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――午後10時、埠頭。
背景を飾る高層ビル群の輝きも、外灯もまばらな倉庫街には届かない。
そのコールタールに塗り潰されたような夜の闇の中で、激しくぶつかり合う影があった。
一方は、小山ほどの大きさもある巨大な物体。雄叫びをあげ、巨躯に見合わず俊敏に動き回るそれは、醜悪としか表現しえないモンスターだった。
そしてもう一方、モンスターの周囲を飛び回る2つの影。赤と青、細部は違えどフリルでふんだんに飾られたドレスに身を包まれたそれは、少女だった。
それも、年端のいかない少女だ。中学生になっているかも怪しい、この時間には布団の中で眠りについているべき子供が、たった2人で怪物と戦っている。
「やああああッ!」
モンスターの振り下ろした巨木のような手刀を紙一重で躱し、気合一閃、赤い少女が地を蹴った。
その拳がモンスターの眉間にめり込んだ次の瞬間、トラックに体当たりされても微動だにしなさそうな巨体はサッカーボールのように後方へ弾き飛ばされる。
「今だよ、オンディーヌ!」
赤い少女が後ろに立つ青い少女を振り返り、叫ぶ。
「わかったわ、サラマンダー!」
赤い少女に並んだ青い少女は相棒と手を繋ぐ。赤と青の光が手の中に生まれる。2人は、その手を怪物に向けて突き出した。
「ツインハーモニー・マキアート!」
彼女達の叫びと同時に、2色の光が螺旋を描きながら撃ち出される。反動で少女達の身体が数センチ後方に押し出されるほどの奔流は一瞬でモンスターに到達し、濁流の如くその巨体を呑み込んだ。
「ワガマンガァァァァァァ!」
光の中でモンスターは断末魔の奇声をあげて消滅した。塵も残らない。
少女達は無邪気に抱き合い勝利を、そして互いの無事を喜ぶ。その周囲を、少女達の頭くらいの大きさの影が衛星のように舞う。
「やったモニ! ワガマンガーを倒したモニ!」
そう言って影が笑う。月明かりに照らされたそれは、ぬいぐるみのような姿をしていた。何のぬいぐるみかはわからない。動物の記号を適当に抽出したモザイクのような謎の生き物という感じだ。
――さて、もういいだろう。
私は――私達は、倉庫の屋根から彼女達の眼前へと降り立った。
*********
「誰……ですか?」
オンディーヌと呼ばれていた青い少女は戸惑いの表情を浮かべる。無理もない。
「あんた達、ドクゼンキングダムの手先かッ!?」
赤い少女、サラマンダーは一瞬で臨戦態勢へと移行する。話の通じなさそうなタイプだと思った。
私は両手を広げ、攻撃の意志がないことを示しながら、オンディーヌに向かって言う。
「私達3人はあなた達と同じ、魔法少女――だった者よ」
「マホウショウジョ……?」
少女達の微妙な反応は仕方のないことだった。お互いに夜の闇は視界の妨げにならない。私達が彼女らの戦いを見物することができたように、向こうもこちらの姿はハッキリ見えている。私とその後ろに控える2人が少女と呼ぶにはあきらかに無理のある――オバサンと言いたければ言えばいい――年齢で、にもかかわらず少女達と似たり寄ったりのフリルドレスを着ているのだから不審の念を抱くのは当然だった。
サラマンダーは、うわあ、と言いたげに顔を歪めた。オンディーヌも内心それは同様だろうが、表情に出さないでおこうと努めるだけの分別はあった。それが逆に辛い。
だが、自分達の姿が彼女達にどう見えているかで落ち込んでいる場合ではない。
私達は仕事をするためにここに来たのだ。さっさとすませよう。
「――あなた達が自分達のことを何と呼んでるかは知らないけど」
「知らないんなら教えてやるよ、あたしは調和の使者、ハーモニーサラマンダー!」
サラマンダーは御丁寧にポーズまで取って名乗ってくれた。
「わたくしはハーモニーオンディーヌです。異世界ハーモニーランドの伝説の救世主、ハルモニアンナイツの1人として、ハーモニーランドとこの地球を狙うドクゼンキングダムと戦っています」
オンディーヌは上品に一礼する。育ちも頭も良さそうな子だ。やはりこっちをメインに話をした方がいいだろう。
私は黒革の身分証明証を取り出す。
「私は警視庁生活安全局特定少年課所属、桜木トモノ。後ろの2人のうち、軍服っぽい格好してるのが菜乃畑マチカ。看護師さんっぽい衣装のが香蕪木カナハ」
「よろしくね~?」
背後で見えないが、カナハが愛想を振りまく姿が容易に想像できた。しかし残念ながら警察という単語が2人の少女をこれ以上ないくらい警戒させてしまっている。サラマンダーなどは今にも襲いかかってきそうな雰囲気だ。
「何の用だよ! あたし達、悪いことなんかしてねえぜ!? ドクゼンキングダムを倒さなきゃ、次に侵略されるのはあたし達の世界なんだぞ! あいつらをやっつけて、ハーモニーランドを平和にしてやらなきゃならねえんだ!」
「その問題は我々が引き継ぎますので、あなた達は変身アイテムを渡して普通の生活に戻ってください」
「……今更しゃしゃり出てきて、信用できないな!」
「そこをなんとか……」
そこで私は後ろから、ぐい、と引かれた。マチカだ。剣呑な目をしたマチカが前に出る。
「何が信用できない、だ。面倒な殺し合いを他人が引き継いでくれるんだ、結構なことじゃないか。おまえらだって最初は辞めたいって思っただろ?」
「そうだけどさ、それを乗り越えて、あたし達はやってきたんだ! それをいきなりもういいって言われても納得できないよ!」
「納得しなくていい。ガキは大人の言うことを聞いてりゃいいんだ」
「誰がガキだよ、このオバサン!」
「……ちょっと、マチカ」
私はマチカの裾を引っ張ったが、邪魔だと言わんばかりに振り払われてしまった。
「次にオバサンっつったらぶっ殺すぞ? いいか、おまえらみたいなのはいっぱいいるんだ。それを好き勝手させておいたらいつデカい被害が出るかわかったモンじゃない。そこで国は密かに法律を作った。異界知的生物による密入国と児童搾取防止法、通称『異防法』っていうんだが、まあ知らないだろうな、おまえらみたいなガキは表立って禁止すりゃかえって燃え上がるもんだからな! そういうわけで別世界の住人にいいようにこき使われてるバカガキを助けてやるために先輩であるあたしらがクソ眠いのを我慢してこうして問題を取り除いてやろうってんだ、有難く思え」
「余計なお世話だよ、オバサン!」
マチカが唇を吊り上げるのがわかった。まずい。
「――異防法第2条を知ってるか。対象児童が抵抗する場合、捜査官はそれを取り押さえる目的において、武装の使用を認められる。つまり、聞き分けのないバカはブン殴っていいってワケだ」
サラマンダーが息を吸う。こちらを敵とみなしたのは明白だ。だが。
「――補足。場合によっては抹殺することも許される」
地面が揺れた。オンディーヌが尻餅をつく。
そして彼女は見た。さっきまで彼女の戦友が立っていた場所に、ハンマーの形をした鉄の塊が鎮座しているのを。
それはハンマーというにはあまりにも大きすぎた。大きく、分厚く、重く、そして大雑把過ぎた。それは正に鉄塊だった――。
「ヒィィィィィィィ!」
どろりとした液体が鉄塊の下から溢れ出すのを見て、オンディーヌは金属をすり合わせたような悲鳴をあげた。彼女の尻の下から染みが広がっていく。
「言ったはずだ、次オバサンっつったら殺すってな」
居合い打ち。超々特大のマジカルスレッジハンマーを魔力で創造し振り下ろす、その一連の流れを一瞬で行うのが魔法少女マチカの必殺技だ。
動かすには重機の助けが必要に見えるマジカルハンマーを、マチカは片腕で持ち上げる。コンクリートの大地に穿たれたクレーターの中心に、なんだかよくわからない肉の塊が見えた。
そういえば今日の夕食はハンバーグだったな、とふと思う。だがそれで吐き気を催すような時期はとうに卒業してしまった。それが少し悲しい。
「ヒッ……」
下半身を引きずるようにして、オンディーヌが逃げようとする。
「逃がさない」
私は腕を振った。手首から、顕微鏡でもなければ見えないほどの細い鋼糸――マジカル・モノフィラメント・ワイヤーが伸びる。
だが、狙うはオンディーヌではない。ワイヤーが絡め取ったのは、今まで他人事のように浮遊していた『ぬいぐるみ』、彼女達をハルモニアンナイツとやらに仕立て上げた異世界産知的生命体だ。
「な、何をするモニー!」
被害者ぶって叫ぶぬいぐるみに苛立ったので、そのまま壁に叩きつける。残念ながら異界生物の身体はぬいぐるみとほぼ同素材でできているらしく、溜飲を下げられるほどの手応えはワイヤーから伝わってこなかった。
「おまえ、名前は?」
私がワイヤーを外すのと交替して、マチカの手が異界生物の頭部を鷲掴みにした。
「モニーはモニーだモニー!」
「その気色悪い喋り方をやめねえと手足を引き千切るぞ」
「私はモニーといいます」
まだ殺すなよ、と私は目で制する。モニーからはまだ情報を引き出さなくてはならない。その後で故郷へ強制送還になるか現世からの永久追放になるかはモニーの態度次第だ。
「――と、もうこんな時間か。聴取は任せる」
マチカはモニーを放って寄越した。素手で触りたくなかったので、地に落ちたそれを素早く踏みつけ、逃走を防ぐ。
「ちょっと」
「悪い、埋め合わせはまた今度するから」
「やけに急いでるみたいだけど、何かあるの?」
今日のマチカは妙に苛々していた。彼女が元々ヒステリックな性格だとしても、いつもならサラマンダーをいきなり殺すまではしなかったはずだ。
マチカは目を伏せ、頭を掻いた。
「……結婚記念日なんで、さっさと帰りたいんだよ」
「きゃー、先輩可愛い☆」
カナハが黄色い声をあげ、同意を求めるように私の顔を覗き込んだので、私は曖昧に頷いておいた。
菜乃畑家の夫婦仲がいいのは結構だが、それでミンチにされる方はたまったものではないだろうとは口が裂けても言えなかった。