仕方がないけど」
「ええ。おかげさまで、あなたも『少年』に興味があるのがわかったわ」
「君に協力するつもりで解いていたわけじゃない。でも当てはあるのか?」
スカーレットはエリオットの目を見て、
「今度はガードしたのね?」
「まあね。そう簡単に読まれてたまるか」
エリオットは得意げに笑った。
「当てはないけど当たりならつけているわ」
「君は謎めいたことを言うのが得意だな?」
「ええ、女ですから。それにガードもしているし」
「確かに読めないな」
「女の秘密は知ってはいけないのよ」
スカーレットの瞳が怪しく輝くのをエリオットは確認した。彼女との力の差を肌で感じ取った瞬間でもあった。
「それで当たりというのは?」
エリオットは話題を変えた。
「考えてみて。『あの男』という言い方。何故名前を出さないのかを」
「それは……名前を出すと『聞かれて』しまうかも知れないからさ。彼等は皆『地獄耳』だからね」
エリオットはジョークを混ぜて場を和ませた。
「そうなのよ!」
「えっ……?」
「私たちの会話をその『地獄耳』で聞いているに違いないわ」
「僕が今いったのはジョークだ」
「私、例の少年の名前を知ってるの」
「まさか……?」
エリオットの顔が蒼白になった。
「名前をいうのはよした方がいい。本気じゃないよな?」
「私の心を読んでみて?」
冗談はやめてくれとエリオットは手を振った。
「君も知ってるだろう? 『あの男』の名前をいった連中がどんな目に遭ったかを?」
「知ってるわ」
「それは惨い殺され方をしたんだ」
「馬鹿にしすぎたのがいけないのよ。当然の報いね」
「しかし……」
「心配しないで。名前を呼ぶのは別の場所でやるから」
「スカーレット!」
心配するエリオットにスカーレットは優しく微笑んで見せた。
「大丈夫。きっとうまくいくわ。だって……私が失敗するわけなじゃない?」
スカーレットは飛んだ。
エリオットの知らないどこか遠い平行世界へ。