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凪のしるべ  作者: 細井雪
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 驚いて見上げた先には、黒い煙が立ち上がっていた。

 ジェラルドはじっとその方角を凝視している。


「ジェラルド様……」

「……とにかく、国に着かねば分からない」


 エセルは不安な気持ちでジェラルドを見つめる。

 ジェラルドはあまり顔色が良いとは言えず、強く歯を噛みしめていた。

 そんな表情を見て、エセルは何もないことを祈る。

 今はそれだけしかできなかった。


 やっと船が自国の河港に着くと、大勢の人々が騒いでいた。

 ジェラルドは急いで船から飛び出す。

 河港にいた人にこの騒ぎを尋ねた。


「何があったんだ!?」

「詳しくは知らないが、王が乱心して臣下を斬りつけたって噂だ……!」


 ジェラルドに続いて船から降りながら、エセルは息を飲んだ。

 いくら王といえど、理由もなく臣下を切りつけるなどもちろん許されない。

 丘の上に建つ城の方からは、先ほどよりもはっきりと煙が見える。

 何かがあったことは明白で、ただの噂とは言い切れなかった。


「兄上っ……」


 ジェラルドが苦しげに言葉を絞り出す。

 ここまで苦労して戻ってきたのに、あと少しなのにどうしてこんな事態になってしまったのだろう。


「ジェラルド様、すぐにお城へ行きましょう……っ」


 エセルは立ちすくんでいたジェラルドの腕を揺すった。

 ジェラルドは弾かれたように我に返り、すぐにいつもの冷静さを取り戻す。


 だが、すぐには足を動かさず、何かを考えた。

 そんなジェラルドをエセルはどうしたのだろうかと見上げる。

 城へ急がなければならないはずなのに。

 エセルがもう一度声をかけようとした時、ジェラルドはエセルの手をつかんだ。

 そのままもう片方の手で、自分の衿元から何かを取り出し首から外した。


「これを持っていろ」


 それをエセルの手の中に握らせる。

 エセルが手を広げると、それは王家の紋章の入った王族の証であるペンダントだった。

 驚いてジェラルドを見上げるが、ジェラルドはエセルの手を包んで再び握りしめさせる。


「このような大切なもの……っ」

「それを持って城へ向かえ! 必ず助けてくれるはずだ!」


 ジェラルドはエセルの肩をつかんで強い口調で言う。

 エセルはその言葉の意味が分からなかった。

 どこへ行けと言っているのだろう。

 誰が助けてくれるのか。

 困惑するエセルの視界に、ジェラルドの顔が近づく。

 すぐ目の前まで覆われると、唇が重ねられた。

 ほんの一瞬のことで、エセルがそれを理解する間もなく、ジェラルドはエセルの体を押し返した。

 後ろに倒れたエセルの体は、船員達に背を支えられる。


「頼む! この娘を安全なところへ!」


 ジェラルドは船頭へと叫んだ。

 エセルが顔を上げた時には、船は岸から離れようとしていた。


「ジェラルド様……!?」


 手を伸ばすが距離は離れていくばかりで、風をつかむことしかできない。

 それでも身を乗り出すエセルを、船員達が危ないと言って引き戻そうとした。

 ジェラルドの姿がどんどん小さくなっていく。


「待って……! ジェラルド様……っ、ジェラルド様……!!」


 手を伸ばし続けるエセルを、ジェラルドは河港から見つめた。


「必ず迎えに行く。信じていろ」


 人々の叫び声や、波しぶきの響く中、その言葉だけがはっきりと聞こえた。

 エセルの目には、振り返ったジェラルドの後ろ姿だけが残った。





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