10
翌日は予定通りに進み、西の空に日が沈むころに街に着いた。
隣国の王都の一つ手前の街は、それまで通ってきたどの町よりも大きく賑やいでいた。
夕刻の時間帯ということもあり、街の通りは大勢の人で溢れかえっている。
街の人に宿屋の情報を聞いているジェラルドを、エセルは人の流れの邪魔にならないよう建物の側で待っていた。
その時だった。
「――人探しですか?」
エセルの耳に、すぐ隣の建物の中からそんな声が聞こえた。
身なりの良い男達が話しをしている。
「黒髪で背の高い男を探しているらしい」
「黒髪ねぇ……。確か、今日やってきた旅人に黒髪で背の高い男がいたな。ほら、二人連れの……」
男達の話を聞いて、エセルは思わず足を動かした。
先ほどの男達が話していた内容。
その言葉が当てはまる、見慣れた黒髪の後ろ姿へと駆け寄る。
名前を呼ぼうとして、はっとして慌てて口を閉ざし、腕をつかんだ。
腕を引っ張られたジェラルドは、エセルの慌てた様子に眉をしかめる。
「どうしたんだ?」
「い、いまっ……、黒髪で背の高いの男性を探しているという人たちが……っ」
エセルは今しがた聞いた内容を話した。
それがジェラルドのことだという確証はないけれど、嫌な予感がした。
根拠はないが、不安が込み上げる。
ジェラルドもそれは同じらしく、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「やはり、私の遺体が見つからないから追手を放ったか……」
その言葉に、エセルは顔色を青くする。
ジェラルドが素性を明かさないようにしてきたのは、これを危惧してもいたのだろう。
「ここから離れよう」
「は、はい……っ」
先ほど話をしていた男達が出てくる前に、ジェラルドはエセルの手を引いてこの場から立ち去った。
徐々に日が暮れていく街中を二人は駆け抜ける。
街の外れまで逃げた時には、もう辺りは暗くなっていた。
今は使われていないらしい朽ちかけた馬小屋を見つけて身を隠す。
壁も崩れかけているようなところだったが、風をしのげるくらいはできそうだ。
「野宿はしないと言ったはずなのに、すまない」
「いいえ、仕方がないことですから……」
二人は壁にもたれ掛かって座り込んだ。
大分走ったせいか、それとも不安のせいか、エセルは足が震えた。
心臓も落ち着かず波打っている。
「すまない。王族の争いごとに巻き込んでしまい……」
呟くような小さな声音に、エセルはジェラルドの方を見た。
「陛下は、疑心暗鬼になられているのだ……。王位に就く前から兄弟間で争いは絶えず、いつ立場を脅かされるか不安にされていた」
エセルはジェラルドの言葉に耳を傾けた。
手で顔を覆っていて表情は伺いきれないが、その声は今まで聞いたことのないほど辛そうだった。
「私は身分の低い母から生まれて王位からも遠かったから、騎士団に入り陛下の立場を脅かす存在ではないと忠誠を誓ったのに、陛下は私のことも疑ってしまった……」
これまでジェラルドの口から、兄王のことを責める言葉を聞いたことはなかった。
刺客を差し向けたのが兄王だと分かっていても、自国に戻ることだけを口にしていた。
エセルには、ジェラルドは兄を慕っている仲の良い兄弟のように思えた。
それなのに、どうして王はこの方を疑ってしまったのだろう。
エセルはそう思うと、胸が痛んだ。
「すまない……。君にこんなことを言ってしまって……」
「ジェラルド様……」
騎士でもあるジェラルドは、そう簡単に不安などを口にはしない。
それでも、心の内にしまうには限界があった気持ちを、一人で抱え込むことができず吐露したのだろうか。
返事を求めているわけではない、どこか独り言のような言葉だった。
けれど、エセルはどうすれば良いか分からなかった。
王位争いなどとは無縁の平民であるエセルが何かを言ったところで、ジェラルドの悩みや苦悩を慰めるには足りないだろう。
苦しんでいることは分かるのに、何もできないことが歯がゆかった。
再び沈黙が落ち、風の音だけが響く。
壁の朽ちているところから風が入り込んだ。
季節はまだ夏とはいえ、夜は気温も大分下がり、風が吹き抜けると余計に冷える。
エセルは寒さに震えて、縮こまるように体を丸めた。
その様子に気づいたジェラルドは、自分の外套を広げてエセルの肩にかけた。
「っ……」
「風邪をひいてしまう」
エセルはあまりの近さに動揺したが、肩を引き寄せるジェラルドの手が微かに震えていることに、布越しに気づいた。
まるで幼子が寂しさに震えているようで、エセルは考えるより先に気づいたら自分の手を重ねていた。
ジェラルドの手は弾かれるように一瞬揺れたが、重ねられた温もりか、半分ほどの大きさでしかない手でも重みになったのか、不安を帯びていた指先は震えを鎮めた。
どちらも言葉を発することはなく、互いに頭を預けて静かに目を閉じた。
無事に国に戻れるだろうか、その不安は二人とも感じていた。
戻れたとして、ジェラルドを殺そうとした国王とはどうなってしまうのだろう。
その心配がないわけではない。
考えてもどうしようもない不安に、ただただ寄り添って夜明けを待った――。




