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宇佐木ツキノ――旧姓瀬良ツキノとは中学生の時に知り合った。
小学校中学年から高学年まで魔法少女活動に明け暮れた結果、それまでのわずかな交友関係を白紙にしてしまった私が中学で初めて得た友人である。
友人とはいえ、魔法少女であった過去は話さなかった。あの頃の私にとって魔法少女時代はいわゆる黒歴史で、マジックアイテムは全て物置の奥に仕舞い込んでいた。
ツキノとの友人関係は、2年生に進級した頃から自然消滅してしまう。自分がこそこそ隠し事をしているから、不信感を抱かれてしまったのだ――と当時の私は思っていた。
だが実際は、ツキノはその頃魔法少女として活動していたのだ。私がかつての友人に対して行ってきた不義理を、ツキノもまたそうせざるを得なかっただけだった。
彼女もまた魔法少女だったことを知ったのは、私が魔女課に就職したときだった。その時彼女は勤続2年目、既に結婚しており、1児をもうけていた。
それで親交が復活した。家に招かれたこともある。庭のある大きな家。上品な物腰の旦那さんだった。何故か私についてきたシロキとは趣味が同じだったらしく、意気投合して盛り上がっていたのを覚えている。
娘の名はチエミ。母親そっくりの子供だった。
だから、モンタージュに写った魔法少女が彼女だというのはすぐにわかった。
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会議が終わると、ツキノは早速私を呼び止めてきた。張り込みのパートナーには先に行ってくれと頼む。マチカは別段不審を抱いた様子もなく去って行った。
オフィスに戻ると、みんなは既に出動していて、留守番役を仰せつかったツキノだけが座っていた。
「……チエミちゃんのこと?」
わざとらしい探り合いは苦手だから、こちらから本題を切り出した。ツキノの顔から表情が消える。
「告げ口をするつもりはないけど、すぐにバレると思う」
幼児期に比べれば、母親の面影は薄らいでいた。それでも見る者が見ればツキノに似ていることに気付くだろう。
「でしょうね」とツキノが嘆息。「ワタシが留守番役なの、課長が気を回してくれたからかもだし」
「どうしてあの子が魔法少女なんかに」
「ワタシだって初耳よ! 親だからって、子供の何もかもを把握してるって思う? あの子が魔法少女になってたなんて気付かなかったの! そもそも失踪なんかしてなくて、今朝だって普通に学校に行ってたし!」
そりゃあ、コソコソしてるとは思ってたけどさ、とツキノは消え入りそうな声で付け加えた。
「トモノはマチカとコンビだったよね? マチカがチエミを殺さないように見張っててくれない?」
「……マチカだって、いつもいつも問答無用で殺してるわけじゃない」
何故かコンビを組むことの多い、血の気の多い同僚に対して一応フォローを入れておいたが、サラマンダーの件は記憶に新しい。自分でも言うのもなんだが説得力はなかった。
「課長に正直に話して、私と担当替わってもらったら?」
「それね……。でもあの子、反抗期だから……ワタシが説得に入ったからって、聞くかどうか……」
「一応、戦闘に入った場合は可能な限り穏便に済ませるようには努力するけど」
誘拐範囲の輪が収縮する速度から考えて、決着がつくのは明日明後日と見込まれている。
「学校に行ったのなら、活動してるのは夜かな」
ファイルを見る。巡査が襲われたのは夕方だ。
「…………」
「ツキノ?」
ツキノは思い詰めた表情で膝を見ていた。普段はマイペースで明るいのに、ペースが崩されるとどこまでも陰鬱になるのが彼女の悪い癖だ。
心配ないよ、と肩を叩く。そんな私の目をまっすぐに見つめて、ツキノは言った。
「――ごめんね」
何が? という言葉が私の口から飛び出すことはなかった。
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夢を見ているような感覚だったが、紛うことなき現実であると頭ではわかっていた。
自分の身体が自分のものではない――主人公視点の映画を観ているようだ。だが視界に入ってくる指先も、鏡面に映る姿も、間違いなく私自身のものだった。
自分の置かれた状況がどういうものかは理解している。どうやら催眠状態にあるらしい。ツキノの所持する魔法の中にそういうものがあったとは知らなかったが、それ以外に考えられない。ごめんね、とはつまりそういうことなのだろう。
問題は、ツキノが私を操り人形にして何をさせたがっているかだ。少なくとも相手を説得することを最初からあきらめるような類のものだ、ろくなものではないだろう。身体を止める、あるいは意識を目覚めさせようとしてみたが、何の成果も得られなかった。私の視界に映し出される現実劇場は観客である私の意識そっちのけでプログラムを流し続ける。
建物から出た瞬間、私の身体は出し抜けにマジカルワイヤーを閃かせた。ジッ、と音がして、何かを切断した手応えが指先に伝わる。仕留めたかどうか確認するために私の身体は一瞬だけそれを振り返った。昆虫の羽を生やした眼球が2つになって転がっていた。課長のマジカル義眼だ。普段は眼窩に収まっているが、こうして独自行動し、離れた場所を監視することができる。
それが私を追跡していたということは、やはり課長は問題の魔法少女がツキノの娘であることに気付いていたのだ。そして娘を救うためにツキノが暴走するであろうことも当然予想の範囲内だったはずだ――と思いたい。
課長自身は今何処にいるだろう? 肉眼を持たない分、肉眼を誤魔化す魔法に対して課長は天敵ともいえる存在である。失踪事件の中心地にあるマジカル結界の検分に向かったはずだ。私の異常、あるいはマジカル義眼の撃墜を察知して、課長がすぐさまここに戻ってきたとして――およそ20分。その頃には私の身体はここから遠く離れている。私の身体の進行ルートと、課長の帰り道が一致することを祈るしかない。
しかし、私の歩みを止めるものは信号くらいしか存在しなかった。
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「遅かったな」
細い小道に入ってすぐ、ダークブルーの車が寄ってきて、中からマチカが私を呼び止めた。助手席にはコンビニのビニール袋。中身はアンパンと牛乳だろう。張り込みをする際のマチカの定番だ。ドラマに出てくるおじさんの刑事みたいだと笑うと、だからいいんだろう、と返してきたことを思い出す。
「乗れよ」
私の身体は無言で助手席側に移動。ドアを少し開く。マチカはビニール袋を後部座席に移す。私の様子がおかしいことには気付いた様子もない。
ここに来るまで嫌な予感がしていたが、もはやそれは確信に近くなっていた。ツキノが私を使って何をさせたかったか、私はようやく理解した。だが理解したところで止める術はない。
だから、私がマジカルワイヤーでマチカの首を切断する瞬間を、私はただ見ていることしかできなかった。
目を逸らす自由さえなかった。マチカの首がごとんと足元に落ち、首の断面からほとばしった鮮血が天井にぶつかって車内に血の雨を降らせ、弛緩した肉体から尿が垂れ流される一連のスナッフ・ムービーを、私の瞳は仕事熱心なカメラマンのように記録していた。
身体の自由が戻ったのは、その直後だった。ここに来るまで機械的に動かしてきた足に疲労がどっと押し寄せ、少しよろめき――そのまま尻餅をつく。
車体に私のやつれた顔が映っていた。ドアをほんの少しだけ開けた状態からワイヤーを忍び込ませたのだが、それでもわずかな隙間から噴き出た飛沫が私の顔に赤い縞を描いていた。濡れそぼった前髪から鉄錆臭い雫が垂れる。ハンカチを取り出して拭おうとしたが、その手は力なく震えていて何度もハンカチを落っことした。
異次元からの侵略者や敵対する魔法少年を殺すのと、操られて仲間を手にかけるのとでは心理的ダメージが桁違いだった。両手を使ってハンカチを保持し、2人羽織のように不器用な手つきで返り血を拭う。当然、血痕は拭き取られるどころか薄く引き延ばされて余計酷いことになった。やる前に気付きそうだが、その時の私は全く思い至らなかったのだ。取れない、取れない、と癇癪を起こした子供のように顔を擦る。結局最後には顔全体が真っ赤になった。
叫び声がした。振り向くとサラリーマン風の男2人が驚愕の眼差しで私を指差していた。人殺し、と言っていたような気がする。言っていなかったかもしれない。
その時私の取った行動は、冷静に振り返れば愚かな選択だっただろう。
私は逃げだした。