ハッピーエンドを目指して
リハビリです。
人生を語っていますが、未熟者の言でもありますので、コメントで『こんなのもあるよ』的なものがあると嬉しかったりします。
”貴方が本当にしたいことはなんですか?”
”本当にしたい仕事なんて、やれる人なんて極わずか”
”本当にしたい仕事があるのなら、自分で『会社を興す』か『やれるまでするしかない』”
その言葉を面接官、推定50代の取締役から受け、俺はようやく『自分がしたい事』が分かった気がした。
情報系の学科を卒業した俺は、半年経った現在も職を得られず、アルバイトをして生活していた。
なぜ俺は正社員になれないんだろう?
なぜ俺は雇ってもらえないんだろう?
俺は必要とされていないのか?
俺の精神はガリガリ削れていく、目つきも段々と悪く荒み、死んでいた。
次第にバイトへ行く気力もなくなりやめてしまった。
親の脛をかじる『ゴクツブシ』へジョブチェンジした。
親は俺を怒りつつもワザワザ職を探してきてくれたり、食事を作ってくれて、優しく接してくれていた。
当時を思えば、甘えていたんだなと顔が赤くなるくらい恥ずかしい気持ちでいっぱいだ。
しかし当時の俺はその事に気付かず甘え、堕落していった。
表情や雰囲気も陰気なものへと変わり、俺は更に堕落の一途を辿っていった。
しかし2年ほど経ったある日、食事を取ろうと部屋を出て階段から下りると、母が台所に立っていた。
若干の罪悪感のあった俺はバツが悪くなり部屋へと戻ろうとしたが、ふと母を見やると固まってしまった。
久しぶりに母を直視した気がするが、以前とまるで雰囲気が違っていた。
少しふっくらしていた母はいつの間にか痩せ細っていた。
まるで鶏ガラの様なか細い手で食器を洗っているのを見て、再度母を直視した。
少しどころかかなりやつれている、目元のクマも酷い。
化粧をしても微妙に隠せていないのがその証拠だ。
俺は息を飲んだ、そしてこれまでの自分を振り返り後悔した。
俺は今まで何をしていたのだろう。
いい歳をした男が仕事もせず引きこもり、毎日を休日の様に過ごしている俺。
ロクに髭も剃らず不潔感丸出しで人を不快にしかさせない俺。
そして、母にこれだけの心労を与えていたにもかかわらず、今まで平然としていた俺。
俺は……恥ずかしくなった。
恥ずかしさのあまり、俺は身も蓋も無く泣いてしまった。
母はそんな俺を見て、困ったように笑ってこう言った。
『あら、ようやく下りてきたと思えば何を泣いているの?』
女手一つで俺と姉を育ててくれた母に、俺はおそらく初めて、心の底から謝った。
そして、そこから俺の這い上がり人生が始まった。
髪を切って清潔にし、職を探し始めたのだ。
”母を安心させたい”その一心で俺は何度も履歴書を郵便局に届けた。
何十もの企業を受け、返ってきたのは『この度はご縁が無かった』云々という態のいい断りだけだった。
当然だ、俺はいわば社会から見て『社会不適合者』一歩前の存在だ。
大企業や中小企業が大学卒業して2年もブランクの空いた俺を採用してくれる訳がなかった。
だが、諦めがつかなかった俺はそれでも受け続けた。
諦める訳にはいかなかった。
ここで諦めたら、前と一緒だ。
逃げたとして、どうなる?
どうにもならない『現実』が待っているだけだと知っているからこそ、今度こそ逃げるわけにはいかなかった。
しかし、それでも受かる気配はない。
職業診断では事務職と現場職という両極端な結果が出た。
だから、それを軸にすれば職は見つかるんじゃないかと思ったんだ。
だか、それでも結果は響いてこなかった。
だが、そんなある日の事。
いつものように面接を受けに指定された企業に行くと、本社からきていた面接官が待っていた。
俺は慌てて車から降りて事務所へ入っていった。
面接が始まる前、面接官がこう言った。
『今日本当は工場長も来る予定だったんですが、インフルエンザで無理になりました。』
だったら揃った時に呼べよと思ったが、来た以上は面接をして帰った。
一週間して、また同じ企業の採用担当から電話がかかってきて、『工場長の病気が治ったので、○月○日に面接をしたいのですが』という連絡が入った。
バイトをしてはいたが、ちょうど休みの日だったのですぐに返事をした、一時面接(?)では面接官からの質問にも難なく答えられたので、この勢いで行けば正社員にもなれるのでは、と思いながら面接に向かった。
そして二次面接の日、てっきり工場長だけの面接かと思いきや、何故か本社から取締役が来ていて、面接を一緒にするというアクシデントに驚きながらも、そんな状態で面接は始まった。
無難に志望動機から始まり、今まで職業歴が無いがどうしていたのか、現在は誰と暮らしているのか、転勤は大丈夫なのか、などなど。
その殆どの仕事に答えられたが、ふと何か思ったのか、面接官の1人である取締役、定50代の取締役から突然意表をついた質問が来た。
”貴方が本当にしたいことはなんですか?”
そんな質問が飛んできて、俺は固まった。
俺は今の状態から抜け出そうとして就職活動を続けてきた。
言っては悪いが今面接をしている企業だって名前を以前から知っていたから応募したわけじゃない、求人誌に名前があったから条件も良いし近くだから選んだだけだ。
だが、面接官は多分俺の思惑を見抜いていた。
だからなのか、突然面接とは関係のない話をしてきた。
それは趣味が高じて趣味に関連した仕事をする人、妥協して仕事を選んだ人の話だった。
”本当にしたい仕事なんて、やれる人なんて極わずか”
俺にしたい仕事なんて無かった、給料が良くて、近場だったら正直な話どこでも良かった。
愛社精神なんて無いし、真面目に仕事をして結果を出せばそんなの関係ないだろう、そもそも会社とは『儲け』を出す場だ、時間という対価に会社から給料をもらうんだ、そこまで仕事漬けになるつもりは毛頭無い。
別に頭を下げたり、誰かの下で働くのが嫌な訳じゃない、別にそういった割り切りは出来ているつもりだ。
だけど、取締役は俺の何を見たのか、こう言い切った。
”君はどこかボタンを掛け間違えたみたいだね、一度ボタンを取り外して、掛け直してはどうだい?”
何を言っているのか分からなかったが、今までの自分を思い出すと、ふとその言葉が的中している事に気づき、総毛立った。
”本当にしたい仕事があるのなら、自分で『会社を興す』か『やれるまでするしかない』”
最後に取締役の言葉が胸にすとんと入り、俺は『ああ、そうだったんだ』と内心でつぶやいた。
そうか、そうだったんだ、そりゃあどうにもならない訳だ。
確かに俺はかつてしたい事があった。
それはもう猛烈に、切実に。
その為に大学に入り、バイトで資金を貯めて、資格を取りに地方を越えていったのだ。
その結果、俺は一科目だけ落として失敗し、そこで折れてしまったんだった。
面接に落ち続けて塞ぎこんでいたんじゃない、俺はその資格が取れなかったという事実を知ったあの日からずっと皆から取り残されていたのだ。
そして、俺は面接官と目が合った。
恥ずかしい事に、今になってようやくその面接官と目を合わせた気がする。
よく見るとこれまで苦労してきたのかシワもたくさんあって疲れているような風貌だが、目だけは爛々と、活力に満ちた目をしていた。
面接官は思い出したかのように笑うと、最後に『質問はありませんか』と尋ねられ、俺は久々に笑い『ありません』と短く答えた。
―――したい事が、見つかりましたから。
そして、面接は終わった。
俺はすぐに家に帰り、パソコンを開けて国が出している資格の一覧から、それを見つけ出すと関連した資料を集めた。
その日のうちに必要な書類を送ってもらえるよう大学に申請をし、以前講習を受けた大学にも連絡して単位取得証明書を送ってもらえるように申請もした。
この選択をした事に対して、俺は全く後悔していないといえば嘘になる。
何しろ、もう一度あの時の取れなかった資格を取ろうというのだから。
それはつまり、これまで受けてきたもの全てを否定して、自分が本当にしたかったという仕事をしたいが為に、一年費やそうというのだ。
正社員なる、という予定を更に延ばすのだ、これには一念発起して活動を再開した事を喜んでいた母も渋い顔をした。
だが、俺はもうこれしかないと思ったのだ。
これまでの人生で、本当にしたかった事なんて数えるくらいしかない。
だから『大人』である母の忠告も、おそらくは俺が理解しているようでいて、実は理解できていないんだろう。
いわばこれは『夢』なのだ。
心の中に巣食っていた、澱んでいた夢の為に人生を費やさんとしている俺は、ある意味向こう見ずだったといえる。
そして俺の熱意についに折れた母は口を酸っぱくしながらもこう忠告してくれた。
『趣味が高じて仕事になったとして、もうそこからは自己満足でいられないのよ』と。
まさしくその通りだ、趣味はどこまで行っても趣味止まりでしかない。
例えどれだけ玄人に匹敵していようと、それで生きている訳じゃないのだ。
俺がやろうとしている事もそうだ。
仕事になる以上、自己満足で、なあなあで終わらせる事は出来ない。
最後に母はそう言って、俺の活動に対して声援をくれた。
最大の難関をクリアした俺は、普段からあまり連絡を取っていない姉にこの事を話すと、『覚悟して望む事』と言ってくれて母の事を気に掛けておくと約束してくれた。
あと資格の受講日まで半年も残っていない上に今の貯えに不安を覚えた俺は就職活動を休止し、バイトの時間を増やした。
寝る間も惜しんでバイトに精を出し、3ヶ月で60万もの大金を稼いだ俺は満を持して講義を受け、そして―――
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
春である、あれから一年近く経ち、俺は実家を離れある地方にいた。
地元志向があった俺があの日から今こうしてあるのは、あの時の取締役の言葉のおかげである。
バイトで稼いだ資金で再び講習を受講した俺は、ついに念願の資格を手に入れた。
それから再び就職活動を再開、吹っ切れた俺はバイトをしながら各地方で募集している『司書職』を探し、ついに念願の司書になった。
そう、俺がなりたかったのは、いわゆる図書館司書というやつだ。
本好きが高じて紆余曲折はあったが、最後の最後に自分がなりたかった者になれた。
実家の母は俺が就職が決まってから調子が戻ってきて、現在は姉夫婦とよく連絡を取りながら1人暮らしを満喫しているらしい。
「―――松永さん、レファレンス入ったんだけど、やってくれる?」
先輩職員から声がかかった、仕事である。
「はい、今いきます」
町の外れにある、森の中にひっそりと佇む町立図書館、そこが俺の勤務地だ。
給料も正直ギリギリで生活も苦しいし、はじめてのご近所付き合いもあるが、最近はようやく慣れてきた。
趣味が高じたとあって仕事の浮き沈みが少なからずあるが、自己満足で終わらず常に『昨日よりも成長した今日の自分』を目指した。
体の痛み、精神的な疲労は辛くもあるが、反対に嬉しくもあった。
本当に好きな仕事を出来るという喜びは、この程度の痛みや疲労なんてなんの苦でもなかったからだ。
今俺は、胸を張って生きている。
俯いてばかりだった自分はもういない。
「―――お待たせしました、こちらの本でよろしいですか?」
人生というのは劇的だ。
ふとした言葉が人生を簡単に変える。
あの取締役の面接官の言葉が、俺にとっての『転機』だった。
俺は自分の選択に後悔したくない人生を送りたかった。
いや、少し違う。
後悔しても、それをバネに生きていける人生を送りたかった。
だからこそ、今の俺があるんだと思う。
人生、ハッピーエンドを望まなきゃ、やってられないからな。
―――さてと、最後の利用者が帰ったことだし、閉館の準備をしなきゃ。
「…それでは皆様、本日も当図書館をご利用頂き、誠にありがとうございました」
また機会があれば、どこかでお会いしましょう。
拙作を読んで頂き、ありがとうございました。
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