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醍醐院寿三郎の冒険  作者: 石井 秋文
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醍醐院寿三郎の冒険パート2

3、小悪魔と悪魔と天使

学生課側から見ても処理しようと思えば只の「自主退学」として片づけられる案件ではある。さて、どうしたものかと言えるほど選択肢は多くない。実質一つと言って良いぐらいだ。元来た道を戻り、教室棟も過ぎ、隣の研究棟に向かう。研究棟5階、「生薬学研究室」それが僕の目的地だった。

「生薬学研究室」少し足を止め、2部屋あるその研究室の、教授やスタッフが論文を作成するPC室の方に向かう。左は実験器具や遠心分離機、クロマトグラフィーの為の機械が置いてある実験室だが、入ったのは1度が2度程度で、正直良く覚えていない。そもそも生薬学の講義の実習枠はコマが少ない上に下階の実習室で済ますのだから当然と言えば当然だろう。「生薬学研究室」の室名プレートの少し下、教授を含めた5名の研究員の名札が横にならんでおり、小さいホワイトボードに順に実験室、出張中、外出中、外出中、実験室と書かれている。

教授は実験室か。いるように見えないが。

「失礼します。」

左の部屋にノックを2回叩いてからドアノブを捻り、引く。ご丁寧にドアには小さめの暗幕が貼ってあった。もちろん室内側にである。

部屋は真っ暗、ただ三角フラスコのなかにある150mlぐらいの液体だけが、青く輝いている。

光無い世界に輝く一点のフラスコ。

なんとなくラブクラフトの奇小説「インスマウスを覆う影」を彷彿とさせる光景に、足が止まる。

自分は半魚人の血族ではないが、これを飲み干せば、深海の真理に触れられるのではないか。

「パチッ」そんな擬音のような音がしてくだらない思考が中断される。

蛍光灯が点いたのだ。窓にも、右のドアにも暗幕が貼りめぐらされているのがわかった。天板が黒く塗られた長机が並んでいる。黒づくめであるからか床のモスグリーンが少し目立つ。ぼっとしてしまったがフラスコの向こう側、正面に白衣の老人がいた。

ここの室長である阿久津教授である。

黒色のデザインのライトを左手に持ち、こちらをざんばらの銀髪の狭間からぎらぎらとした眼がのぞいていた。

「何だね。」

短い一言に姿勢を正さざる負えない威迫を感じる。

「失礼しました。お仕事中に、お邪魔したみたいで。」

「2年生の野慈 始と言います。突然で申し訳ありませんが、少しご相談したいことがありまして。」

背中を張り、生真面目に応える。老人というものは「生真面目な青年」が大抵好きなはずである。

この人が例外でないと信じたい。

「まあ、座りたまえ。わしにどんな用事があるか知らんがな。」

露骨に嫌そうな顔をされた。

まあ、当たり前か、事前に話も通していなかった訳だし。良く分からないが当然、今も仕事中だったわけだから。

ふと、ほんのわずかの香気を感じる。消毒用エタノールの臭いではない、洋酒?

そういえば、先ほどまで青く輝いていた液体が、今はスッキリと無色透明である。

そう、暗闇でもわずかに感じた香りだった。おいおい、顔がわずかに歪む。

「そのフラスコの中身、もしかしてお酒ですか?」

どきっとしたような判りやすい表情。あえて好感をもって表現するなら「いたずらがばれた小学生のような」表情である。

「お遊びのようなものじゃよ。」

教授は少々バツの悪そうな顔だが、飲用アルコールを仕事場に持ってきたのは初回ではあるまい。

それよりもこの「青く光る酒」が気になる、僕は腐っても理学の徒である。(苦笑)

教授は視線をフラスコに再び戻す。

「ああ、中身は確かに酒じゃ。ジントニック、トニックウォーターがブラックライトで本当に光るか試していたんじゃよ。」

お酒を飲まない方に一応説明するとジントニックはドライ・ジンという蒸留酒にトニックウォーターという清涼飲料水を混ぜたものでライムを添えたカクテルの一種である。ブラックライトは紫外線を放射するライトの事で蛍光物質などを視認可能にするものだ。

「トニックウォーターがブラックライトで光るんですか?」

そういえば教授が握っているライトは照光部分が濃い紫色である。

「トニックウォーターに含まれるキナ抽出物がブラックライトで光るんじゃ。キナは講義でならったじゃろ。マラリアの特効薬と言われたキニーネの樹じゃ。」

当然、ジントニック自体にマラリアに対する予防作用や薬効があるわけではなく、あくまで適度な苦みを加える為のものだろう。

「そもそも精製したキニーネが入っているわけじゃない。国内に流通しているジントニックはあくまでキナ抽出物が添加されたものじゃ。劇薬のキニーネが入ってりゃそりゃ薬事法違反じゃよ。」

教授が肩をすくめながら補足する。

モスグリーンの床に上辺が黒い実習机。並ぶ戸棚には乾燥させた生薬が透明なプラスチックの円筒に収納され、展示するように並べられている。

少しの沈黙。

さて、そろそろ本題に入らなければならないだろう。

「阿久津教授、相模 律という生徒はご存知でしょうか。」

うん、と傾げた首をすぐ戻し教授は眉を少しゆがめた。

くだんの学生か。」

とだけ言う。

まあ、知らないはずはない。この阿久津教授、外面、内面ともに変人、奇人の類だが、こうみえて我がSY大学のハラスメント対策委員会の委員長である。

女子学生を主とした多くの人間の相談に乗っていて、学生からの人気は意外なほど高い、大学内外にも広く交遊を持つ。伊達に教授をしているわけではないのだ。学生なんぞに興味がないという教授もいる中、この人は最も学生の問題に敏感な方の一人であろう。

そうでなければ、関係の薄い阿久津教授に相談など持ちかけたりしない。そしてもう一つこの人に相談した理由は前述した交遊関係の広さにある。若い時分から遊びに遊び、飲む打つ買うを繰り返し、「種馬阿久津」だの「雀鬼阿久津」だのいろんな意味で恐れられていたという。(あくまで噂だが。)

いわゆる縦の関係だとか横の関係だとかではない一見何の関わりもない人物とも知己であるということは社会に出てからの問題解決の一助になることはひよっこの僕にもなんとなくわかる。

そういう強さがこの教授にはあるのだ。

「もうご存知で。」

一応驚いておく。

「10日前に学生課の園田から一応ね。」

かなり早い段階で報告があったという事か。

「一番初めの長期無断欠席の時から話は来ていたんじゃ。その時は学生課も混乱していなかった。誰もが指導すりゃ良い、それでも来なきゃ留年するだけ、自己責任だと思っていたんじゃ。問題なのは、保護者に連絡が取れた時だったのう。」

「まさか保護者を説得する羽目になるとは思わなかったのじゃろ。しかもそれにも応じず、一方的に退学届送付を宣言された、そりゃ大慌てにもなるわい。」

肩をすくめてみせる。

「1年生を担当している教授や講師も会えば必ずその話をするのう。今一番ホットな話題じゃ。」

ならばストレートに聴けるというものだ。

「教授会には事案として上がっていますか?受理や処分については何か。」

教授の眉が少し動いた。気に障ってしまったか。

「それは君の教えることではないな。」

うーん、しまった。早計だったと言わざる負えない。僕が思っているよりデリケートな問題なのだ。

もう少しゆっくり話を詰めるべきだったのだろう。

でもこの話の流れなら十中八九、具体的な結論出てはいまい。人間は前例のない問題の結論を先延ばしにしたがる生き物である。実際、桜子は「退学届を送る。」と言う話を聞いているが、「退学届を受理した。」とか「退学届が学生課宛てに来た」という話は聞いていない。母親との電話自体がごく最近の出来事のはずだ。

「そもそも相模くんと君はどんな関係なのかね?」

至極当然の質問が来た。

すげー困る質問である。ぶっちゃけ何の関係もないと言っていいぐらいだ。

元々おせっかい焼きではあるのだが、今回は自分でも相当だなと思う。

返答に困っていると教授は何かいぶかしむように僕を見まわし始めた。

本格的に不味い。何でも良い。適当にゴマかさなくては。

「あ、あのー、実は・・・。」

がしいいいい

突然、教授に両肩をがっちりとつかまれる。顔の全ての筋肉を使っているようなすごい形相。

「そうか、そういう事か!!」

え、えええ!?

「いや、わしが鈍感だった。すまん!すまん!そうかそうか なるほどのう。

君はああいうこざっぱりしたが好みか!」

はあああ??

「いや、わしにも覚えがある。いやいや皆まで言わなくて良いぞ。そういうのはな、秘すれば花なり、秘せずば花なるべからずと言ってのう。本来、人に話すもんではない。」

訳のわからない事を言って一人で納得している。興奮のせいか銀色のざんばら頭がぶんぶん揺れた。

「君の望みはあれじゃな。この退学問題を解決したいと。「退学」以外の結果で。」

おお、理解してくれた。過程がすっげー怪しいけど。

「君は連絡取れんのか。あれか告る前か、最近の若いもんはしょーがないのー。草食系と言うやつかの。」

うん、だんだんウザくなってきた。

まあ実際、僕自身は相模さんのメアドすら知らない。

調子を合わせといた方が良いだろう。

「ええ、その通りなんです。ご慧眼恐れ入ります。

連絡も全く取れなくて、僕は心配で心配で。毎夜毎夜、枕を涙で濡らしているのです。」

教授は我が意を得たりと言う感じで僕に同情している、目に泪を溜めているようにも見える。

「うう・・・。」

ハンカチをスラックスの右ポケットから取り出し、チーンと鼻を噛みはじめた。

ここだ。

「それでですね、教授。僕は相模さんに何か問題、いや事件が起きたのではないかと考えています。

それで大学に戻れないのだと。」

そうでもなければ、こんな珍事が起きたりはしない。だれもが考えることではある。理由なしに突然退学なんてことはまずありえないのだから。要は踏み込むか、踏み込まないかである。

なら僕が桜子を諌めた時と逆の事をすればいい。

「逆に言えば、その問題、事件が解決できれば相模さんは大学に戻ってくる可能性が高い。退学問題も当然無しになります。」

ふむう、僕の言いたい事がわかったのだろう。教授は少し悩むふりをした。

イケるな、僕はそう確信した。

「教授、例えば明日、退学届が学生課に届くとして、それを受理するかどうかは教授会での検討事項になるはずです。次回の教授会はいつになりますか。」

「来週の火曜じゃな。」

「つまりあと4日間でこの問題を解決し、退学届が取り下げになれば何の問題にもならないわけです。大学も「原因の調査」を表立ってする必要がない。」

そう、理由もない退学届なんて前代未聞な物を受け取らなければならないなら、このうるさいご時世、それ自体が「問題」になるのである。だから大学側はその原因を調べなければならない、まず疑われるのはいじめなどの学生間の問題や教授、講師陣の指導の問題であろう。そしてそれを担当するのは、

「ハラスメント委員会か。」

教授が呟く。

かなり難しい事案になるだろう。本人とは連絡が直接取れず、母親も理由を言わないのである。

それでも結論を出さなければならない立場になる。出来なければ委員会会長である阿久津教授の責任になる。

お互い顔には出さない。僕はできるだけ感傷にひたった顔を造ったままだ。

数秒の間、沈黙が続く。

「それまでに解決する方法・・・、なんてものはありますでしょうか。」

僕が口を開いた。

教授を見つめる。

老練かつ奇妙な教授を。視線は外さない。

教授も僕から視線を外さない。

「ある、あることにはある。じゃが、これは劇薬じゃぞ。」

「野慈くん、君は相模君を助けるために全てを投げ出す覚悟はあるかの?」

うん?何を言っているんだ。そんなものあるわけがない。

彼女とは僕は何も関係がないのだから。あくまでも桜子の頼みだからやってることである。

口八丁手八丁での世渡り術以外使う気はなかった。でも正直にそう言う訳にも行かない。

おそらく「正直さ」というものは現代社会の美徳にはなりえない。

僕はそう気付き始めていた。正直さは問題解決に対して何の役にも立たない。

「ええ、僕は全てを投げ出してでも彼女を守りたい。なぜなら僕は彼女を愛しているのだから!」

がしいいいっ!

また両肩を掴まれた。ちょっと痛い。

「君の気持はよ~くわかった!もう余計な事は何も言わん。ここを行け。」

一枚の紙片を渡された。名刺程度の小さな紙。

そこには「市妖花いちようか探偵事務所」の文字と新宿6丁目の住所が記載されていた。













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