入り相に十字架
柔らかなベッドの上で、私は目を覚ました。白い天井が私を見下ろしている。
——ここは、どこ?
次の瞬間、あの情景が閃光のように脳内を回った。私は勢い良く身体を起こした。肩が弾む。息が荒い。
少し息が落ちついてきてから、私は室内を見回した。
どこかの病室のようだ。窓から差し込む西日が室内をオレンジ色に彩っている。白い床、白い壁、白い天井が夕日に染まっていた。
うつむくと、いつもの着慣れた制服。足元は、履き慣れたスニーカー。私は制服を着て、靴を履いたまま、寝ていたらしい。状況がわからない。ここに来た記憶がない。
不意に、室内の扉が開いた。私は、そちらを向いた。カツン、と床を踏む音がする。姿を現したのは、不気味な少女だった。白い燕尾シャツに赤いボンテージパンツを着ている少女。
彼女は、左手で身の丈ほどの十字架を握っていた。十字架の尖った先端が、怪しく光っている。
「誰……」と、私は小さくつぶやいた。
「リデルだよ」と、少女は白い歯を零した。少女の顔に流れる銀髪。銀色の間から覗く青い瞳が私を映した時、私は震駭した。
——あの目だ。私を見下す、あの女の目。
冷笑する彼女は、ゆっくりと私に近づく。歩くたびに、黒いブーツが床を鳴らした。
私の座っているベッドの横まで来ると、彼女は十字架を両手で握って、切っ先を私に向ける。少女の青い瞳は夕日を受けて、殺意の炎を灯している。
容赦なく。私を串刺しにしようとする十字架が、壁に突き刺さる。私は咄嗟に床へと転がって、十字架をかわした。
リデル、と名乗った少女は十字架を握ったまま、首だけを動かして私を見つめる。そして、いたずらっぽく笑いながら、ささやいた。
「逃げないでよ」
何が起きているのか、理解できずに私は立ち尽くした。
「血が欲しいの」
混乱の渦に飲み込まれている。
「ねえ。歩ちゃんの血は何色? 紅? 朱? それとも赤?」
思いっきり叫びたかったけれど、喉が詰まって声が出ない。床についたままの私の両手から、冷たさが伝わってきた。
十字架を引き抜こうとしていた影が、荒い息を吐きながら座り込んだ。抜けないらしい。
——逃げなきゃ。
こわばった足を、私は必死に動かそうとしていた。
壊れた人形のように、影が笑う。夕日が彼女の身体に沈んだ鎖を瞬かせた。焦点の定まらない青の瞳が、白い天井を映していた。
——動かなきゃ。動いて!
ふらつきながら、私は立ち上がり、病室の扉を開ける。仄暗い廊下に出て、私はひたすら走り始めた。
窓からオレンジ色の光が帯を引いている。髪がなびく。息が上がる。鼓動が速い。それでも駆けて、駆けて、駆け抜ける。光り輝く出口に全力で向かう。
背後から、狂ったような笑い声が、追いかけてくるような気がした。
エントランスの自動ドアをこじ開ける。踏み出した外は、陽だまりが陰影と相まって、不気味なコントラストを描いていた。
病院を囲う塀を抜けたところに、2つの影が寄り添っている。小さな影は揺れていたが、駆け抜けようとしている私に気がつくと、パタパタと音を立てて、走り寄った。
ぶつかる、と思わず足を止めてしまう。私の目の前に、全く同じ顔をした2人の少女が、並ぶ。
何、と思う私に、少女達は微笑んだ。そして、口をそろえて言う。
ようこそ、夜を待つ世界に。
どうぞ、お楽しみくださいませ。




