第30話 「第6章 4:あるいは一方的に」
カナリアの広げた水晶たちに、戦場の景色が浮かび上がっていた。
「……強い、ですね」
「ああ」
それは率直な感想だった。水晶に映る勇者は、その圧倒的な戦闘力で精鋭を蹂躙していく。鬼の氏族が、空の氏族が、龍の氏族が、水の氏族が、何人も血飛沫をまき散らしながら、勇者の前にその生命を捨て去っていく。
激しい剣戟の音が、アデルの座る玉座まで届いてくるような錯覚すら覚えてしまいそうだった。
「ところで──」
「今は忙しいので却下です」
カナリアは、アデルの言葉を遮って一方的に切り捨てた。
「なあ……」
「ダメです、ってば」
アデルが何かを言おうとするたびに、カナリアはそれを受け付けない。
「いや──」
「大丈夫です、アデルの言おうとしていることくらい分かっています。なにしろ、アデルのことで知らないことなんかありませんからね」
こうしている時にだけ見るような笑顔で、カナリアは薄く笑いながらそう言った。
水晶に手をかざしながら、勇者を映し出す水晶の向きを調整しつつ、戦場のあらゆる場所へ視線が届くように次々と光景を切り替えていく。
「知らないことくらいあるだろうに」
「ありませんよ」
「あるある」
「ねーよ」
「……」
「ふふふ。もし知らないことがあるというのなら、聞きますよ」
「そ──」
言いかけて、アデルはそれが言っていないことを言わせようとしている罠であることに気付いて口を止めた。
こんな時でも抜け目ない侍女に、アデルは安心感を覚えつつも油断大敵という言葉を常に思い描き続けようという気持ちになった。
アデルは、配置を決め終わった際に「せっかくだから戦場を見てみたい」と言ったらバッサリと却下されてしまっていた。
それが反対されることくらいは、さすがにアデルだって想定してはいたが、駄々をこねてみたりすれば、ちょっとだけならと言ってくれるんじゃないかという気持ちがあった。
「死ぬ」
ドガはいつものように簡潔に、ただその一言を言った。ある意味、一番心に来る言葉だった。
「魔王ちゃん死ぬと終わりなんだよ? もうちょっと、それを考えてよ」
よりにもよって、何も考えていなさそうなフランにそう言われてしまうと、悲しい気持ちになった。
「魔王殿はどっしりと座っていてくれ。なあに、ワシらに任せてくれれば大丈夫じゃ」
ニャルガの言い方は優しく諭すようで、それが嬉しくてうっかり抱きついたら、カナリアに頭を殴られた。
「はあ。仕方ありませんね。直接戦場に出なくても見れるようにしますから。それで我慢してください」
カナリアは子供扱いしてきた。
アデル自身、自分がどれだけ脆弱な存在であり、勇者に殺されるということがどういう結果を生み出すかは理解しているし、自覚もしている。だがそれでも、自分を守るために死にゆく者たちを、ふんぞり返ったままで死地に送り込むということが、とてつもなくイヤで仕方がなかった。
「その気持ちは分からなくもありませんが、それでも魔王なんですから、それを受け入れるべきです」
「そういう気持ちを魔王殿が持っている、と皆に伝えておこう。なあに、それを聞けば皆もより奮起するじゃろ」
「……まあ、みんな魔王ちゃんのために戦うって気持ちはないだろうけどね」
「勇者、敵」
勇者が、魔界の住人にとって、共通の敵であり、それを倒すことそのものが魔界の住人の目的であった。魔王を守るなどというのは建前でしかなく、アデルに忠誠を誓う者は、それほど多くはない。彼らの多くは、魔王が死んだとしてもなんとも思わないだろう。
ただ、魔王が勇者に負けるというのは、魔界の創造主たる闇の精霊が、光の精霊に負けるということに他ならない。それが、許せないのである。
「魔王殿、安心してたもれ。ワシは伊達に歳は食っておらんでの。先代の時にせよ、戦場で死んでおらぬからここにおる。勇者めを打ち倒し、また魔王殿の前に姿を見せようぞ」
「ニャルガ。きっとだよ、絶対だよ、死んじゃダメだよ。まだ、ベッドにすら誘ってないのに」
「……魔王殿は、こんなババアをどうして女扱いしてくれるんかの。嬉しいが、複雑であるな」
「何言っているのさ。ニャルガはとても魅力的な女の子だからね。そうだ、この戦いが終わったら──」
「却下です」
アデルがニャルガを口説き始めたところへ、カナリアが華麗に割り込む。
「その先を言ってしまうと大変なことになりますよ。ついでに私も怒ります」
「……怒るほうが先な気もする」
「はっはっは、相変わらず仲の良いことだ。魔王殿、気持ちだけありがたく頂戴しておこう」
「おお、気持ちが届いた!? ベッドインまでもう少しだな……」
「そういう意味では、ないんじゃがな……」
呆れつつも、ニャルガは少し頬を染めてアデルを見上げていた。
「魔王ちゃんがよくわかんないなー」
フランは、素直に口に出した。
「貴方には理解できなくていいんですよ」
「そっかー。じゃあいいや」
カナリアはフランがアデルに興味を示さないようにさらっと感想を受け流した。
「アデル。それでは私とお留守番しましょう」
カナリアはアデルの腕を胸の谷間に挟み込み、玉座へと引きずっていった。
戦場は刻一刻とその様相を変えていた。
「正直な話、魔王ってのはただの飾りな訳じゃん。闇の精霊の統治を代行してるだけで」
「いきなりどうしたんですか」
水晶越しに勇者の戦い振りを見ながら、アデルが思わず口にすると、カナリアはその言葉を不審に思った。
「結果的ではあるけど、俺を守るために死んでいく姿を見るとさ、なんとなくそう思えてね」
「言いたいことは分かりますが……言ってしまえば、彼らはアデルではなく、その魔王という飾りに自らの氏族の誇りを賭けているんですよ」
「それはそうだけど──」
「それ以上は、戦士たちへの侮辱ですよ」
そう言われてしまうと、アデルはもはや口を開くことが出来なかった。
「ただ待つだけというのが辛いですか。言ってしまえば、その辛さこそが上に立つ者が受けるべきものです」
カナリアが次々と映す場所を切り替えていく水晶を見続けるだけの簡単な仕事である。肉体的にはとても楽な仕事だ。
「俺、魔王向いてないんだな……」
「やっと気が付いたんですか?」
「……カナリアは、相変わらずスパっと切りかかってくるな」
「ふふふ。アデルがそれを望んでいることを知っているからですよ。確かに、歴代の魔王と言えば、勇者が来れば勇んで迎え撃つタイプが多かったようですからね。そういう意味では異端なのかもしれません」
もっとも、返り討ちにあった魔王も、その中に多分に含まれていることもまた事実であった。良くも悪くも血気盛んだと言えた。
「それ以上に、闇の精霊と話が出来ないと言うことのほうが問題ですよ。それが魔王の仕事で一番重要なことですから」
「そうなんだよなあ。代行者なのに、代行出来てないからな」
「さしもの闇の精霊も、幼女扱いされた挙句、魔王に陵辱されるようなことは許せなかったんでしょうね」
「違うよ、合意の上だよ、平和的な感じだよ」
「……そういう問題では、ないでしょうね、きっと」
カナリアはどうしてその相手を自分にしないのか、と思った。口にはしなかった代わりに、アデルの太ももを抓って痛みを与えるだけで我慢した。
「もし……もしもだけど。母さんの封印が解除されたら、この無駄に有り余った魔力が自在に使えるようになったとしたら、貧弱魔王じゃなくなるのかな」
「どうでしょうね。もしそうなったとしたら、そうかもしれません。その時は、アデルはただの凡百の魔王でしかなくなりますが」
「強くなるんだったら、いいんじゃないかな」
「それはダメでしょう。弱いから、すぐ死ぬ虚弱体質だからこそ、アデルはアデルなんですよ。そんなアデル、つまらないじゃないですか」
「そ、そういう話になるのか……」
それなりに強い魔王であれば、歴史上幾らでもいた。アデルのような魔王は前代未聞であるからこそ、様々な物議を醸しだしたと言えた。ある種、アデルのアイデンティティであった。
「魔王の世襲は止めて欲しかったな」
「さしもの闇の精霊も、こんな魔王が誕生するとは思ってもいなかったんでしょうね」
それが闇の精霊自身から魔界の全住人に通達されるわけだから、拒否のしようもなかった。アデル自身、自分が魔王になるとは思ってさえいなかった。
「アデル!」
カナリアはアデルに抱きついた。その瞬間、城が激しい揺れに見舞われた。石造り天井から、パラパラと小石が舞い落ちる。
振動はそれほど長くなく、すぐに落ち着いた。
アデルを庇うように抱きついたカナリアは、事態が落ち着くと元の姿勢に戻って水晶を次々と操作し始める。
「……まだ座り続けるのな」
玉座に座るアデルに、お姫様抱っこされているような姿勢は、意地でも止めないようだった。
「仕方ありません。ここが、私の指定席ですから」
「まあ、もう諦めてはいるが」
「それは私を受け入れるという、つまりプロポーズですね」
「違うよ? 全然違うよ?」
「嬉しいです、アデル」
水晶の操作を止めて、カナリアはアデルの首に腕を回してよりいっそう密着した。
「……」
抱きついてくるカナリアの体温が、微妙に生ぬるく感じるアデルだった。
カナリアはしばらくそのままの姿勢でいたが、それから改めて水晶を動かし始める。
「勇者は……相変わらず元気そうですね」
「さっきの揺れは、勇者が?」
「ええ。運が良かったのか、勇者がわざと外したのか、城にはダメージはなかったようです」
襲いかかる鬼を、次々と切り捨てる勇者の姿が、水晶越しに見える。その技量は並大抵のレベルではないことが、水晶越しからでもよく分かった。
「なるほど。前に来たあの微妙な勇者とは大きく違いますね。圧倒的に実力があります」
全身を覆う鎧に血が塗れているが、それはほぼ全て返り血であろう。正面に立った鬼が、一瞬で切り捨てられ、その血飛沫を浴びながら勇者は前進を続けていく。
カナリアは勇者を映す水晶を少し脇に置き、別の水晶で映す景色を切り替える。その水晶には、崩された城壁の一角が映り、獣の氏族たちがそこに石と土を積み上げて補修しているところが見えた。
「城壁が……これが勇者の力か」
「間違えても、勇者と一対一で戦おうとか思わないことです。アデルなんて一撃で消滅ですよ」
「どう間違えても、そういう状況にならないようにするだろ、カナリアが」
「ふふ。その信頼には応えないといけませんね」
水晶の向こうでは、鬼の氏族と空の氏族が勇者から距離を取るところが見えた。そして、第二陣として龍の氏族が勇者へと詰め寄り始める。
アデルが別の水晶へと目をやると、そこには勇者目掛けて滑空するフランの姿があった。
繰り出した槍は勇者に簡単にいなされ、ハイゼンの攻撃も勇者には届かず、そのまま空へと飛び去っていく。
「フランでも勇者相手はキツイか……」
「それくらい、勇者が強いということですよ」
水晶の向こうで、勇者は城門を通り過ぎるところが映しだされていた。




