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叛逆の赤い月  作者: 九尾
第1章
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忌み嫌われし鬼

 

 小牧弦が、何者かによって殺害された。

 死因は窒息死。咽喉部圧迫による絞殺によるものだと警察は推測しているそうだ。

 その事実に、これといって天城和巳は何を思うこともなかった。面倒事が減ったとか、可哀相だとか、そういった気持ちも特にない。ただ、自分が警察に疑われるのは嫌だな、という若干の不満があるくらいだった。

 自分が小牧弦を殺したのではないと自覚してからは、自身でも驚くほどに冷めていた。

 岡圭一が自殺したと聞いたときもそうだった。どうにも和巳には、自分とその周囲の人間以外のことには酷く冷徹になるらしい。それはもしかしたら、二年前の日本航空303便墜落事故で200人近い人の死を目の当たりにして、そして両親を失って、『人は死ぬ』という常識を身近に感じてしまったからかもしれない。


 今日は五限までは通常授業だった。六限は緊急の全校集会で小牧弦への黙祷。学校周辺で殺人事件が起きたことから、部活動は当分中止という形に落ち着いた。


 今日は六限が黙祷になったおかげで、いつもより早く帰宅することができる。普段は和巳と入れ違いに若菜が帰ってしまうことが多いが、今日は帰宅したあとも少しばかり時間に余裕があるだろう。

 日頃の感謝、昨日の謝罪の意も含めて、和巳はケーキを買っていくことに決めた。


 計都高校の近くには、『ディアー』というスイーツ店がある。

 ここはなかなか女性受けの良い店で、多彩でオシャレなスイーツが置いてあることから高校生の間でも有名だ。なによりも、カットケーキがひとつ三〇〇円前後と、価格がお手ごろだ。店内は喫茶店のように席が準備してあるが、持ち帰りも可能なので、スイーツ好きの男子生徒も活用することが多いという。

 ディアーには十七時頃になると売り切れのため販売が停止してしまう限定メニューが存在するのだが、早く帰れたおかげでそれを購入することができた。今日の限定メニューは、特別な栗を使ったというモンブランだ。


 三人分のケーキを手に持って店を出ると、不意に和巳はどこからか視線を感じた。

 左右を見渡しても、和巳を見ている者はいないように思う。帰宅時のサラリーマンや学生、買い物かごを下げた主婦が歩いているばかりだ。


 小牧が死んでしまったことを気に病んでいるのだろうか。しかし小牧の死因は窒息死だ。和巳がやり返したことが原因ではない。何者かに絞殺されたのだ。

 

 ――ぼくが気にすることはないはずだ。


 何度も胸に言い聞かせて歩を進めようとしたとき、奇妙な匂いが鼻についた。

 人のものとも、動物のものとも違う。ましてや、ガスや食物の類でもない。これまで嗅いだどんな匂いとも異なるもの――例えるならば『蛇の匂い』。


 咄嗟に和巳は背後を振り向いた。そこには何人もの通行人がいる。別段珍しい状況でもないその中で、ただ一人、見覚えのある少女だけがやけに浮いていた。

 くすり、と長い髪をハーフアップに纏めた少女が笑った気がした。

 彼女はグレーのパーカーの上から黒いテーラードジャケットを着こみ、藍色のオーバースカートを穿いている。以前とはまた異なる格好だ。しかし、見間違えるはずもない。

 昨日、和巳にナイフを向けた少女だ。和巳を殺そうとした少女だ。


 刃物のような美しさを持った少女の瞳が、和巳を映す。それだけで、全身が切り刻まれるような恐怖を思い出す。

 少女の履いたウェッジソールサンダルが、かつかつと音を立てて和巳に近づく。

 時が止まったようだった。頭が白くなった。何も考えられなかった。

 和巳はただ、少女の黒い瞳を見つめていた。吸い込まれると思った。

 喉が乾いた。激しく脈打つ心臓がうるさい。瞬きすることも忘れて、ほんの数秒とはいえ、和巳の身体は蛇に睨まれた蛙のように硬直し――恐怖した。

 昨日、不良たちに殴られ続けても、和巳は自分を客観視して、どこか遠い存在のように思っていた。なのにこの少女に睨まれただけで、どうして恐れることがある。


 通行人の一人に肩をぶつけられて、ようやく我に返った。

 和巳は総てを忘れて、少女から逃げるために走り出した。


 それからどこをどう走ったかなど覚えていない。

 ただ、鞄をどこかに落としたこと、肺がはち切れんばかりに痛いこと、そして、自分が人気のない路地裏にいることだけを和巳は酸素の足りない脳で理解した。

 倒れるように壁にもたれかかって背中を押し付けたまましゃがみ込む。

 今の自分があまりに滑稽に思えて、小さく笑った。

 近頃の自分は、本当にどうかしている。不良を殴り倒して、何者かに襲われて、変な教会で変な神父と話をして、そして終いには、一人の少女に見つめられたからと、死ぬほどの恐怖を覚えてどことも知れぬ路地裏で座り込んでいる。


「何やってんだ、ぼく。頭、どうかしてるんじゃないのか……」


 交通事故の折に、頭でも打ったのだろうか。

 そういえば医師の話では、身体にはこれといって大きな傷害がなかったという。もしかしたら、脳という見えない場所でその代償を払っているのかもしれない。

 脳に異常をきたし、人が人に見えなくなる――そんなSF小説が脳裏に浮かぶ。

 不安になった。不安に身体が震えた。

 そのときだ。


「どうせ逃げるなら、せめて『(よる)』くらいは使えばいいのに、馬鹿な子ね」

 

 いつからそこに居たのか。和巳の正面には、あの少女が立っていた。

 息を呑む。しかし今度は、これまでのように思考が停止することはなかった。対面も三度になれば、少しくらいは慣れるらしい。指は震え、心臓は壊れそうなほど強く脈打っている。だが、それでも、何も考えられないというほどではない。


「きみは何者だ。ぼくを、殺す気なのか」


 震えた声で言い切ったあと、上手く呼吸ができなかった。呼吸を止めたまま、少女の返事を待つ。


「……ええ。その予定だったのだけれど」


 緊張の様子は欠片もなく、平然と髪を払って彼女は言った。


「わたし、貴方に興味が沸いたの。少し、話をしましょうよ」


       ◇ ◇ ◇


 平日の一七時を過ぎた公園の周辺には、一人の子供の姿すら見当たらない。

 もともと遊具の少ない公園であることから利用者は少ないが、それにしても、周囲に通行人すら一人も見かけないというのは、いささか奇妙――というより不気味である。

 小牧弦の殺害事件が、近隣住民に警戒を促しているのかもしれない。


 そんな公園のベンチでは、件の少女がもくもくと膝の上に乗せたモンブランを口に運んでいる。あり得ないくらい不釣り合いな光景は、和むどころかむしろ恐怖の対象だった。


「綺麗ね、今日の空は。今宵はきっと、素敵な黒い月が見られるのだわ」


 彼女への返事の代わりに、和巳は大きな嘆息をした。


 話をしましょう。そう言って和巳を公園に連れてきた少女は先ほどから、和巳の存在など蚊ほども気に掛けず、それどこからか持ってきたモンブランをご満悦な様子で口にするばかりである。

 話をする気概がまるで感じられないのだ。

 和巳は心を落ち着かせるために深呼吸。思い切って、少女に話しかけることにした。


「なあ、『ヨル』って、なんだ」


 モンブランを頬張りながら、少女はキョトンとした顔で和巳を見た。その瞳からは以前のような殺意や敵意を感じないことに、和巳は心の底で安堵する。


「夜というと、どういうことかしら」


「さっき、きみが言ってただろ。逃げるなら、『ヨル』を使えって」


「へえ。教会から帰って生きているから、てっきり説明を受けたと思ったのだけれど……なんだ、まだ勧誘されていなかったの。なら、多少は説明しないといけないのね」


 少女は気だるげに肩を落とした。


「勧誘って、何かの勧誘のこと?」


「そうよ。例えるなら宗教かしら」


 宗教という言葉に、昨日聞いた天使と悪魔が頭に浮かんだ。


「ほら、わたしたち、少し変わった存在でしょう。だからね、狙われているのよ」


 変わった存在――というのは、どういうことだろうか。

 確かに和巳は、ここ数日で自分がこれまでの自分とは異なる自分に変化しているのではないか、という自覚が少しある。彼女が言うのは、そういうことなのだろうと適当に納得する。それよりも今は、彼女の言った『狙われている』という言葉に興味があった。


「狙われているって、何に?」


「分かりやすく言えば……そうね、天使とか」


 なんでもないことのように、彼女が言った。


「わたしたちはね、異端なのよ。普通の人間から見たら悪魔のようなものなの。その証拠に、わたしたちは赤い月の下で生きている」


 赤い月というものが何なのか、和巳にはよくわからない。しかし、悪魔という言葉だけは嫌でも頭に残った。


「ぼくが悪魔?」


 少女は、何もおかしなことではないと言わんばかりに頷いた。


「だって、わたしたちは人の世界に悪を持ち運ぶモノだもの。自分の利益にのみよって動く者たち――それが、わたしたちのような存在。まさしく悪魔よね。ちなみにだけど、わたしたちのような異端の存在を、『忌鬼』と言うらしいわ」


「……悪魔だとか天使っていうのは、一体何?」


「天使というのは、わたしたちのような忌鬼とは正反対の存在のこと。ちなみに、こちらは『形代』と呼ばれているわ」


「全く意味がわからないんだけど……」


 困惑する和巳に時間を与えることもないまま、少女は「それで」と話題を戻す。


「貴方が聞きたいのは、『夜』の話だったわね。『夜』っていうのは、忌鬼が共通して持つ特殊能力のこと――なのだけれど」


 少女の黒い瞳が、和巳を視る。


「――本当。貴方は、どんな夜を持っているのでしょう」


「そんなことを言われても……」


 答えかねる。和巳自身、自分に何が起きているのかわからないのだから。

 確かに近頃の自分は異常ではないかと自覚しつつはあったが、それで自分が悪魔だったと言われて「はいそうですか」と納得できるほど、頭のネジは飛んでいない。


「わたしの見たところ、貴方はどうやら、形代に近い波紋を持った忌鬼みたいなの」


 彼女の言う『波紋』はよくわからないが、忌鬼や形代の判別材料であるようだ。

 となると天城和巳は、天使でありながら、悪魔でもあるということなのだろうか。


「初めに形代だと認識したからこそ、わたしはあなたを殺しに行ったのだもの」


 何気なく告げられた穏やかでない言葉に、和巳の身体がこわばった。

 少女は大きくため息をついて、「けれど違ったわ」と続ける。


「信じたくはないけれど、貴方を形代と判断したのはわたしの勘違いだった。今こうして見れば、非常に形代と似ているとはいえ、貴方は確かに忌鬼の波紋を出しているのよ」


 信じたくはないけれど。――と、彼女は再度、自分に言い聞かせるように呟いた。


「だからわたしは貴方の夜が『擬態』ではないかと疑っているのだけれど――どうかしら」


「どう、と言われても……」


 わからないことが多すぎて、答えられるだけの判断材料がない。

 考え込む和巳を気にすることもなく、、少女はパクパクとモンブランを口に運んでいる。


「さっきから思ってたんだけど、なんできみは今ケーキを食べてるんだ」


 殺すだのなんだのという会話をしているというのに、彼女の方向から漂うモンブランの香りが、空気とかその他いろいろ大事なものを台無しにしていると思う。


「落とし物を届けにきた報酬を受け取っているの」


 少女がコンビニなどで配布されるような安物のフォークで指差したのは、和巳の横に置かれた鞄と白い箱だった。

 この黒い鞄と白い箱は少女がベンチに座るなり、和巳の横に図々しくも置いてきたものであったから、てっきり少女のものだと思い込んでいた。しかしよくよく見てみれば、黒い方は『落とし物』とメモ書きされた紙を貼られた和巳の鞄だ。


「……ちょっと待ってくれ」


 となれば、少女がせっせと口に運んでいるこのモンブランは。


「おい、それぼくが買ったケーキじゃないか!」


 鞄と共に置かれた白い箱、ディアーで購入したケーキの入れ物の中身を確認すると、ケーキが一つ減っていた。そうよ、と何でもないことのように頷いた少女は、最後に残っていた栗を口に入れて、御馳走さま、と両手を合わせる。


「なんで勝手に食べちゃったんだよ!」


 態度を欠片も崩さない少女に怒鳴りつけると、少女はさも当たり前のように言った。


「貴方が放り出した鞄と荷物を持ってきてあげたのだから、それに対する報酬を与えるというのが恩を受けた者の礼儀でしょう。何か文句があるかしら」


「ああ、文句しかないね。そもそも落ちていたものを持ってきたからって、勝手に報酬を受け取って良いものか。相手が受け取ってくださいと言って初めて、それは報酬になる。それ以外は窃盗だ、このケーキも例外じゃない」


 このケーキはこの時間になるともう買えないのだ。次に買えるのがいつかと考えると、気が遠くなるほど先だ。それだけに、このモンブランの価値は計り知れない。


「わたしが報酬として受け取ったのだから、それは報酬になるの。おわかり?」


「全くわからない!」


 怒りで相手が自分を殺そうとした少女であることも忘れ、あれこれと文句を並べる和巳だったが、少女はそんな和巳の説教を小耳にも入れない。どころか、あくびをしながら「貴方、馬の耳に念仏って知ってる?」と聞いてくる始末だった。

 顔を真っ赤にして和巳が立ち上がると、少女は大きく身体を伸ばして、「少し疲れてしまったわ。久々に人と話したから」と、立ち上がった。


「話は終わっていないぞ。どこに行くつもりなんだ」


 引き留めようとする和巳に振り向き、少女は唐突に顔を近づけた。思わず一歩引いた和巳の眼を覗き込んだ少女は、「秘密よ」と意地悪く笑い、スカートを揺らして背を向ける。


「なんにしても、今の話はこれから嫌でも理解できることでしょう。貴方が赤い月の眷属であると知れば、正義に燃える鉄仮面や石像くんが黙っているはずもないもの。それでは、また後で――」


 言葉が最後まで紡がれる前に、少女の姿は和巳の前から消えていた。

 周囲を見渡す。人の気配はなく、また蛇の匂いもない。


「なんなのさ、あいつ……」


 大きなため息をついて、和巳は倒れるようにベンチにもたれ掛った。

 昨日の生死のやり取りにも疲れたが、今回のやり取りはそれ以上に疲労したような気がする。あれほどマイペースな相手と話すのは初めてだった。


「……帰ろ」


 和巳が立ち上がったとき、不意に奇妙な感覚があった。

 空気が重い。肺が詰まる。まるでゼリー状の空間に入り込んでしまったような息苦しさが晴れると同時に、それは始まった。

 暗くなり始めていた空が、突如として明るくなり――昼が訪れた。

 空を明るく照らすのは、太陽。そして、その横には黒い月。

 時計を見た。時刻は午後六時半を指している。いくら秋に入ったとはいえ、この時刻に真昼のような明るさはどう考えても異常の事態だ。


「黒蛇……いや、悪なる忌み子が一人」


 後ろから、男の声がかかった。

 少し低く、それでありながら良く通る声。


「もう一つ、強い力を感じたような気がしたんだけど――まあいいか。この世の悪は、少しでものさばるべきではないからね」


 石灰に似た匂い。和巳は声の方向へ振り向いた。

 そこには、一人の男が立っていた。見かけは普通の男だ。齢は二〇前後、中肉中背で、赤のチェックシャツにジーパンという大学生にありそうな服装の男だった。


 男の姿が、一瞬のうちに視界から外れた。

 視線で男を探す前に、咄嗟に横へ飛んだ和巳は、おそらく勘が冴えていたのだろう。

 次に和巳が男を視界に収めたとき、男はいつの間にか移動して、つい先ほどまで和巳の座っていたベンチを一撃のもとに粉砕していた。

 和巳の通学鞄が中身を散らかしながら舞う。白い箱から飛び出した二つのモンブランが大地に叩き付けられ、潰れた。

 粉々となったベンチの一片が、和巳の頬を切る。


 ――もし、今、横に飛んでいなかったら。


 そんな仮定の光景が脳裏をよぎる。おそらくは、和巳の肉体など、あのベンチのように粉々に砕けていたことだろう。無残に肉片を、骨を、臓器をまき散らして。


「ちょっと待ってくれ! ぼくが一体何をしたっていうんだ!」


 あの少女の殺意を前にしては、聞けなかった口。けれど目の前の男には、疑念をぶつけることができた。少女にある程度の事情を聴いて、非日常に対する少しばかりの覚悟ができていたからだろうか。それとも、目の前の男は、少女に比べたら聞き分けがあるように思えたからだろうか。――おそらくは後者だ。

 和巳の疑問を受けて、男は敵意を少しばかり控えたように思えた。


「それは、キミが忌鬼だからさ」


 しかし男の問いへの答えは――あまりに理不尽なものだった。

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