ハッピィーバースデー
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ハッピィーバースデー
1
中学からの帰り道。
俺は幼なじみの女子生徒、最上加奈と一緒にいた。
「明日は利治の誕生日だね」
加奈は言った。
「うん、明日はとうとうiPodが手に入るんだ!」
誕生日、それは俺にとって一年に一度訪れる高価なものを無条件で親に買ってもらえる喜ばしい日だった。
「久しぶりに私からもお祝いするからね」
そう言って加奈はにこっと笑った。
「いや、別にいいよー。てかなんで今年に限って? そういうのは小六までで終わったんじゃないのか?」
加奈の言葉は、俺にとっては嬉しい反面、照れくさくもあった。幼なじみでそんなに気を遣う仲でないにせよ、お互い中学三年生である。女の子に自分の誕生日を祝ってもらえるなんて、思春期真っ盛りの中三男子たちにとっては夢のようなシチュエーションだ。
「中一、中二の頃はバスケ部で忙しくて、でも今年は暇だからね。受験勉強だって一日くらいサボってもバカにはならないでしょ!」
加奈はそう言うと胸の前で小さくガッツポーズをしてみせた。
そんな加奈の様子を見て、俺はふと思うことがあった。小学生の時はなんとなく気にならなかったが、俺は毎年、近所の森林公園のちょっとした広場で祝ってもらってばかりいたものの、俺自身が加奈の誕生日を祝ってあげたことはなかったのだ。
「なー、そういやさ、今さらものすごく訊きづらいんだけど……」
「ん、なに?」
加奈は俺の方を向いて小首をかしげた。
「加奈の誕生日っていつなんだ?」
俺の問いかけに、加奈は少し考えるそぶりを見せた後、やわらかいほほ笑みを浮かべて言った。
「内緒」
「へ……何で?」
俺は思いもしなかった加奈の返答に困惑した。
「なんでも」
加奈はそう言うと小走りで俺から離れ、振り向きざま
「ちょっと見たいテレビあるから先行くね、明日の放課後また森林公園で待ってるから、絶対来てね!」
それだけ言って、駆け足で坂を上っていった。さらさらとしたきれいなセミロングの髪が揺れていた。
俺はまた明日訊けばいいやと思い、その背中を追いかけることはしなかった。
しかし、二人だけの誕生日パーティーが来ることはなく、次の日の朝、加奈は大型トラックにはねられ永遠の眠りについてしまった。
2
高校二年のある秋の木曜日。
俺は食堂で、一か月前から恋人として付き合い始めた月島真由美という女生徒と食事をとっていた。俺は女の子に「好き」と言われたのはもちろん、彼女というものを獲得したのも初めてだ。しかもその彼女というのが学年でもトップクラスの美貌の持ち主。きれいに整えられたロングヘアーと大きくて澄んだ黒い瞳、そんな彼女の姿を目にすると自然顔が綻ぶ。しかしそのためか、今だ会うたび緊張して、周りの視線がやたらと気になってしまう。
「利治の誕生日って来週の水曜だっけ?」
「ああ、そういえばそうだな」
一方の真由美は普段から男女分け隔てなく誰とでも気さくに話しているためか、俺と会う時もいつもどこか余裕みたいなものを感じる。
「ねぇねぇ、せっかくだし、その日の学校帰りにどこか行こうよ? 食事代とかあたしがおごってあげるから」
真由美はサンドイッチをほおばりながら得意げに言った。
「いや悪いよ、普通のデートでいいじゃん」
俺は自分で口にしながらも、これまでの人生で縁の無かったデートという単語に未だ多少の照れを感じる。
「いいのいいの、その日は記念すべき私の彼氏利治くんの十七回目の誕生日なんだから、お姉さんに任せなさい」
(いや、同い年だから)
心の中で真由美に対しツッコミを入れていると、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。
俺と真由美は手早く食器類を洗い場へ返却し教室へと向かった。
その日、家に帰ると、机の上にピンク色のかわいらしい封筒が置かれていた。差出人は不明。開けてみると、そこにはかわいらしいきれいな文字で書かれた手紙が出てきた。
利治へ
お元気ですか?
私は元気というのも変かもしれないけど、元気だよ。
もうすぐ誕生日だね。
中三の時できなかったお祝い、今年こそはしようね。
夜七時くらいに森林公園の広場で待ってるから、絶対来てね。
加奈より
俺は目を疑い、背筋が凍りついた。その手紙に書かれた文字は間違いなくあのなつかしい加奈の字にしか見えなかったのだ。
部屋の中で何度もその手紙を読み返す。
それでも俺はきっと誰かのいたずらだと思い込むことによって、胸の中で激しく動作する心臓の鼓動を抑え込もうとした。
(今日は何もせず早く寝よう)
俺は食事と入浴を手早く済ませてからは本当に何もせずベットに入った。
金曜の昼。この日も普段通り真由美と食堂で昼食をとった。
午前はずっと昨日の手紙のことで頭を悩ませていたが真由美といると自然落ち着いた。
「プレゼントなにがいい?」
真由美は食後のコーヒーを飲みながら訊いてきた。
「え、いいよ、そんな気を遣わなくても」
そうは言っても内心とても嬉しかった。
「だめだよそんなの、あたしは利治の彼女なんだから、お姉さんに何でも言ってごらん?」
(だから同い年だ……)
俺はお約束のツッコミを心の中で入れつつもすぐには決められないので
「ん、じゃあ、また後でゆっくり考えとくよ」
そう返事をしておいた。
「うん、あ、何でもとか言ったけどあんまし高いものとかやめてね、今月のあたしの財布案外ピンチなんだよね」
真由美は少し恥ずかしそうに笑っていた。
「そういえば、真由美の誕生日っていつなんだ?」
(ピリッ)
そう口にした瞬間、俺は頭の中で静電気が走ったみたいなおかしな感覚をおぼえた。
(そうだ、加奈にも昔、同じ質問したな)
思い出すと同時、昨夜届いた手紙と、加奈の誕生日の日付が頭に浮かぶ。
「あー、七月十日。もう過ぎちゃったから、祝ってもらうなら来年だね、楽しみにしてるよ。え……、どうしたの? 深刻そうな顔して」
真由美の言葉で俺は我に帰った。
「あ、いや、なんでもない」
「まさかお腹こわした? さっき食べたしょうゆラーメンが原因? かっこ悪いんだから、もー」
真由美はいたずらっぽく笑っていた。
「そんなんじゃないって」
「かわいい彼女の前でトイレなんかに駆けこまないようにしてよねー。でも、本当に大丈夫? お姉さんが保健室まで連れてってあげようか?」
真由美は心配そうな目を俺に向けて言った。
「うん、大丈夫」
俺の言葉と同時、予鈴が鳴った。
(そうだった、たしか加奈の誕生日って俺と同じ日だったな、結局葬式の日に初めて知ったんだっけ。あの日は加奈のお母さんが泣いて泣いて、つらかったな)
俺は当時の光景を思い出しながら教室へ急いだ。
その日の帰り道、二つの路線を乗り継ぎ、そこから自転車で十分程といういたって平均的な高校生の登下校ルート。二つの路線を乗り継ぐところまでは真由美とも同じルートだが、朝は家族の分の朝食を作るために普段から遅刻ギリギリ、帰りはバイトがあるとのことで週二日のみの一緒の下校、ということで基本的に俺は一人で電車に揺られる。
もちろん俺はそれでも十分満足している。真由美は昼休みならほとんど毎日一緒にいてくれるし、それだけで俺の心は天にも昇る勢いだ。
電車を降り、そこからは自転車で家路につく。いつもとなんら変わらない住宅地と奥にそびえる山々、俺は特に何か考え事をするわけでもなく無心で自転車をこぎ続ける。
そこへ突然、俺の通っていたなつかしい中学校の制服を着たセミロングの少女が視界に飛び込んできた。俺ははっとして、慌てて急ブレーキをかける。しかし、そこには誰もいなかった。
俺はもう一度辺りを見回してみたがやはり誰もいない。そしてまたゆっくりと自転車をこぎ始める。
(疲れてるのかな?)
先程の少女は間違いなく加奈にしか見えなかった。俺の通っていた中学の制服は俺らの代を最後に完全にデザインが新しくなった。だから、見間違いということはまず考えられない。
(土・日で何かリフレッシュしようかな)
そんなことを考えながら、意味もなくペダルをこぐスピードを上げてみる。
虫たちの大合唱が俺の耳に心地よく響きわたっていた。
土曜日。
この日は秋にしては少々暑い日だった。
俺は同じクラスで小学校からの付き合いである藤川武雄とゲームセンターで遊ぶ約束をしていた。長い付き合いとはいえ、俺から誘ったから待ち合わせの時間に遅れては悪いと思い俺は少し早めに来て武雄を待つ。
「悪い、待たせた」
武雄が現れた。
「いや、別に、俺も今来たとこ」
「中入ろうぜ、何からやるか……」
武雄はゆったりとゲームセンターの扉を開け中に入っていった。俺もその後を追うように中へ入る。
「まずはこいつからだな。利治、愛車カード持ってきたか?」
武雄が最初に向かったのはスポーツカーによるレースゲームだった。
「ああ」
「よし、俺の愛車スカイラインGT‐Rが暴れるぜ」
武雄はノリノリだった。もちろん俺もゲームセンターは大好きだ。というか、昨年の誕生日に武雄がこの愛車カードをくれてから行くようになったのだ。カード自体は二百円も払えば手に入るものだったが、ゲームセンターというこんなにも楽しい場所を知るきっかけをくれたと考えると十分に価値あるもののように思えた。今でもカードの名前欄には武雄の字で書かれた『利治』の文字がくっきり見える。
「しかしいつ見ても汚い字だな。利治の治の字、カタカナのムがほとんど△じゃん」
「まあまあ、そう言うな、ムより△の方がイカしてるだろう?」
「相変わらずお前の感性は変わってるな」
そしてそれから三時間もの間、俺は武雄と様々なゲームで白熱の戦いを繰り広げたのであった。
お昼時、俺と武雄は近くのハンバーガーショップで昼食をとった。この時、普段は携帯なんていじらない武雄が珍しくハンバーガーを片手にせわしなくボタンを押していた。誰かとメールをしているように見える。
「相変わらず悪趣味なストラップだな」
俺は武雄の携帯にぶらさがる大人気のかわいらしいネズミのキャラクターと筋肉質なマッチョマンが合体したという意味不明な設定のストラップを見て言った。
「うるさいなー、誰もつけそうにないからいいんだよ。俺は常にオンリーワンを目指すんだ」
武雄は相当気に入っているようだ。といっても、今の発言から察するに他につけているやつがいたら早々に外すんだろうけど。
「そういやさー」
武雄は携帯から目を離し俺を見て言った。
「もうすぐ利治の誕生日だな」
「ああ」
武雄の言葉で、加奈名義の手紙と昨日の加奈らしき少女のことが思い出される。
「何もあげないからな」
「じゃあ、わざわざ言うなよ!」
俺はそう口にするとストローをくわえジュースを口の中に含む。
武雄は再び携帯の画面に目をやった。
「なぁ、武雄」
「あん?」
「最上加奈っておぼえてるか?」
「おぼえてるよ。それが?」
俺は話すべきか少し考えた後、ポツリポツリとていねいにここ二日間の出来事を話した。
「最上加奈の幽霊か……」
武雄は携帯を閉じ、以外にも真剣に取り合ってくれていた。
「まぁ、俺の見た夢とか幻覚ってこともあるけどな」
俺の言葉に武雄は少しの間何か考えてくれているようだった。
「思い切って誕生日の夜に森林公園へ行ってみれば? 最上だってお前に恨みがあるわけじゃないんだし悪いようにはならないだろ」
「でもなー」
武雄の提案に俺は渋らずにはいられなかった。加奈は死んだ今でも大切な幼なじみであることに変わりない。しかし幽霊という非現実的なもののために誕生日のお祝いをしてくれる真由美の心遣いをないがしろにしたくはなかった。
「月島真由美と約束でもあるのか?」
武雄の言葉に俺は思わずドキリとした。
「図星か」
武雄は飲み物の入っていた紙コップの中から氷を一つ口の中に運んだ。
「ん、まぁ……てか知ってたのか」
俺は一か月たった今でも武雄を含めた友人たちに真由美とのことを話したことはなかった。
「そりゃ、まぁ。そもそも昼休みに毎日食堂で二人でいれば知れ渡らない方が奇跡だろ」
そう言われると確かにそうだ。
「しかしなー、幽霊なんて信じてなかったけど利治の話が本当なら実在するんだな」
武雄は再び氷を口に運んだ。
「あー、どうすりゃいいんだ」
そう言って俺は深くため息をついた。
「だから最上に会いに行けよ」
武雄は俺のそんな様子をよそに迷いなく言った。
「え……」
「だってお前、最上に会いたいとか思わないのかよ? ずっと仲良かったんだろ?」
ふと見ると、武雄は俺に突き刺さすような鋭い視線を向けていた。
「でもまだ加奈の霊が本当にいると決まったわけじゃないんだし、真由美との約束を裏切るわけにも……」
俺は武雄にすっかり気圧されていた。
「実は最上はずっとお前のことが好きで月島に嫉妬してるのかもしれないぞ? そんな中で最上の元へ行かず月島とデートしてみろ、どんな不幸が襲うか知れないぜ」
「いや、それはさすがに話が飛躍しすぎだろ……」
俺はすぐさま否定したが武雄は腕組みをしてなお唸っていた。
「まぁ、何はともあれ、ありがとな。話聞いてもらってだいぶ楽になったよ。あとは一人で考える」
俺はこれ以上この話を続けると、武雄が加奈を悪く言いだすように思えたので強引に断ち切った。
「そうか……」
武雄はそれだけ言うと、これ以上加奈に関する言及をしてこなかった。
―日曜の夜
真由美にメールをしてみた。内容は、今年は過ぎてしまった真由美の誕生日を俺の誕生日と一緒に祝いたいというもの。
真由美はメール越しに喜んでくれたようた。真由美とのメールはいつも本当に楽しい。あまり女子とメールをした経験がないというのもあるが、彼女から送られてくるカラフルでかわいらしい文面がとても新鮮に思えるのだ。
一通り要件を済まし、「おやすみ」と送りあう。そして携帯を閉じると、俺はベットに潜り込んだ。
夢を見た。
俺のそばでずっと赤ちゃんが泣いている夢だ。
俺はどうしていいかわからなかった。
手を伸ばせば届きそうな小さな赤ちゃん。
やがて誰かの手に抱かれ、どこか遠くへ行ってしまう。
赤ちゃんはその手を拒絶するかのようにより一層大きく泣いた。
そしてその泣き声も徐々に遠ざかる。
俺は最後まで何もしなかった。
月曜の朝。
お父さんが朝刊を郵便受けから取ってくるついでに俺宛ての郵便物を持ってきた。その封筒を見た瞬間俺は表情を強張らせた。それは差出人不明のピンクの封筒だった。
俺は二つ折りにされた中の手紙を慎重に取り出す。そしてゆっくりとその手紙を開いたとき、血の気が引いていくのがわかった。
利治へ
付き合っている彼女がいるんだね。
本当に残念だよ。
私は死んでからもずっと利治のこと思っていたのに。
真由美って子と別れてよ。
でないと学校で利治や利治が大事に思っている人たち、大変なことになるよ。
加奈より
その手紙は前回のものと違い本当に恨みを込めたような毒々しい字で書かれていた。
俺は土曜日に武雄が言っていた加奈の嫉妬について思い出す。
この後俺は急ぎ支度をして学校へと向かった。そして、休み時間になると極力武雄をはじめとする友人たちと話をしながら、同時に同じ教室内の真由美のことも気にかけた。
正直、霊の存在についても半信半疑だし、まして加奈が誰かを傷つけようとしているとも思いたくない。しかしそれでも親しい人間に何かあれば助けられる位置にはいたかった。
「利治―、俺のストラップ知らない? どっかで無くしちまった」
武雄は言った。見ると、武雄の携帯には今までついていたネズミのキャラクターがいなかった。
「知らないよー、でもあんな目立つストラップだしすぐ見つかるんじゃない?」
「誰かにパクられてたらどうしよう……」
「それはない、あんな気色悪いストラップ」
その日俺はほとんどの休み時間、暇な友人数人と武雄のストラップ探しに駆り出された。そして、折を見て武雄に今朝の手紙のことを相談した。
「そいつは本格的にやばいな……」
「うん」
「わかった。今日一日お前と親しくしてるやつら全員に注意を払っとくよ」
武雄は協力を約束してくれた。
「ありがとう。武雄も気をつけろ」
「おう。で、ストラップ探してくれ……」
結局その日武雄のストラップは見つからなかった。
昼休み。
「なんだか元気ないよー利治?」
食堂で真由美は不機嫌そうに言った。
「いや……そんなことは」
「なんていうかずっと考え事してるみたい。深刻な顔して、悩み事?」
たしかに朝の手紙で俺は何をするにも気が気じゃなかった。
「話聞こうか?」
真由美は小首をかしげ、心配そうな表情を俺に向けていた。
「いや、本当に大丈夫」
俺は努めて明るく言った。とてもじゃないが本気で霊の話をして、なおかつその霊のせいで真由美にも危険が及ぶかもしれないなんて話せない。
「えー、そうは見えないけど? あ、もしかしてあたしへの誕生日プレゼントで悩んでくれてるとか? そんな、気にしなくてもいいのにー」
真由美はポジティブな女の子だった。俺も適当に話を合わせておく。そんな最中、少し離れた所で見慣れた雰囲気の男子生徒を見つけた。武雄だった。武雄は普段所属している美術部の活動で昼休みは美術室にいることが多い。したがって昼休みに食堂で見かけることはめったにないことだった。声をかけようと思ったのだが武雄は徐々に遠ざかり食堂を出て行ってしまった。
この日の帰りは真由美と一緒に帰ることができた。昼休みが終わった後も真由美や他の友人たちに危険が及ぶこともなく、とりあえず一安心といったところだ。
「少しは元気になったかい?」
真由美は俺の顔を覗き込んで言った。
「ああ、大丈夫だよ」
真由美は俺の横で色々な話をしていた。普段の俺なら喜んでその話に応じ、楽しくおしゃべりをするところなのだが、この時の俺は今日一日を無事に乗り越えたという解放感でひどく疲れ、真由美の話にも適当な生返事をすることしかできなかった。
「じゃあ、また明日ね、利治」
駅の改札を抜けてすぐの東口と西口の分岐点、真由美はにこやかに手を振ってくれていた。
俺もまた手を振って真由美に別れを告げる。そして、真由美の姿が見えなくなるまでずっとその場で見守った。
夜、ふと夜中に目が覚めた。体が硬直し、声も出ない。かなしばりのようだ。言いようのない恐怖を感じながら、俺はある異変に気付く。俺のいるベットから少し離れたところに加奈がいたのだ。掌で顔を覆い、大粒の涙を流して泣いている。時おり顔を上げては何か短い言葉を口にしているようだった。
(いったい何を伝えようとしているんだ? 加奈……)
徐々に俺の意識は遠のいていく。
『ごめんね』
俺は再び眠りに落ちる直前、たしかにそう聞こえた気がした。
火曜の朝、学校へ到着。教室に入ると俺より早く来ていたクラスメートたちは深刻そうな表情を浮かべていた。十数名が共通の話題で話をしていたようだが、俺が教室のドアを開けた瞬間みな一様に静まり返った。
俺は何事かと思っていると背後から肩を叩かれた。振り返ると武雄がいた。教科係の仕事で職員室に行ってきたのか、手には一時間目に使用する美術室の鍵を握っている。こちらも重たい表情を浮かべていた。そして、武雄に促されるまま朝は人通りの少ない特別教室前の廊下に行く。
「月島が昨日、駅の階段から落ちた」
「……!」
俺はあまりに衝撃的なその言葉に思わず言葉を失った。
「意識不明の重体だ。たまたまその時間帯居合わせた俺が救急車を呼んで、病院まで付き添ったんだが……」
「俺が家まで送ってあげてれば……」
俺は心底後悔した。学校が終わってもう災難はないだろうと勝手に思い込んだ自分の愚かさに腹立だしさすらおぼえた。
「やっぱり最上のせいなんじゃないか……?」
武雄は静かな口調で言った。
「そんな……加奈が」
俺は信じたくなかった。昨日は多少疑いもしたが、あの心優しかった加奈がこんなことをするなんて思えない。
「月島と別れろ」
武雄は言った。
「いや、でも……」
俺は加奈を信じたくて武雄の言葉を拒んだ。
「お前が月島と別れればこれ以上なにも起こらないだろ! どう考えたって最上の霊がやったことだ、それしか考えられない!」
武雄の語気がだんだんと強くなる。俺は返答に窮してしまった。すると、朝のホーム―ルーム開始を知らせるチャイムが鳴った。
「……行くか」
すでに俺は授業なんてどうでもよかった。しかし、意外にも武雄があっさりと引き下がろうとするので俺も武雄の後に続いた。
一時間目の美術。美術室での座席は指定されており俺の隣には否応なしに武雄が座る。俺たち二人はずっと無言だった。俺の頭の中には加奈のことばかりが浮かんでくる。俺は面倒くさくなり体調不良を装って早退しようと席を立った。そして先生の元へ向かおうと歩き始めた時だった、武雄の座る椅子の足が俺の足に引っ掛かり、俺の体は背後にあった棚にぶつかった。
「痛っ」
すると、衝撃で棚の上にあった美術部のものと思われる彫刻作品がグラッと揺れ、俺めがけて落ちてくる。
「危ない!」
その言葉とともに俺の体は床に押し倒された。俺はあまりに目まぐるしい状況の変化に一瞬何が起こったのかわからずにいた。しかし、一連の出来事の全てが終息すると、俺の体の上には俺をかばって彫刻にぶつかり、苦しんでいる武雄がいた。
「武雄!」
「いてて……肩に当たったみたいだ」
武雄はすぐさま保健室に運ばれ、その後、骨を痛めている可能性があることから、この日は早退し病院へ向かった。
俺もまた授業なんて受けてられなかったので早退した。そして、先ほど怪我をした武雄と、入院している真由美のお見舞いに行く。
武雄は幸いにも骨に異常はなく左肩の打撲ですんだ。しかし、頭や腕を包帯でぐるぐるに巻かれ、未だ意識の戻らない真由美の姿を見たときは息が詰まる思いだった。
(本当に加奈がこんなことを……)
昨夜の泣いている加奈の姿が俺の脳裏に浮かんだ。
病院からの帰り、家の前に加奈がいた。今回は夢でも幻覚でもないとはっきり言える。今までで一番くっきりとその姿を見ることができた。
「加奈!」
俺はその姿に駆け寄った。
「本当にお前が真由美や武雄を傷つけたのか?」
加奈は悲しげな表情でじっと俺を見ていた。
「なぁ、なんとか言ってくれ……」
俺は加奈に一言自分じゃないと言ってほしかった。すると、加奈はゆっくりと左腕を上げ、俺の家の郵便受けの真下を指差した。そしてそのままスッと消えてしまった。
俺は加奈の指差した方へと歩を進めた。いつもと何も変わらない郵便受け。しかし、足元に目を向けると普段はまず見られないものが目に入った。それは大人気のネズミのキャラクターに筋肉質な体がついた異様な携帯ストラップ。
(これって、武雄のじゃ……)
俺はストラップを拾い上げると急ぎ家に入り、二通の手紙を見直してみた。最初の一通目は間違いなく加奈の字だと確信が持てた。そして二通目、恨みがこもっていると考えればわからないが、必ずしも加奈の字だとは言えないように思える。そんな中で、俺はあることに気付いた。四度出てくる利治の治の字、そのムの部分がほとんど△のようなのだ。これは俺のよく知る武雄の癖字と同じだ。
(まさか、武雄が……)
にわかには信じられなかったが、先ほどの加奈が嘘を伝えようとするとは思えない。俺は明日武雄に訊いてみる決意を固めた。
翌日、武雄は何事もなく登校してきた。時おり左肩をかばう仕草を見せるが本人はいたっていつも通りだった。
俺はその日の放課後、武雄を屋上に呼び出した。
「誕生日おめでとう」
屋上に来ると同時、武雄は言った。その言葉でこの日が自分の誕生日だと思い出す。
「ああ……ありがとう」
俺はこの先の話の内容を考えると、さも複雑な表情を浮かべていたことだろう。俺は息を大きく吸い込み改めて武雄に向き直る。
「加奈の名前を使って俺宛てに手紙を出したのって武雄なのか?」
武雄は俺の言葉に大きく目を見開いた。しかし、すぐに落ち着きを取り戻したのか、小さくため息をつく。
「どうしてそう思うんだ?」
俺は武雄が一昨日無くしたものと思われるネズミのストラップをポケットから取り出す。
「これが俺ん家の郵便受けの前に落ちてた」
武雄はそれを手に取り、まじまじと見つめる。
「ああ、間違いなく俺のだろうな。俺以外にこのストラップをつけてるやつを見たことないし。でもどうしてそれで俺が手紙を出したことになるんだ?」
俺は続けて二通目の手紙を取り出す。
「この一昨日届いた手紙、利治の治の字が明らかにお前の癖字だろう?」
武雄は手紙にも目を通し始める。そしてゆっくりと天を仰いだ。
「よくわかったな」
武雄は穏やかなやさしい瞳を浮かべて言った。
「信じられないかもしれないけど加奈が教えてくれたんだ」
「最上か……、やられたな」
「一体どうして?」
俺はこの時、武雄が真由美を傷つけ、もしかしたら俺にまで危害を加えようとしていたことが悲しかった。
「俺と真由美は付き合ってるんだ」
武雄は静かな口調で言った。
「えっ……!」
俺は耳を疑った。
「だいたい一か月くらい前かな、利治と真由美が付き合ってることを知らなかった俺は真由美に告ったんだ。すると、なんでか『いいよ』と言ってくれた。でもそれから二、三日くらいしてかな……俺は真由美が利治とも付き合っていることを知った。さすがにショックだったよ。でも、最初はそれでもいいと思ったんだ。俺は真由美が好きだし、真由美は俺と過ごす時間も作ってくれた。一緒に帰ったり、よくメールくれたり。まぁ、利治との友人関係にひびが入らないかだけは不安だったけど、そこはなんとかしてみせるつもりだった」
俺はずっと困惑して、その場に立ち尽くしていることしかできなかった。そして、武雄はさらに続ける。
「ただ、会わないように気をつけてはいたんだが、たまたまお前といる真由美の楽しそうな表情を見たときは嫉妬した。そんな中で利治の誕生日が近づいてきて、お前の元に最上からの手紙が届いた。俺は瞬間的にこれはチャンスだと思ったんだ。最上を利用して利治と真由美を別れさせることができると確信した」
武雄はそこまで言うと後頭部をポリポリとかいた。
「じゃあなんで、なんで真由美を階段から落としたりしたんだ!」
俺の声は震えていた。
「真由美の件は本当に事故だよ。あの手紙に書かれていたお前の『大事に思っている人』ってのは俺自身のつもりだった。だからあの日一日は学校中をうろついて、なんとか事故を装って怪我できる場所はないか探し回ってたんだ。そしたら帰りに、たまたま居合わせた駅で真由美が階段から落ちて。その時は俺も気が動転しちまったよ」
武雄の言葉に嘘はなさそうだった。
「手紙の内容が現実になっちまったからな。次はお前自身を傷つけようとも考えたんだが」
武雄はそこで言い淀んだ。
「それでなんで俺をかばったんだ?」
俺は武雄の話をそこまで聞くと疑問に思わずにはいられなかった。
「傷つけるのが恐くなったんだ。俺は朝のうちにあの彫刻を落ちやすくしておいた。そして、あの授業中に利治に怪我でもさせようと思ったんだが、利治が予想外のタイミングで立ち上がって、俺の座る椅子につまずくもんだから、体が勝手に動いちまった。やっぱりお前は俺の大切な友達だよ」
武雄は歩き出し屋上から校舎へと続く扉に向かった。
「悪かった。とんでもない逆恨み野郎だよな……俺。嫌いになってくれて構わない。今まで親しくしてくれてありがとな。俺は真由美から手を引くよ」
そう言って武雄は校舎へと入っていった。
「武雄……」
俺は何も言えなかった。
―夜。
俺は近所の森林公園にいた。目の前には中学の制服を着たセミロングの少女、加奈がいる。
他に人はいない。
「よう、今日は会話できるのか?」
先に口を開いたのは俺だった。加奈はこくりと頷く。
「久しぶりだね、利治。この前のかなしばりはごめんね。今は大丈夫だけど深夜に人前に現れると、無意識のうちにかけちゃうみたい」
久しぶりに聞くはっきりとした加奈の声。俺の耳に深く染み渡る。
「ああ、あの日に現れたときは何を言おうとしてたんだ?」
俺の問いかけに加奈は表情を曇らせた。
「私が月島さんを突き落してしまったこと」
俺は驚きのあまり言葉を失った。
「どうして……」
「二股かけてるのが許せなくて……つい、こんなこと言ってもしょうがないかもしれないけど、後悔してる」
加奈は泣きそうになっていた。
「真由美は助かるのか?」
「うん。あたしが責任を持ってあの世になんか来させない」
加奈は力強く頷いた。俺もそれ以上は何も言う気になれなかった。二股かけられていたとはいえ、真由美に対する好意の気持ちは薄れていない。ただ、ここで怒る気にもなれず、むしろ加奈が人殺しにならずにすんで安心していた。
「利治は、利治はまだあの子と付き合うの?」
加奈の問いかけに俺は俯く。
「わからない。怒りを覚えるのが普通なんだろうけど、今の俺にはそんな気が起こらないんだ」
加奈は複雑な表情を浮かべていた。しかし、ゆっくりと俺に近づいて
「がんばれ」
見ると加奈は親指を突き立てていた。その誇らしげな表情に思わず笑みがこぼれてしまう。
俺はふと思い出したようにポケットをまさぐる。そして中からライターとろうそくを取り出した。
「こいつで二人の誕生日を祝おう」
俺は地面に二本のろうそくを立て火を点ける。
「きれー」
加奈はしゃがみこんで目を輝かせていた。正直、こんな貧相な誕生会になってしまったことを申し訳なく思ったが、それでも加奈は喜んでくれていた。
「なぁ、どうして加奈は今まで自分の誕生日を黙ってたんだ?」
すると加奈は俺の方へ向き直る。
「利治に変な気を遣わせたくなかったから。あたしは自分の誕生日には愛着ないし、利治があたしに自分の誕生日を祝らせてくれればそれで満足だったんだ。利治はあたしの恩人なんだよ。あたしが生まれた時ね、うちは色々あって苦しい家庭事情だったらしいんだ。上にお兄ちゃんもお姉ちゃんもいたし、あたしの両親は悩んで悩んで一度はあたしを施設へ送ろうとしたんだって」
俺は初めて聞かされる加奈の重たい過去に衝撃をおぼえた。
「でもね、あたしを施設へ送ろうと両親がベットに向かうと、隣の赤ちゃんがあたしの手を力強く握ってたんだって。それを見たお母さんが泣き出しちゃって、やっぱりこの子は自分たちの手で育てようってお父さんに訴えかけた。するとお父さんも同意してくれて、あたしはここで家族と暮らすことができたんだ。で、その時あたしの手を握っていたのが利治ってわけ」
「俺はまったく覚えてないけどな」
俺はちょっと照れくさかった。
「人の縁って不思議だよね。まさかその恩人が近所に住んでるお母さんの友人の子だったってことが後で判明したんだから。それでこうして利治と知り合うことができたんだよ」
そこまで語ると加奈の体がみるみる透けていく。
「時間か……」
加奈は寂しそうな表情を浮かべて言った。
「もう行っちまうのか……」
俺はいくらなんでも早すぎると思った。
「そうみたい。利治、ありがとね。あたしは利治に感謝の気持ちでいっぱいだよ。うん、利治のおかげでいい人生だった」
加奈は笑顔だった。
「加奈……、俺だってお前と過ごす時間は最高に楽しかったぞ。俺の方こそ楽しい日々をありがとう」
俺は涙をこらえるのに必死だった。
加奈の姿が完全に消えた。同時にろうそくの火も消え、辺りが暗闇に包まれる。
夢を見た。
俺のそばでずっと赤ちゃんが泣いている夢だ。
俺はどうしていいかわからなかった。
手を伸ばせば届きそうな小さな赤ちゃん。
俺は手を伸ばし泣いている赤ちゃんの手をしっかりと握った。
すると赤ちゃんは泣きやみその無邪気で嬉しそうな笑い声が俺を包んでいった。
3
誕生会の次の日、真由美は目覚めた。そして、俺と武雄に泣いて謝った。二股をかけた理由は、武雄という友を失いたくなかったからだという。俺はそう言われると怒る気にもなれず、武雄が真由美との仲を解消して事は治まった。
俺は俺をかばって肩に怪我をした武雄を許し、俺たち二人は友人として以前と変わりなくつるんだ。また、武雄は真由美と恋人としてではなく友人として一か月前と変わらない関係を取り戻したようだった。
後日、加奈の墓前で俺、武雄、真由美の三人は、方や恋人として、方や友人としてかけがいのない存在となることを誓った。
冬晴れの気持ちの良い日の光の下、俺の手にはピンクの封筒に入った加奈からの手紙が握られていた。
大学一年の時に創った人生四作目くらいの作品です。読みぐるしいところあるかと思いますがご容赦ください。読んでくださった方々、ありがとうございました!