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叛逆の赤い月  作者: 九尾
第2章
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ラヴレター

 

「あのね、天城くん。尾崎くんが言ってた手紙なんだけど――似てるものを、知っているの」


 水戸と争った河川敷から離れた和巳に、琴葉はそう言った。


「……え?」


 あまりに突然だったため、和巳は何を言っているのかがわからなかった。しかし琴葉は再び口を開いた。翠に届いたというあの手紙について知っているかもしれない、と。

 どういうことなのか和巳は問いかける。

 すぐには返事は来なかった。和巳の瞳を受けて、琴葉は大きく深呼吸をして、もう一度、大きく息を吸い込んだ。


「わたしね、ストーカーされてたの」


 耳を澄まさなければ聞き取れないほどの小さな声で、琴葉は喉から音を絞り出した。


「天城くんは、不登校の岡くんが警察に捕まりかけて自殺したのは知ってる?」


 その話は、つい先日に翔也から聞いていた。


「うん、聞いたよ。彼、ウチの女子生徒を盗撮か何かしていたらしいね。確かに許せないことをしていたとは思うけど、自殺まではしなくても――」


 そこまで言って、和巳は琴葉が言わんとすることに気付く。

 琴葉は、震える身体で小さく頷いた。


「わたしね、(よこしま)なの。岡くんが自殺したって聞いて、正直ホッとした。人が一人死んだかもしれないのに、わたしはそれをね、喜んだ」


 自殺は成功したのか、未遂に終わったのかはわからない。けれど、岡が和巳たちの前に姿を現すことはもうないだろうと思った。

 うん、和巳は頷いた。その相槌を受けて、琴葉は静かに続ける。


「岡くん、友達が少なかったでしょ。一人は寂しいだろうと思って、話しかけたことがあったの。わたしも、翠ちゃんや和巳くんと友達になるまで、一人で寂しい時があったから。けどね、それから岡くんが執拗にわたしに話しかけてくるようになってね……」


 琴葉は、気の弱い女の子だ。自分一人では、なかなか断ることができない。

 翠の言葉を借りるならば、『ノーと言えない日本人』だ。

 おそらく岡は、彼女のそんな性格に付けこむようにして、あるいは、彼女が自分へ向けた同情を恋愛から来た行為だと自意識過剰に思い込んで、彼女に迫ったのだろう。


「いつからか、下駄箱にわたしの写真が入った封筒が入れられるようになって……その写真、撮られた覚えないし――下着まで映ってるものも、あって……」


 過去の恐怖を思い出してしまったのか、琴葉は少しずつ、しゃくりあげてしまった。

 和巳は何も言えず、彼女の言葉を待つ。


「けど、翠ちゃんにも誰にも言えなくて……でも写真、誰かに見つかるの怖くて、どこにも捨てられなくて……だからわたし、岡くんが自殺したって聞いて、安心して――」


 岡の自殺には、警察に見つかったということだけでなく、小牧たちのことも少なからず動機に含まれているのかもしれない。岡の不登校の理由は詳しく知らないが、交友関係が上手くいかなかったことが大きな理由だと翔也から聞いていた。

 一般の生徒である和巳ですら、小牧らに呼び出しを受けて散々殴られたのだ。交友関係の狭い岡も当然、似たような洗礼を受けたのではないだろうか。だから岡は学校へは行かず、不登校のまま琴葉とコミュニケーションを取ろうとした。

 もっとも、岡の琴葉に対するコミュニケーション行動は、琴葉の心を大きく傷つけるほどのおぞましい行為だった。いくら故人とはいえ、岡に同情しようとは思わない。


「だからもう、手紙はもう来ないはずなのに……怖くて……今日も、誰かに見られている気がして、怖くて――ごめん、急にこんなこと言われても困るよね、ごめんね……」


 姿を消して尚、岡圭太という男は彼女をこんなにも苦しめている。

 これまで彼女は一人で、どうしようもない不安や恐怖と戦っていたのだろう。預かり知らなかったこととはいえ、和巳はつくづく自分の無力が嫌になった。

 誰かが苦しんでいるのに、自分は何もしてあげられない。誰かが苦しんでいるのに、この世界は手を差し伸べてはくれない。――いつも、こうだ。

 だからせめて。琴葉の心が、少しでも楽になれればと。


「大丈夫だよ。岡はもういないから。もう、大丈夫だから」


 彼女の震えが止まるまで、和巳は琴葉の手を握っていることにした。


       ◇ ◇ ◇


 路地の明りが、暗くなった夜道を心なく灯していた。

 今度は和巳一人だ。琴葉はもういない。周囲には通行人すら存在しない。

 思った通りというべきか、あの奇妙な匂いが動き出したのを感じた。

 正確な距離まではわからないが、気配はすぐ後ろまで近づいていることがわかる。


「出てこいよ」


 和巳は、闇夜に告げる。

 ざわりと空気が揺らいだ気がした。数秒ほどした後に、暗闇より少女が現れた。


「――彼女が、貴方の恋人なのかしら」


 無視をした。しかし彼女は、和巳の拒絶をまるで意に介していない。


「わたしがいること、気付いていたのね」


 心底意外そうに、彼女は言う。


「どうでもいいだろ。それよりきみ、蛇のようにしつこいんだな。一日中追い回すなんてどういうつもりだ」


 蛇のようにしつこい、という言葉を受けて、少女は眉をしかめた。けれどすぐに表情をいつもの冷静な顔に戻して、告げる。


「前にも言ったでしょう。貴方を必ずものにすると。わたしと来る覚悟は決まったかしら」


「断ると言った」


 和巳はその場を去ろうと歩き出すと、少女は「覚悟を決めるのが遅い」と告げた。


「貴方の日常はとうに蝕まれている――見て見ぬふりをしていたら、取り返しのつかないことになるわよ」


 翠のことを言いたいのか。

 和巳は拳を強く握りしめた。


「お前が――お前が蝕んているんじゃないのか! ぼくの日常を!」


 激情のまま叫ぶと、少女は和巳の怒りを髪を払うかのように受け流し、「なるほど、そういう考え方もあるのね」と視線を空に向けた。

 そんな態度が、ただただ癪に障る。

 一刻も早く彼女から離れたくて、和巳は早足でその場を去ろうとしたとき、


「貴方が振り向いてくれるまで、ラヴレターでも送ろうかしら」


 そう言って、少女は小さく笑った。

 ラヴレター。――奇妙な手紙。

 やはり、あの手紙の送り主は――。

 和巳は背後を振り向いた。

 そこにはもう、誰もいなかった。

 ただ、夜の闇だけがある。


       ◇ ◇ ◇


「おかえりなさい」


 夕凪の声を受けて、和巳は帰宅した。


「今日は、その……何と言えばいいんでしょうか」


 あの少女と話してから、和巳は自分でもわかるほど機嫌が悪かった。おそらく夕凪は、それを翠が何者かに襲われて入院したことへの憤りだと思っているのだろう。

 和巳は忘れないうちに、今日は友人の見舞いへ行くと夕凪に断っていた。


「笹田は、元気だったよ。本当、怪我してるくせに、誰よりも元気だった」


 夕凪を怖がらせまいと、和巳は軽く笑った。


「なら、良かったです」


 和巳の気持ちを汲み取ったのか、夕凪もほんのりと笑ってくれた。

 翠が元気であったのは、嘘ではない。例え空元気であったとしても、翠は空元気を出せるだけの元気があった。両親も後で見舞いに来ると言っていたし、翔也もいた。

 今は病室で一人かもしれないけれど、明日になればきっと翔也は見舞いに行く。和巳はもちろん、おそらく琴葉も見舞いに行くつもりだろう。

 和巳が居間に向かうと、夕凪は玄関で立ち止まっていた。


「どうしたの、夕凪」


「兄さん、手紙が来てませんか?」


 和巳は居間から再び廊下に戻って、玄関を見る。扉に付属されたポストには確かに、はがきらしきものがはみ出している。

 嫌な予感がした。

 吐き気がこみ上げた。

 しかしそれ以上に、堪えようもない怒りが沸き出した。


「また残暑見舞いでしょうか。困ったものですね」


 夕凪は和巳の変化に気付かないのか、小さく笑って居間へ戻った。

 一人ポストに手を入れた和巳は、それを見る。

 はがきだ。宛先の書かれていないはがきだ。

 やはり新聞や雑誌の切り抜きが表に張り付けられている。


『次はナい』


 次に協力を断れば、容赦はしないという意思表示だろうか。


「何がラヴレターだ。――ふざけやがって」


 ――ぐしゃり。

 和巳は、はがきを強く握り潰した。


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