入場:6
昔の事を忘れたい。
一度は思ったことありますよね?
彼には忘れるとこが許されない過去があります
左半身を前に足を広げ重心を下ろす。両手でそれを握り締め、右足の横にスキーのストックの様に構える。
顔には明らかな喜びが満ちていた。それは再会、再戦の歓喜なのか。
そもそも、コイツのことは俺も知っている。ずいぶん前のことになる。思い出したくも無い過去と同時にコイツとも別れたはずだ。
故に、何故今ここにこいつがいるのか分からない。
それでも、襲われた理由も、この笑顔の理由は明らかだ。明らかに、俺に期待している。
――だが、それがどうした。いい加減昔の事を忘れたいが、一体いつまでまとわりついてくるのか。うんざりしつつ俺が一歩踏み出す。と同時に、コイツは床をそれで突いた。スキール音とは違う、金属音が鳴り響いた。
右足で床を蹴り、一気に間合いを詰めてくる。床を突いたそれは順手に持ち変えられ、後方に引き絞られている。腕は伸び、身体は倒れる様に捻れている。次の瞬時にも床スレスレから跳ね上がり、突進の勢いの乗った一撃を浴びせて来るはずだ。
――かつての俺の様に。
ならば逃げるという選択肢はない。その一撃に力が無いことを、知らずに避けて振り切らせることが最も悪い対処法なことを俺は知っている。
俺は左腕で受け止めつつ反撃するために床を蹴り、加速する。コイツは引き上げた左足を踏み出し制動をかけ間合いを調整する。体を倒し、腕を巻き付け、それを――予想に反し上段から打ち下ろしてきた。慌てて腕を上げる。そのまま受け止め、勢いで懐に潜り込もうとした――
そこで耳に空気の振動が耳に伝わり、悪寒が走った。空気を切り裂く音の他に何かが聞こえた。それは俺の知っている音ではなかった。反射的に体を引き戻し避けてしまった。
内心で舌打ちしたが遅かった。
上段から振り抜かれたそれで床を突き体が加速、右足を軸に一回転し、突進の勢いの乗った本命である高速回し蹴りが、俺の腹部に吸い込まれていった。
咄嗟に体を曲げたが避けきれなかった。体が更に折れ曲がった。鈍い音が鳴り、鋭い痛みが走る。
それでもなんとか踏み止まり、顔を上げる。倒れなかったことが以外だったのかコイツの顔に驚きが見てとれ、動きが止まった。返しに足を抱え、懐に突っ込み拳を撃ち込む。今度はコイツの体が折れ曲がり、数メートル飛んで逃げられた。
そして再び間を詰めようとしたところで、望月さんが間に入った。
「二人とも落ち着きなさい。何の為にここに来たの?」
半分呆れた様に、動物をなだめる様に発したその問に対して
呼吸を整えながら「カリを返すためだよ」とコイツ。
「望月さんに(メイド服写真で)脅迫されたから」と俺。
望月さんは一瞬キョトンとして溜息と共に何かを思い出した様に肩を落とした。
「松本君に説明するの忘れていたわ……しっかし聞いてた以上に感情的なのね、松本君って。あの噂は本当なのかしら? まぁいいわ。取り敢えず、昔の事は置いとくとして――」
「すいません。だったら早く俺を読んだ――いや、1週間前に話しかけた理由を教えて下さい」
俺が望月さんの言葉を遮って問い質した 。セリフの中に気になる事があった。何故昔の事を知っているのか? と思ったのだ。
多少の苛立ちを含め聞くと、奥から微かに笑い声が聞こえた。
「お前さん、相変わらず女子に弱いのな」
「……それがどうした」
素っ気なく返すと今度は明らかに可笑しくて堪らない、と言った笑い声と共に返答がきた。
「いや、ただ瑠奈がどんな手を使ったのかな、と思っただけだよ」
惚けた様にコイツは尚言い返す。
「ねぇ、何で――瑠奈が知ってたと思う?」
その言葉に省略された――昔のことを――と言うのを聞いて自分でも頭に血が上るのがわかった。
「お前……望月さんに俺のことを言ったのか?」
その問に対しても変わらず惚けた様に返答する。
「まさか。でも、もしそうだとしたら?」
「ブッ飛ばす」
即答。
再び一歩踏み出そうとする。が、それは望月さんに遮られた。
「だから落ち着きなさいって。君をここに連れてきたのはの楓が会いたいって言ったからよ」
それと同時に望月さんの後ろから見たくもない顔が現れた。
「そうゆうこと。お久しぶり。会えて嬉しいよ」
一年ぶりに会った柿沼楓は、笑顔で手を振りながら変わらない張りのある声で言った。正直楓にはもう会いたくなかった。特に手に持っているそれは昔の事を嫌でも思い出してしまう――俺の元相棒だ。
「……お前が俺に会いたかったのはわかった。でもだからってどうしてここでこんなことになってんだ?」
そもそも楓はこの学校の生徒じゃないはずだ。現に俺とは違う制服を着ている。何故、特別棟の深部であるここにいるのか?
「この学校で一番人が近寄らない、話の邪魔が入らないと思ったからよ。でもこれだけ騒いでたらそろそろ来ちゃうかもね。さすがにここまで暴れられるとは思わなかったわ」
「来る? 一体何が」
楓の問に望月さんは答えなかった。代わりに無言で階段の方を指差す。その瞬間、嫌な予感がした。確かこの下の階は確か……
俺が階段に目を逸らした瞬間、ガラッ、ガチャン! という音と共に廊下から楓と望月さんが消えた。それと、ほぼ同時に階段の下から足音が聞こえてきた。
ますます嫌な予感が膨らむ中俺の耳には体育教師の怒鳴り声が聞こえ、絶句した。
「誰だぁ、騒いでンのは! そこを動くなぁ!」
「…………ッ!」
構わず即座に逃げようとしたが場所が悪かった。
特別棟には階段が二つ棟の端にある。手前の階段から先生が来ている。もう一つの階段を使えばいいのだが、遠すぎる。殻持ちの俺で全力で走っても3~4秒はかかる。それだけあれば階段を登り、俺を見つける位体育教師なら余裕だろう。
渡り廊下を使えば通常棟に逃げ込めるが、残念なことに外から丸見えだ。絶対バレル。
ならば隠れる場所は無いか? そう思い見渡すも、ある扉は全て閉じているし、後ろ(本当の端っこ)には使われなくなった机等の山が置いてあるだけだ。つまり体を隠せる場所は何にも無い。
打つ手なし。そう思い、素直に言い訳を考えていると二人の声が聞こえてきた。
「後はよろし……クフッハハハハハ……」と言う楓の笑いを堪えている声と「これは予想外だったわ……まぁ、うまくやっといて。贈り物はまた後でね」と言う望月さんの呆れた声が。
それを聞くと今更だが、何故俺がと言う感情が沸き上がってくる。
何故望月さんに脅迫されているのか?
何故過去の懊悩を思い出されて仕舞うのか?
そしてその答えは単純、楓のせいだ。あいつをこのまま逃がしてたまるか。
体はがらくたの山に向かい動いた。