第15話 「第3章 5:逃げる魔王と追う龍」
「……魔王殿は、何故逃げ回っているのか……」
アデルが逃げ惑っている姿を見て、ディードリヒは呆れ返りながらこぼした。
「よもや、あの方の後継が、これほどとは」
「戦いなど、向いていない方ですから」
「……貴殿か。無事であったか」
あまり驚きもせず、しれっと現れたカナリアへ、ディードリヒは答えた。
「トリックですよ」
傷を受けた脇腹は止血されているが、貫かれたはずの腹部の傷は、影も形もなかった。
「何をしようとも驚きはしない。かのネージュ殿の娘子であるからな」
「あまり嬉しくない評価ですね、それは」
「そうか? 先代の魔王をして、敵に回したくないと言わしめたほどの者だ。知らず知らずのうちに人をコントロールして、自分の望む結果をたぐり寄せる手腕は、尊敬にすら値する」
「性格が悪い、ってのを褒めるとそういう形になるんですね」
「……」
さすがにイエスとも言えず、ディードリヒは口をつぐんだ。
「とはいえ、族長殿には感謝しています」
「何のことかな」
「何のことなんでしょうね。とりあえず、こちらの意図を汲み取れる方であって助かりました。あの脳筋娘だったら、こうはいかなかったでしょう」
「そこは否定しない。もう少し、頭のほうも鍛えておくべきだった」
「そうですね、それは大きな失態でしょう。龍の氏族が軽んじられてしまいますよ」
「うむ……」
龍の氏族の将来を考えると、ディードリヒの胃が痛くなる。叶うならば、それを補佐出来る者が娶ってくれると助かるのだが、あの娘を娶る相手は、おそらくアレ以上に脳筋で強い男になるだろうと、ディードリヒは思っていた。
「まあ、何かしら考えるしかあるまいな」
「期待せずにおりましょう。ところで、族長様。随分と魔王に肩入れしているようにも見受けられますね」
「そうだろうか。気のせいだろう」
「そういうことにしておいてもいいですよ。ひとまず、色々と裏があることは分かっていますので」
「ノーコメントとさせてもらおう」
「ふふ、墓穴を掘っていますね。確証はありませんが、状況の符合を考えると答えは自ずと出てきます」
「やはりネージュ殿の娘だ」
「褒め言葉として受け取らせていただきましょう」
カナリアは、ディードリヒから聞きたいことを十分に聞き出せて、満足だった。
あとは、もう一つの目的が達成出来ることを願っていた。
逃げまわりながら、どうやってこの決闘を終わらせるかを思案していた。
勝って終わることはない。勝てるわけがない。とすれば負けて終わることだが、負けてしまっては別の意味で終わりだ。
龍の氏族を味方にすることが最終的な勝利条件である。それをたぐり寄せる事ができるのであれば、決闘に負ける事自体は構わないと考えていた。
だが、襲い来る脳筋娘は、それで納得するとは思えない。
「うがあぁっ! 逃げてんじゃねぇぇっ!!」
先程から同じ言葉を延々と繰り返しながら、龍とフランがアデルを追う。必死に、ちょろちょろと逃げまわりながら、アデルはどうすればいいのかと、答えを見いだせていなかった。
いったん龍を空へと飛ばし、フランは体勢を整えつつ心の乱れを落ち着ける。
その間に、アデルは息を整えながら軽い絶望を味わっていた。
カナリアの安否を確かめねばならないし、龍の氏族を味方にせねばならない。どちらも難易度が高かったが、どちらも行わねばならない。魔王の辛いところだ。そしてそれが達成出来ないことだけが問題だった。
「ハイゼン!」
龍がフランの言葉に答えて高らかに雄叫びを上げた。
高度を下げてアデルの周囲を周回しながら、止めを考えているように見えた。
いっそ、諦めさせたら引き分けになるかなと考えたアデルの眼前に、龍の顔があった。
「どわぁぁぁぁっ!」
アデルは叫びながら、這々の体で龍に背を向けて走りだす。
そこに──ハイゼンが冷気のブレスを周囲を巻き込むように吐き出した。それを察知したアデルは翼を広げて宙へ逃げようとするが、足元が氷に包まれ、空へと上がることが出来なかった。
「げっ……」
逃げられない。アデルの全身が冷や汗にまみれる。
「戦士の情けだ。正面から行ってやる」
「……情けがあるなら、見逃してほしいなーなんて」
フランたちは無言でアデルの正面に移動した。
空で槍を振り回してから構え、フランはハイゼンをアデルに向けて飛ばした。
「これで終わりだあああああああああああああああああああああああっ!」
槍を構えるフランが、アデルへと肉薄していく。それを防げるとは思っていなかったが、アデルは両手でそれを防ぐように突き出した。
「負けるわけには、行かないんだあああああああああああああ!」
ドクン、と心臓が高なった。不慣れな感覚が、アデルを支配する。
アデルは目を閉じて、その感覚に従う。
引かない覚悟で、持てる力を振り絞る。
ぷつん、と何かが切れる音が脳内に響き渡り、そして、ギンと鈍い音が脳内にこだまする。
アデルの目の前に、漆黒の魔法陣が広がっていた。
ぎぃん、と背筋が凍る音が響き、フランの槍がその魔法陣に絡め取られて動きを止める。
何事が起きたのか分からず、フランは槍をめちゃくちゃに振り回してそれを振りほどこうとするが、それも叶わない。ハイゼンも空へと舞おうとするが、フランの槍はそれでも動かない。
「おらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
目を開いたアデルには、何が起きているのか全く分からなかったが、それでもこれは好機にしか見えなかった。
アデルは高らかに雄叫びを上げた。
アデルの周囲を囲う闇が、魔法陣の闇が色を濃くしていき、そして爆発するように衝撃を拡散した。
目を開いたアデルの目に飛び込んできたのは、二つの白い山だった。
なんだか見覚えがあるなと思いつつ、いったん目を閉じて、意識をきちんと覚醒させる。
それから改めて目を見開くと、その山はカナリアのエプロンに違いなかった。道理で見覚えがあるわけだ、と思った次の瞬間、アデルは後頭部に感じる柔らかさから事態を把握し、慌てて飛び起きようとした。
だがそれは、額に手を置かれて防がれた。
「おはようございます、アデル」
山の向こうから顔を覗かせたカナリアが、とても嬉しそうな表情で見下ろしてきた。
「ああ。膝枕は止めてくれ。気分が余計に悪くなりそうだ」
これがミランダの太ももだったら喜んで撫で回したり、うつ伏せになって顔を埋めたいところだったが、残念ながらカナリアのものである。
とても嬉しくなかった。
「ダメです。もう少し横になっていてください」
カナリアが有無を言わせないようにそう言うので、アデルは渋々従うことにした。
目の前にある毒から目を逸らすために、アデルは目を閉じた。
「何故、目を閉じるんですか。見つめ合いましょう」
「見たくないものがある」
「純情ですね、アデル。気にせず、私の胸を撫で回すように見てください」
「それを見たくないから目を閉じているんだ」
そう言ってアデルが強く目を瞑ったのを見て、カナリアは仕方ありませんねと嘆息しつつも、太ももにかかるアデルの重みに心地よい気分を味わっていた。
「なあ、決闘さ、俺勝ったんだよな?」
「まさか。アデルの負けですよ」
「あれ、なんか魔法陣っぽいものがなんか出てたじゃん」
「でも、倒れたのはアデルですよ。こうして、私の膝枕で気持ちよさそうに寝ていたじゃありませんか」
「引き分けとかでもなくて?」
「ええ」
「そっか。生まれて初めて、負けなかったと思ったんだけどな」
「ふふ、残念でした」
そう言いながら、カナリアは嬉しそうにアデルの頭をゆっくりと撫でる。目を閉じて、後頭部の感触を忘れてしまえば、それは案外気持ち良いものだった。忘れきれずに、カナリアの手だと思ってしまい、その気分はすぐさま飛び去ってしまったが。
「何を言っているんですか。私がこうして一緒にいるのは、アデルが私に勝ったからですよ。唯一の勝利ですね」
「……カナリアに勝った記憶なんてないよ?」
「私が、勝手に負けたんです。アデルに、心を奪われてしまいましたからね」
「それは無効試合にしてくれ」
「お断りします」
カナリアは満面の笑顔を見せるが、アデルはしっかりと目を閉じていた。それが気に入らず、カナリアはアデルの頬をつねった。
「痛いな。それより、お前怪我はないか」
「……アデル、心配するのが遅いですよ」
そう言ってカナリアは反対側の頬にも手を伸ばし、両頬を引っ張る。
「おひゃ、あえお!」
「何を言ってるのか分かりません」
分かっているが、カナリアは分からないフリをすることにした。
「一言で言えば、トリックですよ、アデル」
「またそれか」
「ええ、私はそういう女です」
カナリアはそう言いながら、アデルの頭を撫で続けた。
天幕で目覚めたフランは、周囲の状況を把握すると布団から飛び上がった。
隣にいた父へ、恐る恐る結果を尋ねてみる。
「分かっているだろう。お前の負けだ」
淡々と言う父の言葉をしっかりと受け止めたが、フランは思いっきり落ち込んだ。
「そうだ、ハイゼンはっ!?」
フランがそう叫ぶと、天幕を飛び出た。そこには、主を心配するように入り口に待機していたハイゼンがいた。元気な姿を見せたフランに、ハイゼンは顔を寄せてその顔を舐めまわす。
「わっ、ハイゼン……ごめんな」
龍の鼻先に顔を寄せて、フランはその顔をゆっくりと撫でてやった。
天幕からディードリヒが顔を覗かせて、フランへ天幕に戻るように告げる。
心配を掛けてしまった龍に安心するように伝えると、フランは天幕に戻り、布団の上に座った。
「パパン、ごめんなさい。あれだけのことを言ったのに、負けちゃった」
「気にすることはない。勝敗は戦場に常に付いて回る」
「でも……」
「負けたことのない者は、世に一人もいない。私だって負けたことがある」
「……うん……」
「負けることは決して悪いことではない。敗北は自分に足りないモノを教えてくれる。それを糧により高みを求めるといい。それこそが戦士の生き様であり、戦士そのものだ」
娘へ、父は優しく、そして厳しく伝えた。それは、これからの世代へと伝える戦士の生き方だ。乗り越えなければならない壁を提示し、それを乗り越えることを求めた。
「フランよ。龍の氏族は、今より魔王殿の傘下に加わる」
「えっ……それって、あたしが負けたから……」
「そうではない。だから気にするな」
「でも……だって!」
「お前の勝ち負けは関係ない。これは、そうだな、言ってみれば初めから決まっていた、ということだ」
「どういうこと?」
「お前が気にすることではない。これは、族長である私の決定だ。そうとだけ知っておけ」
「うん」
「そもそも、龍の氏族は魔界へ入り込んだ勇者への一番槍である。それは魔王の傘下であろうと独立していようと変わりはない。龍の氏族が見知らぬ何かに変わるわけではないのだ」
「そか……」
少しだけ、ほんの少しだけフランの心が軽くなった。だが、気にするなと言われても、結果は結果だ。自身が負けて、魔王の傘下になった。父がそこに因果関係がないと言い切ったとしても、どうしてもそれが繋がっているようにしか思えなかった。
「それから。フランよ、お前には氏族の代表として魔王殿の城へ常駐してもらう」
「……あたしで、いいの?」
「私はお前を次期族長にと考えている。氏族を代表する者としての経験を積め。今のままでは、正直不安だ……」
「あははは」
これはテストなのだろう、とフランは考えた。次期族長になるに相応しいのか、試されているのだ。ならば、それに答えるのが、負けた自分自身が超えるべき壁なのだろう。
フランは二つ返事で了承する旨を答えた。
「ああ、そうだ。ついでに、魔王殿の子でも授かってくるといい。お前に勝った相手だ、不満はあるまい」
「んー……そうだねぇ。それって、氏族のためになる?」
少し考えこんで、フランは尋ねた。
「そうだな。それに、この先お前を負かす者がそうそういるとは思えないからな。この機会を逃すと、お前がずっと独り身かもしれないとを心配しているんだ。それは氏族として衰退を意味する」
「確かに」
次期族長ともなれば、子がいなければ示しはつかないだろう。夫婦とならなくとも、魔王の子であれば氏族への影響も大きく、否定する要素は思いつかなかった。
「子を産むなら早い方がいいしな」
「ああ、確かに」
「強制する気はない。お前がその気になったら、構わない、とでも受け取っておくがいい」
「分かった、楽しみに待っていてくれ」
フランはのんきにそう答えた。




