第28話 「第6章 2:勇者を迎え撃とう」
苦虫を噛み潰したような顔、というのは正に今のカナリアの顔のことだろうな、とアデルは思った。
緊急の連絡が届いたということで、食事中に急遽会議を執り行うこととなった。食事中の出来事であったため、緊急の用件を報告するカナリアは、お茶を配りながらである。
「夜の氏族と、死の氏族が勇者と戦端を開いたそうです。その結果……勇者が勝ち、両氏族は壊滅に近い状態で兵を引いたとのことです」
その報告に、アデルとフランとドガとニャルガは同時に息を呑んだ。
魔界の氏族中で武力においてトップクラスの戦力を誇る二大氏族の敗北は、集まる皆の心に陰を背負わせる。それほどの出来事であった。
「壊滅……か。じゃあ、もうほぼ戦力としてはアテにできないってことか」
蒸したイモを頬張るアデル。
「前にも教えましたよね、アデル。戦争における壊滅とは、戦線を維持できなくなる三割程度の損耗という意味です。全滅ではありません」
カナリアはタマネギのサラダを一気に流しこむ。
「言葉の定義はともあれ、勇者一人で三割を削りきったとは、侮っておる場合ではないの」
ニンジンを齧るニャルガ。
「勇者、強い」
ドガはトマトを丸呑みした。
「なんかワクワクしてきたね。そんな強いなら、戦ってみたいなあ」
フランは食事に手を伸ばさず、腕を巻くって戦いに掛ける意気込みを語る。
「戦う機会はありますから、脳筋はさっさと殺されてください」
「なにおぅ! あたしが負けるとでも言うの!?」
「いえ、ただの願望です。忘れてください」
いがみ合うカナリアとフランを尻目に、アデルはニャルガに尋ねる。
「戻って来なかった使者ってのは、これの影響もありそう?」
「可能性としてはの。それよりも前に殺されておるという可能性もあるが、それについてはなんとも言えん。どちらにせよ、早いか遅いかの違いじゃ」
「そっか。とりあえず、今なら仲間に引きこむチャンスかな」
「奴らは戦力以上にプライドも高いからの。魔王は引っ込んでおれ、と言い出すだろうな」
「ううん、魔王ってあんまり好かれてないね」
「万人に好かれる統治者など夢物語よ」
創造主たる闇の精霊に託された地位ではあるが、その立場自体は尊重されることはあれど、魔王という個人へ向けられる視線はまた別の種である。
「大丈夫ですよ。誰にも愛されなくとも、ただ一人の愛がありますから」
「……ニャルガのことかな?」
「ニャーッ!」
不意打ちを浴びせるとそう叫ぶニャルガを、容姿ともども気に入っているアデルであった。話を振ったカナリアはとてもとても不機嫌そうだった。
「アデルったら……この溢れる愛で溺れさせますよ」
「……勘弁してください」
そんなカナリアへ、アデルはひたすら許しを願った。
「そも、これは好機じゃの。有象無象の氏族を取り込めそうじゃ」
「そうですね。魔界中に放っている監視の目にも、動揺する氏族の様子が届いていますよ。一気に畳み掛けるのが得策でしょう」
「よし、それで行こう。勇者がこの城に来るまでに、どれくらいの猶予がある?」
「これまでの移動速度と位置から考えると……十日あれば到着するでしょう」
「それしかないのか。悠長にかまえていられないな。すぐにでも各地へ使者を向かわせよう」
「まずはこのご飯を食べ終えてからだね」
「……あとは貴方だけですよ、フラン」
「えええええっ。ず、ずるいよ! ちょちょちょっと待って!」
フランは目の前の皿を手に取ると、大きく口を開いて一気に流し込んだ。
「吊り橋はすでに巻き上げてあり、城門は鬼の氏族の協力で大きな閂を追加しました」
城の図面を大きく開き、作戦会議が始まった。
監視の報告によれば、勇者はのんびりと海の上を歩きながら向かっているという。船を用意しなければならなかったその前の勇者とは大違いである。もっとも、その勇者は多くの仲間がいたから、それのせいであるのかもしれなかったが。
結果的に、勇者は予想の倍の日数をかけて魔王の城へと到着する見込みだった。海を歩いているのを確認したので、これ以上寄り道をすることはないだろう。寄り道をするような場所もない。水の氏族には手出しを厳禁したため、戦闘行動も発生しないはずである。
それだけの日数の猶予があったことが幸いし、魔王アデルの元には、ほぼ全ての氏族が集まっていた。アデルの治世にずっと参画する氏族もあれば、この勇者との戦いにのみ協力する氏族もある。たとえ短い間であるとはいえ、魔界は大いなる脅威に対して一つになったと言えた。
「堀に水の氏族、城門の前に鬼の氏族、その上空には空の氏族を配しています」
器用にもそれぞれの氏族を示すことが分かるように切り抜いた薄切りにしたニンジンを、カナリアが一つずつ図面上に配置していく。
「おっ、これ龍? すごいなー、ニンジンをこんなに出来るなんて。いただきまーす」
ひょいっと龍を象ったニンジンの薄切りを眺めていたフランは、礼儀正しくそれを口に放り込んだ。
「……これ、生じゃん……」
「龍の氏族は、この戦いに不参加という意思表示ですか?」
額をひくひくと引きつらせるカナリアが、それどころではないと穏便な言葉遣いで窘める。
「えっ、そんなわけないじゃん。もう、仲間はずれは酷いよ」
「……」
自分が何をしたのか分かっていないフランを無視して、カナリアは話を続ける。
「城壁の内側には獣の氏族、それから……」
カナリアはため息をついてフランをひと睨みする。
「龍の氏族も、内側です」
獣の氏族を象ったニンジンだけを図面に置くカナリア。
「空の氏族と龍の氏族は逆じゃないのか?」
アデルは疑問を投げかけた。
「鬼の氏族がいるので、小回りがきく空の氏族を外にしています。獣の氏族の中でなら、勇者は目立つでしょうからね」
勇者の背丈の倍以上ある鬼の氏族たちが動き回れば、勇者の姿を上空から探すのは難しくなる。それが、龍という大型の生物に乗った上でとなると、さらに難易度が高くなる。
城壁の内側は狭く感じるかもしれないが、龍の氏族の操作技術であれば、十分に暴れまわれるだけの広さはある。それが、今回の配置だった。
「城内は、夜の氏族と死の氏族を中心にしており、基本的には廊下単位で氏族が分かれています」
ペタペタと薄切りのニンジンを並べていく。
複数の氏族を混ぜあわせてしまうと、そこに軋轢が生じる。それを回避するためには、細かく分割して同一氏族のみの部隊を編成する必要があった。
「非戦闘要員と、予備兵力はすでに待機状態です。ざっとではありますが、配置はこういった状態です」
カナリアがそう報告を終えた。
「ほぼ想定した通りに納得してもらえたようだの」
「ええ。さすがに立案がニャルガ様であると言えば、それに意を唱える氏族はほぼありませんでした」
ゼロではなかったが、そこはカナリアが上手いこと言いくるめた。
「各々の配置位置は、頭に入っておるか?」
ニャルガは一同を見回してそう聞く。
「あたしは城壁の内側の部隊を指揮するよ。パパンは集落で留守番してるしね」
「私は城内の部隊指揮を広間から行います」
「魔王、警護、広間」
フラン、カナリア、ドガがそれぞれ自身の担当を告げる。
「よろしい。ワシはバルコニーから全体の指揮を取る。ワシに何かあれば、カナリア、フラン、魔王殿の順に全体指揮を回すこととする」
「……俺の順番が遅いのは別に構わないんだけど、ニャルガに何かあったりするのはイヤだよ?」
アデルは、ニャルガを背後から抱きしめた。ニャルガはそれをビクンと体全体で驚きを表現しつつも、それを拒んだりしなかった。
「こ、こら! 魔王殿はどうしてそうなのじゃ」
くんくん。
「うーん、いい匂い」
「わ、こら! 匂いを嗅ぐでない!」
ニャルガはさすがにそれは許せないらしく暴れだしたが、アデルが腕ごと抱きしめているため上手く動けずにただ暴れている子どものようになってしまった。それを呆れつつも見せつけられたカナリアは、いつもの大型ナイフを取り出すとその腹でアデルの後頭部を思い切り叩いた。
「アデル、そういうのは止めてください」
「そ、そうだな。今はそういうタイミングじゃないな。よしニャルガ、この戦いが終わったら──」
カナリアが再びアデルの後頭部をナイフの腹で殴る。
「イヤな予感がするので、その先は禁止です」
後頭部をさすりながらニャルガを解放したアデルは、皆に向かって声を掛けた。
「とりあえずさ」
珍しく真面目な声で話し始めたアデルに、一同は無言で視線を注いだ。
「俺は死にたくないし、もちろん皆にも死んでほしくない。だから、無理そうだったら逃げよう。それくらいの軽い気持ちを持って、全力で立ち向かおう」
「……さすがに、この場にいない者には聞かせられませんね」
「そうさの。だが、魔王殿らしい言葉であるな」
「しっかたないなあ。魔王ちゃんがそう言うなら、そうするよ」
カナリアが、ニャルガが、フランが、アデルに答えて、ドガは無言で頷いてみせた。
「よし。これが俺が魔王としての初めての戦いだ。色々な事があると思うが、よろしく頼む」
アデルは軽く頭を下げた。
先だってやってきた勇者のことやフランとの決闘のことはすっかり忘れているようだが、カナリアはそれに気付いたが気付かないふりをしておいた。
会議の場からの去り際、カナリアはアデルにだけ聞こえるように小声で囁いた。
「どれほどの事態になっても、アデルは私が守りますよ。だから安心して、玉座で踏ん反り返りながら、私を抱きかかえる準備をして待っていてください」
戦闘が始まるとカナリアは広間にいることになるので、準備もへったくれもないなと思いつつ、アデルは「頼むよ」とカナリアの背中を軽く叩いた。




