死刑よりも残酷な
突然、風が駆け抜けた。砂埃が舞って、思わず目をきつく閉じる。顔に当たる砂の粒が痛い。すぐ止むはずの風を、私は座り込みながら待っていた。
予想に反して、だんだん風は強くなる。身体が持っていかれそうになり、地面を両手でつかむ。髪が後ろに流れる。制服のタイが飛ぶ。
強風によって揉みくちゃにされても、私はただ耐え忍ぶことしかできなかった。吹き荒ぶ風の気が済むまで、じっとしていた。
どこか遠くでカラスが鳴いているような気がした。風が凪ぐ。恐る恐る、目を開ける。あの美青年は、いない。
住宅地に囲まれた小さな公園の真ん中で、私は独りで座り込んでいた。閑散とした公園は、夕日にすっぽりと包まれている。
空を仰いで見えるのは、腫れてしまった喉のように真っ赤な夕日。世界を紅く染めていた。
近くにあったブランコへと、私は腰かける。地面には、私の影が長く伸びている。見つめているうちに、まるで世界で独りきりになったかのような、猛烈な寂しさを憶えた。
紛らわせるように。勢い良く、私は地面を蹴る。大きく、大きく、足を振る。茜色の空には、届きそうで届かない。
——こんな感じだった。いつも思っていた。私は、夜には届かない。
殺さないことよ、最も残酷な殺し方は。
だから、私はあなたを殺さないの、と冷笑していた彼女を殺してから、この世界に来た。
夜を待つ世界。
世界を知らないまま、私は世界を彷徨っている。
それでも。私には感覚的に、わかりかけていることがあった。
リデルも。メアもリアも。レムも。あり得ないことだけど、紛れもなく感じたのは夜だった。私を見下す、あの目も。時折、いじらしく見える笑い方も。
——いじらしい? 有栖川夜が?
確かに。細くて華奢だけど、夜に弱さを感じたことはない。自分で思っていたことなのに。私は首を傾げた。到底、似合いそうにない言葉が、妙にしっくり来る。
「みんなのお母さんがね、エキドナなの」
不意に、双子の可愛らしい声が鮮明に想い起こされた。だから、私は確信する。この世界の核は、やっぱり夜だ。
「世界を抜け出すヒントは、情愛の末の苦痛。背徳の享楽」
気がつけば。ブランコを漕ぐことはやめて、私は言葉を口している。
享楽に良いイメージはない。大半が示すものは酒、女、ギャンブル?
この中で、情愛と結べるのは女だけ。情事の末の苦痛と考えるなら、示唆するものは出産? もしくは、処女の痛み?
「血が欲しいの……。汚れを知らない、純潔の血が」
リデルの甘い声が聞こえた気がして、私は戦慄を覚えた。考えは間違っていない。だから、先を考えることが怖い。
ノストロ・ペリカノ。
西洋におけるペリカンの嘴の意味で、全てが繋がってしまう。結論は……、近親姦。
ブランコの揺れは、だいぶ収まっていた。夕闇が濃くなる。風が耳の側を通り抜けた。初夏特有の、一抹の肌寒さを感じる。
喉がカラカラに乾いていた。おもむろに立ち上がって、私は蛇口まで歩く。
ひんやりと冷たい蛇口を捻ると、きゅっきゅっと錆びれた音がした。すぐに壊れてしまいそうな華奢な音。きらきらと降ってきて、闇へと消えていく。
——今さら、わかったって。どうすればいい?
夜は私が、殺した。
さらさらと流れる水を、私は手の平で掬う。水面に、顔の見えない自分が映る。自分の気持ちがわからない。
私にも、4人分になるくらい。相反する感情がある? だって、あの4人は、みんな。夜の一部だった。
——だったら。リデルが私に対して言った「アイシテル」は、いったい何?
喉を潤しても、喉の奥に何かがつかえる感じが消えない。
見上げた空は、紺とも藍とも言えない彩りで滲んでいた。




