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叛逆の赤い月  作者: 九尾
第2章
10/23

日常崩壊

 

 朝、翔也に連絡を取った。翔也は今日も翠の見舞いに行くため学校を欠席するらしい。夜以外は翠の両親は働きに出るらしく、朝と昼は翔也が翠の相手をするということだ。

 ああ見えて翠は寂しがり屋なんだぜ、と翔也は笑った。元気が出たらしく安心する。


 次いで琴葉に連絡をした。琴葉は今日も学校へ向かい、帰りには部活を休んで見舞いに行く予定だそうだ。学校が終わったら一緒に行こうと連絡しておいた。

 何を持っていったら喜ぶだろうか。そんな会話で少しだけ盛り上がった。


 最後に若菜に電話をした。彼女は今日もいつものように夕凪の面倒を見てくれる。

 先日303便のことを話題に出したせいで、昨日は密かに夕凪に拒絶されるかもしれないと心配していたらしいのだが、そんなことはなかったと若菜は安堵していた。

 みんな無事だ。昨夜は何事もなかった。

 だから今日は何も起きない。きっと、いつもと同じ日になるはずだ――。


「天城くん、おはよう」


 学校へ向かう途中、和巳はT字路で琴葉と顔を合わせた。

 どうやら琴葉は、和巳が来るのを待っていたらしい。何かの本を片手に持っていた。

 しかし琴葉と合流した瞬間、和巳は顔をしかめる。

 あの匂いがする。翠からも漂っていた、あの嫌な匂い。


「……天城くん、どうかした?」


「いや、ごめん。なんでもない」


「もしかしてわたし、臭う?」


 すんすん、と琴葉は本を仕舞って自分の身体の匂いを嗅ぐ。しかし自分の匂いはわかりにくいものだ。結局何もわからなかったようで、「本当にどうしたの?」と問う。


「あの……わたし、待ってない方が良かったかな?」


 あからさまに落ち込んだ琴葉に、そんなことはないよ、と和巳はフォローする。しかし内心はそう穏やかにいられなかった。

 琴葉からあの匂いが漂っているということは、あの少女が琴葉に付いているということではないのか。いつでも和巳の日常を破壊できる――そう警告しているのではないか。

 琴葉の手前、表情には出せない。胸に灯る黒い炎を懸命に押し殺し、拳を握った。


「ごめんね天城くん。わたし、一人でいるのが怖くて」


 どうやら昨日帰宅した後も、琴葉の家には両親は帰っていなかったという。

 もともと琴葉の両親は外で生活することが多いらしく、幼いころから琴葉は一人でいることが多かった。そのため両親は琴葉が一人で過ごせるようにとたくさんの本を買うようになり、琴葉は本に引かれるようになったのだ、と去年のいつかに聞いたことを思いだす。


「いや、多分ぼくを待ってて正解だった」


 和巳が近くにいるのなら、少なくともあの少女が琴葉に何かをすることはないはずだ。

 琴葉は首を傾げたが、「それならよかった」と二人で学校へ向けて歩き出す。


 和巳と琴葉は、一年前のことを思い返しながら話をした。

 琴葉が本を読むようになった経緯。琴葉が高校に入学して寂しかったこと、図書委員での和巳との出会い、翠との出会い。

 そして、翠との、たくさんの思い出。


「だから、翠ちゃんには本当に感謝しているの。なのにあんなことになっちゃって……」


 黙り込んだ琴葉は、何かを決意するように言った。


「本当は、天城くんの近くにもいない方がいいのかもしれないね」


「……どういうこと?」


「だって、わたしの周りの人ばかりがいなくなってるんだよ。岡くん、小牧くん、翠ちゃんって。……わたし、不幸を呼ぶ女なのかも」


 琴葉は冗談めかして笑ったが、その眼には深い隈が刻まれていた。

 昨日も不安で、眠れなかったのかもしれない。


「でも、よかった。天城くんはちゃんと来てくれたから」


「ぼくは大丈夫だよ。きっと昨日までが変だったんだ。これからは何も起きないよ」


「そうだよね。偶然だよね」


 和巳が笑うと、琴葉も釣られるように笑った。


「天城くんを待っててよかった。やっぱり、天城くんといるとホッとするよ」


「お役に立ててなにより」


 本当に不安がなくなったように、琴葉は笑った。その笑顔に、和巳は安堵を覚える。

 日常はまだ、此処にあるんだ。だから。

 だから今日も、いつもと変わらない一日であってくれ。


 しかし、そんなささやかな願いも水泡に帰する。

 和巳は気付くべきだった。琴葉の近くから、あの匂いが消えていたことに。


 遠目から見た学校の様子は、決定的に違っていた。

 がやがやと校門付近で騒ぐ生徒たち、そして、彼らを押しとどめようとする教師陣。

 赤いランプと共にサイレンが鳴り響き、暗い藍色の制服を着た警官たちがパトカーから降りてくる。


「……なんで……」


 震える指。うるさいくらいに胸を叩く心臓。全身から、血の気が失せるのがわかった。

 学校へ向かった和巳の前には、変わり果てた水戸裕也の姿があった。

 両手両足を錆びた鎖によって拘束され、学校の門に逆さに十字に吊し上げられている。その様はさながら、罪人の処刑を思わせた。水戸の死体――その恐怖に開き切った瞳孔から、和巳は目が離せない。


『また吊し上げなの。今度は学校で……』


『これで二件目だぞ。警察は何をやってたんだよ』


『――小牧のときと同じじゃないか』


 口々に生徒たちが何かを言っている。周囲に野次馬たちも集まり、水戸裕也の死体を見て、多くの者が感想なり警察への文句なりを零して各々の反応を示している。

 和巳もまた、口を閉じることも忘れて呆けていた。

 そんな折、和巳は人混みの中に一人の少女を見つけた。


 ――あの少女だ。


 グレーのシャツにデニムの上着を羽織り、赤茶色のベレー帽を頭に載せている。赤いスニーカーが、なぜか血のようだった。少女の視線はしばらく水戸の死体に注がれていたが、やがて興味なさげに髪を払い、白いロングスカートを揺らして人混みの中に紛れていった。

 少女の姿が消えてから、和巳は我に返る。

 追いかけなければならないと思った。


 いつか大平という男が言っていた。小牧を殺したのは、忌鬼の誰かであると。

 和巳は水戸を殺してまではいない。となれば、この殺人の犯人はやはり――。


 和巳の足は、自分の意識しないところで動き出していた。


「あ、天城くん!?」


 琴葉の声が聞えた。しかし今は琴葉に構ってなどいられない。

 人混みをかき分けて走った。少女の姿は見える。けれど、どうしてか追いつけない。息が切れたことも、肺が悲鳴を上げていることも忘れて、和巳は少女を追いかけた。しかしどこかの曲がり角を曲がって路地裏に入り込んだときには、彼女の姿は消えていた。

 その場所は以前、和巳が少女と再会した場所であったように思う。

 息を切らした和巳が壁にもたれ掛ると、あの匂いを感じた。

 あの少女は、間違いなくこの近くにいる。


「もしかして、協力してくれる気になったのかしら」


 そう言って、彼女は路地の影から姿を現した。


「キミが、水戸を殺したのか」


 少女の問いには答えず、和巳は己の疑問をぶつける。そのことに少女は眉をひそめて不快を示した。


「だとしたら、どうだというの」


 和巳は少女を睨み付けた。

 そして確信する。やはりこの少女がやったのだ。

 あの手紙も、小牧も。そして翠のことも。


「貴方、今日は家から出ない方がいいわよ」


 そう言って少女は背を向けた。


「待て!」


 和巳は少女を追いかける。しかしどうしてか、追いつけない。

 路地を出た頃には、少女は完全に人混みの中に紛れて見つからなかった。あの匂いは、もうしない。


 生徒が校門前で殺されていたのだ、学校が授業を行うことなどできるわけもない。計都高校は、急遽休校ということになった。

 和巳は学校へ留まる理由がなくなった。かといって、今から翠の見舞いに行けば、翔也や翠に水戸のことを話さなければいけなくなる。今の二人に、余計な不安を掛けたくない。

 琴葉にもそのうまを伝えて、和巳は家に帰ることにした。


 小牧に続いて水戸までもが殺されている。生徒たちに聞いてみれば、噂の域は出ないが小牧と水戸は同じ手口で殺されていたらしい。同一犯の可能性が高いそうだ。

 とにかく今は、警察に目を付けられないように大人しくしているのが得策だろう。この事件は和巳には関係のないことだが、犯人は以前不明のままだ。しかしこの流れだと、やはり小牧弦や水戸裕也と交友のあった者、当日に関わった者から疑われるだろう。


 ならばむやみやたらに首を突っ込むものではない。

 そんなことを考えながら歩いていると、瞬く間に家の近くまでたどり着いた。

 まさか、学校へ行ってすぐ帰ってくることになるなんて、夕凪も若菜も考えまい。和巳が帰ってきたらどんな顔をするだろうと苦笑して、家の扉に手を掛けたときだった。

 鍵が、閉まっていないことに気が付いた。

 和巳は毎日のように、夕凪に鍵を閉めろと言ってある。

 胸にこみ上げた灰色の不安を押し殺して、和巳は努めて平静を装い、扉を開いた。


「ただいま……」


 出迎えるはずの夕凪や若菜はいなかった。

 のみならず、玄関は目に見えて汚れていた。

 土足で何者かが入り込んだような土の跡。誰かが争ったのか、割れた花瓶に、開いた靴箱、そこから散乱した和巳と夕凪、若菜の靴。開いたままの下駄箱の扉には、今朝に夕凪が着ていた服と思われる布の切れ端が引っかかっていた。


「……おい、夕凪。冗談なんだよな。早く出て来きてくれよ、怒るぞ」


 靴を脱ぐことも忘れて、和巳はふらふらと居間へ入った。

 居間は玄関以上に荒らされていて、朝食の残りが冷蔵庫へ入れられることなく、皿と共に下へ落ちて散らばっていた。本棚は倒れて中身は散乱し、床には鉄製の何かで削り取ったような無数の傷跡がある。


「春見さんも、いるんでしょ。悪い冗談はやめてくださいよ……」


 腕に力が入らない。鞄が音を立てて足元に落ちた。思わず膝をついた。背や腹の筋肉にも力が入らず、倒れ込むように腕をついた。そして目に入ったのは。

 ――血痕。血が、床に垂れている。

 震える指で、それに触れた。

 まだ乾いてもいない、新しい血液だった。

 和巳は床を叩き、外へ飛び出した。


「くそ、くそ……」


 周囲を見渡すと、数人の人々が歩いている。社会人、学生、主婦。

 その誰も彼もが、素知らぬ顔をして歩いている。和巳のことなど気に掛けもしない。

 もし和巳が彼らの立場なら、同じことをしただろう。だから和巳も、彼らを責めることはしない。それでも、それでも――少しも自分のことを見向きもしない人々が、和巳には、とても気持ちの悪いものに見えた。

 ただそこに存在しているだけの、四角い枠に見えた。


 和巳はとにかく、思いつく場所すべてを当たって夕凪を探した。

 夕凪の行きそうな場所、夕凪の好みそうな場所、行けるところは全部行った。若菜が連れて行きそうな場所にも、若菜が好みそうな場所にも行った。何件か回ってから自転車で探した方が良かったかもしれないと思った。だが、家に戻る手間すら今は惜しい。

 走った。ひたすらに走った。


 もしかしたら、どこかで夕凪が迷っていて、和巳が声をかけてくれることを待っているのではないか――そんな幻想を夢想した。有り得ないと思いつつ、それでも、そうあってくれたならどれほど幸せかと、考えずにはいられなかった。

 しかし現実はそう甘くはない。


 いくら走り回っても、夕凪はおろか若菜も見つからない。


 かれこれ三〇分ほど全力で走り回った頃だろうか。和巳はもう一度思い当たる場所を探してみる場所を改めて洗うことにした。休憩も兼ねて、一度近くの公園に入る。

『次はない』という内容の手紙が、和巳の脳裏に浮かぶ。

 やはりあれは、あの女からの警告だったのだろうか。


 だとしたら、無視などせず、もっと早くにあの女を止めておくべきだった。

 下らない情を捨てて、あの女を殺しておくべきだった――。


 切れた息を整える。これまで足りなかった酸素が、呼吸が整ったことによって供給されて、ほんの少しだけ、余裕が生まれた。

 闇雲なままでは夕凪を見つけることはできないと、頭が現実に追いついた。


 どうすれば、夕凪を見つけられる――。


 家が荒らされていたこと、僅かとはいえ血痕が見つかったことから、事件性が非常に高い。まずは警察に連絡をしよう。そう思って、ポケットに突っ込んだままだったスマートフォンに手を入れようとすると、あの匂いがした。

 正面を向くと、目の前にあの少女の顔がある。

 いつの間に現れたのか、和巳の電話を阻止するように、手首を掴んで止めていた。


「警察は止めておいた方がいいわ。面倒なことになるだけよ」


「――お前だな。全部、お前がやったことなんだろう!」


 和巳はスマートフォンから手を離して、少女の胸倉に掴みかかった。


「答えろ、夕凪を何処へやった!」


 考えてみれば、簡単なことだった。

 小牧が死んだ。水戸が死んだ。それらはすべて、和巳が彼らに攻撃された日の翌日だ。そして目の前のこの少女は、何かしらの目的のために和巳を必要としている。

 彼女は和巳を味方に引き入れようとしていた。またその手段は、和巳に恩を売って己を信用させようとするものであった。今回も、同じではないのか?

 夕凪や若菜を餌にして、無理やり和巳を信用させようとしているのではないのか?

 向けられた和巳の一方的な問い。それを否定することなく。


 ――くすり。


 少女は、笑った。


「もし、わたしがやったと言うのなら――貴方はどうする?」



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