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叛逆の赤い月  作者: 九尾
第2章
11/23

敵襲

「答えろ、夕凪を何処へやった!」


 考えてみれば、簡単なことだった。

 小牧が死んだ。水戸が死んだ。それらはすべて、和巳が彼らに攻撃された日の翌日だ。そして目の前のこの少女は、何かしらの目的のために和巳を必要としている。

 彼女は和巳を味方に引き入れようとしていた。またその手段は、和巳に恩を売って己を信用させようとするものであった。今回も、同じではないのか?

 夕凪や若菜を餌にして、無理やり和巳を信用させようとしているのではないのか?

 向けられた和巳の一方的な問い。それを否定することなく。

 ――くすり。

 少女は、笑った。


「もし、わたしがやったと言うのなら――貴方はどうする?」


 逆に向けられたその問いに、和巳は怒りで頭が沸騰するのがわかった。


「お前は……!」


 胸倉を更に強く掴み、睨みつける。

 しかし少女は怯むどころか妖艶に口の端を釣り上げた。


「『夜』を使って、わたしを殺すの?」


 死を恐れぬ少女。彼女の笑みを見て、和巳は背筋が凍るような冷たさを感じた。

 和巳には『夜』がなんなのか、未だにわからない。けれど、あの形代の腕を消滅させたときのことが思い出された。固まった柔らかい砂の塊を潰すように、人の肉体を破壊する感覚。人が土人形のように壊れる様は、決して心地の良いものではない。

 だが、そんなことは些細なことだ。


「ああ、殺す」


 もしこの女が本当に夕凪や若菜を襲ったというのなら、和巳はこの女を殺す。

 和巳の明確な殺意を前にして、少女は「少し減点」と目を伏せた。

 訝しむ和巳。その視界が唐突に回り、気付けば地に附していた。数秒の時間をかけて、ようやく少女に投げられたのだと理解する。


「ちなみに聞くけれど、貴方は何を根拠にわたしを疑っているのかしら」


 地に這いつくばる和巳の上に腰を下ろし、少女はその足で和巳の後頭部を圧迫した。


「どうしたの。わたしの問いに答えなさいよ」


 しかし和巳の問いへの答えは「殺してやる」だ。

 少女は持ち上げた足で和巳の頭を踏みつけて立ち上がり、次いで和巳の側頭部を蹴り飛ばした。


「……もう。わたしったら、服を伸ばされたというのに、寛大だわ」


 仰向けになった和巳の身体に、鳩尾を目がけて足を振り下ろした彼女は、再度問う。


「もう一度聞いてあげる。貴方がわたしを疑う根拠は何かしら」


 激しく咳き込みながら、和巳は答える。


「きみが姿を現してから、おかしくなった。ぼくの周りばかりで人が死ぬ」


「それはただの思い込みよ。たまたま死んだ人が貴方の周りだっただけ」


「きみは人を殺すことをためらわない人間だ。手慣れてもいる」


「心外ね。わたしだってなるべく殺したくないわ。必要に迫られて殺しているだけ」


「あの手紙を出したのは、きみだろう」


 これまで微笑と共に即答していた少女の顔が、僅かに曇った。


「それに、被害者の一人からきみの匂いがしていた。白河さんからもだ」


 少女は和巳を踏み台に軽く跳躍し、「御免遊ばせ」と離れた。

 和巳は立ち上がる拍子に少女に殴りかかろうとしたが、彼女はひらりと跳躍し、和巳の攻撃から難なく逃れていた。


「どうやら、貴方の中で、わたしは完全に犯人に仕立て上げられているようね。悲しいことだわ、素行は良くしているつもりなのに」


 と唇に指を当てて、少女は立ち上がった和巳を見る。


「そうね、わたしが言いたいことは二つ。まず、わたしは貴方に手紙を出してはいない」


 和巳は少女の目を睨み付ける。少女もまた、和巳の眼をしっかりと見つめた。

 嘘を言っているようには思えない。


「そしてもう一つ。この計都には、わたしと貴方を除いてもう一人がいるわ。おそらく貴方の周りで起きている殺しは、そのもう一人の仕業でしょう。少なくとも、学校で殺されていた子と、腕を怪我した子はそうね」


 もう一人いる。――何が?

 ぼくたちのような存在が、この計都にもう一人いるというのか?


「嘘をつくな」


 和巳が一歩、少女に踏み出した。和巳から逃げるように、少女も一歩引く。


「そんなに怖い顔をしないでよ。か弱い乙女のわたしは、恐ろしくて泣いてしまうわ」


「茶化すな、本当のことを言え。水戸も、小牧も、笹田も。全部、お前がやったんだろ」


 和巳の言葉に少女は不快そうに眉をしかめ、大きく嘆息した。


「何度も言うけれど、わたしは貴方を殺しかけて以来、誰にもナイフを向けてはいない。……いえ、一度だけ向けたことはあったけれど、正当防衛は許して頂戴」


「でも、もう一人いるのは分かっていたんだろう」


 少女は「ええ、知っていたわ」と何でもないように答えた。


「人が殺されていることを知りながら、きみは何もしなかったのか」


 ええ。やはり少女は頷いた。


「どうして助けなかった」


 もし彼女が助けていれば、小牧も水戸も死ななかったはずだ。翠だって腕を怪我することはなかった。夕凪や若菜だって――。

 強く拳を握る和巳とは対照に、少女は冷めた声で言った。


「だって、わたしには関係がないもの」


 は、と拍子を抜かした声が出る。


「関係ないって、それだけか? きみには力があるんだろ。その、もう一人を止める力だってあるんだろ? なのに、関係ないから何もしないのか?」


「勘違いしないで。わたしの力は誰かを守る力ではなく、わたし自身を守る力よ。力の有無は関係ないわ。それにわたしにとって、もう一人の存在は都合がいいの。最悪、貴方の代わりの協力者候補だもの」


 同じことだ、少女には殺人を止める力があった。

 なのに、自分に関係がないからと殺人を見逃した。この計都に、異常な殺人を行う化け物を放し飼いにしていたというのだ。


「ふざけるなよ、人が殺されてるんだぞ!」


「そうね。二人は死んだわね。……それで?」


「お前は!」


 少女に掴みかかろうと駆けだした和巳の顎に、少女の回し蹴りが叩き込まれた。


「これ以上、わたしの服に触らないで」


 うつ伏せに倒れこんだ和巳の心臓部に、少女は大きく振りかぶった踵を突き刺した。咳き込んだ和巳の上に足を乗せたまま、少女は鋭い目を細めて問いかける。


「先ほどから貴方、自分が何を言っているか分かっているの? 良識めいたことばかり言っているけれど、結局全部、他力本願の綺麗事じゃない。どうせ貴方だって、自分の身内が傷つけられなければ、何もしなかったくせに」


「何を、根拠に……!」


 少女の吐き捨てるような物言いに、和巳は咄嗟に否定する。

 この気持ちは、決して他力本願の綺麗事じゃない。

 小牧が死んで悲しむ者がいた。水戸が死んで悲しむ者だって、確かにいるはずなのだ。もし自分が助けられる立場にあったなら、きっと助けていたはず――。


「だって貴方は、一度も人を殺めたことに対する憎悪をわたしにぶつけていなかった」


 和巳は息を呑んだ。呼吸ができなくなった。

 確かに和巳は、この少女を殺人の犯人であると断定しておきながら、人を殺めたことに対する憎悪は一度もぶつけなかった。

 小牧や水戸を殺したことよりも、翠に怪我を負わせたことよりも。

 夕凪のことだけを、考えていた。


「教えてよ。貴方とわたしは、一体、何が違うのかしら」


「それは……」


 答えられない和巳に代わり、少女は「――いえ、」と否定して足をどけた。


「むしろ正義面するだけ、わたしより悪質ね。悪人面する悪人よりも、正義の味方の仮面をかぶった偽善者の方が、よっぽどタチが悪いもの」


 少女の足による拘束は解かれた。けれど、和巳は立ち上がろうとは思えなかった。

 まさに彼女の言う通りだ。

 天城和巳という人間は、ただの、他力本願の偽善者だ。


「でも、人間ってそういうものよ。いっそ割り切った方が、肩の荷が下りるわよ」


 和巳は言葉を返せずにいた。

 そんな和巳の前にしゃがみ込み、少女は手を差し伸べる。


「けれどけれど、アラ偶然。貴方の前には素敵な選択肢があるわ。わたしと協力すると誓えば総てが叶うの。わたしは貴方の希望通り、助けたい人物を助け、敵を殺すことに協力する。その報謝として、貴方はわたしを手助けするだけでいい。――どうかしら」


 少女の眼が、和巳を見る。

 すぐに返事を出せない和巳に、少女は思い出したように笑みを付け足した。


「前報酬を受け取れる分、貴方の方が少々お得よ」


「……つくづく人の弱みに付け入るな、きみは」


 和巳は少女の手は取らずに、視線を背けて胡坐をかく。


「心外ね。わたしは弱みに付け込んだつもりはないわ。警告したにも関わらず、災厄を前に手をこまねいていた貴方の落ち度でしょう」


 確かに、今考えてみれば、和巳は彼女から幾度か警告を受けていたように思う。

 少女の言い方やタイミングが悪かったため、あからさまな兆発のようになっていたので警告としてはまるで意味を成さなかったが。

 和巳は少女の目を見て考える。

 彼女の眼から嘘偽りの類は感じ取れない。

 両親が死に、そして303便飛行機事故の生還者という一般とは異なる境遇に置かれた和巳は、何度も大人に騙されかけた。その結果培われたのが、人の嘘をある程度見抜くことができるというスキルだった。

 少女はおそらく嘘を言っていない。ならば、唯一の状況を除いて彼女は和巳の敵になることはないと考えていいだろう。


「……きみの目的って、なんだ」


 少女は先ほど、「関係がないから、他人の殺し殺されの事情にも関与しない」と言っていた。しかし逆にいえば、関係があれば殺し殺されの事情に関与するということだ。

 彼女が和巳の敵になる唯一の可能性。――それは利害の不一致だ。


「わたしの目的?」


 少女は小さく首を傾げた。

 本当に、どうしてそんなことを聞くのかわからない、と言う顔だ。彼女は人の内面を見抜くことは得意かもしれないが、反面、人の感情を読み取るのは苦手なのかもしれない。


「ああ。協力の報謝に何を要求するのか聞きたい」


草壁巌二(くさかべがんじ)を殺す事」


 少女はあっさりと口にした。

 草壁巌二。和巳の記憶が正しければ、そして和巳が知っている人物であるのなら、それは一度だけ会ったことのある神父の名前だ。河川敷で目の前の少女に殺されかけた和巳を助けてくれた空矢という女、その空矢と行動を共にしていた男。

 驚く和巳に、少女は驚くことは何もないでしょう、と告げた。


「あの神父はわたしの敵なの。空矢という女もね」


 あともう一人、影山という男もいるのだけれど貴方は知らないでしょうね。と少女は付け足し、しゃがみ込んで和巳を見つめた。

 和巳が考える様を見て、その思考を探っているようだ。和巳は身体を横に向けた。すると少女は、ちょこんとしゃがみ込んだまま移動して和巳の前にやってくる。


「こっちを見るな」


 そう言って少女に背中を向ける和巳。すると少女は、後ろから和巳にぴったりとくっつくように身体を寄せた。


「迷っているわね。自分の日常と、他人の命を天秤にかけている。ここで迷わず自分の日常を放り出せない時点で、貴方は十二分にこちら側だというのに。――強情な子」


「うるさいな。ぼくの勝手だろ。それより、なんできみはあの草壁って神父を殺」


「名前を」


 和巳が言い切る前に、急に立ち上がった少女の言葉が差し込まれた。

「え、名前?」いきなりのことに聞き返す。


「名前を教えて頂戴。わたしは白比丘夜宵(しらびくやよい)。貴方は?」


 周囲に視線を彷徨わせる少女の声には、どこか焦りのようなものを感じた。

 冗談を言う雰囲気ではないと感じ取った和巳は「天城和巳だけど……」と答える。


「和巳。早速だけれどそこに土下座して」


「は?」


 今度こそ意味が解らない。


「早く」


「ふざけ――」


「遅い」


 少女が和巳の額を蹴りつけたせいで、痛みに呻きながら仰向けに転がり込んだ。

 何をする、そう言って起き上がろうとした刹那、和巳の頭上を何かが通過する。

 ぴ、と遅れて音がして、和巳の額に赤い筋が引かれた。

 頭上を通過した何か、それが額を切ったのだ。突然の不可思議な現象に、和巳は言葉を失った。

 しかし目の前の少女――白比丘夜宵は、まるで来訪者の存在に気付いていたかのように、突如として現れた『敵』へと目を向ける。


「久方ぶりじゃない、猛禽女。相も変わらず、何処からでも飛んでくるのね」


「私の名は空矢麻耶(まや)だ。猛禽などと呼ぶのは止めてもらいたい」


 夜宵が挑発した相手は、数日前に和巳を助けてくれた女性――空矢だった。


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