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凪のしるべ  作者: 細井雪
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 エセルは倒れている人影に駆け寄った。

 漆黒の髪に背の高い容姿は、遠くで見ることしかなかったが、確かに王弟のジェラルドだ。


「殿下、殿下……!」


 肩を揺すって呼びかける。

 すると、指先が動いて呻き声が返ってきた。


「っ……。ここは……」

「殿下、大丈夫でございますか……っ?」


 目を覚ましたことにエセルはほっとした。

 あの時、ジェラルドが野盗と剣を交えているところを見たので、大ケガやそれ以上の心配が過ぎったのだ。

 頭を押さえて起き上がるが、見たところ大きなケガをしている様子はなかった。


「君は……」

「殿下に同行していた女官でございます」

「そうか。……我々は川に落ちて流されたのか……」


 ジェラルドは濡れた黒髪を掻き上げながら、周囲を見回して目を細めた。

 エセルと同じように、野盗に襲われた山道から川に落ちて、ここまで流されてきたらしい。


「君以外に他に誰かいるのか?」

「私は少し先から歩いてきましたが、他に人影は見当たりませんでした」


 ジェラルドの質問に、エセルは首を横に振る。

 二人とも崖から落ちて、川岸に打ち上げられたのは運が良かったのだろう。

 ジェラルドは立ち上がって遠くにまで目をやった。

 周囲を把握すると、眉間にしわを寄せて目を細める。


「こちら側に山脈があるということは、ここは隣国側か……」


 その言葉を聞いて、エセルは言葉を失う。

 まさか自国ではなく、対岸の隣国に流れ着いていたなんて思ってもいなかった。


「た、助けを呼んでもらって……」

「いや、下手に素性を明かさない方が良いかもしれない」


 助けを求めようとしたエセルを、ジェラルドが緊張した声音で阻んだ。

 警戒した様子に、エセルはなぜだろうと訝しがる。

 ジェラルドはしばらく黙り込むと、ややあって重く口を開いた。


「我々を襲ったのは、ただの野盗などではない。敵は私を狙っていた」

「殿下を……っ?」

「恐らく――陛下の差し金だ」


 ジェラルドのその言葉に、エセルは言葉を失った。

 異母弟とはいえ、ジェラルドは国王の弟だ。

 まさか実の弟に刺客を差し向けたなど、信じられなかった。


「どうして……」


 ジェラルドは恐らくと言ったが、事実であれば兄弟殺しになる。

 国王とその兄弟や従兄弟たちの間には、以前から王位を巡って確執があるという噂は聞いたことがあった。

 だが、それはあくまで噂であり、実際に何か起きたことはこれまでなかった。

 ジェラルドに関しては、側室の母から生まれ兄弟の中でも末の方になるので、そういった話に名前が挙がったこともなかったはずだ。

 その上、ジェラルドは騎士団に身を置いて、王族からは一線を引いている。


「とにかく、一刻も早く国に戻らなければ……」


 ジェラルドはそう呟きながら、青ざめているエセルに問いかけた。


「なるべく急いで国を目指すが、君は着いてくるか?」


 ここが隣国である以上、エセルも早く自分の国に帰りたい。

 土地勘も知り合いもいないところで一人ではいたくなかった。

 そう思ってエセルは頷いた。


「足手まといにだけはならないでくれ」

「は、はい……っ」


 慣れ親しんだ自分の国へ戻りたい。

 この時、エセルはそうできると信じていた。





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