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 数時間後、私は深い闇の中にいた。率直に言えば、目隠しをされていた。


「こんなことになってすまないが」


 課長の声がする。


「ツキノの件が片付くまで、君にはその格好でいてもらう」


 ここは警察署にある独房。私は凶悪犯のように、拘束具を着せられ口枷と目隠しをされた状態で椅子に縛り付けられていた。


「殺しちゃえばいいんですよ。こいつのせいで、菜乃畑と香蕪木は……!」


 誰かが私に唾を吐きかけた。それが誰かは追求するまい。憎しみ蔑まれるのは無理もないと受け入れたが、頬をゆっくりと伝っていくぬめりへの不快感は如何ともしがたかった。


「ならば宇佐木が催眠系の魔法を隠し持っていたことを察知できなかった私も責めを負わねばならんな」と課長。「誰かが代わりにこの事態を収拾してくれるなら、私も喜んで収監されるぞ?」


 沈黙。


「よろしい、ならば出動だ」


 複数の足音が遠ざかっていった。室内灯が落とされたのが目隠し越しのわずかな明暗で感じ取れた。私は頬の不快感をどうにかできないかと身をよじったが、無駄な足掻きだった。



 あの時、公園に現れたツキノは言った。精神支配系の魔法を今まで隠し持っていたこと、それを使って娘にとって脅威となるマチカを殺させたこと――。そこまでは私の推察通りだった。だがそれで終わりではなかった。ツキノの魔法にはまだ続きがあったのだ。


 それは、暗示――魔法的には(のろ)いと呼んでも過言ではない。ツキノは私の深層心理に、宇佐木チエミに対して危害を加えるものへ攻撃を行うよう命令を残していたのだ。

 それは私の意志に関係なく実行され、そして私の意志では止められない。そして解呪は今のところツキノ本人以外の誰にもできない。


 そういうわけで、課長はツキノの件――連続失踪事件が、ではない――が終結するまで、私を厳重に拘束しておくことを決定したのだった。


――ワタシはチエミと共に行く。


 そう言い捨ててツキノは娘と去って行った。


――ごめんなさい。カナハちゃんにも悪かったとは思ってる。でも娘のためなら仕方ないじゃない。あなたも母親になればわかるわ。


 皮肉にも、その上から目線の身勝手な物言いに対する怒りが、自責の念で崩壊しかかっていた私の自我を繋ぎ止めた。


 何が母親になればわかる、だ! 仲間を操って自分の手を汚さず別の仲間2人を死に追いやって、親なら当たり前と開き直ってみせるのが母の愛だというのか。


 なんという傲慢。なんという独善。


 私は思いつく限りの罵倒を脳裏に浮かぶツキノにぶちまけた。ボールギャグをかまされていなければ歯が砕けるほど歯ぎしりしていただろう。その代わりに涎が垂れ流しだ。既に胸元までぐっしょりと唾液に濡れている。

 

 尿意を覚えたが、呼んでも誰も来ないし、そもそも呼ぶことはできない。長い逡巡を経て、私はそのまま放尿した。あらかじめオムツを履かされていたとはいえ不快感は消せなかった。呼吸のためとはいえ鼻が塞がれてなかったのも屈辱を倍加させた。その悔しさもまた、ツキノへの憎悪の燃料となった。


 そうやって激情に沸騰した頭には、灯りも点けずに近づいてくる足音が届かなかった。足音の主が鉄格子を開けてようやく、私は接近者の存在に気付いた。


「……いい格好ね、トモノ」

「――――ッ!!」


 声の主は、たった今まで呪詛をぶつけていた相手、宇佐木ツキノその人だった。

 私は憎悪を込めてあらん限りの力で吠え、声のした方に向かって身体ごとぶつかろうとした。だが実際にはくぐもった声しか出ず、バランスを崩して椅子ごと床に身を打ちつけ、ピンセットで縫い止められた惨めな芋虫のように蠢いてみせただけに終わった。


「落ち着いてよ、話もできないじゃない」


 圧倒的有利な立場に立った人間は、普段の慎ましやかな態度とは打って変わって高慢さが具現化されたような声を立てた。酷く耳障りだ。


 ぐい、とツキノが私の前髪を引っ張って顔を向き合わせる。次の瞬間目隠しが毟り取られた。まずい、と思ったときには既に、金色に輝くツキノの虹彩が私の瞳孔を射抜いていた。見てはいけないとわかっていても、もはやそれから目が離せない。


「『20分間、呼吸とまばたき、心臓の鼓動以外の行動を禁ずる』」


 私の身体はそのようにした。

 ツキノは私の拘束を解除していく。何をするつもりだ、と問いたかったが自由になったはずの口は1ミリも動かなかった。


「あなたはチエミを守らなければならない。あなたはチエミの危機を看過できない。チエミを傷つけるものは何であろうと排除しなさい」


 ツキノの金色の瞳に対して、無駄だと笑い飛ばしてやりたかった。私がツキノの催眠魔法の支配下にあることは既にみんなが知っている。種はバレているのだ。私は組織の中でも――自分で言うのもなんだが――有数の実力者であっても最強ではない。騙し討ちならまだしも、正面からみんなを相手取って勝てるものか。


 だがそこで、ツキノはにたりと笑った。

 汗をかく自由は許されていなかったが、もし可能だったなら背中に怖気が走っていただろう。


 そうだ。こいつは娘を守るためなら何でもやる。計画性もクソもない。片っ端から藁でも何でも使えそうなものをつかみ取っているだけだ。勝算があって私を駒にしたのではない。掴んだ藁の1つがたまたま私だったというだけなのだ。

 言ってみれば、自殺に巻き込まれているようなものだった。


「20分は長すぎたかな?」


 ツキノは立ち上がった。


「場所はわかってるよね? 連続失踪事件の中心地点、ポイントX。今夜零時、そこから異世界への船が出航する。侵略された世界を奪還して回る十字軍の船――ですってよ。ワタシには奴隷船か蟹工船にしか思えないけど。私達が異界生物の妨害をし続けたから、あいつらも本気になったのね。ハーメルンの笛吹きよろしく、私達の手の届かない場所へ子供達を連れ去って働かせようって寸法なわけ」


 ツキノは娘のために異界生物と手を結んだのだ。そして娘経由か奴等から直接かは知らないが、その計画の全貌を聞いたのだろう。

 だが何故、それを私に話す?

 こちらから問いただすことはできなかったが、ツキノ自ら説明してくれた。


「何故そんなこと話すんだ――って思ったでしょう? あなたにはチエミを助けてもらわなきゃならない。でもそのためには情報を持っていなければいけないじゃない? チエミが何時に何処にいるか知らないで、明後日の方向でブラブラされちゃたまらない。けれどこうして時間と場所を知ってしまったのだから、あなたはチエミが危険にさらされると知って駆けつけずにいることはできない」

「…………」

「子供達は可愛いものよ。これが正義の行いだと信じてる子、楽しい冒険の期待に胸を弾ませてる子、理由は様々だけどみんな乗り気。最終的に40人の魔法少年が加わることになった。失踪した子供よりずっと多いでしょ、驚いた? 失踪したのは即日協力を引き受けてくれた勇敢な、というか後先考えない子供で、大半の子供は色々後始末をしてから今夜自分の足で『港』まで来る手筈になってる」


 40人、という数を頭の中で反芻する。こちらの総人数は10人にも満たず、そのうち3分の1はカナハと同じく支援系の魔法使いだ。数だけなら不利。もっともこちらは歴戦のベテランなのだから、相手の力量次第では――。


「戦力評価はチエミをAクラスとするとBが2人、Cが12人、Dが25人。Dのうち半分が戦闘補助タイプ、としか言えない。測定なんかしてないもの。異界生物も、連れて行く子供達の教練や組織化は子供達自身が勝手にやると思ってる。結局丸投げなのよ」


 だからこそ、保護者がついていてやらないと――。ツキノはそう付け加えると出口に向かった。私が鍵を閉めて自分を閉じ込めないよう、魔法で扉を切断する。そしてかつかつと靴音を響かせて去って行った。


 私が身体の自由を取り戻したのはそれから3分ほど後だった。

 無駄だとはわかっていたが、すぐさまツキノを追って駆け出す。長時間固定されていた身体が軋みをあげたが、立ち止まったのはそれが理由ではない。


 出口間近に強烈な血臭が立ちこめていた。看守が喉をざっくり切り裂かれて絶命していたのだった。流れ出たおびただしい血が青い制服をどす黒く染めている。


 敵を騙すためにはまず味方から――ツキノの裏切りは全てお芝居でマチカもカナハも本当は生きてる、なんてささやかな希望は完璧に打ち砕かれた。マチカの死もカナハの死も現実だし、ツキノが敵の情報をペラペラ喋ったのは情報リークなんかじゃなく、彼女が語った理由が全部だ。


 彼女は本当に娘と異世界に飛び立つつもりだ。そのために誰が犠牲になろうと――捨て去る世界のことなんか何も考えてはいない。


 時刻は午後9時になろうとしていた。


 フロアの鍵はやはりツキノによって破壊されていたので、ドアの前まで看守の死体を動かして外から入れないようにする。監視カメラがあるから私が看守を殺したのではないことは証明できるが、その時間が惜しい。


 予想通り、私の私物はここに預けられていた。スマホの電源を入れるとメールと通話の着信通知数が酷いことになっていた。ほとんどがシロキだが、相手をしている暇はない。今度こそ愛想を尽かされるかもしれない、と思った。


 課長のナンバーを呼び出す。数回のコール音で課長の咎めるような声が聞こえた。


『……何者だ』

「私です、桜木です」

『桜木? どうして……!』

「ツキノが来て、私を解放していきました。私にチエミを守らせるために催眠をかけ直したんです」

『かけ直した……?』

「今、大丈夫ですか?」

『かまわん』


 私はツキノから聞いた情報を全て喋った。


『それが真実だという確証は? 何故奴はおまえに口止めを指示しておかなかった?』

「私にはわかりかねます。なので課長の判断に委ねます」

『おまえまで丸投げか。異界生物じゃあるまいし』


 課長は少し笑った。


『わかった。ポイントX周辺に交通封鎖を依頼しよう。それとマジカル結界を展開すれば、魔力の弱い奴や迷いのある奴は引き返すだろう。おまえは、そこでじっとしてられるか?』

「無理でしょう」


 早く現場に行きたいという欲求が私の中で膨れあがっていた。苛々する。今は抑えていられるが、時間が進むほどに耐えがたいものになるであろうことは予想がついた。


『おまえをもう一度拘束しに戻る時間も人員もない』

「そうですね。それに今の私は黙って縛り付けられてくれそうにないです。本能的に抵抗するでしょう」

『おまえを力尽くで押さえつけるのは手間だな』

「もし私が皆さんの妨害に入ったら、遠慮なく殺してくれてかまいません」

『早まった真似をするなよ』


 通話終了。

 拘束衣を着せられたときに脱がされた私服はきちんと畳まれて紙袋に入れられていた。看守の死体に見つめられながら着替えると、腹が鳴った。



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