第17話 「第4章 2:城の裏手と魔王と野菜」
城の一角に与えられた部屋でのんびりとしていることに飽きてしまったフランは、城の内部構造を把握することも大事だろうと言い訳をして、城内の散策にでることにした。
元来大人しくしていることは苦手な性質であるため、することがないということに耐えられなかった。
勇者が魔界に入り込んできているわけでもないため、することがない。
ハイゼンは中庭にいるだろうが、もしかしたら暇だから空を飛んでいるかもしれない。あとで時間があったら、城の周囲を空から探索してみるのもありかもしれない、と考えた。
魔王の居城であり、全盛期は多くの氏族の代表者が詰めていたということだけあって、部屋の数が多く、ともすれば自分の部屋がどこか分からなくなる。幸い扉に龍の紋章が刻まれていたため、それを目印にすれば良さそうだった。
他の部屋の扉にも様々な紋章が刻み込まれており、きっと各氏族の代表者が詰めていた部屋であろうことが推測できた。
そうすると、今フランが使っている部屋も、過去には父や祖父、先祖たちが使ってきたものだと思うと感慨深いものがあった。
清掃が行き届いていたのは、あの侍女が掃除したからであろう。
カナリア・フィルディア。先代魔王の剣である黒騎士と、先代魔王を支えた侍女の娘。
魔王との関係はよくわからないが、一方的に恋慕の情を寄せているように見えた。ただ、魔王もカナリアをとても大切に思っているということも分かった。ただそれは、家族への情のようにも見えた。
あの女とはどうにもウマが合わない。というよりは、一方的に敵視されているようにも思う。
魔王を横取りするとでも思われたのだろうか。別に、そういった感情は持ちあわせてなどいないというのに。ただ、子どもだけ貰えればいい。
それを言って納得させるのは、面倒臭そうなので放っておけばいいか、とフランは思うようにした。
廊下は一方に扉が並び、もう一方は窓が遠くまで伸びている。
さすがは魔王の城なだけはある。永く親しんだ龍の氏族の天幕が、とてもショボいものにも思えた。魔界の支配者としては、確かにこれくらいの城に住んでいないと格好がつかないのだろう。
好き好んで住みたいかと問われると、今はノーと答えるだろう。
窓に寄ったフランは、そこから眼下を見下ろした。
裏庭に向けられた窓の向こうには、畑があり、その向こうに高い城壁がそびえていた。
……畑?
魔王の城に似つかわしくないそれを見つけ、フランは慌てて窓を破らぬよう顔を押し付ける。
畑である。
龍の氏族の畑に比べると広くなく、育てられている野菜の種類も多くはなさそうだ。緑色の葉や野菜の花がたくさん見えた。
その畑で、水撒きをする一人の男が見えた。魔王アーデライトその人だった。
「ま、魔王ちゃんっ!?」
その姿が魔王であることをハッキリと見て、フランは慌てて廊下を走りだした。
地階では裏庭に繋がる扉がどうしても見つけられず、中庭を経由して裏庭へと回った。
そこには、さきほど見たのと同じ姿の魔王が水撒きをしていた。
「魔王ちゃん、何してるの!」
フランがそう言いながら駆け寄ると、アデルは腰を上げてフランを出迎えた。
「ああ、フラン。畑に水を撒いているんだよ。どうだい、いい畑だろう」
オケとヒシャクを持って、アデルは次の畑へと移動していき、フランはそれについて行った。
白い部分を出したダイコンの元に寄って腰をかがめると、土に指を突き刺して湿り気を確認すると、立ち上がって水を撒いていく。
「なんで水なんて撒いてるの!?」
「なんで、って……水がないと野菜が育たないだろう?」
「そうじゃなくて、なんで魔王ちゃんが水を撒いてるのか、って聞いてるの」
「そう言われてもねえ」
「カナリアにでもやらせればいいでしょう」
そうフランが言うと、得心がいったようにアデルが笑った。
「ああ、そういうことね。育てたり料理したりするのはカナリアに任せてるから、せめて水撒きくらいはしないとね」
「……そ、そいういうことなら理解はしておくけど……それじゃ、どうして畑なんて作ってるの」
「どうしてって、そりゃあ、収入がないから自分たちで作らないと、ご飯が食べれないからね」
そう言われて、フランは先日のタマネギ尽くしを思い返した。
さらに、ハイゼンにニンジンを食べさせたカナリアの姿を思い出した。
「あっ……」
かつて、魔界に存在する全ての氏族が魔王の傘下にいた頃は、定期的に糧食を供出させていたらしいが、今はその相手もいない。自分たちで作らねば今日のご飯にすらありつけない。
元々魔王の好みの野菜などを育てる小さな畑はあったらしいが、アデルが魔王になってから規模を拡大して、日々の食事を生み出すようになったという。
その話を聞いて、フランはすかさず父に支援を求めることに決めた。
「龍の氏族から食料を持ち込むから、魔王らしくもないことはナシ!」
「おお、それは嬉しいな。でも、畑は畑で楽しいからいいよね」
「ダメ!」
フランはアデルからオケとヒシャクを取り上げた。
「魔王なんだから、魔王らしくして!」
「カナリアと相談しておくから、とりあえず現状維持で」
「魔王なんだから! そこらの氏族の女子供じゃないんだから!」
「それは偏見だよ。魔王だって畑耕してもいいと思うんだ」
「あかん!」
フランは頑として譲らなかった。魔王が畑を耕しているなどと知れたら、龍の氏族だけでなく、他の氏族だってバカにするに決まっている。
「他の氏族にでも見られたら、鼻で笑われて、傘下に加えることも難しくなるよ!?」
「ああ、それは大丈夫。だって、鬼の氏族の族長にはもう見られたし。ちょうどいいや、ってトマトを柵ごと一つ持ってかれたし」
「……そりゃあ、みんな離反するよ……」
フランのつぶやきに、アデルはちょっと落ち込んだように見えた。
久しぶりに見たミランダの笑顔はとても眩しくて、アデルは勇者を倒したことでミランダの地位が向上したことをその笑顔で知ることが出来た。
はっきりと言ってしまえばアデルが倒したわけではないのだが、そんなことは重要なことではなかった。
魔界へと旅立った勇者マルスが連絡を断ったことで、地上の国々はマルスは卑怯な魔王に討たれたとされていた。
つまり、魔王は健在であり、今も地上を狙っている。地上の人々はそう考えていた。だからこそ、覚醒していない星降る夜の子供が、ふたたび持て囃されていた。人間とはつくづく現金なものである。
さんさんと照りつける太陽の下、湖の畔でアデルとミランダは水遊びにふけっていた。
ミランダは下着姿で恥ずかしそうにしていていて、アデルはそれを見るだけで全身から鼻血を吹き出してしまいそうだったが、ここに来るまでに幾夜も積み重ねたシミュレーションのおかげで、なんとか持ちこたえていた。
もちろん、そんなシミュレーションで想像していたミランダよりも、現実に目の前にいるミランダの方が数百倍もの破壊力を持っていた。
その上、水に濡れた下着が肌に張り付いて、その色も形もクッキリと描き出していた。それはシミュレーションでは想定していなかった部分である。裸であるよりもエロティシズムに溢れ、アデルは下半身の大暴走を収めるのに苦労しっぱなしだった。
やはり少女は素晴らしい。健康的で瑞々しい肌、オウトツに乏しくすっきりとした肢体。そして何より性的な部分に目覚めていない感性。そのどれもが、アデルを興奮させてくる。成長した女など、比べることすら失礼にも思えた。
やがて日がゆっくりと傾きはじめた所で自ら上がり、下着を絞ってしばらく経つと、水分もしっかりと抜けきった。
少しだけ肌寒さを感じ始める頃に、アデルはミランダを村まで送るため、手を繋いで草原を歩き始めた。
「なあミランダ。ミランダは、光の精霊の力に覚醒して、勇者になりたいか?」
なんとはなしに、アデルは尋ねてみた。
「うーん……わかんない」
「そっか、わかんないか」
その返答に、アデルはある意味満足だった。もしすぐさまなりたい、と言い出すと、その先にあるのはアデルとの決戦である。きっと、ミランダなら戦いを止めてくれるだろう、という思いと、それでも戦うことを望むミランダとが、アデルの脳内に存在した。
「うん、だってよく分からないし」
「ま、そうだよな」
「それに、もし勇者になったら、魔王退治に行かないといけないんだよね」
「そうだろうなあ。ミランダが嫌がっても、そうさせられるんじゃないか」
「だったら、勇者にはなりたくないな」
ミランダが足を止めるに合わせて、アデルも立ち止まる。
「村にいないと、お父さんとお母さんが寂しくなっちゃうよ……」
悲しそうに呟くミランダに視線を合わせるように、アデルはしゃがみこんでミランダと向かい合う。
「そうだな。でも、ミランダが立派になった姿を見たら、喜んでくれるんじゃないか」
「……お兄ちゃんのばかっ」
「は、え、なんだいきなり」
「だって……」
ミランダはアデルの視線から目を逸らした。頬が少し紅色に染まっていた。
「だって、そしたら、お兄ちゃんとも会えなくなっちゃうじゃん……」
アデルはその一言に心臓を打ち抜かれたような衝撃を受けた。
心臓は声高に興奮を伝えるように叫びだし、脳は沸騰したかのように思考をかき混ぜる。
アデルは勢いでミランダを抱きしめていた。
「そうだな。それはイヤだな。だからミランダは、勇者になんかならなくてもいいな。他の奴に任せておけばいい」
本当ならミランダが勇者として覚醒した上で魔界に連れ帰りたい。それを、ミランダの意思で行なってもらいたい。そういう思いがアデルを支配する。
「うん……」
アデルの服を握りしめたミランダは、しかし表情を曇らせた。
「他の人が勇者になったら、またわたし、いらない子になっちゃうのかな……」
「ならない! ミランダは、絶対にいらない子なんかじゃない! 俺が──俺にはミランダが必要だよ!」
だから悲しい事を言わないでくれ、とアデルは続けた。
悲しそうなアデルの表情を見たミランダは、それが自分のせいだと思い、頑張って笑顔を作った。
「うん。お兄ちゃんがミランダのこと大切にしてくれるの、とっても嬉しいよ」
「ああ、だからそんなこともう言うんじゃないよ」
「うん、ありがとうお兄ちゃん」
そしてミランダは顔を動かしてアデルに近づけると、その頬に軽くキスをしてきた。
「えへへ」
口を離してすぐ、ミランダは照れたように笑った。
頬の感触と、ミランダのはにかんだ笑顔を見て──そして湖でのミランダの姿を思い返してしまい、アデルは我慢の限界に到達した。
鼻の粘膜が破れ、鉄の匂いが鼻孔の奥をくすぐってくる。
全身の血が逆流して顔に集まっている感覚が起こり、視界が赤く染まり、そして鼻血で橋を描き、仰向けに倒れてその姿を地上から消した。