第10話 「第2章 4:布石は撒かれた」
地平にかすかに見える城を目指しつつ、アデルとカナリアは雲をかき分けながら空を進んでいた。
アデルはあの場では聞かないでいたことを、ここで尋ねることにした。
「なあカナリア。勇者を倒すために龍の氏族を味方にするんじゃなかったのか?」
「誰が、そんなことを言いました? よくよく思い返してください」
カナリアがさも当然のように返してきて、アデルはよくよく思い返してみるが、確かにそうは言っていなかったかもしれない。かもしれない、という程度で断言は出来なかったが。
「いやいや、だからって、話がオカシイじゃないか。俺が勇者を倒すことになったんだぞ!?」
「いいじゃないですか、倒せば」
「無茶を言うな」
「ちなみにですね、元々の予定通りです。言ったとおり、龍の氏族を味方に付ける算段が整ったではありませんか」
「……やはり、聞かないでいたほうが良かったかもしれないな」
すでに手遅れだった。
「いいではありませんか。第一、私がアデルにとってマイナスになるようなことをするわけがあるわけないじゃないですか」
「……」
そうだ、とも言い切れずにアデルは押し黙った。それがカナリアには不満だったようで、むすっとした表情で顔を背けた。
「もう知りません」
「おいおいカナリア。何がそんなに不満なんだ」
つーん、と言いながらアデルに後頭部を向けるカナリア。ため息をつきながら、アデルは機嫌を直せと言った。
「胸に手を当てて、よく考えてみてください」
そう言われて、アデルは左胸に手を当ててみるが、心臓の鼓動が届くだけで、何か答えが見つかったりはしなかった。
「今日も元気に心臓が働いているな」
「たまに鼓動のペースが変わっているはずですよ」
「うそっ!?」
「冗談です」
「止めて、マジでビビるから」
アデルがそう懇願すると、カナリア少しだけ微笑んで、顔を見せた。
「ちなみに、手を当てる胸は、そっちではなく、ここですよ」
そう言ってカナリアは胸を少しはだけた。大きな胸が作り出す谷間が、アデルの目に飛び込んでくる。
「……カナリア。そんな大きい胸に触ったりしたら、死んでしまうだろう」
「そんなことはありません」
「ソンナコトアルヨ!」
「寝てる時に押し付けたり舐めさせたりしましたが、心臓も元気に動いてるんですよね」
「……カナリア、お前俺の部屋に入るの禁止」
「では、気付かれないように入りますね」
アデルの言葉は、残念ながらカナリアには届いていないようであった。
「それでは、ちょっと仕込みをしてきますね。龍の氏族を出し抜かないといけませんので」
「なるべく、勇者が死にかけてて、赤ん坊でも殺せるくらいにまで弱らせておいてくれ」
「アデルならそれでも負けそうですが、とりあえず努力してみることを検討しないでもありません」
「まあ、頼む。それじゃ俺は、ちょっと地上に行ってくるから」
カナリアはアデルをこの世から消し去りそうなほど強い視線を叩きつけたが、地上にいる愛しい少女の姿を頭の中に浮かべていて気付かなかった。
地上の明るい空に浮かぶ雲の間を飛びながら、アデルはミランダの村を目指していた。
いつもデートに行く草原の付近なら誰もいないので、そこまで到達すると、念のために周囲を飛びながら警戒しつつ、生い茂る森の中へと降り立つ。
今日はミランダとどこへ行こうかなと思いつつも、隠している地上用の変装衣装をスルーした。
たまには、ミランダの様子を見るだけにしておこう、とそう思ったのだ。村でいらない子扱いされたミランダが、今はどうしているのかが、とても気になった。ミランダを連れて帰る状況を作るためにも、普段の様子を知っておく必要があると、そう自分に言い訳した。
アデルは再び空に上がると、ゆっくりと村へと向かって飛ぶ。このくらいの高さなら、誰も気付かないだろう。
村の上空へと移動したアデルは、ミランダの姿を村の中に探した。
だが、その姿を見かけることはなかった。
村の隅から隅へと移動しつつ見下ろしてみるが、見つからない。遠くに目を凝らして、草原の方にいるのかと思ったが、そちらには人の姿はなかった。
もう少し範囲を広げてみるかと、森の方へと行ってみると、果たしてそこにミランダの姿があった。
村の男達の中で、ミランダが何かをしているようであった。
木の葉に隠れるように、見つからないようゆっくりと近づいていくと、その様子がハッキリと見えた。
男たちが切り倒して加工した木材を、ミランダが一人で倉庫の前へと運び込んでいた。
そこに積み上げられた木材の山が、ミランダの運んだものなのだろうか。
重そうに、とてもあの歳の少女が持つには辛い物を、ミランダは黙々と運んでいた。
その表情に、普段の明るさ、愛らしさはなく、ただひたすらに作業をこなしているように見えた。
アデルは、無意識に拳を固く握りしめていた。
なんという、なんということをさせているのだ、という憤りがアデルの全身を駆け巡る。
今すぐにでも、駆けつけてやりたかった。
だがそれは、村でのミランダの立場を考えると、やってはいけないことだと、飛び出そうとした瞬間に気付いて、狂おしいほどの怒りを押し殺した。
しばらくその様子を伺っていると、村の男たちはミランダを残して村へと引き上げていった。
アデルは慌てて空へと飛び上がり、隠している着替えに着替え、ミランダの元へと駆けつけた。
「ミランダ!」
周囲に村人の気配がないことを確認したアデルは、ミランダの元へと駆け寄ると、その手に持った木材を奪い取った。
それは、アデルにも重く感じられた。
「こ、こんなに重たい物を、運ばせるだなんて……」
「あ、お兄ちゃん……」
えへへと力なく笑いながらミランダは、姿を見せたアデルに微笑んだ。
「ごめんね、お仕事してるから、お出かけ出来ないの」
「気にするな。それより、なんでミランダがこんなことを……」
「冬が来る前に、やっておかないといけないことだから」
「それは! 村にとっては大切なことなんだろうけど! だからって、ミランダがやらなくても……」
「ううん、だって、わたしのお仕事だから……でも、大丈夫だよ」
ミランダが笑顔の裏に隠している疲れを、アデルは見て取った。心配をかけないように、幼いながらにそれを一生懸命に隠しているのだろう。
「俺がやる。ミランダは、休んでいろ」
「ダメだよ、だって、わたしの仕事だから」
ミランダは頑として譲らず、アデルは諦めてため息をつきながら一緒に運ぶことを提案した。
ミランダには、小さくて軽いものだけを運ぶように、きっちりと約束させた。
二人で木材を運んでいると、ミランダはようやくちゃんとした笑顔を見せるようになり、それがアデルには嬉しかった。
その笑顔を見ているとアデルの心臓は鼓動を加速させ、全身に興奮が伝わっていく。危うく、それが血管を突き破って鼻血を撒き散らしそうになったが、アデルは懸命に耐えた。
ミランダに、こんなことをさせないためにも、木材を運び終えるまでは我慢しなくてはならない。アデルはその一心だった。
そう考えつつも一方でアデルは、ミランダの待遇を改善する方法がないかと考えていた。
ミランダの状況が悪化したのは、間違いなく魔界に入り込んだ勇者のせいだ。あの勇者さえいなくなれば、再びミランダが明るく過ごせる日々が訪れるのではないだろうか。
光の精霊の加護の力に覚醒した勇者が、地上の人々を期待させているから、覚醒していないミランダが期待されないのではないか。
それはつまり、ミランダが再び期待されるためには、勇者を倒せばいい、ということだ。
だが、それをアデルが行えるのか、と言えば限りなくノーであるが……
「お兄ちゃん?」
黙々と真面目な顔で木材を運び続けていたら、ミランダが不審に思ったのか、声を掛けてきた。
「うお……ん、どうしたんだい、ミランダ」
「なんかお兄ちゃん、むずかしい顔してたから……」
「ああ、ごめんごめん」
よりにもよって、ミランダに心配を掛けてしまったことを、アデルは悔やんだ。
そうさせないために、自分は今こうしているというのに。
「ちょっと、仕事のことを考えちゃってたよ。ごめんな、ミランダと一緒にいるときなのに」
「ううん、それはいいんだけど……」
「いや、ミランダのこと以外を考えるのは、良くないことだよ」
アデルは笑顔でそう言って、運んだ木材を積み上げ、それからミランダの頭を撫でた。
「えへへ」
ミランダが笑うのを見て、アデルはやはりミランダには笑顔がよく似合うし、それ以外の表情をさせてはいけない、と強く思った。
「ミランダ、俺と──いや、やっぱりなんでもない」
俺と一緒に行かないか……そう言いたかったが、言えなかった。今の状態でミランダを連れて行くことが、最善ではないと考えていた。ミランダが大事にしているこの村、そして両親の眠る墓。
特に後者は、今ミランダがいなくなったりすれば、きっと村にとって邪魔物でしかないだろう。ミランダが勇者となるか、それに準じた状態になるからこそ、村にとって大切なものになる。
ミランダにとって両親の墓は、何物にも代えがたい大切なものだ。もしそうなってしまえば、アデルは永遠に笑顔でいられる自信があったが、ミランダは心からの笑顔を見せてはくれなくなるだろう。それでは意味が無いのだ。
アデルが愛しく思うミランダは、笑顔の似合う素敵な少女でなくてはならない。
だから──それを、成し遂げなくてはならない、とアデルは心の奥底から、ミランダに誓った。
「えぇ~最後まで言ってよぅ」
「はは、また今度な。次のデートの時にでも、言うよ」
「ほんとだよー? 楽しみにしてるね!」
アデルは嬉しそうなミランダへ手を伸ばすと、ミランダがそれを掴む。
二人は手を繋ぎながら、運ぶ木材の元へと戻った。




