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叛逆の赤い月  作者: 九尾
第2章
15/23

撤退

「人が死ねば、誰かが悲しむ。多くの人が死ねば、それだけ多くの人が悲しむ。当然のことです。わたしも、忌鬼のために大切な人を失いました。こんな思いを、他の誰かにさせたくはないのです。だから戦う。それが、私の生き様だ」


 和巳は、何も言えなかった。

 忌鬼という存在が如何なるものか。そして、草壁巌二という男がどのような思いで忌鬼という存在と戦ってきたのか。

 和巳の持つ『生きていたい』という願望が、とても小さく、そして醜悪なものに思えた。

 この人になら、殺されてもいい。

 和巳が少しだけ、そう思ったときだった。

 真昼の青空が赤に染まった。――夜が訪れた。


「意外ね。熾天使にのみ許された『(たて)』にも、和巳の夜は脅威になるの」


 赤い月を背に受けて、一人の少女が姿を現した。


「待たせたわね、和巳」


 黒い髪をなびかせて和巳の横に立ったのは、他の誰でもない、白比丘夜宵だった。

 夜宵は和巳の首の襟を掴むと背後に引っ張り、和巳の肉体を放り投げて草壁から引き離した。結果、和巳は大きく尾てい骨を床に打ち付けることになる。


「何をするんだよ!」


 叫んだ和巳の前には、これまた夜宵に放り投げられた夕凪の姿。慌てて夕凪を抱き留めた和巳は夜宵に文句を付けようとしたが、その前に夜宵が「和巳」と口を開いた。


「この仮面男の言葉をまともに受けてはダメよ。確かに忌鬼は人の理性を奪うとされているし、人の理性は素晴らしいものだとわたしも思う。けれどあの男の理念には、そもそもの大前提が抜けている」


 彼の理念は、人として素晴らしいものだろう。そこに一体、何が欠けているというのか。


「自己犠牲なんていうものは、わたしに言わせれば破滅願望の一種でしかない。そんな願望は、生命が持つ願望としてそもそも破綻しているでしょう。全のために個を殺す……ええ、それは結構なことよ。好きに排斥すればいい。でも、全のために個が犠牲にならなければならい道理なんて、この世の何処にもないのよ。だってわたしたちは、此処に生まれたのだもの。此処に――生きているのだもの」


 その言葉に、和巳は何も言い返せなかった。

 確かにその通りだ。人間は本来生物だ。「人とはかくあるべき」と聖人のような生き様を模範とされることが多いが、生物とは本来、己の命をなにより優先すべきものだ。

 それをおざなりにしておいて、何が『生き様』か。何が正しき生き方か。人の都合だけを気にかけて、己の感情を捨て去って、何が『生きている』か。

 和巳の沈黙を流し目で確認した夜宵は、ついに眼前の怨敵へ目を向けた。


「貴方が炎を振るうために調べものをするように、此方も貴方のことを調べさせてもらったわ。草壁巌二――『恋人殺しの鉄仮面』。貴方、過去に己の恋人を殺したそうね。そんな貴方が罪人を捌くだなんて、本当に笑えない冗談よ」


 夜宵の睨みを前にして、しかし草壁は動じない。

 やはり微笑の仮面を外さぬままに、「いかにも」と同意した。


「まさに貴方の言う通り。私はかように罪深い存在だ。だがだからこそ、悪を滅ばさねばならないのですよ。いつかこの身が朽ちるまで、私は悪を滅ぼし続ける。それが唯一、私が彼女へ行える懺悔であり、罪滅ぼしであるのだから」


 懺悔、罪滅ぼし、という言葉を使った草壁を、夜宵は鼻で笑った。


「懺悔だの罪滅ぼしだの、下らない。そんなものはただの建前よ。かつて貴方は恋人を忌鬼であるという理由で殺した、だから戻れなくなった。それだけのことでしょう」


 草壁巌二は、忌鬼を殺した。最初に殺した忌鬼が自身にとって最も大切な者でもあるにも関わらず、殺した。ならばどうして、他の忌鬼を生かせよう。自分にとって最愛の人を手に掛けたにも関わらず、どうして他の忌鬼を手に掛けずにいられよう。

 和巳の目には聖人君子のように映った草壁巌二という男の根底にあったものは、結局、誰よりも人間らしい感情であったということか。

 挑発するような夜宵の言葉に、草壁は一度だけ不快そうに目を細める。しかしすぐに微笑の仮面を取り戻した。


「……前置きはここらでもう良いでしょう。貴方が私の前に姿を現したということは、決着を付けるときが来たのだと認識しても宜しいか」


「と、思ったでしょう?」


 言った瞬間、夜宵はすぐ隣にあった消火器を草壁に向けて蹴りつける。草壁が即座に消火器を殴りつけると、桃色の中身が爆発するように散布した。

 いや、むしろ消火器そのものが爆発したように見えた。

 唐突に視界を塞がれた草壁が「む」と驚きの声を上げる。

 そんな草壁を背後に、夜宵はくすりと微笑み、指先で小さな円形に鍵がついたような金属を弄んで和巳へ歩いた。彼女が手に持っているその金属は、映画などで目にする、手榴弾の安全ピンのようでもある。


「白比丘、それは?」


「手榴弾の安全ピンよ。消火器と一緒にプレゼントしてあげたの」


 なんでそんなものを持っているんだ、と和巳が問う前に、消火器からぶちまけられた桃色の煙の中から草壁が飛び出した。


「小癪な真似を――」


 飛び出した草壁の足元に、今度は夜宵のスカートの中から転がった無数の円形の何かが煙を噴いた。それは恐らく、煙幕だ。窓の塞がれた学校の廊下に、白い煙が蔓延した。

 和巳の手前まで煙が来ることはなかったが、それでも中に入れば一寸先も見えなくなるほど物凄い煙の量だ。煙の中で何が起きているのか、和巳にはまるでわからない。ただ時折聞える剣戟の音で、草壁と夜宵の戦闘が発生しているのだとわかった。

 一段と大きな音がした後、煙の中を抜けてきたのは夜宵だった。彼女はすぐに和巳の脇を抜け、「走りなさい」と和巳に指示を飛ばす。走り去った夜宵はデニムの上着を脱ぎさっており、その手には、何本ものピアノ線が握られていた。

 和巳はこれも映画や漫画で見た覚えがあった。一度に複数の手榴弾を爆発させるための、常套手段の一つである。


「おいおい……!」


 和巳はたまらず夕凪を抱え、夜宵と共に廊下を全力で駆け抜けた。ちょうど和巳が廊下の曲がり角を渡って昇降口に出た瞬間、背後から連続して大爆発が起こる。

 手榴弾一つや二つの爆発ではない。少なく見積もっても二桁はある。しかも殺傷性の高い、金属破片が散乱するタイプのものだ。飛び散った金属片が和巳の足元に転がった。


「きみ、相手を本当に殺す気か!」


「何を甘えたことを言っているの、最初から殺すつもりだわ。フィナーレにだって手は抜かず、過去最大の演出で決めるつもりよ」


 そう言って夜宵が取り出したのは、奇妙な機械だ。中央には赤いボタンがついている。

 嫌な予感が脊髄を走り抜けた。


「早く出ないと死ぬわよ。急ぎなさい」


 一人先駆けて昇降口を抜けた夜宵は、奇妙な機械のボタンを押した。次の瞬間、これまでの手榴弾とも比べものにならないほどの爆音が遠くから連続して聞えてきた。それも、段々とこちらに近づいている。


「――正気かよ、白比丘!」


 和巳は夕凪を抱えたまま校舎を抜けだすと同時、背後が盛大に爆発した。数秒も経たないうちに、『ずずず』と大地震を思わせるほどの轟音が和巳の鼓膜に響く。

 夕凪を抱えて走りながら、和巳は校門前で背後を振り向いた。

 赤い月の夜の下。学校が倒壊する様を見て、和巳は絶句するしかなかった。


「何をしているの、和巳。呆けている暇はないわよ」


 夜宵は和巳を置いて走り出す。和巳も夜宵を追って、赤い月の隔離世を後にした。


       ◇ ◇ ◇


 学校から一キロ程度離れた位置まで走った所で、夜宵は「もういいでしょう」と言って走行のペースを緩め、徒歩にした。ロングスカートの少女と、少女を抱えた高校生が全力で走る様は、嫌でも周囲の視線を集めるからだろう。

 もっとも、妥協点は小走り手前の疾歩だが。


 そんな折、和巳はふと気づく。

 夕凪が岡に追わされていたはずの傷が、ほとんどなくなっているのだ。

 和巳の驚きに気付いたのか、夜宵は告げた。


「隔離世というものは、正確には仮定の平行世界なのよ。だからその子には、隔離世に連れていかれたとき以降の傷、もっと言えば記憶もない。けれど、」


 夜宵は静かに夕凪の腕を和巳に見せた。その腕には、家で岡に付けられたのであろう傷が残っていた。痛々しく皮膚が破れ、血がにじんでいる。


「現実で負った傷ばかりは、残ってしまうわ」


 そう言った夜宵の言葉に、和巳はふと疑問を覚えた。


「そのわりに、ぼくの傷は全部残ってるけど」


 夜宵は隔離世で受けた傷は残らないと言ったが、和巳の腕の一部には岡の鎖によって締め付けられた跡が青あざになって残っていた。


「忌鬼と形代は例外よ」


「それじゃ、モノとかはどうなるの?」


「それも例外ではないわ。貴方の学校も、現実世界では存在している。いつか大平に潰された貴方のケーキも、元通りになっていたのではないの?」


 そういえば、ぶちまけられたはずのケーキは無事だった。

 夜宵と共に学校から離れることで精いっぱいであったので確認する暇もなかったが、どうやら和巳の日常の象徴の一つである学校は無事らしい。ホッとする。


「……ん、待ってくれ。隔離世は現実世界にあるものが平行世界として存在することになるってことは、学校を破壊するような爆発物はどこから準備したの?」


「貴方が現実世界で草壁と話している間に、現実世界で健気にセットしておいたわ」


「それ学校が地雷原になってるってことじゃないのか!」


「仕方のないことね。正当防衛だもの」


 学校に爆弾を仕掛けることは、少なくとも正当防衛とは判断されないと思う。


「それよりも問題は草壁ね」


「草壁って……あれで倒したんじゃないのか?」


「無理ね。人の兵器では忌鬼や形代を殺すことは叶わない。もっとも、ミサイルや核があれば別なのでしょうが……少なくとも、『楯』を所有する形代はあの程度では死なないわ」


 目くらまし程度にはなるけれど、と夜宵は付け足した。


「なんだよそれ、完全に化け物じゃないか……」


 大切な学校が身体を張って特攻までしたのだ。あれで倒せないというのなら、一体何があればあの神父を倒せるというのか。


「化け物には化け物を。つまり形代を殺せるのは、同じ形代か、忌鬼だけよ」


 さも当たり前のように、夜宵は言った。


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