第12話 「第3章 2:勇者は魔王と対峙する」
マルスは魔王が名乗りをあげるのをじっと待っていたが、その様子を見せる前に構えていることに疲れ、文句を言った。
「こらこら! 魔王だったら名乗れよ! 戦い始められないだろ!」
「はあ。身勝手なバカは度し難いわね。いいからさっさと死になさい」
カナリアは手をしっしと振ると、マルスの背後に魔物を呼び出した。
魔物は急な呼び出しにも関わらず、広間に現れると勇者へと襲いかかった。勇者は構えていた剣で、襲いかかる魔物の攻撃を受け止め、そして攻撃を仕返すと一刀の元に斬り伏せる。
カナリアは再び魔物を召喚した。
「馬鹿はお前だ、魔王! 一匹ずつ送って来ても大したことないぞ! そもそもこいつら、オレの仲間と戦っていた連中だろう。だったら、オレがこうして倒せば仲間が集まってくるぞ」
「……それは楽しみね」
そうカナリアは言うと、今度は三匹ほどを呼び出す。
「これで、貴方の仲間は随分と楽になるのかしら?」
「それは、助かる、な!」
四方から襲いかかってくる魔物の攻撃を受け止め、そして交わしながら、勇者マルスは嬉しそうに答えた。
あまり時間も掛からず、都合四匹の魔物が勇者の剣に斬り裂かれ、影となって広間から消失していった。
「ほらほら、早く次を呼べよ。呼ばないなら、お前が相手してくれるか?」
身体を上下に揺らしてカナリアを挑発しながらも、勇者は剣を構えつつ周囲の警戒を怠らない。
「そう。じゃあこれでどうかしら」
カナリアが次を予告すると、開け放たれたままの扉を通りぬけて、魔物たちが何かを加えながら雪崩れ込んできた。
「せっかくだから、貴方の仲間も呼んで上げたわ」
魔物は、加えていたモノを勇者の前に放り出しながら、マルスの周囲を取り囲む。放り出されたそれを見下ろし、マルスは呆然としながら呟きを漏らす。
「……カーラ……ディー……パルマ……ライリー……ゲルバ……」
マルスは床にへたり込むのをこらえながら、魔物が放り出した仲間の名を呼んだ。だがすでに事切れていた仲間たちがマルスへと返答を返すことはなかった。
「足りない? もっと連れてきましょうか」
「──魔王! よくも、よくもオレの仲間を!!」
「何を言っている? 弱いということが悪い。ここは魔王の城。その程度の仲間を連れてきた自分自身をこそ恨みなさい」
目の端に涙を浮かべるマルスに、カナリアは冷ややかに言った。
この場に放り出された勇者の仲間は五人ほどだが、すでに他の勇者の仲間たちも全て魔物たちが殺し終えている。勇者をさらに絶望の淵へたたき落とすために、魔物たちが食いたがるのを、カナリアは止めておいた。
「もう許さん! 覚悟しろ魔王!!」
勇者マルスは瞬く間に周囲の魔物を全て倒しきると、その勢いのまま玉座へと肉薄する。宙に身体を持ち上げて、振り上げた剣をカナリアへと振り下ろす。
甲高い音が広間の壁に反射し、大きな音が広間を覆い尽くした。
マルスの剣は、カナリアへと届いていなかった。カナリアの周囲に展開された魔力の防御壁がその剣を受け止めている。
「乱暴な勇者ですね。そんなことをしたら危ないでしょう」
如何にも仕方なさそうに、カナリアは玉座からゆっくりと立ち上がった。スカートのシワを伸ばすように、スカートを摘むとピンピンと伸ばした。
勇者はそれを見据えながら、剣先をゆっくりと持ち上げる。
「なるほど、それが魔王の鎧か。だけどな、勇者にそんなものは通用しないんだぜ!」
マルスが目を閉じて両手で剣を強く握り締めると、ゆっくりと息を吐いて剣に力を込めていく。構えた剣が、少しずつ光を帯びていき、やがて強い光が剣を覆い隠した。
「……光の精霊の力を、剣に込めましたか。なるほど、それは防げませんね」
キッと目を見開いた勇者マルスは、剣を引くように構えると、じわりとすり足で右足を引いた。
「魔王、己の行為を悔やむといい」
「悔やむようなことなど、何一つしたことはありませんけどね」
しれっと言いながら、カナリアはそれでも構えを取ったりはしない。
「戯言を! 覚悟!!」
力を込めた右足で床を蹴ると、マルスはカナリアへと肉薄した。カナリアは振るわれる剣を右へ左へと舞うように躱しつつも、次第に壁際へと追い込まれていく。
剣をさらに避けたカナリアは、何かを気付いたように宙へ視線を動かし、回避運動も止めた。そこへマルスの剣が真っ直ぐに伸びて、カナリアの胸を深々と貫く。
「……あーれぇ~」
剣に貫かれたカナリアは、壁をずり落ちながら、床へとくずおれていく。ゆっくり、ゆっくりと時間を掛けて床に落ちると、広間にドサッと一際大きな音が響き渡った。
カナリアに突き刺さった剣のグリップが床に当たり、コーンと鳴った。
「やった! やったぞ! 魔王、討ち取ったり!!」
大粒の涙をこぼしながら、その涙を拭いもせず、涙声でマルスは叫んだ。そして、ここまでに倒れていった仲間の名を、一人一人、呼び上げて、感謝を叫んだ。
「みんな……やったよ。みんなのおかげだよ……」
目を閉じて、溢れる涙をそのままに、マルスはひたすら泣き続ける。
死んで城に戻ってきたアデルは、見知らぬ男が広間で泣き叫んでいるのを見て、一体何が起きたのか理解ができなかった。
今日はついうっかりミランダの胸に顔をうずめてしまって、激しい興奮のあまりに鼻血が盛大に飛び出し、死の間際の暗くなっていく視界に、それが虹を作り出すのを見た。
鼻血でも虹が出来るんだな、と今際の際に思ったのが、直前の記憶である。
何度も死んでは戻ってきたからか、身体が慣れたのか、復活直後は以前ほど身体のだるさを感じなくなっていた。まったく無いわけではないが、前に比べるとはるかに楽である。
言葉にならない声を上げながら泣き叫ぶ男に声を掛けようとして、アデルは床に倒れるカナリアの姿を見つけた。
それを見たアデルは、一瞬何事かが分からなかったが、確かなことは頭が急騰して何かを考えるほどの余裕がなくなっていた。
慌ててカナリアへ駆け寄ったアデルは、力なく横たわるカナリアを、ゆっくりと抱き起こした。
深く突き刺さった剣が胸を貫き、身体はいつもの温かさがなく、とても冷たく感じた。いつもならこんなことをすれば、固く抱きついてくるカナリアが、まったく動こうともしない。
……アデルは大きな喪失感を受けつつ、身体がとても燃え上がるのを感じていた。頭がぐちゃぐちゃになって何も考えられない。カナリアがいつも見せる、笑顔──いや、男を求める女の表情だけが脳裏を駆け巡る。
ふらり、と立ち上がったアデルは、泣き叫んでいる男に、ゆっくりと近づいていった。
「これは、お前が……お前が、やったのか!?」
「魔王を、倒したことか? ああ、オレが魔王を倒した!」
男がそう力強く断言するのを聞いたアデルは、この男こそがカナリアの仇であるとハッキリ知覚した。
「許さない……絶対に、許さない!!」
アデルは男の胸ぐらを掴み上げた。腕に血管が浮き上がり、筋肉が表層で自己主張を始めるが、男が身体を浮かせることはなかった。残念ながらアデルにそんな筋力はなかった。
「……いったいなんなんだ?」
掴みかかってくるアデルに、勇者マルスは戸惑いを隠しきれなかった。魔王と倒した勇者に、何をしようと言うのだろうか。
「俺が、魔王だ」
アデルが短くそう告げると、マルスの顔色がパッと変わる。
「──なっ!?」
マルスはアデルの掴んでくる手を払いのけると、剣を慌てて探した。カナリアに突き刺さったままの剣を見つけ、そこに駆けつけようとして──
「アデルが怒ってくれたところが見れたので、貴方はもうお役御免ですね」
不意に聞こえたその声の直後、指を鳴らす音がマルスとアデルの耳に届いた。そして、勇者マルスは突然足元から闇の色をした炎に包まれた。
「あ、あ、ああああああああああああああああああああああああああっ!」
叫び声を上げながらマルスは炎に巻かれた。炎はマルスの身体をしっかりと焼き上げ、やがて消えた。
「……え、と……」
何が起きたのか分からず、アデルはその場に立ち尽くした。
あの声には聞き覚えがあった。そうだ、あれはカナリアの声だ。
アデルはそう思いいたると、横たわっていたカナリアの方を見ると、そこには相変わらず剣に刺されたカナリアの姿がある。
「──カナリア?」
「はい、アデル」
何事もなかったように、カナリアは普通に返事を返した。声の聞こえてきた背後へ振り向こうとしたアデルは、背中から強く抱きしめられた。
そしてアデルの目の前で、横たわるカナリアの姿がゆっくりとボヤけていき消えた。刺さった剣が、支えるものを失って、音を立てて床へと落下する。
「お前なあ……」
ほっとしたアデルは、胸の当たりに回されているカナリアの手を、しっかりと握りしめた。
「ふふふ、アデル嬉しいです。やっと、私の大切さに気付いてくれましたね」
アデルの背中に頬ずりしながら、カナリアが身体を押し付けてくる。大きな胸が当たり、アデルは気持ち悪さを感じていたが、それでもカナリアが生きていたことにホッとして、その体温を感じられることに、しばらく我慢することにした。
「幻影か」
「トリックです」
「あの炎は……」
「トラップです」
「そんなもんなかったよな?」
「ふふふ、アデルが気付かなかっただけですよ」
「……そか」
アデルは、人心地ついたのでカナリアを引き剥がそうとしたが、カナリアは強く抵抗して離れようとしない。アデルはムキになってその手を持ち上げて身体を逃がそうとするが、カナリアはしっかりと抱きついていて離せない。
「アデル、ベッドへ行きましょう。アデルが私をどれだけ大切に思っているのか分かってしまって、もうこの興奮が抑えきれません」
抱きついたまま、カナリアはアデルを引きずっていく。少しずつ少しずつアデルの私室へと向かおうとするカナリアを、アデルは精一杯の抵抗を試みて、何度も何度も試みて、やがて力を失ったカナリアの腕から逃げだした。
脱兎のごとく駆け逃げるアデルを見ながら、カナリアはぼそっと呟いた。
「まったく、ヘタレなんですから……」