第18話 「第4章 3:闇の精霊は応えない」
ふと、この生暖かい玉座にどうしたら気持よく座れるかとアデルは考えてみたが、いい解決策は思い浮かばなかった。
死んで城に戻ってきて気だるさを抱えたまま、アデルは生暖くて気分の良くない玉座に座っていた。
最近、死ぬことに慣れた。慣れてしまう自分を悲しくも思わなくもないアデルであった。
カナリアはおろか、フランまでもが死んで戻ってくることに慣れてしまったようで、慌てて駆けつけたりせずに、のんびりと「おかえりなさい」とのたまう。
「さて、アデルも帰ってきたことですし、何点か報告することがありますよ」
勇者も倒したし、龍の氏族も仲間に加わった。龍の氏族のおかげで食事事情も少しだけ改善した。これ以上、何があるというのかと嘆息を交えながら、アデルはカナリアにその報告をするように促した。
「まず一点目なんですが──今夜は、イエス、ですよ」
「……それは聞きたかったと後悔したくなる報告だな」
「……?」
槍を抱いて壁に寄りかかっていたフランが、何を言っているのか分からないという顔をしていた。
「気にしないでくれ、というか気にするな」
「よくわからないけど、オッケー」
「ちなみに、今夜からずっと、でもいいですよ?」
「謹んで遠慮することにして、他の報告をくれ」
「つれませんね。近頃、そんなアデルも悪くないな、と思うようになりました」
「もっと酷い報告だ。思わず叫びながら城から身投げしたくなる」
「その下で待ち受ける私のところへ飛び込んでくるんですね。情熱的です」
「……」
余計な事を言うと、もっと面倒なことになりそうだったので、アデルはその件についてはそれ以上の言及をしないことにした。
「次は──」
そこで言葉を区切り、カナリアはアデルの顔を伺ってきた。
「どうした」
「いえ」
アデルが問うと、カナリアは頭を振って言い淀んだことを否定して続けた。
「地上で、新たな者が光の精霊の祝福──勇者の力に、覚醒したようです」
「……またか」
「またですね」
「半年も経っていないぞ」
「それまで七年くらい間がありましたから、それを穴埋めするようにピッチを上げているんですかね」
「帳尻合わせに勇者とか言われてもなあ」
「ちなみにその勇者ですが……」
「男か」
「名はガラハド。良かったですね、男ですよ」
「そうか、それは朗報だな」
「自分を倒しにくる勇者が出てきたことを喜ぶとは、アデルはマゾでしたか」
「そういう言い方は止めてくれ。というか、マゾではない」
「サド?」
「どノーマルだ」
「ロリコンですけどね」
「偶然だ」
カナリアとアデルの言葉の応酬に口が挟めないでいたフランが、ようやくそこで口を開いて二人に尋ねた。
「なあなあ。マゾとかロリコンてなんだ?」
アデルはカナリアと顔を見合わせると、説明したくないから忘れてくれ、と言った。
──闇の精霊よ。
日課になってしまった、闇の精霊への問いかけを、アデルは今日も行なっていた。
カナリアが夕飯の支度をしている間に、フランが鍛錬で空を駆けている間に、その開いた時間を使って、アデルは闇の精霊との間にコンタクトを取り直そうとしていた。
だが今日も、闇の精霊は反応を返してくることはなかった。
ふぅ、と一息入れて、アデルはゆっくりと目を見開いた。玉座に座るアデル以外、この広間には誰もいなかった。
まだ二人が戻ってくる様子はなかった。
闇の精霊との交信が出来ていたのは、アデルが魔王になって最初の数ヶ月程度であったと記憶している。
魔王としてどうあるべきか、魔王とは何をするべきか、ということを、闇の精霊が教えてくれた。心の準備もなく魔王となったアデルが、なにかあればすぐに闇の精霊に質問をしまくったからではあったが。
気が付いた時には、闇の精霊は応答しなくなっていた。それ以来、ずっと闇の精霊の声は聞こえてこない。
カナリアの言うとおり、脳内だけとはいえ、会話相手なのだからと容姿を考えてみたのがいけなかったのだろうか。相手の姿が見えないほうが、会話はしづらいのだから、それはきっと問題はないはずだと思っていた。
つい、勢い余って寝る直前の妄想の中に登場させて、あまつさえ人には言えないようなことをしてしまっていたのは、一万歩くらい譲れば問題ないはずだ。きっと、歴代の魔王の中にも、そういうことをした者はいたはずだ。
アデルは自分をそう正当化することにした。
──ねえ、闇の精霊ちゃんさー?
答えの返ってこない一方的な問いかけではあるが、それを続けることが魔王としての責務なのだと、アデルは考えていた。もっともそれは、カナリアに言われてから日課とするようになった。
何年かぶりなら、きっと闇の精霊も忘れているに違いない。
そう思ってみたが、結局のところは一人相撲だった。
それでもアデルは、黙々と闇の精霊への声掛けを繰り返していた。
王に謁見を求めた若者は、威風堂々とした立ち振る舞いで四方から陽光の差し込む広間へ歩いて参上し、ゆっくりと玉座の主に頭を垂れた。
急所だけを覆う金属製の鎧に、腰に佩いた装飾のない実戦仕様の長剣。それらを身にまとう逞しい肉体。
そして何より、その自信に満ち溢れた顔を見ていると、勇者と名乗りを上げ、多くの魔物を討伐してきたと言われたことも、納得できるように思えた。
玉座の王は、若者をしばし観察してから声を掛けた。
「そなたがガラハド・ネクスか。よくぞ参った」
名を呼ばれた若者は片膝をついた姿勢は崩さず、恭しく頭を上げた。
「先の勇者マルス・アントークが魔王に討たれた折、奇しくも貴殿が光の精霊の力に目覚めたことは、世界に取ってまさに僥倖といえよう」
玉座に座る壮年の王は嬉しそうに髭を撫でながら、話を続けた。
「魔界の王は卑劣なることに、光の精霊に祝福された勇者を騙し討ち、帰らぬ者とした。そなたの双肩には地上に住まう全ての人民の夢が、そして希望が乗せられている」
王はゆっくりと、聴かせるように語り始める。
「光の精霊は我ら人の子を見捨てはしなかった。そなたが勇者としてここに在ることこそ、光の精霊の恩寵であろう。勇者ガラハド・ネクスよ、どうか世界を救ってくれ」
「もちろんでございます」
「我が国は、全面的にそなたをバックアップする故、必要な物があれば、なんでも言うといい」
「はっ。では、急ぎご用意いただきたい物がございます」
そのはっきりとした物言いを、王は気に入った。
「うむ。後ほど、遣いを向かわせる故、用意した部屋で休んでいるといい」
「ありがとうございます。この力は御国のため、そして世界の平和のために振るうと、ここに誓いましょう」
「勇者ガラハドよ、そなたの旅が光溢れる未来へと繋がることを期待するぞ」
「吉報をお待ちいただければと思います、陛下」
王が大仰に頷くと、ガラハドは一礼をすると、背を向けて威風堂々とした歩きで王の前から歩き去る。
広間の階段を左右で警備している兵は新たな勇者に目礼し、ガラハドも歩きながら会釈をして階段を降りていく。
「……あれ?」
片方の兵が、ふと不思議なことに気付いた。
「どうした?」
警備の兵としては万全を期すためにも、相方の兵は疑問を投げかけた。
「いや、勇者の隣で一緒に階段を降りる女……女性がいたんだが……」
「なんだって?」
相方が階段を覗きみるとが、すでに勇者は歩き去っており、その女の姿は確認できなかった。
「さすがに階段に誰かいれば気付くだろう。こま目に見ていたしな」
「そうか……」
「どうせ女に飢え過ぎてるからって、幻覚でも見たんじゃないか」
「うーん、どうみても本物の女性だったんだけどなあ」
警備の兵の疑惑はそのまま残ることとなった。




