第16話 「第4章 1:新たな住人との諍い」
カナリアが気だるそうに玉座に座っていると、つかつかとブーツの音を高く響かせたフランが広間へ入ってきて、そしてカナリアの姿を見て激昂した。
「貴様は何をしているか! そこは魔王ちゃんのおわすところだろう! さっさとその薄汚い尻をどけろ!」
「……」
またうるさいのがやってきた、とカナリアは目の前に現れた女を一瞥し、速やかに無視を決め込んだ。
城に常駐するためか、集落にいた頃とは違い鎧を着込んでおらず、薄いトーガを腰の帯で軽く止めただけの簡易的な格好をしている。龍の氏族の女性に見られる、彼らにしてみれば一般的な装いであった。
ただカナリアの目には、まるでアデルを誘惑でもしようとしているようにも思えたし、実際にそれに近いところもあり、それがとても気に入らなかった。
だいたい、この城は魔王たるアデルの城であり、そうであるからにはカナリアと二人っきりの城であるべきであった。
それもまた、カナリアを苛つかせる原因になっていた。
「聞いているのか!」
「……」
わざわざ怒鳴らなくても聞こえているのに、なぜこうもこの脳筋はうるさいのか。
この玉座はアデルの座るべき場所であり、その留守を守るのがカナリアの最重要な使命である。アデルの玉座に座り、アデルの帰りを待つ。そしてアデルはカナリアの座っていた玉座へと腰を下ろすのだ。
どう考えても、それが正しい姿ではないか。
それを、この娘はどうしてこうもぎゃーぎゃーとわめきちらすのだろうか。
「聞こえていないのかっ!?」
「聞こえない」
いい加減しつこい女を黙らせるため、仕方なくカナリアは口を開いた。
「聞こえているじゃないか!」
「気のせいよ」
「そんなわけあるか!」
「いちいち叫ぶな。耳がもげる」
「その程度でもげる耳など、不要だ!」
アデルの声を聞くために、必要ではないか。この女はそんなことも分からないのだろうかとカナリアは嘆息してみるが、よくよく考えてみると、きっとわからないのだろう。
「……うざい」
早く帰ってこないかな、とカナリアはアデルの帰りを願った。
そう思った瞬間、カナリアはいつものアレを感じ取り、ハッとして宙を見た。
そして、少ししてそこにボロクズがゆっくりと実体化して床にへばりついた。
何事が起きたのか分からない、初めての出来事に戸惑うフランがそのボロクズを遠巻きに警戒する中、カナリアはゆっくりと声を掛けた。
「おお魔王よ、死んでしまうとは……本当に情けないですね」
フランへと返答していた無気力な声とは違う、愛しさと切なさと優しさを込めた声で。
もぞもぞと動き出すそれを、カナリアが魔王と呼んだことで、フランはそのボロクズがアデルであることを認識した。
「ま……魔王ちゃんっ!?」
フランは慌てて駆け寄って、アデルを抱き起こすと、アデルは頑張って声を出してフランをたしなめる。
「フラン……気持ち悪いから離れてくれ」
バカですねとフランを見下しながら、カナリアは足を組み上げてつま先をふらふらと揺らした。
「アデル、いつまでもそうしていないで、早く私の足を舐めてくださいな」
フランが魔王の城を訪れたのは、決闘から一月ほど経ってからであった。
決闘の後で、族長ディードリヒは近く使者を送ると言っていたが、使者としてやってきたのがフランであった。
ただ、その使者を謁するべきアデルは、地上で幼女と戯れているために不在であった。
カナリアは、さすがに使者を追い返すことはしたくなかったので城に逗留するように勧め、フランはそれに倣うこととなった。
その間に、カナリアが玉座に座っていたことを咎めてきたのである。
のそのそと起きだしたアデルは、カナリアが永く暖めていた玉座にのっそりと座って尻が気持ち悪いと文句を付けたあとで、正式にフランと向き合った。
フランは正式な礼儀に則って玉座のアデルへ臣下の礼をとり、龍の氏族からの使者として魔王へと族長からの言葉を伝えた。
彼女のいうことには、龍の氏族は正式に魔王の麾下へ加わること、そして氏族の代表としてフラン自身が城に詰めること。
それを聞いたアデルは喜んだ一方で、複雑な気持ちになった。
「とてもありがたいし嬉しいんだけど、あの決闘はこっちが負けたわけだからなあ」
「──族長は、決闘の結果は関係ない、とのことです」
フランは、父から聞かされていた言葉を思い出し、頑張って切り返しに成功した。
魔王は決闘に負けたことになっており、魔王もまたその敗戦を糧に成長を望んでいるため、決闘の結果について否定しないこと。
そう、言い聞かされていた。
「そういうことであれば歓迎するよ、フラン・ハインケル。龍の氏族と貴方に、感謝を」
「お受けいただき、ありがとうございます」
「とりあえず、腹減ったからご飯にしよう」
「今日は、アデルの好きなタマネギ炒めとタマネギのサラダですよ」
「……今日も、だろうね」
食事の内容を聞いて、フランは魔王たちの食事があまり豪華ではなさそうなことにこっそりと驚いた。
なんだかフランが緊張しているようだったので、堅い話もフランクに行こうとアデルは食堂へとフランを案内した。
フランをアデルの対面に座らせてしばらく待っていると、カナリアが食事を運んできた。
カナリアは一瞬フランを睨んだようだったが、すぐさま顔を取り繕った。フランの座るアデルの対面は、いつもカナリアの座る位置だ。それが気に食わなかったのだろう。だが、今日のフランは使者としてやってきている以上、その席以外はありえなかった。
それをきっと理解したのだろう。カナリアはアデルの隣に自分の分を並べていた。
黄金色に炒められたタマネギの山と、ざっくりと切っただけの白いタマネギの山。ああ、この色のコントラストが素晴らしい。
食事を初めてすぐ、アデルはフランへと切り出した。
「とりあえず、堅苦しいのは苦手だから、気軽にいこう」
「はい、魔王様」
「魔王様、は止めてよ。フラン、て呼ぶから、軽~く呼んでいいよ」
「えと、それでは……うーん」
フランは少し悩みながら、アデルの隣にいるカナリアをちらっと見て、答えを見つけたようにアデルへと向き直った。
「それでは、アデ──」
「それは許しません」
そう呼ぶ瞬間、カナリアが素早く割り込んだ。
「そう呼んでいいのは私だけです。次呼んだら、殺しますよ」
だん、とサラダの盛りつけられた皿にフォークを突き立て、カナリアが怒りを露わにした。フォークを持ち上げ、刺さったタマネギをシャリシャリと齧る。少し苦いのだろう、ちょっと渋い表情をした。
「あー、なんだ。悪いけど、それはナシで」
申し訳なさそうに謝るアデルに、フランはそれならと、
「……魔王ちゃん」
結局は最初に呼んだその呼び名にすることにした。
それならオーケーとアデルはすぐさま許可を出した。
「ところで、その侍女はなんで魔王ちゃんの隣に?」
「貴方がそこに座っているからでしょう」
カナリアが素早くケンカを売る。
相性が悪いのかと思いつつ、アデルはカナリアを軽くたしなめつつ、どういうことかと尋ねた。
「侍女って、主と食事を共にすることはないと聞いていたんだけど」
「なるほどね。確かに堅苦しくするとそうなるんだろうけど。そもそも、俺一人で食事とか寂しいじゃん。だいたい、カナリアが侍女かというと、そういう気がしない……」
「あら、甲斐甲斐しくお世話しているじゃありませんか。いつも侍女っぽい格好しているのも、アデルが好きそうだからですよ」
「……別に好きじゃないけど……」
「なら、アデルがもっと好きそうな裸でいましょうか」
「勘弁してくれ。城から逃げ出したくなる」
アデルが本気でそう言うと、カナリアはだったらこれでいいですよね、と結論づけた。
「なるほど。魔王と侍女、という関係じゃないって感じなんだね」
「生まれてこの方、ずっと隣にいる、ただ一人の女です」
「言外に含んでほしくない言葉がたくさん散りばめられてそうだから、言葉通りの、と付け加えた上でその通りと言っておけばいいかな」
「賢くなりましたね」
軽い言葉の応酬も、そういった関係の上でのことだとフランは理解したようだ。どうせすぐに慣れるだろうが、知らずにいるよりは知っておけば慣れも早いに違いないとアデルは思った。
「龍の氏族には、本当に期待してるよ」
「お任せあれ。龍の氏族は魔界の一番槍。勇者が入り込んできた際は、我らがお守りいたします」
「ああ、期待してる」
「貧弱すぎて、すぐに死ぬと魔界の各地で評判の魔王ですからね。うっかりすると二度三度と死にますよ、この魔王」
「新しいだろー」
「……えと、新しいというか……死ぬ?」
さらっと流された死ぬという単語を、フランはスルーしそうになったところを慌ててキャッチしてきた。
「魔王って、闇の精霊のおかげで死んでも生き返るんだよね。勇者に殺されない限りは。勇者が相手だと、光の精霊の力のせいで生き返れないらしい」
目を白黒させているフランは、きっと理解できていないに違いない。そんなことを疑わずに信じる者なんて、カナリアくらいだろう。そういえば、よく信じたなと思い返す。
「ボロクズになって玉座の前に落ちたら、死んで戻ってきたと思ってください」
「はあ……」
フランは生返事だった。
「大丈夫です、龍の氏族が守りますから、むざむざと死ぬようなことはありませんよ」
「アデルの一番の死因は、幼女と戯れて興奮しすぎて盛大に鼻血を吹いての失血死ですけどね」
余計なことをカナリアが言う。
「はっ!? 鼻血で死ぬとか、それはさすがに貧弱という次元の話じゃ……」
フランの指摘は最もであったので、アデルはそうだよなあと落ち込んだ。