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叛逆の赤い月  作者: 九尾
第3章
20/23

真相

 天城和巳の持つ『夜』の詳細は不明だが、大平との一戦から見られるように、何かしらの特定条件下で敵を粉砕する力を持っていると思われる。そして前回の遭遇の際に草壁が和巳に直接戦闘を挑まなかったのは、和巳の『夜』の効果を影山が草壁に伝えたためであろう、と夜宵は言っていた。


 おそらく夜宵の判断は正しかった。


 和巳が拳を振るう度、草壁はそれを警戒し、躱す、あるいは距離を取る。そのおかげで和巳が決定打を入れられない代わり、草壁も決定打を入れられないでいた。

 和巳は草壁の正面に駆け、その拳を突き出す。しかし『夜』を警戒してか、草壁はいつもなら受けるところを避けて、和巳の腹部に蹴りを叩き込んだ。


「貴方には何かしら決定打があるようですが、生憎その手には乗りませんよ」


 思い切り鳩尾に蹴りを叩き込まれた和巳は、咳き込んだ。その隙に髪を掴まれ、草壁は握った拳で和巳の側頭部を強打する。

 いくらか髪が千切れて、和巳は草壁の横へ倒れこんだ。

 とても痛かった。まるで、拳の一撃が大きな金槌の一撃のようだ。目の中で火花が散るどころか、大切な脳部分がいくらもはじけ飛んでしまったのではないかと錯覚する。

 けれど、思考はできる。立ち上がることができる。夜宵は宣言通り、空矢を倒し、影山の相手をしている。ならば和巳も、草壁を倒すには至らずとも、押しとどめるくらいはしなければ、それこそ男が廃るというものだ。

 ふらふらと立ち上がった和巳を見て、草壁は目を細めた。


「貴方の夜は、とても奇妙ですね。私に並ぶ防御を誇る大平くんに大きな傷を負わせたたというのに、今はまるで効果を発揮していないように見える。やはり、問題はその拳なのでしょうか」


 草壁は手の開閉を繰り返す。別段、拳がどうなった、ということはないのだろう。ただ相手の夜が分からない以上、警戒するに越したことはない――そんなところか。


 草壁は和巳に拳を振るった。なんら容赦をすることもなく。

 和巳もまた、同時に拳を振った。あの大平を粉砕した力が使えるのなら、この攻撃ごと拳を砕くことができるはずだ――と。しかし、衝突した瞬間にも、草壁の拳が砕けることはなかった。能力の発現が見られない。

 それどころか、和巳は自身の拳が砕けるような錯覚に陥った。

 あまりの痛みに思わず拳を引いた和巳の頭部に向けて、草壁の拳が再度放たれる。

 先に与えられた側頭部への激痛を思い出して、和巳は頭を落として両手で庇うように守りの体勢を取った。思った通り、草壁は頭部ばかりを執拗に狙ってくる。このままなら、ある程度攻撃を受けた後に反撃を打ち込もう――と思ったが。

 頭に偏った和巳の防御。がらがらに開いた胸部に腕を差し込むように、草壁の一撃が鳩尾に叩き込まれた。


「かふ――ッ」


 不意の一撃に、肺の空気が残らず体内から飛び出した。こみ上げる吐き気を堪えて草壁を睨んだが、足に力が入らない。そのまま倒れこんだ。しかしすぐに、震える足で立つ。


「戦闘慣れしていませんね。その程度で私に挑もうと言うのですか」


「ああ、挑む」


 言った瞬間、草壁は和巳の側頭部を蹴りつけた。咄嗟に庇おうとしたが、遅かった。和巳の肉体は砂の上を滑って、数メートルほど後退した。

 激しい痛みと、軽い脳震盪。足ががくがくと震えたせいで片手と片膝をついたが、今度は倒れなかった。


「……不思議だ。嗚呼、不思議でならない。どうして貴方は私に立ち向かうのですか。貴方が私に拳を向ける理由はなんですか。もし生きたいと願うなら、いっそ転居でもすれば宜しい。わざわざ勝ち目のない私と戦うだけの理由が、どうしてもわからない。もしかして貴方――本当に、黒蛇に惚れでもしましたか」


 草壁の言う通り、和巳は草壁を相手に勝機を見いだせずにいた。

 夜宵が言うには、草壁には『(たて)』という上位の形代にのみ備わる特殊技能が存在しているという。これは草壁の基礎防御力を大きく上昇させるもので、並大抵の夜では肌に傷一つを負わせることすらできない法外じみた代物だ。

 和巳は一度だけとはいえ大平の腕を粉砕した。もしそれが常時使える力だとしたら、草壁の防御を崩すことができるかもしれない。だから和巳は草壁を抑える、あわよくば倒すというのが目的だ。

 今のところ抑えるという目的はなんとかしているが、対する草壁はどうも、本気ではないようだった。もし彼が本気になれば、今の和巳では抑えることすら叶わない。


「教えてください、天城和巳。貴方は何のために戦うのか」


 会話をすれば時間を稼げるか。そう思った和巳は、草壁の問いに答えることにした。


「別に、何のためっていうものはないよ。ぼくは死にたくない。白比丘のやつも死なせたくない。それだけだ」


 草壁は「は」と吐き捨てるように口にした。


「……死なせたくない? 黒蛇を、貴方が? 天城和巳がか?」


 嘲るような言葉に、和巳は眉をしかめる。は、という呟きは次第に連呼され、やがてその集合は小さな笑いとなった。はははは、と草壁は口を大きく開いて笑った。


「何がおかしい」


「おかしい、おかしいでしょうとも! 嗚呼、これがおかしいと笑わずにいられるか!」


 ひとしきり笑った草壁は、あの微笑を取り戻す。

 しかし、その眼だけは笑ってはいなかった。


「本来、貴方が殺すべきは私ではなく、あの黒蛇でしょうに」


「どういう、ことだ……?」


 和巳の思考が回る。けれど、答えが出ない。情報が足りない。

 夜宵を殺すべきとは、どういうことなのか。疑問を抱く和巳に、草壁は「ここまで無知であると、それもある種の罪ですね」と呟く。


「白比丘を殺すべきっていうのは、どういうことだ!」


 草壁は和巳の問いに答えない。静かに腕を開閉して、あの炎をボウと掌に浮かべる。岡のときよりも、遥かに小さな炎だ。だが、岡を焼き尽くしたその様を思い出し、和巳は本能的に炎を警戒した。


「貴方は303便の生き残りなのですよね」


 どうしてそんなことを聞く。更に困惑する和巳に、草壁は告げた。


「あれを墜とした忌鬼は、白比丘夜宵です」


 頭が真っ白になった。

 和巳は何も言葉を返せない。

 言われてみれば確かに、昨日の夜宵は奇妙な点が多かった。どうして和巳がいなければ成功しない作戦を計画しておきながら、和巳がこの作戦に便乗することを拒もうとしたのか。それよりなにより、どうして夜宵は。


 ――和巳。総てが終わったら、わたしを、殺して頂戴。


 身体が震えた。

 白比丘夜宵は知っていたのだ。自分が天城和巳の両親を殺したことを。だから和巳の両親の死を知ったとき、手を合わせた。

 今から考えると、夜宵の行動は不自然な行動が多すぎた。それも個性だろうと思って見逃してきたが、個性的の一言で済まされない矛盾した行為もいくつかあった。

 和巳は草壁の言葉を、否と振り払うことができなかった。


「やはり知らなかったのですか。では、改めて問いましょう。貴方は何のために戦う」


 何のために戦うのか。――わからない。

 夜宵に命を助けられた。夜宵に恩を返したいと思った。

 けれど夜宵は、和巳の大切なものを奪っていた。両親を殺し、夕凪の目を奪い、303便がいかな地獄と知っていながら、自分が生きるためだけに、この白那岐タワー周辺も、あの地獄に変えようと画策した。

 そんな女に、果たして恩を返す意味があるのか。和巳の大切なものを奪った女に、返すものがあるというのか。のみならず。多くの人々から多くのものを奪おうとした女に。

 ――生かしておく価値が、あるのか?

 和巳はその場に膝をついた。足に力が入らず、座り込む。


「ぼくは……」


 自分は何をしていた。自分は、何をするべきだ。


「待たせたわね。では、最後の仕上げと行きましょう」


 何もかもが分からなくなった和巳の前に、渦中の人物が現れた。


 彼女の長い黒髪が揺れる。長い髪がなぜか、イヴをそそのかしたという蛇に見えた。

 その手に持った大太刀は、一体何人の血を吸ったのだろう――そんなことを思った。


 それでも和巳は、夜宵が和巳のためにこの作戦を計画したのだと信じていた。否、信じていたかった。救いの手を求める童子のような瞳で、夜宵を見る。

 夜宵は和巳を見、それから微笑を浮かべる草壁を見て、静かに目を閉じた。すう、と大きく息を吸う。次に開いたその眼は、しかし、殺意に満ちていた。


「よく時間を稼いでくれたわね、和巳。――これでもう、」


 和巳の眉間に、夜宵の刀が突きつけられた。


「貴方は要らない。あとは好きな所にいけばいい」


 その言葉に、和巳は愕然とした。


「どういう、ことだ」


 そのままの意味よ、と夜宵は視線を和巳から草壁に向けた。


「きみにとって、ただの駒だったのか、ぼくは」


「ええ、そうよ」


 初めから、このつもりだったのか。

 白比丘夜宵にとって、天城和巳は草壁を倒すための、駒だったのか。

 最後の希望まで奪われた。結局、天城和巳は利用されただけだった。夜宵が自分の目的を果たすために。

 夜宵の総てが嘘に見えた。夜宵の笑顔も、不器用な優しさも、総て。

 ほんの一日。ほんの一日、共に過ごしただけだった。けれど、そんな一日が大切に思えた。白比丘夜宵という少女の根幹に、触れた気がしたからだ。

 だがそれは思い込みだった。和巳が一方的に、少女の本心を想像していただけだった。

 おそらくは、初めからこの予定だったのだ。和巳が白比丘夜宵という存在に同情するように、白比丘夜宵の計画した作戦に乗るように、印象を操作していただけなのだろう。

 総てが終わったら殺して欲しい。その言葉すら、今では嘘だったのだと思う。


 ありきたりな怒りは沸かなかった。代わりに、涙が流れた。

 自分の守りたいもの、自分の心、――恩。

 天城和巳にとって大切な総てを利用したこの女が、心底憎いと思った。


「きみは――」


 口を開いた和巳に、夜宵は大太刀を振るった。はらり、と前髪が僅かに落ちる。

 最後の希望。これまでの夜宵が本物で、今この場にいる夜宵こそが演じられた夜宵ではないのだろうか。そんな甘い期待も、己の前髪と共に散る。


「二度目はないわ、ここを去りなさい」


「……そうかよ。きみは最初から、このつもりだったんだな」


 和巳は静かに立ち上がり、夜宵の横を抜けて歩き出した。

 すれ違い様に、小さく言葉を残して。


「――待っていろ。きみの望み通り、いつか必ず殺してやるよ」


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