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叛逆の赤い月  作者: 九尾
第3章
17/23

悪夢の再来 <前>

 

 そうして四時間、二人で矢代駅周辺を散策した後は、夜宵宅へ戻って夕食となる。

 夜宵は家事の方もそれなりにできるようで、夕食の担当は夜宵だった。和巳は夜宵宅の台所のことは良く知らないので、「適当にくつろいで待っていて」と追い出された。

 テレビを付けてみたが、バラエティ番組ばかりがやっている。和巳はそこまでバラエティ好きではないが、若菜が好むので、夕凪と三人で見ることが多い。けれど、明日死ぬかもしれないと考えると、とてもではないが

バラエティ番組を見る気にはなれなかった。


「白比丘って、ホントに節約家なんだな」


 なので、ソファーに座りながら調理にいそしむ夜宵に話しかけることにした。


 人様の家であるうえ、一応は女の子の家であるので、和巳は完全にリラックスは出来ていなかったが、それでもふかふかのソファーは少しばかり心を落ち着かせてくれた。そんな和巳が思い出すのは、夕刻の買い物風景だ。

 こんな部屋に住んで、多くの服を買い込んで、高いパフェまで口にする夜宵が節約家など、正直信じてはいなかった。が、先ほどの買い物でそれを思い知らされた。

 頭の中で即座に計算して、どちらが得をするか、何を買うべきであるかを一円も妥協することなく、的確に商品を買い物かごに入れていく様は、とてもこれまでの夜宵から想像のできない姿だった。

 手慣れた動きで料理をするというのも、ちょっと意外だ。


「世の中、何が起るかなんてわからないもの。明日には家族が死ぬかもしれないし、その次の日には家が燃えるかもしれない。けれど、生きて行かなければいけない。刹那的な生き方をしていては、いざというとき困るかもしれないでしょう」


 飛行機事故で両親を失った和巳からしてみれば、納得のできる言葉である。


「節約というのは、明日をより良く生きるための心構えのようなものよ」


 そういって、夜宵は鍋に纏めて具を放り込んだ。それから両手を洗い、和巳の向かいのソファーに座った。


「楽しい時間はこれまで。いい加減現実を見る頃ね。明日の話をしましょうか」


「ん、そろそろ始めるような気はしてた」


 和巳が頷くと、夜宵は「念のため最終確認をするわ」と人差し指を立てる。


「和巳は計都に残るつもりなのよね。わたしと共に、計都を出るつもりはないと」


「うん。夕凪を放って出るわけにはいかないよ」


「なら、和巳の願いを満たすための必須条件は、理解しているわね」


「草壁たちを、一人残らず倒すことだ」


 草壁のことは嫌いではない。ただ、彼らが忌鬼を異常なまでに敵視しているのは、空矢や草壁の態度から伺える。彼らとは分かり合うことはできない。

 そして草壁たちのうち、誰か一人でも逃すことがあれば、和巳の情報は敵に伝わり次の追手が来るだろう。既に和巳の情報を聖議会という組織にリークされていてはどうしようもないが、草壁は『黒蛇討伐』を自分に課せられた試練のように言っていた。

 もし自分たちの力だけで夜宵を倒すことが目的であるならば、草壁の性格から考えて、和巳というイレギュラーが現れたくらいで試練を放り投げることはないだろう。

 となれば、チャンスはゼロではない。


「で、草壁たちを倒す術はあるんだよね?」


 目的ははっきりとしている。次に重要なのは、目標達成が可能か否か。

 和巳の問いに、夜宵は「勝率は高くないけれど、ゼロでもない」と人差し指を和巳に向けた。


「そのために、わたしは貴方に蛇のようにしつこいと言われながらも協力を仰いだのだもの」


 いつかの夜、和巳が嫌味を込めて言ったことを未だに根に持っているらしい。「その件は悪かったよ」と謝った。


「それで草壁を倒す手段だけれど、非常に単純よ。――時に貴方、前科持ち?」


 会話の流れから、問いの意味がわからない。

 ゼンカ? と聞き返すと、「犯罪経歴はない?」と聞かれた。そんなものはない。


「でもまあ、ちょっとした暴力事件は中学のときに起こしたかも」


「どんな?」


「妹を苛めてたやつをボコボコにした」


 相手は女だったが、複数人でしかも凶器を所有していたので、容赦なく殴り、しかも精神的にも追い詰めた。酷いことをしたと思う。けれど彼女たちが夕凪にしたことを思うと仕方ないとも思う。いささか行き過ぎたかもしれないが、そこはそれ、若さゆえの過ちということで許して欲しい所存である。


「貴方、見かけに似合わず随分と野蛮なのね……まあいいわ、自分のためではなく、人のために振るう暴力なら、草壁が好むところだもの。恐らくは許容範囲よ」


「そういえば草壁もそんなこと言ってたよ。あのときのぼくの行為は自己犠牲が素晴らしい云々って」


 お墨付きとはありがたいことね、と夜宵は肩をすくめる。


「それなら草壁は、貴方と非常に相性が悪い。反対に、貴方はどうやら草壁と相性がいい」


 彼女の黒い眼が光った気がした。嫌な予感がする。


「草壁の担当は和巳で行きましょう」


「いや無理だろ」


 和巳の脳裏には、岡を一方的に攻撃し、その上で夜宵と互角以上に渡り合った草壁の姿が焼き付いている。戦闘技術もなく、また自分の夜が何かも未だにわからない和巳が、あんな化け物と戦えるわけがない。


「と、思うじゃない? けれど貴方は一切前科がない。その上、貴方の夜は草壁の『楯』を越えられる可能性が高いのよ。だから貴方が草壁を担当すれば、勝率の桁は上がる」


「ちなみにぼくが草壁を担当しない場合の勝率は?」


「ほぼゼロよ。二人とも九割九分死ぬわ。仮に生き残っても――」


「それ実質ぼくがやる以外の選択肢がないじゃないか……」


 そうね。と夜宵は当たり前のように言った。どうやら夜宵の中では、既に草壁たちを倒す算段があるらしい。何も思いつかない和巳は、彼女の手足になる他ないだろう。


「なんにしても、草壁たちを残らず倒すためには、移動手段が豊富な空矢、そして隠密行動と情報伝達を得意とする影山という男を真っ先に潰す必要があるわ。それはわたしがやる」


 和巳では二人を即座に倒す手段がない。しかも、夜宵が言うには草壁と戦う際には罪の有無が重要となるようだ。今は前科も何もない和巳でも、空矢や影山という男を倒すことになれば罪を背負うことになるかもしれない。そうなれば草壁戦は絶望的だ。

 夜宵の言う通り、和巳が草壁を担当し、夜宵が空矢と、あとは名前だけ聞いた影山という存在を担当するのが妥当な線だろう。


「でもさ、それだけ相性が明確なら、草壁もこっちの目論見はだいたい分かってるんじゃないのかな。そうなると、実行は難しいんじゃないかい」


「ええ、そうでしょうね。だからわたしたちは、とっておきの奇襲をかける」


 奇襲、と彼女は言った。一体、夜宵はどうするつもりなだろう。あの教会にでも乗り込むつもりなのだろうか。和巳が首を傾げると、夜宵は唇を三日月に歪めて笑った。


「どうせわたしたちは、誰にも望まれない存在なのだもの。であれば、悪魔は悪魔らしく、彼らの正義を試してやろうじゃない」


       ◇ ◇ ◇


 和巳は一人、白那岐(しらなぎ)市の観光名所、『白那岐タワー』の最上階に登っていた。

 白那岐は計都から駅二つほど離れた隣隣町で、確か草壁たちが生活している場所でもある。計都は工業が盛んだが、白那岐は県庁所在地としてそれなりの知名度と人口を誇るものの、他に突出した建造物が少ないことが玉に瑕な都市である。

 白那岐タワーは一年前に完成したばかりの建造物であるため、家のことで精一杯の和巳は見たこともなかった。しかし今、こうして最上階で多くの人々の動きを見つめている。

 時刻は午前十一時を少し過ぎたところだ。本日は土曜日であるため、この白那岐タワー周辺には実に多くの人が訪れている。昼時であるため、数万人は下らない。


「まるで――曼荼羅だ」


 和巳は呟いた。

 人にはそれぞれ、個人の領域がある。それは四角の形をしていて、人の肉体の大きさ、地位の大きさ、この世界における重要度によって大きさが変化する。そんな無数の人々を中心にした四角が、この場には無数に集まっているように、和巳には見えた。

 それはまさしく、曼荼羅そのものではないか。

 四角が動く。小さな四角、もっと小さな四角、もっともっと小さな四角。そしてとても小さな四角の中で、不自然な四角を見つけた。

 その四角は一回り大きな四角を探して懸命に周囲に助けを求めようとする。だが、誰も彼もが己の四角に閉じこもり、小さな四角に近づかない。

 和巳はその小さな四角を見る。それは小さな、おそらくは迷子の少女だった。少女が泣き、誰かに助けを求めていながらも、誰も彼もが少女を避け、少女から目を逸らす。ある者などは、少女を避けずに転ばせる者すら存在した。


 自分には関係ない。

 自分には関係ない。

 自分には、関係ない。


 誰も彼もが心で囁き、そして少女を見捨てて己の目的を達するために前を向く。もし自分であれば、少女に手を差し伸べただろう。中高生にもなれば自己の責任という言葉も多少は使えようが、あの少女は三歳程の年齢だ。人に無関心な和巳であっても、そこまで小さければ自己責任などと言うつもりはない。

 だが、和巳の目に入る者たちは、誰も彼もが見向きもしない。

 忙しいのならば仕方がない。そういう生き方もあるのだとは思う。けれど、誰も少女に手を差し伸べようとしないこの世界には――ああ、腹が立つとも。

 ぞわり、と胸が疼く。この曼荼羅を壊したいと、願う。

 理不尽だ。この世界は、全くもって理不尽だ。良き行いをした者が憂き目に遭い、悪行を働いたものが利益を得る。そんなことがまかり通る世界だ。

 迷子の子供一人助けようとしない四角が群れる、義理も人情もない世界だ。


「本当に。嫌な、世界だ」


 自分の心の内に、黒い部分が膨れ上がるのを感じる。

 夜宵の言った通りだ。忌鬼は人の言う負の感情を得た際に大きく力を増すというが、これは予想を遥かに上回っている。自分の夜は以前わからないままだ。けれど、この感情が夜に関係するのかもしれないと思った。

 不意に、蛇の匂いがした。とても強い匂いだ。まるで、この白那岐タワーを総て包み、のみならず、和巳の視界総てを包み込むほどの強い匂い。


 天城和巳は、匂いの元が存在する上を見る。どうやら夜宵が始めたらしかった。

 大規模で『夜』を使用したのだ。


 それはつまり、多くの人々の精神に『魔を差す』ということで。

 それはつまり、あの日本航空303便墜落事件の狂気をこの場で再現することでもあった。


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