8
翌朝は早く起きて部屋で朝食を済ませ、出発の支度を整えた。
「準備はできたか?」
「はい」
荷物をまとめて部屋を出る。
一階の酒場は昨日のような騒がしさはなく、とても静かだった。
エセルはふと足を止める。
「ジェラルド様。少し待っていただいてもよろしいでしょうか?」
「どうした?」
「何か昼食にできそうなものを包めないか、尋ねてきます」
手軽に食べられるものを持っていれば、途中で食べることができると思い、エセルは宿屋の調理場に向かった。
その間、ジェラルドは地図を見て道を再度確認する。
少しするとエセルは包みを手に戻ってきた。
調理場でパンに肉や野菜を挟んだ食べやすいものを分けてもらったと言った。
それをカバンにしまって、再び王都を目指して歩み始めた。
軽食を用意していたのはやはり役に立ち、途中で休憩をしながらそれを食べた。
その時にちょうど次の町の近くまで行くという馬車を見つけて、二人は途中まで乗せてもらうことにした。
「――この辺りで大丈夫かね?」
「ああ、助かった」
「この先を行くと、すぐ次の町に着くはずだよ」
人の良さそうな老爺はまっすぐ伸びる道を指さした。
老爺は別の方向へ行くらしく、途中まで乗せてくれた礼をして別れた。
「ここから少し歩くが大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
ジェラルドはエセルを気にかけながら、歩みを進めた。
ジェラルドの歩幅は以前より大分緩やかになり、二人は並んで歩いた。
初めの頃はジェラルドとの距離が開くたびに、エセルは急いで追いかけていたものだ。
ゆっくりとした速度で一本道を進む。
その途中で井戸を見つけると、ジェラルドは足を止めた。
「向こうに井戸がある。水を汲んで来よう」
「ジェラルド様、私が……」
「良い。君は休んでいろ」
エセルは王族であるジェラルドに水を汲ませるなど恐れ多いと慌てた。
だが、ジェラルドは足早に井戸の方へと向かっていってしまった。
本当に、これではどちらが身分が上なのか分からない。
ジェラルドはすぐに水を汲んで戻ってくると、エセルに手渡した。
お礼を言うエセルに、一緒に小さな果実を差し出す。
「これは……?」
「井戸の側の木になっていた。食べると良い」
木から取ってきたのだろうか。
ジェラルドが木から果実を取る姿が想像できず、エセルはしばらく手の中を見つめていた。
「王族らしからぬ、と思ったか?」
心の中を読まれたようで、エセルは返答に困った。
そんな動揺をジェラルドは笑う。
「君は存外、考えていることが表に出るな」
エセルはあまり喜怒哀楽が出ない方だが、その分、とっさに取り繕うこともできない。
ジェラルドに見抜かれているかと思うと、恥ずかしかった。
「これでも、木に登ることも泳ぐことも得意だ」
「そうなのですか?」
どれも王族がすることではなくて、エセルは驚く。
王族というのは部屋の中にいて、自らは何もしないものだ。
身の回りのことをするために、城にはエセルのような女官達がいる。
けれど、ジェラルドがそんな風だったことは一度もないとエセルは思い返す。
ジェラルドは一介の女官でしかないエセルにも馬車に乗るときは手を貸し、水まで汲んできてくれた。
城で噂に聞いていたジェラルドは、常に冷静で自他ともに厳しい人だった。
共に行動し始めた最初の頃も、その認識は外れではなかった。
けれど、次第にジェラルドが優しい人柄だということを知った。
エセルが一人にならないよう気を配ったり、疲れていないかよく尋ねてくる。
急がなくなった分、歩幅が小さくなり、最初は背中を見ることしかなかったが今は並んで会話をすることも増えた。
思えば、ジェラルドは人と深く関わらないようにしていた気がする。
実際には、笑うこともあるし相手を気遣う優しい人柄だ。
「私には城の生活は合わなかった。王族としての暮らしよりも、自由が欲しかった」
ジェラルドは低い声でそう呟いた。
確かにジェラルドは騎士団に所属して、王族として振る舞っていることはほとんどない。
自他ともに厳しく、人と一線を引いていたのは、王族としての身分がそうさせていたのだろうか。
王族には王族の悩みがあるのかもしれない。
エセルはそう思った。
貰った果実を口にする。
甘酸っぱい味が口内に広がった。
その日は山間の町に宿を取り、翌日に備えて早めに休んだ。