醍醐院寿三郎の冒険パート3
4、名探偵登場
東京に住んでいない方は「新宿6丁目」と言われてどんなイメージを所有しているだろうか。
「新宿歌舞伎町」とか「新宿2丁目」とか言われれば、日本一の繁華街であり、ホステス、ホスト、風俗、オカマ、ニューハーフ、ぼったくりなどの単語が出てくるかもしれないが、イメージそのものを所有すらしていないだろう。ここは一言で言えば、「繁華街直近の住宅街」である。新宿駅東口からアルタ前を抜け、紀伊国屋へ。そのまま通り過ぎてから伊勢丹を左に曲がり、靖国通りに向かうと4階建ての雑居ビルとマンションが増え、奥に高層マンションや病院、学校らしき施設がちらほら見えるようになる。ちょうど歌舞伎町から見て東、2丁目から見て北の位置だ。その雑居ビル群の細い小道に入ると大抵一件程度喫茶店が存在する。この半径10mぐらいの円周内に何と5件も喫茶店があるのだ。想像と納得ができるだろうか?その喫茶店が入ったビルの1つに目的の探偵事務所はあった。結構古い、築40年は絶対に経っている感じ。「市妖花探偵事務所」、4階の外壁部分にでかでかと横向きの看板が架かっている。黒の下地に黄色の文字と縁取りをした看板は昭和のスナック?を想起させるものだ、字体もくねくねしていて妙に古臭い。「胡散臭いなあ。」これこそがまさしく正直な感想だった。まず「市妖花」という名前、名前なんだろうけど絶対本名じゃない。商売上本名を明かすの不味いというのは大変ありえそうな理由だが、だったらもっと本名っぽい名前を付ければ良いではないか。一発で偽名とわかる名前を名乗る必要は少しもない。そう考えながら階段に近づくと横に入っているテナントの表示と集合ポストがある。最上階4Fは探偵事務所のみか。喫茶店の右脇の階段を上がる。少し緊張してきた。何せ、僕はただの一般人、探偵事務所のお世話になるのは初めてだ。まあ、小説ではないのだから探偵と言えば、行方不明者探しとか不倫調査、素行調査を仕事にしているのだろうか。そういう点ではあの胡散臭い看板は似合ってなくもない。料金はどのくらい請求されるのだろうか。教授は「心配ない。」と言っていたが相手だってボランティアではない。教授が払ってくれるということだろうか。この名刺のような紙一枚を押しつけられただけで特に細かい話はしてくれなかったが。階段を上り続け、2階、3階の住居を過ぎ、4階に到達した。たかが4階建てとはいえ、上から見える新宿の景色は中々面白い。この昼休みの時間帯は人通りも多い、財布を片手に足早に行くOL、買い物帰りの主婦、ラーメン屋に入っていく作業着のおっちゃん達。しかし新宿駅付近、特に東口特有の小汚さはないと言っていい。さっきも通ったが、穏やかさとせわしなさが同居するような不思議な感覚がある。ここには都会に住む人間特有の温かさとも言える距離感があるのだろう。緊張感がなんとなくだが少し失せた。フロアへのドアを開ける。重い、昔の団地みたいな鉄製だ。閉まる音は日本語では表現できないような重い高音である。無理やり文字に起こすなら「ヒーーガチャーン」だろうか。やはりしっくりこない。フロア内はやや薄暗い廊下が続いている。薄暗さは廊下の照明のせいだけではない。
こちら側から見て右側、廊下に当然ながら隣接する事務所が半端に暗いのだ。どうも事務所の半分、手前側のみ照明が点いているようである。廊下の奥には、「給湯室」と「トイレ」の存在がぎりぎり確認できるぐらいの明るさだった。お昼休みかな。ふとそう思う。だとしたら悪い時間に来てしまった、申し訳ない。すぐ側にある事務所のドアには慎ましやかにも思える金属製のプレートが貼りついている。「市妖花探偵事務所」、あのレトロとも言える表の看板とは全くバランスが取れていない普通のオフィス用の金属プレート。日光、日の暖かさが遮られているせいだろうか。僕にはここがさっきの街の1パーツだとは思えなかった。
まあ、ここで立ち止まっていてもしょうがない。
ドアノブを捻る。ゆっくりと。
顔を入れるように部屋に半身を入れる。誰もいない。事務所は2部屋に別れているようだ。こちらは応接室と言ったところか。法律関係の物だろうか、右と奥側の2面の壁際にはハードカバーの書籍が天井まである本棚にぎっしり詰まっている。中央奥側、本棚の脇には観葉植物の大きい鉢があり、左側には大きめの木製の机がある。脚が流線形に曲がっているデザイン。(後で聞いたらこれを猫脚と言うらしい。)中央右よりには黒色で厚みたっぷりのソファが向かい合って鎮座している。おいくら万円なのだろう。部室の破れたソファとはお値段が元から2ケタは違いそうである。探偵事務所というよりまるで法律事務所のような印象を受ける。意外と儲かってるのだろうか?
「すみませーん。だれかいらっしゃいますかー。」
言いながら、全身を部屋に入れる。ドアノブから手を離す。
「はーい!!ちょっと待ってー!」
左の、つまり奥の部屋から元気な声が聞こえる。
良く言えばハスキー、いやハスキーというには少々ダミ声かも知れない。
唐突に嫌な予感が身体を駆け巡り、お尻から頭へ一直線に突き刺さる。
まさか、もしかして・・・。
バタバタバタとせわしない音が1分ほど聞こえて、
数秒の静寂が戻る。
ガチャリ。
「オ・マ・タ・セ♡ ♡ ♡ 」
派手な色のカタマリが「ぬっと」入ってくる。
僕はこの瞬間を一生忘れないだろう。
一目で判る安っぽい染めた金髪のロングヘア、どピンクのレディースもののスーツ姿(これも後で「マゼンタ」だと訂正された)に同色のタイトスカート、さすがに室内靴にヒールは付いていないが黒いリボン付きのパンプスを履いている、手にはグラスの載ったお盆。まあそんな細かい事はどうでもいい、185cm近い身長、化粧された顔、端整な部類ではあるのだが濃厚な化粧が色々と邪魔をしている、そこそこのがっちりしたガタイ、このガタイだけで立派に「日本男児」であることは主張できそうだ、そして決め手は厚化粧ですら隠しきれてない青髭だろう。
失礼ながら挨拶も忘れ、こう呟いてしまった。
「オカマ・・・。」
聞こえたのだろう。だが、彼女?は大して怒りもせず、細めに整えられた眉尻を下げるだけである。
「そーねー。女装家~とか呼ばれてみたいけど、端から見ればオカマはオカマよね~。」
そう言いながらこちらをじっと見てくる。
さすがに礼を失したことに気付いた。
「失礼しました。僕は大堀 優と言います。急にお願いしたい事があり、アポイントメントも取らずにここに来てしまいました。」
頭を下げる。
「気にしないで~。特に今日はこれ以外の用事は入ってないから~。どうぞ座って、座って。」
なんだ、良い人ではないか。やはり人を見た目で判断すべきではないのだ。促されるままにソファに座る。
「ごめんねー。今日は秘書の子がお休みだから、こんなものしかないけど~。アイスティー飲むぅ?」
一旦、ガラスのセンターテーブルに置かれた朱色の盆から両手でこちらにグラスを置き直してくれた。
そのまま対面のソファに座る、女性らしく?足を斜めに揃えて。(足が長いのが良く判る)
氷がたっぷり入った琥珀の液体にある程度曲げられた青いストローが差し込んである。水滴の付いたグラスの下にはご丁寧にコルクのコースター、そしてガムシロとコーヒーミルクを添えられている。センターテーブルの下のラックには女性向けファッション誌がいくつか置いてあるが、ご愛敬の範囲だろうか、それとも待ってもらう依頼主への配慮か。
「頂きます。」
何も入れずにアイスティーを飲む。見た目通り良く冷えていて、新宿駅からここまで歩いてきた身にはありがたい。昨日来ていたら絶対暖かい紅茶だったよなーとなんとなしに考えた。グラスを置く。
氷の一つが液面を滑り、グラスを半周する。
「そう言えば、自己紹介がまだだったわね。私は市妖花。名前通りここの事務所の代表をしているわ。」
ニコッとほほ笑むしぐさは、意外なことに少女のようなあどけなさがある。
化粧で判りづらいが年齢は30程度だろうか。個人経営とはいえ、経営者としてはかなり若い。
「まあ、この名前はなんていうのかしら?芸名、源氏名みたいな物よね。」
探偵に源氏名なんてあってたまるか。
「トゥルーネームって言うのが一番しっくりくるかも。」
いきなりスピリチュアルな話になってきた。
「本名はしょせん、親から与えられた名前。私の精神性を現したものじゃないのよ。」
それはまあ、確かにそうかも知れない。
ちょっと本名が知りたくなってきたが、あまりそこらへんを突っつくのも悪いな。
その自称 市妖花さんはなぜか少し態度を悪くして(拗ねたのか)そっぽを向きながら、軽く足を組んだ。
「で、なんでお金のない大学生が人探しに探偵事務所に来たのかしら。」
いや人探しというのも少し違うが。
うんうん、やはりそこから話をしなくてはならないだろう。
アイスティーを盛大に吹き出した。
「ちょっ。汚いじゃない。」と言いながら、いつの間にか回避していた市さん。
「げほ、ごほげほ。」
僕はそれどころじゃない。市さんは慌ててハンカチを取り出して拭こうとしてくれる。
「なんでそんなことが解るんですか!」
僕はまだ何も説明していない。
というか阿久津教授には一度頼んだのだ。その市妖花という怪しげな探偵にアポイントメントを取ってくれるように。
しかし、帰ってきた答えは、「あとは自分で全部やれ。」だった。
その後、「ただし、ワシの名前は出して良い。」と真顔で言われたが、なぜそんなことを言ったのだろう。
もらった名刺?にはなぜか住所は書いてあっても連絡先が書いていない。ネットで調べてもHPはでてこない。よって直接来ざる負えなかったという訳である。
だから僕がなぜ来たかなぞこの人にわかるはずが無いのだ。
「そんなの決まってるでしょ。」
少し不機嫌そうな市さんは言葉を続ける。
「オンナの勘よ。」
誰がオンナじゃと突っ込みたくなるが、昨今の風潮上かなり突っ込みが入れづらい。
「まあ、確認はもうさせてもらったけどね。」
右手でひらひらと白いパスケースを振る。
文脈でわかると思うが僕のである。
ハンカチのときだろうと当たりはつくが、盗られた感覚はまるでなかった。
「ねぇ、嘘が苦手な野慈 始君。」
偽名を使おうとしたのは、阿久津教授から受けた印象のせいだった。この探偵を頼れという割にはかなり警戒している印象だったから。もちろん偽名は学年で一番嫌いな同輩の名前を拝借した。そいつの住所などの個人情報もきっちり把握している。いつか嫌がらせしてやろうと思っていたのでちょうど良かったと思ったが。
「あなた、そ~と~イイ性格してるわね。」
まあ、日本で最も善良な性格を有している人間なのは間違いないが、そう褒めなくても良いだろうに。
「いやあ、褒められると照れますね、アッハッハッハ・・・。」
魅惑のエンゼルスマイル(当然、僕の素敵な笑顔のことだ。)で適当に対応しつつ、場の空気をごまかしてみる。
「褒めてないわよ。」
知ってる。
市さんは呆れたというか、諦めたようにパスケースを渡してくれた。
「一応言っておくけど、学生証を見る前にお金のない大学生だと判断した理由はちゃんとあるわよ。まずあなたの見た目がぱっと見、20代前半でしょ、そしてまず社会人やればわかるけど、自分のことを初対面の人間に対して「僕」なんて呼称する社会人なんて9割9分いないわよ。大抵「ワタシ」か「ワタクシ」。仕事でもないのに身分証明のために名刺渡してくる人だっているわ。そんでもって基本的にウチの依頼人は人づて、紹介でウチの事務所にやってくる。紹介人を介したアポイントメントをしっかり取ってね。言い方悪いけどあなたとは「客層」が違うのよ、身につけている物含めて何もかもね。」
なかなか酷い言われようだが、理由としては全然大したものじゃない、むしろ聞いてみれば、なんだ、そんなことかと言いたくなる。
でも、でもだ。
探偵事務所の名刺を最初、阿久津教授に見せられて感じた「全く信用できない、ダメっぽい」イメージ。
それが今の科白でなんとなくこう、ほんの少し変化してしまった。
もしかしてこの「市 妖花」なる胡散臭さ満点の人物は、「名探偵」なのではないかと。
不倫調査とか適当な報告をしてノイローゼの小金持ちから金を巻き上げるだけの巷の探偵とは一線を画すのではないかと。
幼い頃、いわゆるハードカバーの300ページを超える本を図書館の小学生向けコーナーから一度に何冊も借り、夢中になって読んだ、否、魅了させられたあのディアハント帽をかぶった冷徹無双の紳士なのではないかと。
そう一瞬だけ、ほんのちょっとだけそう思ってしまった。全然全く、似ても似つかないのに。