第11話 「第3章 1:勇者たちがやってきた」
地上へ行ったアデルが戻らないことにイライラを隠し切れないでいたカナリアは、しかし勇者が魔王の城まで辿り着いたことで、その溜飲を下げていた。
「アデル……戻ったらお仕置きですね。ここまで私に苦労させた分、たっぷりねっとりと、絞り取ってもバチは当たりませんよ……」
嗜虐的な表情を浮かてひとりごちながら、目の前に浮かべた水晶に浮かぶ景色を見つめている。
そこには、魔界へと入り込んだ勇者マルスと、その仲間たちが警戒しつつ城へと近づこうとしている様子が映し出されていた。
龍の氏族を出しぬいて、勇者をここまで誘導するのは、とても骨の折れることだった。
何匹もの龍とその背に乗る戦士が常に空に舞い、勇者を探していた。
勇者一人ならいくらでも隠しようがあったが、総数二十を超える団体ではそうもいかなかった。
カナリアは幻覚を纏う魔法で正体を隠しつつ勇者へ道を指し示す一方で、龍の氏族に見つからないよう、そこそこの高度に幻想の鏡を展開させて、誰もいない無人の荒野を映しだした。
勇者たちを最短距離で移動させつつ、その上で船まで用意して、勇者たちが一秒でも早く城へと到着するように促した。
苦労の甲斐もあって、当初の予定よりも早く、勇者たちは魔王の城へと到着した。
さすがに疲れたので、勇者に休息を取ってしっかりと準備をするようとに念には念を入れて忠告しておいた。そのおかげか、勇者たちは言ったとおりに休息と準備に一日を掛けてくれていた。
結果、カナリアは丸一日熟睡することが出来た。もちろん、寝ていたのはアデルのベッドだ。主が永く戻っていなかった時間の分だけ、布団や枕に染み付いたアデルの匂いは少々薄くなってしまっていたが、それでもカナリアは満足な寝心地を味わえた。
そうしてアデル成分を十二分に補給したカナリアは、玉座で勇者を待ち受けていた。
別の水晶を創りだしたカナリアは、それを宙に浮かせながら、そこに別の光景を映し出していた。
それは、勇者とその仲間たちが魔王の城へとついに入り込もうというところだった。
普段は閂で閉じている城門は、勇者たちが休息している間にカナリアが手ずから外しており、簡単に開くようになっている。とはいえ、城門は金属で作られており、その高さは取り立てて高くも低くもないアデルがおよそ三人分、幅はアデル四人が両腕を広げるほどで、両開きの大きな城門である。
その城門に勇者たちが取り付き、大人数で押し開けようとしていた。
「それくらい簡単に開けないで、よくもまあ勇者を名乗るものですね。かつての勇者が吹き飛ばしたりしたせいで、無駄に頑丈になっていますから、せいぜい頑張ってくださいね」
嘆息しつつ吐き捨てると、カナリアはしばらく見ておかなくても平気だろうと、さらに新しい水晶を三つほど創りだした。いずれにも城内の光景を映す。
カナリアは魔物を大量に呼び出して、城内に配置していた。玉座へと向かう最短の道は薄めに、それ以外の場所は濃い目に配置することで、勇者たちを誘導しようと企んでいた。
だが狙った通りに動くとは思ってはおらず、たどり着くまでの道中に幾つものトラップを仕掛けて、勇者とその仲間たちを分断するポイントを作っていた。その一つが、通路を塞ぐ幻影の壁だ。
カナリアが得意とする幻影を駆使し、壁の中から魔物を飛び出させることで勇者とその仲間を分断する策であり、そして勇者たちに踏み荒らされたくない場所へと入り込ませないための防御であった。
一番守るべき部屋は、玉座に近づかねばならない位置にあり、目の前に玉座があれば勇者がそちらに向かうことは想像に固くない。
そして踏み荒らされたくない裏庭の畑への道も隠してある。
「さて、準備はだいたい終わっていますが、暇ですね……」
カナリアは広間の天窓を見上げると、少しだけ考えてから立ち上がった。背の翼を広げると天窓まで飛び、開けて外へと飛び出る。
そのままゆっくりと上昇すると、広間の上にそびえる尖塔へと降り立った。
カ天高く伸びる避雷針につま先を乗せると、カナリアは下界の勇者たちを見下ろした。
なんとか城門を通り抜けた勇者たちは、城壁の内に集結した魔物との戦闘に突入していた。そこかしこで金属同士の擦れる甲高い音や、血飛沫を飛び散らせる悲鳴が溢れかえっていた。
「うふふ、なかなかやりますね。さすがにハインケル将軍を落としたというのは伊達ではないですね」
カナリアは静かに独りごちると、しばらくそのまま勇者たちご一行の観察を続けた。
しばらく中庭を観察していたカナリアだったが、魔物の群れをなんとか通り抜けた勇者たちが城の中郭へと入り込むのに合わせて、再び天窓から玉座へと舞い戻った。
玉座の広間には、アデルが帰ってきた様子も、帰ってくる気配も感じられなかった。
「仕方のない魔王ですね。やはりアデルには、私がいないとダメなようです」
嬉しそうにそう漏らすと、カナリアは広間に向けて指を舞い踊らせると、それに応じて魔力で描かれた魔法陣がいくつも浮き上がる。描かれきった魔法陣がその中心に影を生み出すと、やがれそれは魔物の姿へと変わっていく。
魔物たちは広間で実体化すると、じっとカナリアの命令を待ち続けた。
いずれも、カナリアが使役する魔物の中でも大きな力を持つ魔物たちだ。切り札といってもいい。
扉の向こうから、かすかに勇者たちの激しい戦いの音が聞こえてくる。目を閉じてしばらくその音を鑑賞していたカナリアは、目を見開いて魔物たちを一瞥すると、しなやかな指を一本立て、円を描いた。
その動きに呼応するように、広間には大きな魔法陣がひとつ、魔物たち全てをくわえ込むように浮かび上がった。
「勇者以外の侵入者を、殺しなさい」
カナリアがそう命令すると、魔物たちは思い思いに雄叫びを上げながら魔法陣に飲み込まれてその姿を広間からかき消していった。
「ふぅ、魔力を使いすぎていますね。あとで、きちんとアデルから取り立てませんと……」
そう言いながらも、カナリアはどことなく嬉しそうであった。
再び五つほどの水晶を創りだしたカナリアは、水晶の向こうに城内の戦闘の様子を映し出した。
通路にひしめく魔物たちを、一匹一匹と倒していく勇者たち。一人づつ一人づつ、傷つき倒れていく、勇者の仲間たち。
勇者の共は、すでにその数を大きく減らしていた。勇者は、光の精霊の加護を受け、祝福された力に目覚めて強大な力を持つが、その仲間たちは結局はただの人間でしかない。
いくら勇者の力が強かろうとも、勇者の見えない所で仲間たちが倒れていく。
先頭に立って魔王の元へと急ぐ勇者だったが、その背後から襲い来る魔物への対応までは行えていなかった。
魔王の城において、勇者以外が玉座まで来ることは許されることではない。勇者だけは、百万歩くらい譲って、なんとか我慢するのが習わしである。だがカナリアとしては、アデルと自分以外がこの城内にいることそのものが許せなかった。自分で誘導したとしても、それはそれ、これはこれ、という具合である。
その憤りは、十分に勇者に晴らしてもらうことにしていた。凄惨な微笑みで、カナリアは水晶ごしに勇者を見やる。
背後から現れた魔物の群れを、勇者の仲間たちが懸命に抑えこみ、勇者に先へ急ぐように促す。そして勇者は、何事か言葉をかわすと、振り返ることなく玉座へと向かって走り去る。
「バカな勇者……」
残って足止めを引き受けた勇者の仲間へ、カナリアがさきほど召喚した魔物が背後から襲いかかる。紙のように鎧が引き裂かれ、壁に叩きつけられ、それでもなお闘志を見せる人間に、魔物たちが無慈悲な攻撃を加えていく。
その光景が、何箇所でも発生していた。
やがて、ついに一人きりになった勇者が玉座の広間へと繋がる扉へと手を掛けた。
「ようこそ、勇者」
水晶を浮かせたまま、カナリアは侵入者へそう声を掛けた。
「……キミは……」
勇者マルスは、玉座に座る少女を怪訝そうな顔で見つめた。銀の髪は薄暗い中でも光を放つかのように強い存在感を放ち、少女の淡麗な顔をくっくりと見せていた。
少女を警戒はしつつ、勇者は魔王の気配を探るが、自身とその少女の気配以外、この広間からは感じられなかった。
「キミが──いや、貴様が魔王かっ!?」
そう問われたカナリアは、組んでいた足をこれ見よがしに組み換え、ゆっくりと周囲に浮かべた水晶を消した。そして腕を振るって見せると、壁に備え付けられている無数の蝋燭が、バッと一斉に灯った。
「ええ、そうよ。私が魔王。勇者、お前を殺す者よ」
悠然と、そしてハッキリと、カナリアは勇者にそう名乗った。
「そうか、お前が魔王か。はははは、なんだか拍子抜けだけど、まあいいや」
首筋をポリポリと掻いて何事か考えてから、勇者は剣を掲げて名乗りを上げる。
「我が名は勇者マルス・アントーク。地上の平和を守るため、魔王を討伐しに来た!」
掲げた剣の切っ先をゆっくりと降ろし、マルスはそれをカナリアへと向けた。
「さあ魔王よ、お前も名乗りをあげるといい!!」
剣を両手で握ると、マルスは戦闘態勢を取った。だがカナリアはそれを見つつ、このバカは何を言っているのだ、と嘆息した。それ以上の行動は起こさないでいた。