第31話 「第6章 5:ついに訪れた者」
城門を超えた勇者を待ち受けていたのは、統率された獣の氏族の部隊だった。全面には盾を構えた二足歩行の部隊、その後方には四足歩行の肉食獣のアタッカーたち、その背後には弓を番える小型の者たちがきちっと隊列を整えていた。
盾の部隊が前進し、勇者の動きを止める。
勇者の振るう剣は、その硬い盾に阻まれていた。勇者は面倒臭そうに数歩下がると、盾の横から隙間から飛び出したアタッカー部隊が急襲する。交錯するとすぐに飛び退いていく様は、まさに戦い慣れた戦巧者であった。勇者の姿へ視線が通ると、弓の雨が勇者の周囲に降り注ぐ。
三段構えの陣容は、勇者を見事に抑えこんでいた。
だが勇者もさるもので、盾の壁に近づかないようアタッカー部隊と切り結び、その戦力を削っていく。降り注ぐ矢が鎧に突き刺さるのをものともせず、最大の火力を削ることに注力しているようにも見える。
盾の部隊はさらに前進しつつ厚みを薄めて横に広がっていく。
頭上から指揮を取るニャルガを、勇者は忌々しく睨みつけながらも、そちらへと攻撃に向かう余裕はなさそうだった。
城門にはドガを先頭にした鬼の氏族たちが集まり、勇者への牽制を行う。ニャルガが、鬼たちへむやみに押しかけたりしないよう伝令を飛ばしていた。単体戦力を相手に混戦を作っては抜けられてしまう恐れがあった。
手足として動かせる部隊が身近にあったことで、ニャルガの指揮は効果を発揮していた。
勇者は周囲に広がる連中へ疎ましそうな視線を送りつつ、隙をついて盾の部隊を飛び越えようとした。だがそこに、弓隊の矢が直線的に飛びかかっていく。
矢を全身に受けながら、勇者は空中で軌道を変えて着地した。
「すごいな、勇者を抑えこんでいるぞ」
「ええ」
アデルがニャルガを褒めたことに恨めしい視線を送りつつ、カナリアは渋々と同意だけした。きっと嬉しそうな顔をしていることが容易に想像することが出来たので、カナリアはアデルの顔を見ずに水晶を見続けていた。
盾の有機的な動きと、隙あらば襲い掛かる獣、そして勇者を足止めする矢の雨が、勇者を食い止め続けていた。
それを実現させたニャルガは勇者から目を離すことなく、指示を出し続ける。このまま勇者の力を削ぎ続けることが勇者を倒すことに、ひいては魔王を守ることに繋がる。
そう思ってしまって、ニャルガは相好を崩す。どうやら、あの魔王に絆されてしまったのかもしれない。だがそれは悪くない気持ちだった。
広がり続ける盾に隙間が見えたので、ニャルガは前進を指示した。わずかに広がった隙間が、それで絞られていく。
やがて龍の氏族と空の氏族が中庭の上空を覆い、勇者の進むべき道を完全に覆い隠した。
「ふむ。チェックメイトは間近ではあるが、これで終わりではあるまい」
独りごちるニャルガに油断はなかった。
眼下の勇者を単体戦力として見れば、魔界に太刀打ち出来るものがいるかどうか怪しい。先代の魔王や側近たちでさえ互角かもしれない。それくらいに飛び抜けた力を持っている。
だが部隊として換算し、正しい判断と指揮をすれば、獣の氏族であっても抑えこむことはできる。
しかし、勇者はいまだ全力を出していないようにも思えた。それほど多くはなかったとはいえ、獣の氏族の集落を二つも落としている。
「今は勇者を仕留めることだけに全力を注ぐべきか」
ニャルガは盾の部隊に包囲を狭めさせ、鬼の氏族も中庭へ展開させ、龍の氏族をやや上方へ移動させ、その下部に空の氏族が展開するように指示を出した。
勇者を囲う檻が徐々に狭まっていく。慌てたように周囲を見回した勇者が、修復途中の城壁を見て顔の動きを止め、そちらに向かい出す。
「城壁だ!」
ニャルガが指示を出すと盾の部隊がその包囲を固めるように動き出す。
それを狙っていたかのように──勇者は向きを急に変え、中庭の中央へと切り返す。そこには、城内へ続く扉があり、盾部隊が動いたことで開いてしまった包囲網の穴があった。
勇者に体当たりをして無理やり開くと、城内へ転がり込んだ。
「……」
城内がにわかに騒がしくなった。
明らかに不機嫌な顔でカナリアはアデルから降りると、スカートの中から漆黒の剣を取り出してアデルへ手渡す。
「大丈夫です、念のためですから」
そう言うものの、カナリアの顔には緊張が見て取れた。
城内に配置された氏族たちが、乗り込んできた勇者との戦いを始めたのが、響いてくる音で分かった。城門前や中庭の時とは違い、実際に剣戟の音が届いていた。
怒号と悲鳴、雄叫びが城内を染め上げ続けている。
アデルは鞘をベルトに通すと、ゆっくりとその剣を引き抜いた。漆黒の刃は相変わらず周囲の光を吸い尽くす勢いで辺りを暗くしていく。アデルが片手で持てるほどに軽く、しっくりと来る握り心地であった。
まるで刃自身が、光が迫ってくるのを楽しみにしているように鼓動しているような錯覚さえ感じてしまう。
その不気味さに身震いしつつ、アデルは剣を収める。
「使う機会がないように努力しましょう」
カナリアの口調に、いつものような明るさや軽さがない。
扉の向こうから聞こえてくる剣戟の音は、少しずつではあるが大きくなっていた。勇者が近づいてきていることの証左なのだろう。
ただ物量はあるので、通路を塞ぐという意味では十分に機能しているはずである。ただ、いつまで抑え込めるのか、どれだけの手傷を負わせることが出来るのかは未知数であった。
それがなるべく長く、そして多いことを、カナリアは祈らずにはいられなかった。
そこに、ニャルガが広間へと走りこんできた。
「済まぬ、魔王殿。勇者めを止めきれなかった」
「気にしないでくれ。勇者の強さは十分に見た」
「過ぎたことを悔やんでも仕方がありません。今は、勇者を倒すことが最優先です」
カナリアは広間にいくつもの魔法陣を展開すると、そこに大型の魔物を三体ばかり呼び出した。召喚された魔物は雄叫びを上げ、扉の前に集結していく。
「いないよりはマシでしょうね」
ニャルガはそれを見ると、全身に羽織っていたローブを脱ぎ去った。その身に、腕に、足に革製の鎧をまとっていた。
「……ニャルガ」
「足止めくらいは、なんとかしてみせよう」
「そうじゃない。鎧なんか着たら……せっかくの体が隠れてしまうじゃないか!」
「……そ、そうか……ふふ、魔王殿はこんな時にも平常心であるな」
ニャルガは緊張した面持ちの中で、少しだけ表情を柔らかくした。
「しかしまあ、それほど興味があるのであれば、あとでゆっくりと見るといい」
「ホント!? おっし、勇者倒そう、今すぐに倒そう」
「……ニャルガ様。さっそくですが勇者に抱きついて自爆でもしてください」
「お主も……いや、緊張しすぎているよりはマシか」
ニャルガはカナリアを窘めようとしたが、それは不要であると気付いて言葉を変えた。だが、カナリアの目は本気だったことに、ニャルガは気付いていなかった。
「アデルにはお仕置きをしておきたいところでしたが……あとにしましょうか」
カナリアが言い終わるのとほぼ同時に、広間の扉が開け放たれた。
両開きの扉の向こうに、まだらに染まった鎧を身につけた、一人の男が威風堂々と立っていた。
「やっとゴールか。まったく、面倒なことこの上ないな」
勇者ガラハドが、ついに玉座の広間へと辿り着いた。
姿を現したガラハドに先制攻撃を仕掛けたのは、カナリアの召喚した大型の魔物三匹だった。
それを胡乱げな目で確認すると、剣の一振りで三体を斬り裂いて消滅させた。
「全く。大した強さでもない魔物なんか置いておいても仕方ないだろうに」
ガラハドの言うとおりであった。ハッキリと意味が無いということを、目の前で実証されてしまった。
「それで、っと。ここに魔王がいるわけか」
躊躇いもなく広間へと踏み込んだガラハドは、広間で待ち受けていた三人の姿を認めると足を止めた。
「……うーん、強そうじゃないな。魔王いないのか?」
剣を背負ったまま、構えたりもせずに、ガラハドは悠長な気配を見せる。もし急襲されても問題ないだろうという判断なのだろうと思わせる姿勢だった。
「……いや、そっちのネコっぽい女の子、キミさっき見たね。なかなかいい指揮だった。そうか、キミが魔王だね」
ガラハドは本物の魔王であるアデルとカナリアを無視して、ニャルガへと体を向ける。
だがニャルガは居心地が悪そうに、どう答えたものかしばし悩んで、それからゆっくりと口を開いた。
「すまないが、ワシは魔王殿ではないぞ」
「……あれ、そうなのか。そこの三人で一番強いのはキミみたいだったから。じゃあ……そっちの美人さんかな?」
「申し訳ありませんが」
カナリアは一言訂正した上で告げる。
「貴方のような方に美人と言われると気分が悪いです。そのまま剣で首を掻っ切って死んでください」
「はははは、こいつはいい。そういう気の強さ、悪くないね。オレの女神がいなければ連れて帰りたいくらいだ」
「そんなことになる前に自ら命を絶ちますよ。触られることすら想像したくないですからね」
侮蔑と嘲りと交えてカナリアは自らの思いに素直に滑らかに口を動かした。会話をするだけでも気持ち悪いと思っていることが顔にありありと浮かんでいた。
「じゃ、つまりはそっちの冴えない男が魔王かな? 正直ガッカリだけど、魔界は十分に楽しませてもらったから、弱い魔王でも我慢して戦ってあげよう」
とても上から目線ではあったが、それを言うだけの実力がある分厄介なことは間違いなかった。
カナリアは両手に大型のナイフを無言で構え、それにならってニャルガも爪を長く伸ばした。
二人の様子を確認して、アデルは剣を抜くかどうか迷ったが、とりあえず抜いておこうと思って抜いた。
「じゃあ、やろうか。かかっておいで」
余裕綽々のガラハドへ、カナリアとニャルガが飛びかかっていく。
ガラハドはカナリアのナイフを剣で弾き返すと、ニャルガの爪を剣で受け止める。金属同士の擦れる甲高い音が同時にいくつも鳴り響いた。
「へぇ。その爪、相当硬いんだね」
驚いた様子のガラハドは、剣を振ってニャルガの小さな体を押し戻した。
「よく言うわ。鎧すら切り裂く爪ぞ。よくもまあ、そんな剣で受け止めおるわ」
ニャルガも驚きを隠しきれずにいたが、それでも剣そのものと、その技量に素直に感嘆する。
爪を舐め上げ、ニャルガは背を追って身を低くしながら再び駆け出す。それに合わせて、カナリアも左からガラハドへと向かう。
左右からの挟撃にガラハドは一瞬考える様子を見せて、すぐさまニャルガを選択して迎撃に向かう。計十本の爪で上下から挟みこむようにガラハドの顔目掛けて繰り出される。ガラハドはそれを髪数本だけを犠牲に紙一重で回避すると、ニャルガの脇腹に蹴りを入れる。
ニャルガを蹴った勢いで体を回転させて迫り来るカナリアへ向き直ったガラハドは、剣を構えてカナリアのナイフを剣でしっかりと受け止める。カナリアは右手のナイフで強く剣の根本を叩くと、左手のナイフで脇腹の鎧の継ぎ目を狙う。
ガラハドはその狙いに気付いて、身を少しだけ屈めて鎧でナイフを受け止めた。
攻撃に失敗したことを確信したカナリアは、すぐさまバックステップで勇者から距離を開けた。
一瞬の攻防が目の前で繰り広げられ、アデルは心の奥底から冷や汗を大量に垂れ流していた。
なんとか目で追うのがやっとで、とてもではないが参戦することは不可能だ。
つまりそれは、カナリアとニャルガが抜かれたら、アデルの人生が終わるということだった。
アデルは無意識に、ポケットに忍ばせているミランダの人形を硬く握りしめた。